生まれる前から、この日が来るのは決まっていたのだろうか。
初めてエヴァに乗った時から、こうなることが定められていたのだろうか。
砂嵐の中を、まるで彷徨うように進む。
見えないこの先には、何が待つというのか。
SR −the destiny−
〔第22話 糸 〕
Written by かつ丸
どうやって外に出たのか、シンジは覚えていなかった。
ベークライトで固められたケイジを破壊し、射出口から打ち上げられた、だからここに、ネルフ本部の外にいるはずだ。
だが、記憶にない。いつものような発令所からの指示も、起動にいたるまでの手続きも、すべて抜け落ちている。プラグに入り、気がつけばここにいたような気がする。
いつもと変わらないはずのエントリープラグの中、しかしモニターに写るのは、吹き荒れる風の姿だった。
粉塵と砂が初号機の周りを包む。
抑えきれないエネルギーが初号機から洩れ出し、この嵐を起こしている、そう思えた。
今までのどの出撃とも違う。これこそが真の力なのかもしれない。初号機の背中から生えた光で出来た羽根こそがその証だろう。
何かに呼応したのか、それとも、これから待っている敵が最強だからなのか。
引きずられるようにして、ただシンジは前に進むしかなかった。
待っているのはマヤの乗る弐号機、そしてサードインパクトを起こそうとしている見知らぬエヴァ達。
果たしてマヤの弐号機が今も無事かはわからないが。マヤの戦闘能力では、いくら相手が初戦でも苦戦するだろう。
・・・・・でも、敵もエヴァなんだ。また、子供が乗ってるのかもしれない。
トウジの時のことが頭をよぎる。同じかもしれないのだ、今度はヒカリやケンスケが乗っている可能性もある。彼らもチルドレン候補なのだから。
頭を振り、その思いを追い払う。
考えてはいけない。
もしかしたらカヲルを殺したように彼らを殺せるのかもしれない、今の自分なら。
それを自覚したくは無かった。
手に握りしめたミサトのクルス。それだけがシンジを前に進めているよすがだった。何も守るものは無い、求めるものも無い。けれどミサトが最後に託した何かを無駄にしないために、シンジは行かねばならないのだろう。
父でも母でもレイでも無い、ミサトこそがシンジにとって初めての、そして唯一の家族なのだから。
たとえこの先にあるのが殺戮の荒野であっても、その両手を再び血に染めることとなっても、シンジはたどり着かなくてはいけない。ミサトがずっと追い求め、そしてたどり着けなかった場所へ。
それはミサトのエゴでシンジが応える必要のないものかもしれない。けれどそれにすがること以外、シンジにはもう何も残されてはいなかったのだ。
徐々に風が収まる。視界が開けていく。
足を進めることを止めず眼をこらすシンジが見たのは、槍を手に佇む金色の機体の姿だった。
・・・・・マヤさん、無事だったのか
いくぶんほっとする。しかし何か様子がおかしい。
こちらを見る弐号機、そしてそれを取り巻く風景に違和感がある。
疑問の原因の一つはすぐに分かった。
弐号機の周りにはエヴァシリーズが立っていたのだ。シンジの視点から扇を広げるように曲線を描いている。弐号機を中心にして、手にはやはり同じ形の槍を持っている。
それは敵対しているというよりも、弐号機にかしずいているように見えた。いや、それは正確ではない、弐号機が敵となって、初号機に対峙しようとしているかのようだったのだ。
『待っていたよ、シンジくん』
頭の中に声が響く。聞き覚えのある、そして、間違えることのない声が。
・・・・そんな
シンジが目を見張って金色に光るエヴァを見つめる。装甲に包まれたその顔の向こうに笑顔が見えたような気がした。
シンジが殺した少年の、皮肉な笑顔が。
『君のおかげで僕は老人のくびきから自由になれた。お礼に導いてあげよう、老人が求めた場所へ。たとえ君が望まなくてもね』
その言葉と共に弐号機が槍を高く掲げた。それを合図にエヴァシリーズ達が羽根を羽ばたかせて空に舞い始める。
『黒き月の眷属、リリスの子らよ。裁きの時は来たり。白き月の主、アダムの名においてその報いを汝らに授けん』
呪文のようにカヲルの声が響く。白いエヴァ達が初号機を包むように周りを囲む、手に槍を構えながら。
『・・・さあ、シンジくん、決着をつけよう。全ては今日この日のためにあったのだから』
