Ghost Hunt

Lの悲劇
 イライライライラ……。
 カリカリカリカリ……。
 間断なく打たれるキーボードとの打音と共に放たれる苛立ちの気配。
 所長室に溜まった澱んだ空気に怯みながら麻衣はナルの邪魔にならないところにカップを置いた。
「ナルー、お茶だよー。ちょっと休憩した方がいいよ?」
「……」
 一瞥すらせずナルは出されたお茶を一息で飲み干してカップをソーサーに戻した。
「体壊すよ?」
「……」
「ねえ、ナルってば」
「……」
 只返るのは沈黙ばかり。反応するのも時間の無駄と言わんばかりの態度に麻衣は、
「……ったくもぉ!」
と、業を煮やして踵を返し、所長室を後にした。まっすぐ給湯室に向かって手荒にカップを洗っていると壁に叩き付けてやりたい衝動が湧き起こるが、カップの値段や結局自分が後片付けする羽目になる事を思えば丁寧に水気をふき取ってボードに直してしまうのだった。
 ナルの資料が吹き飛んでから既に三日。プリントアウトした書類を元にデータの復元にしていたのだが苛つきながら仕事をしているせいか凡ミスの連続で作業は遅々として進んでいなかった。
 焦れば焦るほど多くなるタッチミスにナルの機嫌は言うまでもなく下降の一途をたどってゆく。
 あれほど普段ナルの邪魔をし続けるイレギュラーズもこの時ばかりは麻衣の懇願もあり、大人しくなりを潜めていた。
 そして問題の一昨日。
 流石に不眠不休で仕事を続けていてナルにも限界が近づいていた。見るモノ全てに当たり散らしたくなる自分を必死で制した。
 だがそんな時に限って優人の機嫌も悪かったりするのだ。
 まるでナルの感情を感じ取ったかのように始終愚図っており、手当たり次第に物を投げていた。そして高く響く声で叫び声を上げたり、つまらなくなって突然泣き出したり……。
 ナルを刺激しないようにと麻衣が慌ててあやすがもう後の祭だった。
「……」
 無言で所長室からナルが優人の声に眉根を顰めた。
「ご、ごめんね。な、なんか優人も機嫌が悪いみたいで……」
「麻衣、耳障りだ。それを連れてしばらく出て行け」
 怒りも露わな声でそう言い捨てるとナルはそのまま踵を返そうとした。……その時。
「ちょぉーーーーっと待った」
 常になく剣呑な響きの声音にナルが振り返った。
「……」
「あんた今何てった?」
「……出て行け」
「その前だよ」
「……しばらく」
「……そのもう一つ前」
「耳障りだ、か?」
「飛ばしてる!」
 麻衣の目がどんどん不穏な色を帯びてくる。だがナルとて不機嫌絶好調の今、機嫌を取る(不機嫌でない時もしないが)事など出来なかった。逆に苛立ちを募らせて麻衣を睨み付けた。
「一体なんだと言うんだ」
「あんた、今優人の事『それ』って言ったよね」
「……言ったが、それが?」
「しんっじらんない! あんた人を物扱いするような人間だったの?!」
「……別に物扱い……」
「あたし、そう言うの大っ嫌い!! もういい! あんたなんか知らない! 出て行けって言うなら未来永劫出てってやるわよ!」
 ナルの言葉を遮ると麻衣は優人に上着を着せて、自分もコートを着込んだ。唖然としているナルを後目に優人をベビーカーに移すとそのままSPRを出ていこうとする。
「ちょっと待て麻衣」
 麻衣の激昂ぶりに逆に冷静さを取り戻したナルは引き留めようと麻衣の腕に手を掛けた。
「離してよ!」
「落ち着け!」
「触んないでよ! 大っ嫌い!」
「落ち着けと言っているだろう!!」
「どうしたんですか?」
 緊迫した雰囲気に水を差すように静かな声が響いた。勿論声の主はリンである。
 その声に救いを感じたのかホッとしたようにナルはリンを見た。だがナルが助け船を求める前に麻衣が事の次第を言い立ててしまったのだ。
 大人しく麻衣の言い分を聞いていたリンは……。
「それで谷山さんは優人君を連れて出ていくと言っているわけですね」
 麻衣がこくりと頷いた。リンはチラリと横目でナルを見た。
(何とか宥めてくれ)
