はじめちゃんが一番
Cecilia #1
 はじめと亮が期間限定で別れから間もなく一ヶ月が経とうとしていた。
 周囲は「まあ、長くても2週間位じゃない?」と高を括っていたのだが、ところがどっこい、未だにはじめは亮に対して音信不通を貫き通していたのだ。
 見るに見かねた瑞希や前田が連絡を取ってもはじめは一向に亮を許そうとはしない。勿論亮から連絡を入れられる筈もなく、主導権は完全にはじめの手の内にあった。
そして今、亮の周囲にはもう誰も居なかった──。
 
 ──最初の一週間はまだまだ平和であった。

  くすんと鼻を啜りながらも亮は瑞希や五つ子の存在に時折笑顔を浮かべていた。
「江藤さん、大丈夫だよ。はじめちゃんの事だからなんかの拍子にポロッと顔出してくれると思うし」
「うん」
「うんうん、はじめちゃんって根が単純だから怒りが持続しないんだよね」
「……う、うん」
「そうそう、はじめちゃんて一個の事で怒っても、又違う事で怒ったら一つめの事は忘れてる事が多いんだもん」
「へぇー、そうなんだ」
「ま、その分殴られる回数が割高になるけどね」
「……」
「ヘタしたら更に嫌われるかも知れないけどねー。あははは」
「「「「バカなお!」」」」
「ぐすん、はじめちゃん……」

 ──次の一週間はまだ少しばかり平和であった。

  流石に寂しくなり出したのか、触りたい病が発病して瑞希や五つ子にぺったりとへばりつく様になった。
 ぎゅ……
「わーい、江藤さんに抱きしめられちゃったー!」
「いーなー! 江藤さんオレもオレも!」
「ボクもボクも!」
 ぎゅ……
 ぎゅ……
 ぎゅ……
 ぎゅ……
「瑞希もどう?」
「謹んで遠慮する!」
 両手を広げて待ちかまえる亮に瑞希は台本を見たまま素っ気なく言い捨てた。途端に亮の顔色が曇りグスンと指をくわえる。
「瑞希が冷たい」
「泣ーかしたー、泣ーかした! 和ー田さんがー泣ーかした!!」
「和田さんのいじめっ子ー!」
「江藤さん、泣かないで!」
「小学生かよ! おまえらは!」
「ってか、この状況は和田さんが作ったんじゃん」
「ぐっ……」
「そうそう、和田さんがはじめちゃんの怒りに油を注がなきゃ、もしかしたら期限はとっくに切れてたかもしれないんだよ」
 たくみとかずやの言葉に瑞希は苦虫を噛んだように顔を歪ませ、そして自棄になったのか「チクショウ! 来るなら来い!」と両手を広げた。
「「「「「「わーい!」」」」」」
「って! お前らは関係ねーだろー!!!! ぎゃあああああっ」

 ──次の一週間は少しばかり危なくなってきた。

 へばりつく対象が五つ子へと限定されてきたのだ。 と言うのも……。
 ぎゅ……くんくん
「え、江藤さん……? 何? どうしたの? オレ、なんか臭う?」
 流石に髪に顔を埋めて匂いを嗅がれて流石に変に思ったのかあつきは亮に問い掛ける。
「はじめちゃんと同じ匂いがする」
 尚も亮はくんくんと鼻を鳴らし、「はじめちゃん……会いたいな……」と切なげに呟いた。
 その様子を見て心から可哀相に思った五つ子たちは胸を張って、
「「「「「オレたちで気が紛れるんなら幾らでもぎゅってしてね!」」」」」
 と安請け合いをしたのだ。後の悪夢も知らずに……。

 ──そして問題の今週がやってきた……。

 その週の終わりの事。収録の終わった楽屋で一息吐いていた時の事だった。
 カメラの前では普通に唄って踊って笑顔を浮かべている亮だが一歩楽屋に入ってしまえば屍同然の有様だった。
「「「「「和田さん江藤さんお疲れ様!」」」」」
「おう、お前らもお疲れさん」
「……」
 だが亮はぼぅっと中空を見つめたまま何も喋ろうとしない。
「「「「「「………………」」」」」」
 生気のない亮を見つめて6人は小さく溜息を吐き、顔を寄せ合って小声で話し込んだ。
「おい、はじめちゃんはまだなのか?」
「うん、まだみたい」
「喜々としてミシン踏んでるもんな」
「そっかぁ……」
「喜々としてじゃないだろう? あれはどっちか言うと笑うしかないから笑ってるって感じじゃないか?」
「そうだよね、かずくん、ぼく、この頃のはじめちゃん怖くて近寄れないんだもの」
「言えてる! だってろくに眠ってないし、目の下クマができてるし、その顔でニタリと笑われた日には……!」
 たくみはブルッと震えて自分の腕を撫でた。
 五つ子の話に瑞希は深々と溜息を吐いた。
「雪解けはまだなのかよ」
「うん、もうしばらくはダメっぽいよ……」
「はじめちゃんも切羽詰まってるみたいだし」
「オレたちに出来る事って言ったらひたすら邪魔しないで息を潜めてるだけだし……」
「手伝うって言っただけで晩飯抜きにされたもんなぁ」
「ま、まあお前らのは手伝わないのがお手伝いって感じだもんな」
 うんうんと頷く瑞希に五つ子はぶうっと膨れて亮の元へと駆け寄った。
「江藤さん、大丈夫?」
「江藤さん、着替えないと次の仕事に間に合わないよ?」
「江藤さん、お腹空いてない? お弁当あるよ?」
「江藤さん、とりあえず、シャワー浴びて来なよ」
「江藤さん、はじめちゃんは(一応)元気だから、江藤さんも元気出してよ」
「……」
 なおとの言葉に亮は漸く反応した。五つ子にゆるゆると顔を向けて焦点を合わせる。
「「「「「江藤さん?」」」」」
「……」
 亮は無言のまま手招きをした。
 五つ子たちは「なになにー?」と無邪気に近づいていく。
「ごめん」と謝りながら亮は正面に立っていたさとしに手を伸ばしてぐいっと抱き寄せた。
 もうここ数日で慣れた光景であった。
 瑞希は肩を竦め、五つ子たちは良し良しと亮の頭を撫でる。
……なんだろ
  不意に亮が小さく呟いた。
「? 江藤さん。なんて言ったの?」
「なんではじめちゃんと同じ匂いなんだろ?」
「……」
  問われて五つ子は顔を見合わせて「えーと」と考え込んだ。
「えと、あ、ほら、それって家族だからだよ!」
「同じ洗濯機で洗った服着てるんだし!」
「そうだよ、お風呂に入ったら同じシャンプー使ってるし!」
「同じ石けんも使ってる訳だし!」
「それにそれに、同じご飯食べてるんだし!」
「……」
  亮はゆっくりと五つ子の顔を見回した。
「だとしたら」
「「「「「だとしたら?」」」」」
「抱きしめて同じ匂いだするんだったら……」
「「「「「するんだったら?」」」」」
「キスしたら同じ味がするのかな?」

  約10秒間、痛いほどの沈黙が流れた──。そして

「「「「「ぎゃああああああ! それだけは勘弁して─!!」」」」」

 五つ子はドップラー効果だけを残して一目散に逃げ出したのだった……。

 そしてこの時から亮には半径10M以上近づく事は無かったのだった──。
つづく