GHOST HUNT
Red Hot Moon
#5 |
ナルに抱きかかえられてSPRを後にした麻衣は、事件が余程ショックだったのか、それとも只単に濡れた体のまま寒空に出たのが悪かったのか、ともかく高熱にうなされ3日ほど寝込んでしまった。
帰国は4日後に迫っていたが大事をとってもう一週間延ばされることになった。
デイビス夫妻は帰国の延長を純粋に喜んだが、その原因には憤らずにはいられなかった。
その原因トーマス=ウォルターは今現在某病院に入院している。喉元過ぎればなんとやら、セーフティゾーンに入った今では元の調子を取り戻し、見舞い相手に事の次第を脚色して話して聞かせていたらしい。
だがそれを見過ごすナルではなかった。見舞いの品にPKを蓄えて行ったのだ。ギリギリとギプスを締め付けられ、激痛にのたうったトーマスは今後一切デイビス家の人間に関する事柄についての黙秘を誓い、念書を書かされ、SPRの監視下に置かれるようになった。
当初連絡を受けたSPRの本部は彼を除籍する案を出した。
ナルの、
「何をするか判らない人物は野放しにしてはならない」
という反対案に対して本部は、
「だからこそ組織の名誉のために除籍するのだ」
と強硬な姿勢を採っていたが、ナルが自らの脱退を仄めかし、デイビス教授が、
「ウォルターの採った手段は決して許されざるものだが、研究に対する情熱は賞賛に値する」
と取りなした結果、前述通りSPRの監視下で研究を続ける事になったのだ。
漸く体を起こせるようになってナルからそれを聞いた麻衣は意外に思った。ナルがトーマスの保身を計る理由が判らなかったからだ。
だがナルがリンゴを剥きながら言うには、
「またあいつが馬鹿なことをしでかした時、息の根を止めに行くのに所在が判っていると探す手間が省ける」
との事らしい。
「さ、殺人は止めてよ」
「PKだから証拠は残らない」
「そう言う問題じゃないっしょ!」
本気かどうか計りかねる(勿論ナルは本気だ)言葉に麻衣は頭を抱えたが、
「マーティンも同意していたぞ?」
との言葉に既に開いた口も塞がらなかった。
「教授ってそう言うこと言う人だったの……?」
「いや、至極穏和な人柄だ」
「その至極穏和な人がどうして……」
「それだけ怒りが深かっただけの事だ」
「……」
麻衣は手渡されたリンゴを手に、少し悲しげに目を伏せた。そんな麻衣にナルは一呼吸置いてから話し出す。
「麻衣にこれを言うのか酷なのかもしれないが……」
「人をあまり信用するなってこと?」
麻衣の言葉にナルは眉根を上げた。
「違う?」
「……いや違わない」
「……あたしもね考えたの。今回の事を引き起こしたのは他でもないあたしなんじゃないかって……」
「……」
「あたしだけだったらまだしも、優人に危険な目に遭わせて……、あたし母親失格だよ……」
俯いた麻衣はギリッと唇を噛んだ。ナルは小さく溜息を吐くと麻衣の口元に手を伸ばし、
「血が出るから止めろ」
と言って唇に触れた。
「だって、だって、あたし自分が許せないよ!」
「では好きなだけ自己嫌悪していればいい」
「!」
突き放した言葉に麻衣は一瞬呆けてナルを見た。ナルはリンゴの置かれた皿をサイドボードに置くと手を拭いて立ち上がった。
「だがこれだけは覚えておいてくれ、麻衣の周りに居るものは皆、そんな麻衣が好きなんだ」
「!」
「体が弱っている時は気持ちまでマイナス思考になるとルエラが言っていた。それを食べてひたすら眠ればいい。きっと目を覚ます度に元気になれる。……おやすみ」
「……お休みなさい」
出てゆくナルを見送って麻衣はリンゴを口に運んだ。シャリシャリとはむ度に程良い酸味と甘味が広がってゆく。そしてナルの言葉が心の中に酷く響いて繰り返され、一切れ食べ終わった時には涙が溢れて来た。
(ちくしょー、何だってあんな殺し文句言うかな? あんな事言われたら自分の事嫌いになれないじゃんよ!)