 と言わんばかりのナルの視線にリンは大きく溜息をついた。
「谷山さん」
「はい?」
「残念ながら外は大雪ですよ」
「えっ?! 嘘!」
 麻衣は窓際に駆け寄ると勢いよくブラインドを引き上げた。
「うっわ〜〜〜。ご、豪雪じゃん……」
 外は当に北国宜しくの横なぶりの雪が降っていた。
「こんな天気の中に優人君を連れ出すのはどうかと思います。ここは一つ気持ちを落ち着けてください」
「うっ……」
 リンの言葉に麻衣がうなり声を上げた。この様子ではリンの言葉に従うのだろう。
 値が単純な麻衣はどんなに怒っていてもそれを何時までも持続させる事はあまりない。時間こそが解決策の第一番とリンは考えたのだ。そしてそう見て取ったナルも麻衣に気づかれないよう安堵の息をついた。
「ナルも今度のことはよく肝に銘じて於いてください。元はと言えばこまめにバックアップを取っていなかったナルの責任です。一人で責任をとり、復旧しようとする姿勢はご立派ですがそれを周囲にぶつけるのはお止めなさい」
「……わかった」
 リンに諭されてナルは不承不承に頷いた。だがまだナルを見る麻衣の視線には棘があった。
「谷山さん、これで宜しいですか?」
「……」
「谷山さん」
 少しばかり強い調子で言われ麻衣も不承不承頷いた。
「はい」
 ナルは再び小さく安堵の溜息をつくと、
「じゃあ、僕は作業に戻るから……」
 と背を向け所長室へと向かった。
「! ナル!」
「……何だ?」
「あ、あの、えーと。そうだ! お茶は煎れようか?」
「あ、ああ。頼む」
 そう答えるとナルは所長室に姿を消した。
 閉められた扉に向かって麻衣はおどろおどろしい声音で、
「とっておきのヤツを煎れて差し上げようじゃないの」
と呟いた。
「谷山さん?」
 訝しげに首を傾げるリンを後目に麻衣はクスクス笑いながら給湯室に向かっていった。不穏な物を感じがリンはその後に付いていく。
「リンさん邪魔しないでね」
 笑顔を張り付けて麻衣がそう言う。
「……何をするつもりですか」
「えー? ちょっーと一服盛ってやろうかと」
「な、何をです」
「勿論睡眠薬ですよ」
「……何故そのような物を持っているんです?」
「な・い・しょ」
「谷山さん!」
「本当は永眠させてやりたいぐらいなんですけどね……」
 すっかりやさぐれてしまったのか麻衣の目には危険な光が宿っている。そうこうしている間にもお茶は煎れられ、ナル専用のカップに並々と注がれた。
「で〜きたっと」
 クスクス笑う麻衣に戦慄を覚えながらもリンは動けなかった。そうこうしている間にも麻衣は鼻歌を歌いながら所長室に入っていった。
(どうする……?)
 リンの頭の中で自問自答が繰り広げられた。
 恐らくナルは飲んでしまうだろう。いつもなら一口で味の違いに気づきそのまま残して置く筈だ。だが今日ばかりはナルとて麻衣の顔色を窺い、そのまま飲んでしまう可能性は高い。
 そうなってしまえば二人のいざこざは再びぶり返してしまうだろう。巻き込まれるのは他でもない自分ではないか。
(どうする……!?)
 悩んでいる時間はもう無い。リンは所長室に駆け込んだ。
「!」
 突然開いたドアに驚いてナルや麻衣が動作を止めた。例のカップはナルの口元まで上っている。
「リン、どうした?」
 そんなナルの問いかけが終わる前にリンはナルのカップをひったくり、2,3秒逡巡した後飲み干したのだった。
「な……?!」
「う……そ! リンさん! ちょっと!」
 大きく息を吐きながら机の上にカップを置いてリンは踵を返し所長室を出てゆこうとした。……が出来なかった。
 先ずドアノブを掴み損ねてグキッと手首をドアにぶつけ、制御不能の体は大きく左右に振れた。
「リン!」
 その異様な動きにナルが異変を感じて立ち上がり駆け寄った。
「ナル……」
 リンの体がガクンと力つきてしゃがみ込んだ。
「説明……は後で、……します」
 それだけ言ってリンはスウスウと深い眠りに就いていった。