咆哮。
初号機があげたその悲鳴は、シンジが出したものだったろうか。混乱と、そして恐れから。
背中から伸びた羽根がさらに広がる。
けれど紫色の機体は動くこともできず、周りのエヴァシリーズたちには動じた様子も無い。
そして初号機の叫びに反応するかのように、遥か空の先から飛来するものがあった。
衝撃波を放ちながら飛んできたそれは、初号機の喉元を刺す寸前で止まった。赤褐色の棒、宇宙にあったはずのロンギヌスの槍。
『本物の槍を呼び寄せたのか、やはり選ばれし者だね、君は』
嬉しそうに言う、その言葉と共に再び弐号機は指示を出した。白いエヴァ達が初号機の手に槍を突き刺し、十字の形に伸びた初号機の羽根を持つとそのまま持ち上げていく。
為すすべもなく初号機は空中に運ばれて行った。その喉元にロンギヌスの槍をひきつれたままで。
『じゃあ、始めようか』
後を追うように弐号機もその身体を宙に浮かせた。翼を出したわけでは無い、かつてカヲルがターミナルドグマで見せた姿と同じ、まるで重力から解きはなれたように空へと登っていく。
けれどもシンジにそれを疑問に思う余裕など無かった。
「まずいな、やはり初号機を依代にするつもりか・・・・しかし弐号機はいったい」
冬月がモニターを見ながら呟く。初号機を取り囲むようにして運んでいくエヴァシリーズとそれをさらなる高みから見おろす金色のエヴァ。
帰ってきたロンギヌスの槍が意味することは初号機による補完が不可避だという現実だ。それはすなわち初号機の中に存在するユイの魂に何らかの作用がなされるということ。
最悪消滅もありえる、だからこそ冬月もゲンドウもそれを回避しようとしてきたのだ。
エヴァシリーズを操作しているのはゼーレの老人たちそのものだろう。ダミーによる自動操縦やプログラムとは考えにくい。最終段階をそんな曖昧なものにまかせるとは思えなかった。
搭乗しているわけではあるまい。おそらく何らかの手段で遠隔操作を行なっているはずだ。ファティマシステムをもう一歩進めれば、それを行なうことは難しくないと思われた。
だが弐号機は理解できない。エヴァシリーズに君臨しているかのようなその行動、補完をなそうとしているのはあの金色の巨人その人のようにも見える。
マヤが実はゼーレのスパイだった? そんな馬鹿なことはないだろう。もしそうならゼーレが『レイ』の存在を見過ごしにするはずが無い。彼女はリツコに次ぐ位置にいたのだから。
けれども目の前のモニターに写る事実は変わらなかった。
「エヴァシリーズがS2機関を解放!」
「次元測定値が反転、マイナスを示しています!!」
オペレーターの声が響く。
両手のひらを槍に貫かれ拘引される初号機。その周りを囲むようにしたエヴァシリーズたちは、まるで何かを形作るように一定の間隔を取り合っている。
そう、冬月は知っていた、その形が意味することを。セフィロトの樹。裏死海文書にもかかれていたそれは、世界の凝縮を意味する。
集約されようというのか、初号機の、シンジの中に、この世界が。
「アンチATフィールドか・・・・碇、もう時間は無いぞ」
冬月のその声に応えたかのように、エヴァシリーズが形作る文様から衝撃波が放たれた。
それはネルフ本部を揺るがし、生みだされた巨大なきのこ雲が日本中を覆う。
爆風が収まったあと、ジオフロントはその本来の姿、地中深くに埋まっていた球状の形を地上にさらしていた。
黒き月、人類の生命の源、それがついに顕現したのだ。
襲いかかる衝撃からその身を庇いながら、冬月はただひたすらモニターを注視していた。自分が行なってきたこの15年の決着を、見極めようとするかのように。
『赤き土の禊ぎ、シンジくん、君たちリリンは呪われた存在なんだ。この星の本来の所有者であるはずの僕たちから見ればね。セカンドインパクトと君たちが呼んでいたのは、この星をあるべき姿にもどすための力の発動、それでも、智恵ある者であるリリンたちはそれを防ごうともがいたようだけど』
カヲルの声が響く。
『そう、敵であるアダムや、そして母体であるリリスの力を利用してまでね。使徒を、僕たちアダムより生まれし者を倒すために、この星の支配者として生きながらえるために』
プラグの中でシンジは両手で顔を押さえている。もとよりカヲルの言う内容などまともには聞いていない。彼のことを直視する勇気など持ち得なかった。