ナルの一言で見事に浮上してしまった麻衣はリンゴを全て食べ終わると、これ以上はないぐらいの幸せな気持ちで眠りに就いた。
ナルの言ったとおり、翌朝目が覚めてから麻衣はどんどん復調していった。それこそナルが呆れてしまうくらいに。
そうして再び穏やかに日々を過ごす内に、とうとう日本に帰国する前夜となってしまった。
ささやかなホームパーティーも終わり、祭の後のようなあの独特の寂寥感を味わいながら麻衣達は部屋に戻っていった。
「一月以上もここに住んでたのに……なんかあっという間に過ぎちゃったね」
「ああ」
麻衣は眠っている優人をベビーベッドに横たわらせてそう言った。
「色々あったね」
「……ああ。イギリスはもうこりごりか?」
「まさか」
少し伺うような声音に麻衣は笑顔で応えた。
「確かにあーゆーのはもうゴメンだけど、それ以外は百点満点だもん。絶対にまた来るよ」
「そうか」
小さく微笑んだナルに麻衣はクスクスと笑う。
「お母さんもさっき同じ事聞いてたよ」
「ルエラが?」
「うん、お父さんも」
「……」
「みんな心配だったんだね」
「麻衣の落ち込みぶりが酷かったからな」
肩を竦めたナルに麻衣は「それともう一つ」と言って顔を赤らめた。
「? 何を言われたんだ?」
「ふ、二人目は……何時って……」
「……」
ナルの秀麗な眉が歪んだ。
「欲しいのか?」
「そ、そりゃあ、やっぱり……ねえ。だって一人っ子ってやっぱ寂しいもん。ナルだってジーンが居てくれたから寂しくなかったでしょう?」
「別に。居ても居なくても同じだ」
「……はぁーーー」
相変わらず素直でないナルの言葉に麻衣は深々と溜息を吐くと「もういい、あんたに聞いたあたしが馬鹿だった」と頬をふくらせてバスルームへと向かっていった。
それからしばらくして麻衣がバスルームから出てきた。
「お先に……ってどうしたの? 考え込んじゃって。学会のことでまた悩んでんの?」
麻衣の言葉通り、ナルは口元に手を当てて何やら思案中だった。
「いや、違う」
それだけ言ってナルは入れ替わってバスルームに入っていった。が、こちらはものの数分で出てきた。
「……あんたの辞書にリラクゼーションって言葉は無いの?」
「? 何のことだ?」
突然の麻衣の言葉にナルは首を傾げた。
「ん〜ん何でもない。さ、寝よ。明日も早いし……って、ちょっと! なんで服を脱がせるのよ!」
「二人目が欲しいんじゃなかったのか?」
焦った声音で手を止めさせた麻衣にナルは素の表情でそう言った。
余りのストレートな言葉に麻衣は一瞬(こいつ何言ってんだ)と顔に書いてしまった。
「……いらないんじゃなかったの?」
「そうは言ってない」
「態度に出してたっつーの!」
この遣り取りの間もナルの手は止まらない。
相変わらずの色気もへったくれもない展開に麻衣は(どうしていつも、いつも、いつもお医者さんの触診受けてる気になるんだろう?)と思う。思いながらもなんだかそれがナルらしくて笑ってしまう。
「ねえ、ナル」
「なんだ」
「その気になってくれたのはすっごく嬉しいんだけど、今日はいわゆる『安全日』だったりして」
流石にナルの手が止まった。
「……」
「……ナル、このままだと寒いんだけど?」
「……」
「……ナル、また次の機……」
そして僅かな逡巡の後、麻衣の言葉を遮ってナルの手が動き出したのは言うまでもない。
開けて翌朝。とうとう別れの時がやってきた。
搭乗手続きが済んだ今もデイビス夫妻は優人から離れられなかった。優人が愛らしい声で二人を呼ぶ度に涙が溢れてしょうがない程だ。
「時間だ」
冷徹な断罪者の如くナルは時計を見て告げた。
「ルエラ、教授、また来るから」
