GHOST HUNT

Red Hot Moon
#2
 こちらに着いて一ヶ月が経った。最初の宣言通りナルは研究所に籠もり、麻衣と優人はルエラと共に、たまにデイビス教授も一緒に、日帰り旅行を繰り返していた。
 さすがに近隣の名所は行き尽くしたのか、最近では専ら家事に従事するようになっていた。
 このデイビス家には嫁姑の争いなど無い様で、主婦二人で和気藹々と買い物や掃除に料理、ガーデニングや子育てに散歩など実に穏やかに日々を過ごしていた。
 優人もすっかり祖父母に、この地に慣れたらしく、歩行器に乗ってそこいら中を駆け回ってルエラ達を振り回していた。
 そしてナルの研究も一段落つき、帰国を一週間後に控えたある日の事。殊の外寒かった為、火の入った暖炉の前に皆が集まっていた。ナルはカウチに収まって読書、麻衣はルエラに編み物の特訓を受け、デイビス教授は優人の遊び相手になっている。
「ああ、もう一週間後に3人とも日本に行ってしまうのね……」
 ふと思い出したようにルエラが小声で呟いた。真剣に編み棒を繰っていた麻衣が顔を上げた。
「え? 今なんて言ったんですか?」
「いいえ、何でもないわ。それより麻衣、あなたどこか観光で行き忘れている所はないの?」
「行き…忘れている所ですか?」
「ええ、もしあるのならナルも暇そうだし、一緒に出かけて来たらどう?」
 ルエラの言葉にナルはさもイヤそうに眉根を寄せた。
「ルエラ、人が暇かどうか勝手に決めないでくれ」
「あら、どうせ一日中そこで本を読んでいるつもりなんでしょう? 仕事が立て込んでいない時くらい家族サービスをなさいな」
「あ、じゃあ、あたし、研究所に行ってみたい!」
 手を高く挙げて言った麻衣にナルは驚きの表情を浮かべた。
「行ってどうするんだ?」
「自分の夫がどんな所で働いているのか興味があるの」
「物好きだな、行った所で麻衣に判るような資料は一つもないぞ」
「もう! そんな事改めて言われなくったって判ってるってゆーの! で、どうなのよ、連れてってくれるの? くれないの?」
 何故かナル相手には必要以上に強気に構えてしまう麻衣は腕組みをして、頬を膨らませてナルの答えを待った。
 ナルは盛大な溜息と共に「昼から出かけよう」と答えた。


「ここが研究所?」
「その入り口だ」
 優人をだっこしている麻衣にナルはそう答えた。ぶぅっと口を尖らせる麻衣をおいて受付と思しき場所に向かった。
「ナル?」
「麻衣の入館申請が必要なんだ」
「へえー。厳重なんだねー」
「普通だろう」
「あっそ」
 言って麻衣はナルの横に並んでナルが認めている書類を覗き込んだ。見れば麻衣の名前や所属や時刻(恐らく入館時刻だろう)を記入していた。
「博士、そちらの子供は?」
「問題ない。僕の実子だ」
「実子?!」
 受付の女性が驚きの表情で麻衣を見た。
「ではそちらの女性は?!」
「妻だ」
「妻?!」