自分を断罪に来た。そう思えたから。
『君の危惧は間違っているよ、あれは僕がそう仕向けたことだから。でも、やはり正しいのかもしれない。君を裁きに来たことにかわりはないからね』
シンジの心を読んだようにカヲルが言う。
『君がリリンの代表なんだ。これから君の心を依代に全てのリリンの魂は集約される。たとえそれを望まなくてもね。数千年のリリンの歴史が君というちっぽけな器の中に宿るんだ、素晴らしいと思わないかい?』
しんそこ楽しそうな言葉。同意を求められてもどうしようもない、カヲルも返事など期待してはいないだろう。
『全き存在、なにごとをもなし得る力をもつ者、だけど君は僕に支配されるのさ。全てが補われる時、君自身も消えるからね、一つになったリリンは自我を持たないただの人形になるのさ』
万能の力を得るために、カヲルはシンジを利用しようというのだろうか。
そしてこれがゲンドウが望んでいたことだったのだろうか。
『どうだろうね・・・でも、このまま君が行き着くのは幸せな場所のはずだよ。満たされないという感情とは無縁の世界だからね。なごやかな気持ちが永遠に続き悩みも心配事も無い、まさに理想じゃないか』
カヲルの嘲笑が響く。
地上から遥かはなれた場所で、初号機は身動きすることもままならずに繋がれている。
顔を覆ったシンジの手のひらには黒い円形のあざ。それは初号機の手に槍が刺さっているのと同じ位置にできていた。
『聖痕、かつて君たちがメシアと呼んだヒトがつけられたモノだね。ただの符牒、遊びのようなものだよ。けれど予定どおりでもある。それをつけられたものこそ、メシアだと、そう定められていたからね』
何を言っているのかわからない。メシア、救世主、そんなものになれるわけがない。それはカヲルもよく分かっているはずだ。
『自分を卑下することはないさ。リリンは君に押しつけていたんだ、僕たち使徒と戦うことをね。だから誰も文句を言う資格などないんだ。もっとも文句を言える者など、もうすぐ存在しなくなるだろうけどね』
矛盾したセリフ。混乱させようとしているだけなのかもしれない。
『すぐにわかるさ。・・・・・さあ、裁きを、審判を始めよう。僕らを滅ぼしてまで君たちが得たこの世界を、果たしてどんな形で終わらせるのかな、君は』
カヲルの言葉を合図に、エヴァシリーズが共鳴を始めた。
空中に描かれた世界樹の文様が白く光り、その中心に繋がれた初号機を照らす。紫の巨人とそれを取り巻く9体の白い巨人。金色の巨人はその中には入らずに天空からそれを眺めている。
自分はただの傍観者だと、そう言っているかのように。
初号機の胸元にはロンギヌスの槍。突き刺さってはいない。狙いを定めるようにその先端を初号機に向けたまま宙に浮いている。
初号機が震えている。コントロールは全て失われている。
自分に何が起きようとしているのか、シンジには全く理解できなかった。
カヲルの出現、裁きという言葉、メシア、リリンの代表、ロンギヌスの槍、リリスの子、赤き土の禊ぎ、アダム。
あらゆる事柄が頭の中で渦を巻く。
ミサトが言っていた真実を見つけるということ、これがそうだというのだろうか。
シンジは人類の代表として裁きを受け、その罪をあがなわなければならないのだろうか。
なぜ自分がそんな目にあわねばならないのか。
冷静に考える余裕などない、恐怖に耐えるのが精一杯でどうすればいいのかなど見当もつかない。
エヴァに乗ったから? チルドレンに選ばれたから? 使徒と戦ったから?
望んでそうなったわけではない。
戦う理由はレイを守るため、それだけだったのだから。世界を救おうなどと、そんなことを考えたことは無い。守るはずのレイを失い、ちっぽけなこの街すら救えなかった自分。
たとえカヲルがシンジを使ってサードインパクトを起こし人類を滅ぼそうとしているとしても、それに抗う術は今の自分には無い。
その果てに安らぎが得られるのなら、たとえ悪魔に魂を売ってもかまわないと思える。これ以上苦しみを重ねるくらいなら、いっそ無に帰りなにも分からなくなった方がいい。
・・・・・僕には何もできない、できるわけないじゃないか。
自問する。その答えは当然のように思える。
いったい誰がシンジを責められるというのだろう。
ゲンドウ?
