Ghost Hunt

Scramble Wedding
#1
「では引き上げるぞ」
「ん?」
 唐突なナルの言葉に麻衣は怪訝そうに眉根を寄せた。親子三人で抱き合って暖かで和やかなムードは一転して?マークで埋め尽くされてしまった。
「引き上げって……何?」
「言葉通りの意味だが?」
 そんな事も判らないのか、と言外に匂わせるナルに麻衣は久しぶりに頬が引きつるのを止められなかった。
「言葉の意味ぐらい分かってるってゆーの! ……んな事どうでもいいよ、あたしの家はここなんだよ! 一体どこに引き上げるってゆーのよ!」
「ここは僕の家ではない……僕には仕事があるから、ここには住めない。だったら麻衣が引っ越す以外ないだろうが」
「そ、そりゃ勿論一緒には住むよ。でも、突然今から引っ越すぞって言われてハイそうですかって言えるもんか! ちょっとは人の都合ってもんを考えなよね!」
「当座の荷物があれば十分だろう。残りの荷物は業者に任せばいい」
「〜〜〜〜ったく自分勝手の唯我独尊は健在なよーね!」
「お褒めにあずかり光栄です」
「誰が誉めてるかってーの!」
「ふ……、ぎゃあ〜〜〜!! あ”〜〜〜!!!」
 麻衣の怒鳴り声に驚いて優人が泣き出した。
「馬鹿、子供の耳元で大声を出すな」
「誰が……! あ、あ、ご、ごめんね! 優人くーん、びっくりしたね〜。あ〜〜よしよし。もう大丈夫だからね〜〜」
 必死で笑顔を作りながら麻衣は優人をあやし始める。ナルはその様子をじっと見ていたがどうやら時間が掛かりそうなので先ほど麻衣が入れたお茶を飲むことにした。
 椅子に腰掛け、優雅に足まで組んでお茶を飲んでいるナル。相変わらずの超絶美形ぶりに思わず見とれてしまう自分を情けなく思いつつ、麻衣はなんとか優人を泣きやませ、ついでに寝かしつけてベビーベッドに横たわらせた。
「ナルを見てるとつくづく思うよ、我が儘って言った者勝ちなんだなぁって……」
 ナルの前に座ると唇を尖らせて麻衣はそうつぶやいた。
「ふん、今更何を」
「……でも、実際のところ今日は無理だよ。優人が疲れちゃうもの。それに、やっぱりご近所にご挨拶もしないで引っ越すのはあたしヤだよ……」
「……」
 ナルは小さくため息をつくとカップをソーサーにおろした。
「判った、2、3日こちらに滞在する。それにリンにも部屋を探す猶予が必要だしな……」
「リンさん? どうしてリンさんが部屋を探さなきゃならないの?」
「どうしてって、お前、リンとも一緒に暮らす気か?」
「え、だ、だって、リンさんに悪いじゃない」
「事情は知ればリンは一目散に出ていくぞ」
「うっ、確かに……」
「電話を借りるぞ」
「あ、うん、どうぞ」
 ナルは立ち上がると電話に手を伸ばし、ダイヤルする事しばし……。
「僕だ。用が出来て2、3日帰らないから……ああ、そうだ、事務所は閉めておいて構わない。……非常時の連絡先? ちょっと待ってくれ。麻衣、ここの電話番号と住所は?」
「あ。ちょっと待って」
 請われて麻衣は手に取ったメモ帳に手早く書き記し、ナルに手渡した。ナルはそれを読み上げ、リンに部屋を探すよう命じた。
「ああ、そうだ、僕たちが帰るまでに部屋を空けておいてほしい。……え? 理由はだと? 麻衣を見つけたんだ」
(それが理由のなんの?)
 眉根を寄せる麻衣は心の中でリンに(ごめんなさい)と手を合わせていた。
「ああ、そうだ、それが理由だ。そちらで何か変わったことは? ……そうか、では後は任せた」
 ナルは受話器をおろすと再び椅子に腰掛けた。
「リンさんなんて?」
「別に……。しばらくはホテルに寝泊まりするそうだ」
「……普通さ、いきなり出てけって言われたらもう少し追及しない?」
「麻衣を見つけたと言ったらすぐに納得していたが……」
 言われてナルも腑に落ちないのか少し眉根を寄せていたが当事者抜きで問答していても埒は明かない。それよりもナルは「麻衣、この近くに服が買えるような店はあるか?」と訪ねた。
「服?」
「ああ、考えたら着替えがない」
「……何の支度もしないで来たわけ?」
 呆れ気味に言う麻衣にナルは肩をすくめて、「急いでいたからな」と答えた。
「仕事で……来たんじゃないよね。仕事だったら今こうしてのんびりなんかしてないだろうし……。ね、どうしてこの街に来たの?」
 喫茶店ではボロが出ると困るので突っ込んだ会話は避けていた麻衣はようやくナルが今、目の前にいる事実に疑問を投げかけた。
「ああ、それは……」
 ナルが枝葉を末節して説明すると麻衣はかなり驚いたらしく鳶色の瞳を真円にしていた。
「そうだったんだ……。偶然じゃ無かったんだ……。それで……あたしだって判って飛び出して来てくれたんだ」
 心底嬉しそうに目を細めている麻衣にナルはふいっと横を向いてしまった。
(て、照れてやんの。うわ〜〜珍しいナルをみちゃったよ〜〜!)