(い、今、my wifeって言ったよね?! うっきゃ〜〜〜!! my wifeだって、my wifeだって!! うわぁぁぁ〜、こそばゆいよぉ!!)
 素っ頓狂な声を上げる受付を余所に麻衣はナルの"my wife"と言う言葉にすっかり舞い上がっていた。
「デ、デイビス博士、い、いつご結婚なさったのですかっ?!」
「……いつからここは身上調査までするようになったんだ? もう良いだろう失礼する」
「行くぞ麻衣!」
「あ、は、はい!」
 ナルの言葉に我に返った麻衣は慌てて着いていった。ふと何気なく後ろを見れば受付の女性は大急ぎで受話器を取って何事か喋っていた。恐らくこの大ニュースを知人に知らせているのだろう。ナルの研究室に着くまでに、どこから湧いたのだろうと疑問に思うほどの人が廊下に並んでいたのだから。
「まったく何だって言うんだ」
 研究室に入ってナルはうんざりしたように吐き捨てた。と言うのも先のギャラリーから口々に何か質問されていたからだ。質問の内容は判らないがその表情が揶揄を含んでいたのでからかい半分の内容だったのだろう。中には麻衣に鋭い視線を投げる女性や男性がちらほら居たわけだが、ナルに手を引かれて半ば走るように歩いていたので麻衣は気づかなかったようだ。
「ナルって実は人気者なの?」
「なんだそれは」
「だってあんなにも出迎えの人がいたじゃない」
 麻衣の言葉にナルは心底イヤそうな顔をした。
「違うの?」
「お前何を聞いていたんだ?」
「だってあんな早口、何言ってんのか分かんないよ」
「もういい。それよりそこのボードにお茶の道具一式あるからいれてくれ」
「はいはい」
 言って麻衣は優人をナルに預けると改めて部屋の中を見回した。研究所と言ってはいたが別に科学研究所では無いので機械やら実験用具が有るわけでもない。自宅や日本の所長室とあまり大差ない作りだった。帰国を控えているためか部屋の中は閑散としている。特に両壁に配された大きな本棚は半分ほど空白になっている。
「この本棚隙間が多いね」
「もともと必要なものは全て日本に送ったからな。今回も数箱分送ったから……分類は任せた」
「う〜〜、はぁい」
 顔をしかめて麻衣は頷いた。気を取り直して見れば木製の衝立の向こうの窓にはブラインドが降ろされていて僅かに隙間から日の光が射し込んでいる。
「ブラインド上げても良い?」
「ああ」
 了解を得て麻衣は窓際に近づき、紐を引っ張って一気にブライドを上げた。
「! ………」
 外の風景を見て麻衣はまたブラインドを降ろしてしまった。
「麻衣、どうした?」
「ナル〜〜、窓の真ん前の木の枝に男の人がいる〜〜。目が合っちゃったよぉ〜〜。怖いよぉ〜〜」
「……」
 次はナルがブラインドを上げた。麻衣が言ったとおり幹にしがみつくようにして大の大人二人がこちらを覗いていた。
「マクミラン、チャン……」
「やあ、デイビス。元気そうだね」
「先ほどの女性が君の細君かい?」
「何をしている」
「いや、何、堅物の君と結婚した奇特な人物の顔を拝もうと」
「そうそう、ただそれだけだ」
「……」
 ナルの背に無言のオーラが立ち上る。
「そんな事をする暇があるって事は2日後の学会で発表する資料は出来たんだな」
「えっ?」
「あ、いや……」
「楽しみにしている。さぞかし素晴らしい内容なんだろうな」
 口だけを微笑ませたナルは大きな音を立てて窓を閉めると、一気にブラインドを降ろした。
「気にするな。それよりお茶」
「う、うん」
 何とか気を取り直して麻衣はボードに向かった。
(やっぱナルって色んな意味で注目の的な訳?)
 カップを探している時にココンッとノックがあった。少し身構えてしまった麻衣の肩に手を置いてナルは誰何した。
「やっほ〜、ナル〜、麻衣ちゃん〜、私だよ〜まどかだよ〜」
「まどか?」
「入っていーい?」
「ああ、どうぞ、鍵は開いている」
 扉が開いて暖かい笑顔を浮かべてまどかが入ってきた。
「なぁんか大変そうね。あたしもここに来るまでにやたらと人に捕まっちゃったわよ」
「下らない」
「その秘密主義がいけないんじゃないの? もう少しオープンにしたらどう?」
「そんな義理はどこにもない。で、何かあったのか?」
「ったくもう、本当におばかなんだから……。まあいいわ、この前ウェールズで起こった現象についてなんだけど……」
 一抱えもある資料を前に二人はすっかり仕事モードに入ってしまった。こうなってしまうと麻衣は何もする事はない。ただ3人分のお茶を煎れる程度だ。そうしてしばらく経った時。
「ねえ、ナル。トイレってどこ?」
「ドアを出て左の突き当たり」
 顔すら向けないナルに溜息をつき、「案内するわ」と言ってくれたまどかに笑顔で断って麻衣は廊下に出た。もう先ほどの喧噪はない。邪魔になってはいけないと思って優人を抱いて出てきた麻衣はとりあえずトイレに向かった。
 そして帰り道、ぼーっと歩いていた麻衣は人にぶつかりそうになって壁に強かぶつかってしまった。
「〜〜〜、痛たたた……あ、すみません! じゃなくて、えーっと。I'm sorry!」
「こちらこそ失礼しました、レディ。お怪我はありませんか?」
「え? Yes! I'm OK!」
 答えて麻衣はぶつかった相手を見た。気の弱そうな白人男性だった。心配そうに麻衣と優人の顔を覗き込んでいる。
「……失礼、もしかしてデイビス博士の奥様ですか?」
「はい、そうですが」

 麻衣の返答に男は子供みたいに無邪気な笑顔を浮かべていきなり日本語を話しだした。
「僕の、日本語、変じゃないでしょか?」
「え、あ、はいとっても上手です」
「あの、er... 失礼します。僕の名前、Thomas Walter です。博士にすごくすごく憧れます。博士のお話、よかたら、聞かせて欲しいです」
「ナルの事……ですか? いいですよ私が知ってることなら」
 顔を真っ赤にしながらそう話すトーマスに好印象を持ったのか、麻衣も無邪気に笑顔を浮かべて答えた。
「あの、とてもうれしです。あの、僕の Laboratory あります。お茶だします」
「ありがとうございます」
 そんな訳で麻衣は人の良い笑みを浮かべる青年の後に付いていった。


「ここが、僕のラボです。どうぞ」
 言ってトーマスは扉を広く開けて麻衣を招き入れた。
「うわぁ〜〜」
 中はこれぞ研究室と言わんばかりの設備だった。
「すごい機械ですね〜〜」
「使い方、むずかしです。どうぞ、座って下さい」
「はい、失礼します」
 麻衣は示されたソファに腰を下ろした。優人も「あー」とか「だぁーー!」とか奇声を発しながら辺りをきょろきょろ見回している。そして差し出された紅茶を飲みながら二人は穏やかにおしゃべりを始めた。
 そして10分ほど経った頃だろうか?
「あれ? なんかやけに眠いや……」
「麻衣さん? どうか、したですか?」
 穏やかだったトーマスの目が急速に凍えてゆく。
「なんだろ、急に睡魔が……」
 言って麻衣はソファに深々と凭れて込んだ。
 すーすーと言う規則正しい寝息が聞こえ始めるとトーマスは立ち上がって、麻衣の頬をピタピタと軽く叩いてみる。だが、瞼はしっかりと閉じられ開く気配すらない。
 トーマスは満足げに頷くと麻衣の耳元に口を寄せ、
「Please see a good dream.Mrs. Davis」
 と囁いた。
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