彼こそが全ての元凶ではないか、本来ならゲンドウが裁きを受けるべきなのだ。
マヤ?
カヲルがこうして生きていたのなら、自分を恨みはしないだろう。
トウジ? ケンスケ?
所詮彼らは何もしていない、ただシンジに守られていただけの存在だ。
ミサト?
真実を知らないからこそ、彼女はシンジに託せたのだ。実際に荷物を背負っているのはシンジで、そしてその重圧に今つぶれようとしている。
レイ?
彼女はシンジを責めるだろうか。シンジとともにずっと戦ってきた彼女は。
生命と引き換えに守ったこの世界を救うため、最後まで諦めるなとシンジを叱咤するだろうか。
それともただ哀しい瞳をみせるだけだろうか。
わからない。
レイは自分に何を求めていたのだろう。
世界を救うことなど望んではいなかったように思える。そう、彼女が望んでいたのはシンジがそばにいること、それだけだったはずだ。
レイのそばにいるためにシンジはエヴァに乗り、レイとともに暮らすためにシンジはこの街を守った。
シンジもレイといることだけを望んでいた。
自分を捨てた父ではなく、消えてしまった母でもなく、綾波レイという孤独な魂の持ち主、彼女だけがシンジの心を埋めてくれたのだ。彼女こそシンジの失われた半身だった。
シンジの心を依代にする、そうカヲルは言った。シンジの中に、全ての人類の魂が集約されると。
けれどそれに何の意味があるだろう。この欠けた心を補える唯一の存在は、もうこの世にいないのだから。
『どうして、彼女じゃないと駄目なんだい?』
また、頭の中にカヲルの声が響いてくる。
『この世界には君のように母親を失い、父親から捨てられた子供なんていくらでもいるじゃないか。その子達の中にも君を愛してくれる存在はいるかもしれないよ』
それは仮定でしかない。実際他にいなかったのだ、シンジを愛してくれた、好きだと言ってくれた人など。
『でも、彼女は君を捨てていってしまったじゃないか。わかっているんだろう、シンジくん。彼女が君との生よりも死を選んだってことが』
そうかもしれない。
レイは消えてしまった。もうどこにもいないのだ。
シンジは永遠に失われたものをただ恋しがっているだけかもしれない。
『そんなことに意味があるのかい? 今こうしている瞬間、それこそが君の現実だよ。そしてもうすぐ君は補完され、全てのことがらから解放されるんだ。過去のことに捕らわれてもしょうがないだろう?』
そうなのだろうか?
もう忘れた方がいいのだろうか?
シンジは現実から逃げているだけなのだろうか?
『手の届く場所にある幸せを疑い、幻でしかないものにすがろうとしている。それが惑いや苦しみの元になっていると知っている筈なのにいつまでもやめようとしない。君たちはとても哀しい存在だね』
哀しいなどとは思わない。
乾いたカヲルの物言いに怒りを感じながらシンジは顔を上げた。
レイと共に過ごした時間はなおもシンジの中にある。
それは誰にも否定できない、消し去ることもできない。
たとえ誰に何といわれても、偽りだとなじられても、シンジがレイのことを愛しく思う気持ち、彼女が死んだ今もなおレイを追い求める気持ち、それが失われる時はシンジが失われる時だ。
どれだけ苦しくても、せつなくても、レイへの想いを抱えて生きていく。生きている自分がいる。
始まりなど今思い起こしても意味はない、他の可能性など考える必要はない。
世界中すべての人の魂がシンジの心に入っても補えない欠けたもの、それこそがレイなのだ。
巨大な力を得ることが出来ても、他の願いが全てかなえられると言われても、世界中の全ての人がシンジを好きだと言ったとしても、レイが失われた今、シンジの心が補完されることは永遠に無い。
このまま葬られようと、再び初号機に取り込まれ人の形を失うことがあろうと、この魂がある限り、レイを想いつづけることをけして止めることはない。
今のシンジにはわかる。
レイがそれを望まなくても、レイが人でなくても、レイがこの世にいなくても、それでも自分はレイを求めることを止めないと。
薄汚れた魂しか持っていない自分のたった一つの真実、それがレイへの想いだ。
恐れや惑いで見失うことはあっても、けしてシンジの中から消えることは無い。
