Ghost Hunt

FRIDAY MIDNIGHT BLUE
#1
「あのおっさんか?」
「……ああ、間違いない」
 滝川が親指で指した男性を見てナルが頷いた。
 そこはとある住宅街の一画で時刻は午後十時を回っていた。視線の先には40代と思しき男性が一人。どこにでも居る普通のサラリーマンで仕事の疲れを背中で表しているのか猫背気味でトボトボ歩いている。
「地位も名誉もなさそうな下らない男だが世間一般の家族と体裁位は持ち合わせて居るだろう」
「そのなけなしのプライドもずたずたにしてやるってか?」
「息の根を止めてやっても気が済まない程なのにその程度で済ませてやるんだ。感謝して欲しいくらいだ。……何か不満でも?」
「いんや、麻衣にふざけた真似しでかしたんだ。後悔先に立たず。なんもかんも失ってから精々悔やめば良いさ」
 残酷な笑みを浮かべて滝川は携帯を取り出した。
「綾子、準備はいいか?」
『いつでもOKよ』
 気楽な声音で返ってきた答えにナルは頷いて、
「派手にやってくれ」
 と優美な笑みを浮かべた。




「ちくしょー!!!!!!!」
 それが麻衣の出社一番の言葉であり、事の始まりでもあった。
 本日のイレギュラーズは滝川と綾子。二人は勿論、リンや安原もその雄叫びに目を見開いている。ただナルだけが不愉快そうに美麗な眉根を歪めて、
「うるさい!」
と言い捨てた。
 だがその冷たい言葉に麻衣は怒りに燃えた目で睨み返す。その目を静かに受け止めていたナルはふとその目の赤さに気がついた。
 じっと麻衣を見つめると怒りが滲み出しているように顔が紅潮している。
「一体何事よ」
 優人を引き受けながら綾子がとりあえず尋ねてみると……。
「……り握られた」
「は?」
「チカンにお尻握られたの!!」

「……………………」×5

「何ぃ─────────────っ!!?」×4
 麻衣の顔は怒りの為か、恥辱の為か、はたまたその両方か真っ赤になっていた。
「ど、どんなヤツに! と、とっつかまえたのか?! ま、まさかなすがまま……ゲフッ」
 自称麻衣の父こと滝川が顔色を変えて詰め寄るが綾子に肘打ちを喰らってその場に踞ってしまった。
「あんたがそんな弱い子じゃないことは知ってるわ。勿論ぶん殴ってやったんでしょうね!?」
「……電車の中で叫んでやったよ」
「ぶん殴んなかったの?」
 綾子の言葉に麻衣は下唇を噛んで俯いた。
「どうしたのよ?」
「あ、あたし『止めてください!』って触ってた手を上に引っ張り上げて言ってやったの。そ、そうしたら相手が……」
「相手がなんて?」
「……」
 麻衣は唇を開くが両手をきつく握りしめて麻衣は必至であふれ出す怒りを抑えようとしていた。ナルはそんな麻衣の後頭部に手を添えると優しく引き寄せ、固く握りしめられた手をそっと解き始めた。
「落ち着け。押さえても治まらない怒りなら吐き出してしまえ」
と、普段では見せないような優しさで接してみせたのだ。周囲の人間は異質なモノでも見るような目で見守っていた。
「……すっごい……悔しい」
「ああ」
「悔しくて……悲しい」
「うん。……何を言われた?」
「……」
「……言い辛いか?」
「……うん」
「よくここまで我慢したな」
「……うん……」
 二言三言でも会話するうちに落ち着いて来たのか麻衣はナルの胸から顔を上げ「はーーー」っと大きく溜息をついた。ふと芳しい香りに気が付き当たりを見回すと、
「どうぞ」
と、控えめな声でリンが茶器を差し出した。
「白龍珠……ジャスミンの花茶です」
「……良い香り……」
 茶器を受け取って麻衣は花の香りを胸一杯に吸い込んで言った。
「どうぞ座って召し上がってください」
「はい、……ありがとうございます。リンさん」
 少し笑顔を浮かべて麻衣は勧められるがままにソファに腰掛けた。勿論ナルを引っ張って横に座らせると、肩にもたれ掛かりながら少しずつお茶を飲み干してゆく。
「落ち着いたか?」
 無言で肩を提供していたナルが尋ねると麻衣は小さく頷いた。首を捻ってその顔を見ればやはり極度の怒りのためか憔悴している。
 ナルはそんな麻衣の両目を手で覆った。
「疲れただろう。少し眠れ」
「……」
「……いつもなら暇を見つけては居眠りしているくせに許可がでると眠れないのか?」
「……何よそれ」
「事実だろう?」
「ああそうですよ、暖かくなってまさに春眠暁を覚えずってあたしの事なんでしょうよ! はいはい、お優しい所長様のお言葉に甘えまして深ぁ〜く眠らせて頂きますとも! お休みなさい!!」
 言うなり麻衣は体をずらすと勢いよくナルの腿に倒れ込んだ。
「僕は忙しいんだ! 膝枕をして欲しいのならぼーさんに頼め!」
「zzzzz」
「麻衣!」
 それでも寝たふりを続ける麻衣に業を煮やしナルは強引に立ち上がろうとした。が出来なかった。
「……なんのつもりだ?」
 ギャラリー全員から肩を押さえつけられナルは全員を睨み付けた。しかし長い付き合いの彼らにはその程度の睨みは最早慣れっこになっているらしく皆どこ吹く風という様子だった。
「……」
 手を振り払おうとするナルに滝川はズイッと顔を突きつけて、
「お前さんの膝枕が一番安心できんだよ。麻衣は」
とのたもうた。
 さも不審そうに眉根を寄せたナルだが己のズボンを力一杯握りしめている麻衣を見て本日何度目かの溜息をついた。
「……」
 沈黙は肯定の証。
 ナルは諦めたように瞑目してソファに座り直すと麻衣の体からも緊張が解ける。
「僕資料整理してきます」
 安原が気を利かせて資料室に入る。
 続いてリンも無言のまま資料室に姿を消した。
「……」
「優人くぅ〜ん、お姉さんと一緒にお出かけしましょうね〜〜〜」
 綾子は優人を抱き上げるとスタスタと扉に向かう。
「おいちょっと待てよ。俺も一緒に行くぜ」
 慌てて立ち上がる滝川に綾子はベェッと舌を出した。
「冗談じゃないわよ。あんたなんかが付いてきたらまるであたしの旦那みたいに思われちゃうじゃない」
「俺だってお前みたいなケバい嫁さんはゴメンだよ。俺だってなぁ優人と遊びたいんだ! 独り占めなんてずるいぞ」
「馬鹿言ってんじゃないわよ、くそぼーず!」
「そっちこそちょっとは静かにしろよ!」
…………
 二人の会話がフェードアウトしてゆき、ただただSPRは沈黙に包まれる。
「……ごめんなさい。我が儘言って……」
「……いつも言っていることだが、やってから謝るな。怒る気も失せる」
「うう〜……」
「もういいから眠れ」
「……うん。おやすみなさい」
「……おやすみ」
 穏やかに麻衣の髪を撫でつつ、ナルの頭の中では愚かなる痴漢への残酷な報復手段が練られていったのはこの時だった。
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