Ghost Hunt

水ノ中ノ火
#1
 あたしは一体何を「根拠」にナルを信じているのだろう。
 訳もなく、ただ有るがままに信じていた。
 地球が滅びることはあっても、ナルが私を裏切ることはないと……。



 昼を大幅に過ぎて麻衣は事務所に到着した。ベビーカーを傾斜させてエスカレーターに乗っり、一番奥まったブルーグレイのドアに向かう。いつもなら声も高らかに「こんちわー!」と扉を開け放つのだが、今日ばかりは躊躇いが強い。
 何もなかったように振る舞えば良いのだろうが彼女は自他共に認める”嘘の下手な人間”だった。黙秘を行使したとしても無かった事にはならない。
 何をどう言えばいいのだろう。
 その逡巡を断ち切るように突然ドアが開け放たれた。
「……今何時だと思ってるんだ?」
 不機嫌絶好調なナルがドアノブに手を掛けて立っていた。
 ただ俯いて唇を噛む麻衣。
「どうした?」
 ナルは腰を折って麻衣の顔を覗き込もうとしたが麻衣は「遅れてごめんなさい」と言うとナルを押しのけて中に入っていった。
「よお、重役出勤。今日は殊更遅かったな」
 ソファには滝川がいた。彼の前には作り置きのアイスコーヒーが置かれていた。いつものイレギュラーズは彼一人だった。
「まあ、駆け付け一杯をどうぞ」
 と安原がテーブルにこれまた作り置きのアイスティーの満たされたグラスを置いた。ちなみに彼はここのスタッフである。一度は辞めてかねてからの希望通り某法律事務所に籍を置いていたのだが、「こちらの方が面白いですし、僕の性に合ってるんです」と言って再就職した訳だ。
「ごめんなさい。ありがとう」
 無理のない笑顔を浮かべてみたがこの百戦錬磨の二人に通じる筈もなかった。じっと麻衣の顔を見るなり、
「顔色が悪い」
 と本人ではどうしようもない事で麻衣の嘘を看破してしまった。
 麻衣の背後ではドアを閉めたナルが同じくソファに座った。
「では大幅な遅刻の原因を話して頂きましょうか? 谷山さん」
 膝を組んで真っ直ぐに見つめられて、麻衣はベビーカーから優人を抱き上げてソファに腰を下ろした。
 だがなんて言えばいいのだろう。
 ただ無意味に時間ばかりが流れてゆく。いつもなら痺れを切らし、滝川達に任せて所長室に入ってしまうだろうに今日ばかりは麻衣の言葉を待った。
「大変だったんですよ、谷山さん。滝川さんは滝川さんで10分おきに探しに行った方が良いんじゃないかって騒ぐし、所長は所長でお茶がないから機嫌悪いし、終いには所長室から出てきてここでずっと待ってるし……って失礼」
 安原の言葉に滝川は苦虫を潰したように、ナルは絶対零度の視線で睨み付けた。
「ごめん、今から入れるね」
「今はいい」
 立ち上がり掛けた麻衣を制してナルは話を促す。逃げる機会を失って麻衣は更に深く座り込んだ。妙に喉の渇きを覚えてアイスティーを呷るように飲み干した。優人をぎゅっと抱きしめ、目を閉じて麻衣はぽつりとつぶやいた。
「通り魔に……あったの」
「は?」
「通り魔だと?!」
「ど、どこでですか?!」
 滝川と安原は立ち上がって麻衣に駆け寄った。ナルは座ったまま全てを見通すように見つめ続けている。
「通り魔とは隠喩か?」
 ナルの言葉に麻衣は驚いてナルを見た。滝川と安原が麻衣を見ると、麻衣は小さくこくんと頷いた。
「通り魔みたいな人……。一瞬で……今までの生活が切り刻まれ、ちゃった……」
「麻衣……」
「谷山さん」
 肩を震わせて泣き出した麻衣に狼狽えつつ二人はナルを見た。ナルはやはり麻衣の真意を測りかねているようで、眉根を寄せながら麻衣を見つめていた。
 麻衣は長い時間を掛けて息を整え、ゆっくりと顔を上げた。そして目に一杯涙を浮かべながらナルを睨み付けた。
「その人の名前は十和田、十和田柳子さん……。半年程前に依頼を受けた所の奥様。当然聞き覚えあるよね」
「!」
「十和田だと?!」
「十和田って……あの」
 3人が3人とも息をのみ、滝川と安原はナルを見た。単なる依頼人への反応ではなかった。明らかに狼狽を秘めた様子に麻衣は二人を見た。
「二人とも、…知ってたの? もしかして綾子も真砂子も、みんな知ってたの? 知ってて黙ってたの!?」
「……」×2
「麻衣、落ち着け!」
 狼狽えたように顔を見合わせる二人。そして珍しく焦ったナルの言葉に、否定ではないその言葉に麻衣は、
「なんだってあたしがただの依頼人からあんな事言われなきゃならないのよ! なんだってこんなもの見せられなきゃならないのよ!」
そう叫ぶとバッグから数枚の紙切れを取り出し、ナルの顔に叩き付けた!
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