ドゴォーーーーン!
大きな爆音と共に合金製の扉は「く」の字に折れ曲がって部屋の中に倒れ込んだ。ガランガランガランと耳障りな余響を残しながら扉は次第に落ち着いてゆく。 ナルは深く息を吐いてから扉を乗り越えて部屋の中に入っていった。 「麻衣!」 見れば麻衣はソファに倒れ伏している。急いで駆け寄り抱き起こしてみる。 「麻衣! 麻衣!」 あれ程の大音響にも関わらず麻衣は以前眠っている。少し強めに頬を叩いてみるが眉すら動かない。 ナルは諦めて麻衣をそのままソファに横たわらせ、そして、ユラリと立ち上がりトーマスを見た。 トーマスは喜びを隠せない様子でナルを、そして折れ曲がった扉を交互に見ている。
「何がそんなに面白いんだ」
怒りも露わな声音に、トーマスは拳を振るって話し出す。
「何がですって? この目であなたの力を、この桁外れなPKを見ることが出来たのですよ?! 研究者にとってこれ以上の喜びなどありませんよ!」
まだ興奮冷めやらぬ様子でトーマスは額の汗を忙しなく拭き、そして心底残念そうに天を仰いだ。
「ああ! こんな僥倖に出逢えるならビデオを用意しておくべきだった!! 残念だ! あなたのご子息しか撮影していなかったんですよ!」 トーマスが指さす方を見れば台の上で起きあがった優人が居た。電極を体中に付けられながらも立ち上がってナルの方に駆け寄ろうとした。 「危ない!」 間一髪、台から落ちかけた優人を掬い上げて、ナルは優人を抱きしめた。優人もナルの首にしがみついてわあわあと泣き始めた。電極を丁寧に外しながらナルは優人の額と頬にキスをした。 「もう、大丈夫だ……。だから泣かなくて良い。……そう、いい子だ。まどか、優人を頼む」 「ええ」 ナルは同じく扉を踏み越えて来たまどかに優人を預けた。まどかもナルと同様にトーマスを睨み付ける。
「トーマス=ウォルター、あなた自分のしでかした事をなんと言って説明するつもりなの!?」 「説明? 研究者が研究する事をに対して何の説明が必要だというのです」 「なんですって?」
至極当たり前という表情のトーマスにまどかは眉根を寄せた。
「あなたがした事は犯罪よ! それが判らないのっ?」 「確かに私の採った手段は誉められたものではないでしょうね。ですが、森さん、あなたも研究者なら判るでしょう? これ程の研究材料を前にして何もせずになんていられない。この子はいわば超常能力のサラブレッド。未知数の能力がこの子の中に潜んでいるです。潜在能力というものは大概が非常事態に、己の命が危険に曝された時に発動するものです。研究者としてその場を作るのは当然の事じゃないですか」 「ウォルター、あなたは……」
常軌を逸した双眸にまどかは思わず息をのんだ。
「まどか、誇大妄想のパラノイア相手に正論を説いても無駄だ」
静かな声が響く。
「パラノイアですって? 私のどこが」 「全てだ」
ナルは容赦なく吐き捨てる。
「それよりも見てくださいよ、デイビス博士! この波形、今思い出しましたがこの波形はあなたがお兄さんとチャットをしていた時のそれと酷似している。と言うことは……」 「黙れ」
差し出された資料を手荒く払いのけ、ナルは背後のテーブルからティーポットを手に取り、紅茶を手に掛けた。
「な、何を」 「僕のPKを見たかったのだろう? 僕の家族に過分な振る舞いをした礼だ。存分に味わうが良い」
向けられたナルの手を中心とをして空間が揺らぎ始めた。 流石に危機感を感じ始めたのかトーマスは後ずさりながら頭を振る。
「な、……待っ」
ドカッ 次の瞬間にはトーマスの体は壁に叩き付けられていた。
「ガ……、カハ……」 余りの衝撃に肺から空気が押し出された。
「ウォルター、君の体重は幾らだ? 恐らくは160ポンド(70s強)といった所か? 記録更新だ。身をもって体験できて光栄だろう」 ナルが凍えた微笑を浮かべている間もトーマスは壁に押しつけられている。満足に呼吸できないのかパクパクと口を開いている。その表情が歪み初め、そして……。 ボキッ イヤな音が響きトーマスは絶叫を上げた。 「ナル! もう止めなさい!!」 「……肋骨が折れたか?」 なんら表情を浮かべずナルは呟いた。それと同時にトーマスを戒めていた力は消えさり、重量に従ってトーマスは床に落ちた。
