GHOST HUNT

HOME
#1


愛されるばかりが能じゃないだろう
さあ見つけるんだ 僕達のHOME



 例の如く、「麻衣、お茶」の素っ気ないナルの二言に麻衣が心を込めて紅茶を入れるようになって7年の月日が経っていた。お盆の上に所長専用のカップを乗せて麻衣は「ナル〜、入るよぉ〜」と声を掛けてから扉を開ける。返事を返すどころか顔を上げさえもしないナルに小さくため息をついて、麻衣は邪魔にならぬ位置にカップを置く。
 いつもならカップを置けばそのまま退出する麻衣。今日ばかりは話しかけるタイミングを探している。実のところ麻衣には一月ほど前からどうしても伝えなければならない事があったのだ。だが、今一タイミングがつかめず今日に至っていた。今がその時なのかは麻衣には分からないが、もはや一刻の猶予もなくなりつつある事に麻衣は意を決してナルに話しかけた。
「ねえナル。話があるんだけど」
「だから?」
 一瞥すらくれないナルに麻衣の頬がひくついた。
「あのねぇ! こういう時は『だから?』じゃなくて『なんだ?』とか『どうした?』って聞くのが筋ってもんでしょーが!」
「………『だから』『どうした?』」
 あくまで話を聞こうとする態度を見せないナル。しかし、この程度でキレていては埒があかないと麻衣は怒りを飲み込んだ。
「ナル、そのままでいいから取り敢えず聞いてよね。……あたし、今月末でココを辞めるから」
 漸くナルが顔をあげた。心の奥底まで見透かされそうな冴えた眼差しに麻衣は我知らず息を飲む。
「理由は?」
「就職活動していた企業から内定貰ったんだ。で、何かとっても忙しいみたいで出来るだけアルバイトに来て欲しいって言われたの」
 だから……、と言葉を濁す麻衣にナルは小さくため息をつくと「分かった」とだけ応えて再び洋書に目を落とす。一方あっさりとしたナルの態度に拍子抜けした麻衣はパチクリと目を見開いた。
「他にまだ何かあるのか?」
 視線は紙面に向けたままの問い掛けに麻衣ははっとして首を振り、ドアノブに手を伸ばした。
「ううん、何でもない。邪魔してごめんね?」
 慌てて所長室を後にした麻衣はお盆を抱えて給湯室に向かった。
(とうとう言っちゃった。……でも、いいんだよね? コレでいいんだよね?)
 麻衣は自分を抱きしめ、返答のない問いかけを繰り返していた。
 一方、所長室のナルは組んだ両手に顎を預けて物思いに耽っていた。先程の洋書は閉じられ机の隅に追いやられている。
 はっきり言って麻衣が就職活動していたのは初耳だった。と言うのも麻衣は暇さえあればここに顔を出してたからだ。だからこそナルも麻衣はここに就職するつもりでいるのだろうと思っていた。だが現実は違っていた。
 水の様に、空気の様にそこにいて当然の存在。ナルにとって麻衣はそんな存在である。以前は自分の片割れだったがいつの間にやら二つの存在は入れ替わっていた。
(今月末……)
 あと半月余りの猶予しか残されていない。ナルは突然周囲の空気に希薄さを覚え、シャツの第一ボタンを外した。勿論そのような事で空気の希薄さが解消される筈が無い。
 生物は水と酸素無しでは生きていけない存在だと言う事に、この時のナルはまだ気付いていなかった……。