それがある限り、シンジが満たされることなど永遠に無いのだ。たとえ世界中を、いや、宇宙全てを己の中にとりこんだとしても。
レイがいない場所にシンジの幸せなどあり得ない。
カヲルのたくらみなどうまくいくはずがないではないか。
『いや、それこそが僕の本当に望んだことだよ、シンジくん』
嘲る様子は無く、うれしそうにカヲルは言った。
『君が選ばれた真の証だからね。さあ、彼女が来た。新たな時代の扉を開くんだ。きっと君なら出来るよ』
視界が開ける。
エヴァシリーズ達が形作っていた文様を解き、あたりに散る。
何かを待つように。
そして答えるように、広がる雲を突き破り、ソレがシンジの前に現れた。
巨大な白いかたまり。
初号機よりもはるかに大きい。壁のように迫ってくる。
正面に向いているもの、それは人の顔の形をしていた。
いや、顔だけではない、初号機に向かうように伸ばされた二本の手。白い身体。人間なのだろうか、その形状だけをみれば。
眼をみはるシンジの前でそれはゆっくりと顔を上げた。
知っている顔。
閉じられたまぶたを開きまなこをこちらに向かせる。
紅い瞳。
その時、シンジは全てを理解した。
求めていたものは、決して失われてはいなかったのだと。
「・・・・そこにいたんだね、綾波」
一度目の生、それは祝福とともに。
レイを作ったヒトは、レイに綺麗な服を着せ、愛しげにレイの名を呼んだ。
そのヒトが守ってくれる、周りはレイよりも大きな人ばかりだったけれど、だれもがそのヒトの前では萎縮し、怯えていた。だから何も怖くなかった。
彼の近くには別の誰かがいた。紫色のくちびる、嫌な臭いのするヒト。彼女が邪魔だと思った。レイを作ったヒトもきっと彼女が嫌いに違いない。
だから教えてあげたのだ彼女に。彼がふともらした言葉を。
彼女の怒りに歪んだ顔を見たことと引き換えに、レイは二人目になった。
二度目の生、それは疑問とともに始まった。
幼い心に刻まれたのは、自分という存在の不自然さだった。
オレンジ色の水槽で泳ぐ、自分と同じ形をしたものの意味を、その時初めて知ったのだ。
目覚めた後、再び同じ服を着せられ、連れて行かれた先はゲンドウのいるところではなく、どこか暗い部屋だった。
そこでレイを育てたのは一人めのレイを殺したヒトの娘、同じ臭いがするヒト。
ゲンドウはあまりレイの前に来なくなった。その理由をリツコに訊くことも無く、レイはただ時を過ごしていった。
暗い部屋の中で。
求められていたのはいつか「役目」を果たすこと。エヴァに乗せられたのもその一部なのだろう。
直接それを聞かされたわけではないが、死んだはずの自分がこうして生かされているのは何か理由がある、それは分かっていた。
示される運命に自分が抗えないことも。
死んでも代わりはいる、3人目や4人目になるだけ、同じ心と記憶を持った新しい自分が生きていくだけなのだ。2人目になったように。その新しい自分達の誰かが「役目」を果たせばいい、だから死は怖くなかった。
チルドレンと呼ばれて、暗い部屋から出されて、人々の間で暮らし始めた時、初めて恐れるものが出来た。
自分という存在があまりにも他のヒトと違うことに気づいたから。
周囲のヒトが持っている何かを自分が持っていないかもしれないことを知ってしまったから。
だから怖くなった、他のヒト達が。
自分が違う存在だと、他人に知られることが。
それでも、受け入れてくれたヒトがいた。
愛してくれたヒトがいた。
レイの正体を知ってもなお、拒否することも無くそばにいてくれたヒトが。
レイだけを見ていてくれたヒトが。
二人目の生は、そのヒトのために終わった。
彼を助ける喜びと、彼との日々を失う哀しみの中で、レイは三人目となった。
三度目の生、そこには絶望しか残されていない。
息をするだけの暮らし。
「役目」を果たす、それを待つだけの時間。
他のことは考えたくない。思い出はレイを壊してしまう。
いてはいけない、いるはずの無い存在。自分でも自分のことがわからないのだ、今の自分が前の自分と同じなのかどうかわからないのだ。
シンジが愛したレイは自分とは違うかもしれない。
身体に宿った力。フィフスチルドレン、彼がそう言ったように、今の自分は彼によく似ている。
ターミナルドグマの奥深く、白い巨人の前で彼がシンジに殺されるところを見に行ったのは、それを確かめるためだった。