 更にじっと見つめられ居心地が悪くなったのはナルは立ち上がって、先ほどの問いを繰り返した。
「あ、買い物ならあたしが行って来るよ。だからナルはここにいて優人を見ててね。……大丈夫、車あるし30分ぐらいで戻ってくるから」
「その間に優人が泣いたらどうするんだ」
 明らかに狼狽えているナルに麻衣は、「なるようになるって!」って答えにならない事を言って止めるまもなく出ていってしまった。
 取り残されたナルは恐ろしげに優人を見つつも、(車があるならどうしてさっきは電車を使ってたんだ?)と以外に冷静なツッコミを入れていた。
 麻衣は言ったとおり30分ぐらいで帰ってきた。麻衣の顔を見てあからさまにホッとするナルに麻衣は大きな紙袋を手渡した。見ればパジャマに下着に、ご丁寧にも黒いシャツが入ってある。
 その後二人は早めに食事をとって、他愛のない会話を続けていた。大方は麻衣に因る優人の親バカ自慢であったが、ナルは少々呆れつつも小さな、でも暖かな笑みを浮かべて聞いていた。優人が泣き出せば麻衣があやし、ナルは傍らで静観している。優人の入浴も食事も終わり、そんなこんなで時は過ぎ夜も更けてくると、麻衣は少しぎこちなくなってしまった。
(やっぱ、やっぱ、泊まるんだよね……ナル、ここに……)
 どうしよう、どうしようと思い悩んでいる麻衣を余所に、ナルは「今日は疲れたから早めに休む。すまないが布団の用意をしておいてくれ。シャワーを借りるぞ」と言って着替え一式を持って脱衣所へと向かう。
「あ、ちょ、ちょっとナル! う、うち、お客さんが来ること無いって思ってたから、ふ、布団一組しか無いんだけど……」
 焦った麻衣の言葉にナルはゆっくり肩越しに視線を返すと、
「僕には床で寝る習慣は無い」
と言い捨て、更に、
「何か不都合でもあるのか?」
と付け加えた。
「え? あ……いや、特にありません」
 との麻衣の答えにナルは無言で歩き去った。しばらくしてシャワーの音が聞こえてくる。
(な、何……あ、あたしの考えすぎ?)
 なんだかナル相手に色々思い悩んでいる自分が馬鹿らしくなってきた麻衣はため息を一つ吐くと立ち上がって布団を引き始める。
(一緒に暮らしてもあの調子は変わらないんだろうな……。少し免疫が低下したのかな? やっぱ久しぶりに会うと疲れる性格だわ……。あたしもお風呂に入ったら寝よっと)
 あくびを一つして麻衣はナルが上がってくるのを待った。さすがに一緒に入ろうなどとの考えはまだ浮かんで来ないのか、所在なさげにテレビを見ていた。が、ナルはものの10分ほどで出てきた。
「……カラスの行水」
「? なんだそれは」
「なんでもない。んじゃ、あたし入るね」
「ああ」
 麻衣は道すがらちらりとナルを見た。
 ナルはリモコンを操作して番組をニュースに変えていた。当たり前のように、まるで以前からずっとそこに居たように馴染んでしまっている。ナルの落ち着きがそう見せるのかもしれないが、不意に涙が溢れてきた。
「麻衣、どうした?」
「……消えてしまわないでね。夢みたいに消えてしまわないでね。さっき車の中でもずっと不安だったんだ。もしかしてあたし都合のいい夢を見てるんじゃないのかなって」
「……」
「お願いだから、居なくならないで」
「それは……僕の台詞だ」
 ナルは呆れたようにため息をついた。
「突然消息不明になって、僕を不眠症にさせた人間の言葉とは思えないな」
「!」
「馬鹿なこと言ってないでさっさと風呂に入ってこい!」
「はいぃっ!」
 いつもの命令口調に涙も引っ込んで麻衣は脱衣所へと駆け込んだ。引っ込んだ涙の代わりに笑いがこみ上げてくる。
(ナルも、ナルも不安だったんだ。お互いがお互いの不在を不安がって……馬鹿みたい)
 脱いだ服を洗濯機に放り込むと麻衣は風呂場に入った。何故だかいつもよりも念入りに髪や身体を洗ってしまう自分を情けなく思いつつ、湯船に使って一息つく。
(なんか、今日はいつもよりぐっすり眠れそう!)
 ご機嫌な様子でリビングに戻った麻衣は意外な光景を見た。ナルが優人を抱いてあやしていたのだ。
「ど、どうしたの?」
「さっきの僕の声に驚いたのか急に泣き出して、それからずっとこのままだ。泣きやんだのは良いがベッドに下ろすとすぐに泣き出すから……」
「結構、様になってるよ」
「……」
「ホント、ホント。ふふ、代わるよ。この子寝かせるのは縦抱きがいいんだよ。覚えてね」
 言って麻衣は優人を引き受けると縦抱きにしてゆらゆら身体をゆらし始めた。小さく子守歌も歌えばものの数分で優人は眠りの世界に落ちていった。そぉとベッドに下ろし、麻衣は大きく息をついた。
「さて、と。……じゃあ、寝よっか?」
「ああ」
 麻衣はぎくしゃくしながら布団に向かおうとした。
「わ!」
 不意に手首を掴まれ引き戻されたかと思うとナルの腕の中に閉じこめられていた。
「ちょ、ちょっと! ナ…」
 言葉が途切れた。
「……疲れてたんじゃないの?」
「……少し黙ってろ」
 『はい』の一言でさえ封じられ、麻衣は目を閉じた。
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