「ぐあああああ……!」 痛みに耐えられずのたうち回るトーマスにナルは侮蔑の表情を浮かべて「無様だな」と吐き捨てた。 「だが、まだまだだ」 「ナル!」 もう既にまどかの声は届いて居なかった。
「……優人のデータはそれに入っているのか?」
ナルが目を細めてワークステーションを見た。不意にディスプレイが浮き上がった。
「ひゃっ!」
物凄い勢いでディスプレイはトーマスのこめかみを掠めて壁に激突した。
「あ、あ、あ、や、止めてくれ……」
次は椅子が飛び上がり、壁際に配置されたサーバーに幾度と無くぶち当たる。終いにサーバーから火花と煙が立ち上がり、スプリンクラーが発動し始めた。 「ナル! いい加減になさい! ウォルターを殺す気なの?!」 脱いだジャケットを優人に着せ掛けながらまどかが叫んだ。 「当然の報いだ」 濡れて額に張り付く髪を掻き上げながらナルはトーマスを睨め付ける。
「た、助けて」 「もう遅い」
ナルの言葉と共にビデオカメラが浮かび上がり、トーマスの真っ正面に静止した。ゆっくりを反動を付け、トーマス目掛けて飛んだ。その時……。 「ナル! 止めて!」 「!」 トーマスの寸前でビデオカメラが急停止した。ナルが振り返るとソファで眠っていた筈の麻衣が力の入らない手で身を起こしていた。 「麻衣!」 「ナル、駄目だよ。……そんなこと、しちゃ、絶対に駄目、なんだからね。きゃあ!」 「麻衣!」 手を滑らせた麻衣が床に落ちた。慌てて駆け寄ったナルはそっと抱き起こす。 「いつ目が覚めたんだ?」 「いたたたた……。先に『大丈夫か?』の一言位言えないの?」 軽口を叩く麻衣にナルはほっとして「それだけ口が回れば大丈夫だろう」と憎まれ口をきく。 「ったく、もう!」 「で、いつ気づいたんだ?」 「ついさっき。何か爆発音が聞こえて来て、それから焦臭くなってきて、こりゃヤバイって思ったら目が覚めてきたの。そしたら何かナルが……」 麻衣は言葉を切ってトーマスを見た。 「トーマスさんが何をしたの?」 「覚えていないのか?」 「……お話ししているうちに眠くなっちゃったから……。もしかして睡眠薬でも入ってたとか? みょ〜〜に頭に霧が掛かってるんだけど」 「麻衣の思考がクリアーでないのはいつもの事だと思うが?」 「あんた、ケンカ売ってんの?」 「……麻衣を眠らせておいてその間に優人がどのような能力者かどうか実験していたんだ」 ナルは麻衣を抱き上げるとそっとソファに下ろした。麻衣はナルの肩越しにトーマスを見た。彼の顔面は蒼白、視線は泳ぎ何を見ているのか端からは判らなかった。よほどナルのPKを目の当たりに、しかも自分に向けて放たれたのがショックだったのだろう。 しかし麻衣も負けず劣らずショックを受けていた。 彼女の知る限りトーマスは純朴そうな青年だった。暖かい笑顔にたどたどしいけれど心のこもった言葉。あれら全てが麻衣を油断させる為だけのものだったのだ。 (研究者って誰でもそうなの? 人を人とも思わないの? 研究が……研究が全てだって言うの!?) 知らず麻衣は濡れたナルのジャケットにしがみついていた。 「麻衣?」 「ナル、帰ろう! 早く、お願い、早く帰ろう!」 「麻衣?!」 「お願いだから、お願いだから……! もう、もうここに居たくない!!」 ナルの顔すら見られず、麻衣は頭をナルの胸に押し付けながらそう叫んだ。 「……わかった。まどか優人を抱いて連れてきてくれ。家に帰る」 麻衣の背を抱きしめながらナルはまどかにそう頼んだ。 「う、うん。ウォルターはどうするの?」 「今回の件は本部にも連絡を入れる。今は放っておけばいい、どうせもう奴は何も出来ない。……麻衣少しだけ待っていてくれ」 言ってナルは麻衣の手を解くとトーマスの元へと歩いていった。「ヒィッ!」とトーマスは恐怖の表情を浮かべて壁際に遠ざかり、まどかと麻衣が首を傾げているとナルはビデオデッキからテープを取り出すと、余力で破壊した。 最早ナルの目にトーマスは映っていなかった。視界に入れるに値しない存在なのだろう。再び麻衣を抱え上げるとそのままラボを後にした。 そしてその後再び麻衣と優人がトーマスに会うことは無かった。
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