使徒の力を持つカヲルと自分が等しい力を持っていることを。
かつての自分が出来なかったことができる、それはかつての自分ではないということだ。
シンジに会ってそれを知られれば拒絶されるかもしれない。
カヲルを殺したようにシンジが自分を殺すとは思えなかったが、異常な力を持つ自分を恐怖するかもしれない。ましてや愛してなどくれないだろう。
ならばここで何も思わず過ごしていたほうがいい。そうすれば傷つくことも無いから。
やがて「役目」を果たす時が来た。
身体にめり込むゲンドウの手、その先からレイの体内に侵入してくる異物。
それはレイとよく似た、けれどレイと違うモノ。伝わる波動は、レイを別の何かに変えようとしているように感じる。
それを受け入れることが、レイが生まれてきた理由だったのだ。
ゲンドウが望む何かに変わることが、レイの運命なのだ。
そのための「生」を与えてくれた、ひとときでも夢を見ることを許してくれたゲンドウの望みに応えることを、拒否する気持ちにはなれなかった。
シンジの叫びを聞くまでは。
怯えた声、助けを求める悲鳴を。
レイを呼んだわけではないだろう、彼はレイが生きていることなど知らないはずだから。
しかしそんなことはどうでも良かった。
今、ゲンドウの望みに応えることはシンジを見捨てることになる。たとえレイが生まれた意味を失うことになっても、シンジの元へ行かねばならない。
だから拒絶した、ゲンドウのことを。自分の創造者を。
ゲンドウの望みを叶えるためではない、今日、シンジを助けるために自分は生まれたのだ。
シンジの悲鳴を止めるために、「綾波レイ」という存在はあったのだ。
いや、今、この瞬間、そう「なった」のだ。
運命など無い。
なにもはじめから決まってなどいない。
意思あるものとして生きる限り、常に選択しなくてはならない。他人の人形ではなく、従属物ではなく、自分自身の「生」を生きることを。
そのために誰を裏切っても。
「・・・・さよなら」
すがるように自分を見つめるゲンドウの瞳を振り切り、レイは白い巨人の前に対峙した。
体内に別のモノを宿したままで。
それのせいだろうか、今ならば分かる。この白い巨人こそがレイの帰るべきところだったのだと。
たとえ自分を失うことになっても、シンジを救うには、そこに帰るしかないのだと。
『オカエリナサイ』
その言葉と共にレイを受け入れたその巨人は、すぐにその姿を変え始めた。
レイの似姿へと。
そしてかつてレイだったものは全てを思いだした。
自分が何者で、なぜここにいたのかを。
それでも心は変わらない、求めているのは一つだけ。
シンジを助けることだけ。
全てを成せるその力も、ただシンジのためにしか使うつもりはなかった。
広がっていく肉体、空に向かって伸びていく。
やがて見つけた。
自分の眼からはまるで妖精のように小さく見える初号機の中で、怯えているシンジの姿を。
けれど彼はすぐに分かってくれた。こちらを見つけたシンジの顔は、いつもの笑顔に変わった。
懐かしい声と共に。
『・・・・そこにいたんだね、綾波』
自分を見つめる紅い瞳に向かいシンジは微笑んだ。
すでに事態への恐怖は消えている。
目の前にいる物体がレイであること、そのことに疑いは無かった。
どんなに変わったように見えても、何も変わっていない。それはこちらを見る笑みをみれば分かる。
委ねればいい、彼女に。
その想いと共に、意識は遠くなっていった。
〜つづく〜
かつ丸にメールを送る
katu@osaka.104.net
解説:
以上、第22話です。
前回とは逆に題名最短ですね(^^;。
ちなみに、SRの題名の付け方の元になっているのはこの回です。
レイの記憶については、原則として全て受け継がれていることになります。
その辺の考察はここでは書きませんが(^^;
取りあえずこの話ではレヰが存在する以上、魂と記憶は結びついていると定義されております。
あと、今回のシンジのセリフ。SRはこのセリフを言わせるための話でした。
ようやくここまでこれましたね。残るは2話です。
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