「そうね、あなたは前にも同じ事を言っていたわ。でも、あなたが前に帰ってきたのは2年前の春だったじゃない」
「……」
恨みがましい目つきで見られてナルは黙り込んだ。
「あ、あの! あたしが保証します! ナルの首に縄付けて引っ張ってでも連れてきます!」
「麻衣! 人の都合も考えず勝手なことを言うな! 第一僕は忙しいんだ!」
「ふんだ! そんなの不義理の理由になるもんか! ナルのは只単なる我が儘なんだよ!」
途端に剣幕な雰囲気になってしまった二人に、ルエラは慌てて間に入っていった。
「ああ、二人ともお願いだから喧嘩は止めてちょうだい。ご免なさい、私たちが調子に乗ってしまったから……」
「違います。絶対にナルが悪いんです! いつもナルの帰りを待ってくれているお母さん達が居るのにあの態度。絶対に甘えてるんです!」
「……」
激昂して唇を噛む麻衣にナルは大仰に溜息を吐く。やはり麻衣は親に関しては人一倍思うところがあるようだ。ナルも勿論それを知っている。だからこそ麻衣にこう言われると反論の余地が無かったのだ。
心配される事すら鬱陶しいというのが本音なのだが流石にそれを口に出す勇気はなかった。麻衣一人にならともかく、ルエラに言ってしまえばこの場で座り込んで泣き出すことだろう。
「……来年の2月の学会には出席するから……。その時また3人で来る。……これで良いか?」
と不承不承の体でナルは約束を交わした。その言葉に漸くルエラは笑顔を浮かべ、麻衣も機嫌を直した。
搭乗を促すアナウンスが流れデイビス夫妻は少し悲しそうに微笑む。
「さよならは言わないわ。また会いましょうね」
ルエラは二人の首に左右の腕を回して抱きしめ、それぞれの頬にキスをした。ナルも麻衣も同様にキスを返す。
「元気で」
デイビス教授はナルと握手を交わし、麻衣の頬にキスをした。
「君のような娘を持てて私たちは本当に幸せだ。ありがとう麻衣。ナルを宜しく頼むよ。何せ彼は誰もが手を焼く難物だからね」
教授の言葉にナルは不愉快そうにそっぽを向き、麻衣は涙と一緒に笑みを浮かべた。
再度アナウンスが流れる。名残はいつまで経っても尽きず、麻衣は俯いた。
「さ、そろそろお行きなさいな」
「ああ」
「二人とも元気で」
「はい」
後ろ髪を引かれる思いで麻衣はナルに従ってゲートを潜る。振り向くといつまでも二人が手を振っている。
小さく手を振り返して麻衣は再び歩き出す。もう振り返る事はせず狭い通路を進んでゆく。
「いつまで泣く気だ?」
シートに座ってから呆れたようにナルが言う。
「あたしの気が済むまで!」
「……」
その答えにナルは小さく安堵の息を吐いた。この様子なら浮上するのは時間の問題だ。
「ナル」
「なんだ?」
「二人ともすごく良いお父さんとお母さんだよね」
ナルが羨ましいよ、と呟く麻衣にナルは暖かな笑みを微かに浮かべる。
「ああ。……その二人が麻衣の新しい両親だ」
「うん!」
『ねえナル。出会いがあれば必ず別れがあるよね。
それはとても悲しいことだけど、だけど、別れがあるからこそ次の出会いがこんなにも待ち遠しくなれるんだよね』
『……』
『ナル?』
『ジーンと同じ事を言っている』
『そうなの?』
『一言一句同じだ』
『でも、真理だよね』
『かもな……』
『ふわぁ〜、……少し疲れちゃったよ』
『まだまだ時間はある。眠っていろ』
『うん……、おやすみなさい』
『ああ、おやすみ』
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おわり |
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