「……でどうなったんです?」
 既に4つ目のスコーンを腹に収めてシェリーは尋ねた。
「意外に強い薬だったらしく目が覚めるまで半日掛かりました」
「へぇー! で、その間麻衣と博士は?」
「あー、勿論怒られたよ。ナルに。でもその三倍言い返してやったけどね」
「ご愁傷様」
「ザマーミロだよ。で、その後は車でリンさんを送って行って目が覚めるまで看病してました」
「……別に病気ではなかったんですけどね」
 大きく溜息をついてリンは菊花茶を飲む。
「んで、こうやって被害を被るくらいなら手伝った方が楽だって事で手伝ってる訳ですか」
「はい」
 漸く納得いったとばかりにシェリーは頷いて五つ目のスコーンに手を伸ばした。
「ナオミ、リンさんの後頭部見てみてよ」
「へ? 後頭部?」
 見れば異様なほど脹れているそれに、シェリーは戦きながらとりあえず聞いてみた。
「どうしたんですか……それ」
「運ぶときにナルが手を滑らして落っことしちゃったの〜〜〜!」
「うわ……痛そう……」
「その所為で今この中で一番立場が低いのよ、ナル」
 面白くて堪らないという風に麻衣は笑って見せた。
「あ、ナオミのお茶がない。もう一杯飲む?」
「お願い」
「OK〜」
 パタパタと給湯室に姿を消した麻衣を見送りシェリーはリンに哀れみの視線を向けた。
「……そう言う目で見るのは止してください」
「いやあ、まるで漫画に見るような不幸だなぁって思いまして」
「……」
「触っても良いですか?」
「止めてください」
「はいはい。……ま、あの夫婦にこれからも付き合っていくならこういう事ってよくあるんでしょうね」
「……止めてください」
「言霊信仰ですか? でも私が言おうが言わまいが結果は変わらないと……」
「判ってます」
「いっそのこと離れてみたらどうですか?」
 シェリーの言葉にリンは驚いたように彼女を見る。
「出来そうにないですね。リンさんも大概ここの水に合ってるみたいだし」
「私も、ですか?」
「はい、あなたも、です」
「おまちどおさま!」
 少しばかり凛としていた空気がその声で和んだ。二人の表情が柔らかくなる。
「どうかした?」
 声の主の言葉にシェリーとリンは軽く見合わせて苦笑した。
「ううん、皆様お疲れさまでした」



おわり



あとがき
……終わりです。はい。漸く……終わりました。
蓮美さん!!!! ごめんなさい! 本当に本当にここまで引っ張ってしまって……。

でも、でも漸く終わりました!
とにかくお納め下さいませませ。

私の中でのシェリーちゃんははっきしいって全知の人です。アーンド、クールビューティーです。
全てを見通してその上で物言う人と思ってるんです……けど。どうなんでしょうか?ねえ、蓮美さん。

リンさんにはとにかく合掌するばかり……恨むなら蓮美さんを……ってダメね、すみません。素直に謝っときます
ナルは……まあ自業自得だよ。
麻衣は……ストレス発散できて良かったね。

最後に、

この作品を蓮美様に捧げます。
リクエストありがとうございました!
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