 ナルが望まざるとも時間は流れ、麻衣がSPRを後にする日がやってきた。当然のごとく今日は麻衣の送別会である。皆笑って麻衣を送り出してやろうと飲んで歌って騒ぎ、そして湿っぽくなる前に宴の席はお開きとなった。
「ああ〜楽しかったぁ!!」
「………」
 麻衣が送られた花束を片手に大きく伸びをした。傍らを歩くナルは相変わらずの無表情である。
「何? やっぱり騒がしい所は苦手だったの?」
「………」
「ナル?」
「………」
「ナル、大丈夫? 気分でも悪いの」
「え?」
 麻衣に腕を引かれてナルは漸く我に返った。ただ単に考え事をしていたのである。
「考え事しながら歩いてるとこけるよ?」
「麻衣と一緒にするな」
「ふんだ! どうしてそう言う事ばっか言うんだよ。最後なんだからも少しかわいげのある事言いなよ」
 麻衣の『最後』と言う言葉にナルは軽く目を伏せた。
 そうだ、その為に自分はここにいるのだと言う事をナルは思い出した。先程ナルは麻衣を除く全員から麻衣を送っていくように命令された。命令されることに慣れていないナルは反射的にNOと言ったが滝川達にそのような我侭を聞き入れる余地はなかった。
「ナルよ、お前さん今まで一度だって麻衣に礼を言ったことってあったか? 何をしてもらっても給料払ってるんだから当たり前とか思ってんならお前さんは救いようの無い馬鹿だけど、俺たちはそうじゃないと思ってる。……ってゆーか、信じてるってゆーか、願ってる」
「………」
「でもお前さんの事だから俺達の前じゃ死んでも言いそうに無い。つー訳俺達は主役抜きの湿っぽい2次会に突入するからお前さん一人で麻衣を送っていけ。でもって何がなんでも『ありがとう』って言ってこい」
「………強制されて言う言葉に意味が有るとは思えないな」
 皮肉な笑みを浮かべるナルに滝川はニッコリと安原直伝の越後屋スマイルでこう切り返した。
「何がなんでも『ありがとう』って言って下さい」
「………」
 ナルはふんと小さく鼻で笑うと滝川に背を向けた。
「麻衣!」
「ん? どうしたの」
「帰るぞ。送っていく」
「え? ああ、うんありがとう」
 ナルは麻衣の腕を取ると駅のほうへと歩き出した。背後で「おっしゃぁ!」と言う声が聞こえ、ナルは麻衣に気付かれないように振り返る。そして凄絶に底意地の悪そうな笑みを浮かべて見せ、一瞬にして背後を凍り付かせるとそのまま歩き去り、今に至るわけだ。
 実のところ滝川に諭されるまでもなくナルとて感謝の念が無いわけではない。ただ、『最後』だからと言う理由に戸惑っていたのだ。
(本当に『最後』なのか? そもそも『最後』とはどういう意味だろう。麻衣は二度と僕の前に姿を現さないと言うことなのか? 元来麻衣は僕と違って人との繋がりを大切にする人間だ。そんな麻衣が永遠の別れを示唆するような『最後』と言う言葉を使うのだろうか?)
 目の前にいる本人に聞けばすむことなのにナルは相変わらず自分の中で答えを求めている。そうして二人きりの静かな時間は終わりを告げようとしていた。
 駅の構内に入り切符を買った麻衣はナルの一歩前に出るとくるりと振り返る。
「今までありがとうございました」
 麻衣が深々とお辞儀をした。一方ナルはぽかんとし、麻衣はそんなナルを見て小さく苦笑する。
「面と向かって言うのは照れるけど、やっぱ最後なんだしお別れの挨拶ぐらいきちんとしとかなきゃ……って思ったんだ」
 麻衣の『最後』と『別れ』と言う言葉が異様なほどにナルの心に重くのしかかる。だが鉄面皮の彼のこと。表面上はなんら感情の揺らぎは見られない。麻衣はナルの瞳をまっすぐ見つめて別れの言葉を紡ぐ。
「ナルと出会って、みんなと出会って、辛いこと苦しいこと怖いこと悲しいこと……いっぱいあったけどそれ以上に楽しいことがあって嬉しいことがあった。SPRであったことはぜぇんぶあたしの宝物なんだ。お金じゃ決して買えない宝物。それをくれたナルに、あたしは本当に感謝してるの」
 ナルを見つめる鳶色の瞳が潤み始めると、麻衣は無知やりに笑顔を作る。
「本当に、本当にありがとう……ね」
「……」
「ナルのこと絶対に忘れない」
 この時になって漸くナルは麻衣の様子がおかしいことに気が付いた。麻衣の腕を掴もうと手を伸ばした瞬間、麻衣は身を翻して自動改札機を通り抜けた。直ぐさま閉まる扉がナルの行く手を阻む。
「麻衣!」
 ほんの1メートル強の距離がナルには取り返しの付かないものに思えて麻衣の名を呼ぶ。麻衣が泣き笑いの複雑な表情を浮かべる。
「……今日のあたし、なんかナーバスになってるみたい。駄目だなぁ……」
 麻衣は情けなさそうに俯いてしまった。ナルにしても名前は呼べてもそれに続く言葉が見つからないので押し黙ったままである。ややして麻衣が「よしっ!」と気合いを入れて顔を上げた。それはいつもの明るい麻衣の表情だった。
「やっぱ最後は笑顔でお別れしなくちゃ」
「麻衣」
「元気でねナル。あ、もう大人なんだからあんまり我が儘ばっかり言ってちゃ駄目だよ? 研究熱心も程々に、自己管理なんかやって当たり前って事を肝に銘じておいてよね」
 茶目っ気たっぷりに諭し付けて麻衣が一歩ずつ後ずさる。ナルは動けないまま麻衣を見つめている。
「じゃあねナル。バイバイ!」
 大きく手を振って麻衣はホームに続く階段へと姿を消した。
 残されたナルは麻衣が消えた方をひたすら見つめていた。もしかしたらもう一度麻衣が顔を出すのでは無いか。そんな彼にしては珍しい感傷的な願いを込めて……。だが10分、30分と時間が経ち、やがて1時間が過ぎた頃、ナルは瞑目してその場を後にした。
 いつもならば静けさを好む彼なのにこの時ばかりはざわめく人混みの中を歩いていた。だが周囲が騒がしければ騒がしいほどナルは喩えようもない孤独感に苛まれてゆく。
 そんな彼の耳にどこからか歌が届いた。いつもなら聞き流す筈なのに、何故か自分の事を言われているみたいで、ナルは人の流れの中、足を止めてその歌に耳を傾ける。



君を傷つけていっぱい泣かせて 僕はもう眠れなくて
後悔してるのにまた繰り返す どうしようもなく駄目なんだ
ありがとうって思うことのほうが断然多いのに
どうしてもっとうまい具合に話せないんだろう

言葉一つ足りないくらいで 全部壊れてしまうような
儚い思いばかりじゃないだろう さあ見つけるんだ僕達のHOME



(HOME……。人の還るべき場所……人)
 呼応して一人の少女が脳裏に浮かび上がる。
「麻衣……」
 だがその彼女の行方はその日を境に杳として知れない。
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