♪ やぁって〜 きました〜 憧れの〜 イングランド〜
夏かーと思えば〜 涼しいけど〜
冬だと〜思えば 寒いだけ〜
「いきなり歌い出すな!」
「だ、だって、予想以上に寒いんだもん!」
「寒いと歌い出すのかお前は!」
「ちょっと現実逃避しただけじゃない!」
12時間の空路を終えて、3人はヒースロー空港に到着した。イギリスは日本より高緯度にあるが緯度から受ける印象ほど寒くはない。寒くはないが、やはり、寒いものは寒いのである。
元々イギリスで育ったナルには快適と言えば言い過ぎだが暑いよりかは余程マシの気温だった。だが、温暖化傾向に拍車の掛かっている日本で暮らしてきた麻衣にとっては身震いしてしまう寒さだった。
「まあ、ナル。そんなにきつく言ってはいけないわ。優人がびっくりしているじゃない」
二人の後ろに立っていたルエラがナルを窘めた。その腕に抱かれた優人が目を見開いている。彼女の隣にはデイビス教授が微笑んで立っている。
この旅行は、一応新婚旅行なのだが、ナルの予定ではほぼ全日研究所に籠もるつもりらしい。麻衣には優人と両親の相手をして欲しいと頼んであった。麻衣もナルに(恐らく面倒くさそうに)観光名所のガイドをやって貰うよりかは心優しい夫妻と過ごした方が良いかも知れないと思い了承したのだ。
そしてそれを夫妻に伝えた時、それならばとわざわざホテルになど泊まらず我が家に住みなさい、と同じ便で帰国したわけだ。
夫妻にしても不義理の限りを尽くす息子よりも新しくできた娘と孫に心が集中しているようだ。日本語もかなり勉強したらしく麻衣とのコミュニケーションも実にスムーズに行われている。まあナルにしてみれば麻衣と優人は体の言いスケープゴートなのだろう。
「ねえ、ナル。ここからケンブリッジってどれくらいかかるの?」
「……交通手段によるな」
「へえー。でも普通はどうやって行くの?」
「ここから地下鉄でキングス・クロス駅まで乗って、そこから列車に乗り換えてケンブリッジまで。合計1時間半程だな。 勿論そこから家まで少し車に乗るがな」
「キングス・クロス駅!? 本当?! そこに行くの?!」
キングス・クロス駅との言葉に麻衣が手を組み合わせてナルを見た。
「何なんだ、いきなり」
「キ、キングス・クロス駅に着いたら9と3/4番線で写真撮っても良い?」
「は?」
訳が分からないという様子のナルを押しのけてルエラが麻衣に話しかける。
「まあ、麻衣、あなたもハリーポッターを読んだの?」
「はい! 物凄い好きなんです。イギリスに来たら絶対に行きたいって思ってたんです!」
「……何なんだそれは」
「おや、ナル、君はハリーポッターを知らないのかい? 我が国発のファンタジーで全世界でベストセラーなのに」
デイビス教授は呆れたように息子をみてそう言った。
「フィクションに付き合っている余裕はありませんので」
「おやおや、もう少し視野は広げた方がいいと思うがね?」
「まさか教授もお読みになったのですか?」
「勿論だとも、とても素晴らしい話だったよ。冒険に友情、巨大な悪との戦い、そして不思議な魔法。大人でも心ときめかされる内容だ。是非君も一度読んで見たまえ」
「結構です」
「……相変わらずだね、君は。しかし、君ももう人の親だ。あまり我が儘を言うものじゃないよ」
その言葉に麻衣は思わず吹き出し、ナルは聞こえなかったかのようにそっぽを向いた。
「マーティンも人のことは言えないのにねぇ。麻衣、覚えておいて。男の人っていつまで経っても子供みたいに我が儘なものよ」
ルエラが麻衣の耳に口を寄せてそうささやいた。驚く麻衣に悪戯っぽくウィンクする様はとてもチャーミングで、恐らく彼女も『人のことは言えない』口なのだろう。
「キングス・クロス駅の事はとりあえずおいておいて出発しよう」
早々に話を切り上げたいのかナルはカートを押して地下鉄へ向かおうとした。
「ナル、ちょっとお待ちなさいな。折角だからエアバスに乗りましょう。麻衣は初めてなんだし、暗い地下鉄を行くより、風景を楽しみながら行った方が良いと思わない? 麻衣はどう? 真っ赤な2階建てバスに乗るのよ?」
ナルはちらりと麻衣を見たが既に麻衣の気持ちはバスに向かっているようだった。祈るような目で見られ、ナルは溜息を一つ吐くと、
「急ぎの用もないし構いませんよ」
と言って今度こそバス乗り場に向かって歩き出した。
バスの旅は僅か小一時間ほどのものだったが、夫妻のお陰で充実したものだった。優人は元々乗り物好きでどんな乗り物です乗れば上機嫌になってしまうし、ナルはナルで一人我関せずと行った風情で読書に耽っていた。
そして問題のキングス・クロス駅。
親子3人で写真を撮りたいと言いだした麻衣にナルは、
「僕は観光で来た訳じゃないぞ」
と言ったが、
「あ・た・し・は新婚旅行で来てるんだよ!!」
と言い返され渋々柵の前に立った。
「ナル、せめて仏頂面を止めて貰わないとシャッターが切れないよ」
デイビス教授の言葉にナルは2、3度深呼吸を繰り返して無表情を作った。
目的のホームへカートを押しながら麻衣は夫妻に聞こえないよう小声で文句を言う。
「ちょっとは笑えっつーの」
「面白くもないのに笑えるか」
「へー、嫌みな笑いならいくらでも浮かべるのにねぇ」
「……」
「周りから見たら物凄い夫婦仲悪そうじゃないか」
「周りなんか放っておけばいい。当人同士で理解出来ていたら充分だろう」
「当人同士で理解出来てるの?」
「そのつもりだが?」
麻衣はう〜んと少し考え込んだ後、柔らかい笑顔を浮かべた。
「……ありがとう。一緒に写真とってくれて」
「どういたしまして」
小さく笑うとナルは優人を抱き上げた。
「ナル?」
「大分重そうにしていたからな」
「うん、あの2ヶ月で更に大きくなったからね。さすがに片手でだっこし続けるのは辛いわ」
「麻衣も太っただろう」
「ひ、人が気にしていることを〜〜。ふん! 悪うございましたね!」
「別に悪いとは言ってないだろうが。現に触り心地は前より良い」
さらりと言われて麻衣は思わず顔を赤くしてしまった。
「願わくばその体型を維持して欲しいものだな。抱き上げるのも容易でない体型は流石に困る」
「……人のこと言う前に自分のこと心配したら? もしあんたが禿げたり中年太りになったらどうしてくれるのよ!」
「なると思っているのか?」
「先の事なんて分かんないよ」
「なら言うな」
「言い出したのはあんたじゃない!」
「僕は希望を述べただけだ」
「ああ言えばこう言うんだから〜〜、この口先男!」
「ボキャブラリーの数が違うんだからしょうがないだろう」
「ああ〜〜またすぐ人を馬鹿にする! もお! サイッテー!」
「馬鹿にされたくなければ勉強すれば良いだろうが」
「どこにその暇が有ったって言うのよ!」
「事務所で居眠りしている暇があったら出来るはずだ!」
「なんだおぉ〜〜!!」
・・・・・・・・・・・・
このやり取りが延々と続けられ、二人が我に返ったのはデイビス家に到着してからだったとさ。 |
|