五つ子たちが亮から離れてからと言うもの、亮は暇を見つけてはM2のとある部署に入り浸っていた。
何処かというとM2のWEB制作部門である。
何故そこに入り浸っているのかと言うと、そこには亮の正体を知りつつも逃げない人間がいるからである。
そしてそれが誰かと言うと──。
「正悟は優しいね。どんなにオレが抱っこしても逃げないし」
生後7ヶ月の赤ん坊である正悟をぎゅーと抱きしめ亮はしみじみとそんな事を言った。
本日……と言うか、連日のスケープゴート、大橋正悟の父である大橋正治は
(逃げようにも逃げられないのでは………………)
と心の中で控えめに突っ込んでいたのだが亮相手に言えるはずもなく困ったなぁと言う曖昧な笑顔で眺めていた。
勿論、正悟はかまって貰えて上機嫌なので愛らしくキャッキャッと声を上げている。亮もそれが嬉しいのか暇を見つけて……と言うより無理矢理暇を作ってM2に帰ってきているのだ。
当然の事ながら身体には負担が掛かるものの精神的に救われているようなので瑞希としても黙認していた。
「あ、あの……」
「ん?」
呼ばれたので振り返ってみれば正治は亮に真っ正面に見られてドギマギしながらここしばらくの疑問を投げてみた。
「さ、最近めっきりお目に掛からないのですが……」
「うん?」
「は
、は、はじめさんはお元気ですか?」
「っ……」
一瞬にして亮の目から生気が消え失せた。
「え? あ? あの……?」
亮は答えることなく正悟を強く抱きしめて俯いてしまった。締め付けがきつかったのか途端に正悟は愚図りだす。
「え、江藤さん?」
「………………」
唐突に電源の切れた亮を正治は根気よく待った。亮の腕の中では最愛の息子が泣いているのだが亮から取り上げる事も出来ず、ただオロオロとしながら答を待っていた。
そしてしばらくしてから亮は「わからない」とだけ答えて亮は正悟をあやし始めた。
「え? わか、分からない?」
「………………うん」
怪訝そうに首を傾げる正治に亮は小さく頷き、ポソポソと話し始める。
「オレ、はじめちゃんを怒らせてから一度も会ってないから……」
「………………」
「だから……今、はじめちゃんがどうしてるかとか全然分からない……」
言って亮は再び正悟をぎゅうっと抱きしめた。正治はしばらく亮を見つめていた。だが思い余ったように渦巻いていた疑問をぶつける。
「……江藤さんははじめさんに……会いたくないのですか?」
「……会いたいよ」
あたりまえじゃんと言わんばかりに亮は答えた。だがその後「でも……」と言葉を濁す。
「でも……会えないよ」
「どうしてですか?」
「どうしてって……だってオレ、はじめちゃんを怒らせたんだよ? だから会えなくなったんだよ?」
「お、怒らせはしたかもしれませんが……」
「イヤだよ、オレはじめちゃんが許してくれるまで会いになんか行けないよ……」
「……」
正治の言葉を遮る様に亮はそう結論づけた。と言うのも正治が言わんとしていた事は瑞希や五つ子から散々言われていたのだ。
勿論亮とて会いに行きたい。
だが会いにって拒否されたら……そんな最悪のケースを予想してみれば声も身体も竦んでしまってピタリとも動かなかった。
亮は正悟に頬摺りしながら
「会えないよ……」と呟いた。
「……会えますよ」
それは正治にしては珍しく力のこもった声だった。亮は訝しく思ったのか顔を上げて正治を見た。
正治はなんだか泣きそうな顔で亮を見つめていた。
「会えますよ」
そしてもう一度繰り返した。
「……会えないよ」
「会えますよ」
まるで押し問答のような会話だ。だがどちらも激昂することなく淡々と言葉を繰り返してる。
「会えない」
「会えます。……だってはじめさんは生きているんだから」
「……え……?」
「いつでも会えます。……お互いが生きている限り、いつでも、どこででも会えるんです」
「……」
「私はもう……、妻には会えません」
「!」
「どんなに努力しても……会えません」
亮の目が驚愕に見開かれ、正治の声が湿り気を帯び始める。
「もし、妻が生きているのなら……私はどこであろうが絶対に会いに行きます」
「………………」
「会いたくて、会いたくて、会いたくて……。それでも会えなくて……。た、たまに、気が狂いそうに……なります」
「………………」
「江、藤……さんには……そんな、事、には、ならないで、い、いて、ほしいです」
俯き、鼻を啜りながらの正治の言葉を、亮はただ唇を噛み締めて聞いていた──。
◇ ◇ ◇
その夜、思ったよりも早い時間に帰宅できた亮は床の上に置かれた電話の前に座り込んでいた。受話器をとり、途中まで番号を打ち込んでは受話器を下ろす……そんな事をずっと繰り返している。
正治の言葉は頭の中でぐるぐると巡り、踏ん切りの付かない亮を苛んでいた。
正治の言うとおり死は唐突に訪れる。瑞希の恋人・乃愛もそうだった。
はじめに拒絶される事も怖くてしょうがない。でもはじめを最悪の形で失い、未来永劫会えなくなるなんて考えるだけで恐怖でどうにかなってしまいそうだ。
亮は何度か深呼吸をした後、受話器を取った。
「………………」
トゥルルルルル トゥルルルルル … …
受話器を下ろしたくなる衝動に駆られながらも亮は強く受話器を握りしめた。
『はい、岡野です』
「!」
はじめだった。
「……っ」
何か喋ろうとして口を開くが肝心の声が出ない。
『もしもし? どちらさまですか?』
訝しげな声。焦れば焦る程、喉が引き吊れて呼吸さえも困難になっていく。
「……っ」
『弟たちならまだ帰ってませんからね!』
怒りをはらんだ強い調子の声に(切られる!!)と思った瞬間──。
「はじめちゃん!」
声がするりと飛び出した。
「はじめちゃん……ゴメン、あの」
『江藤さん?』
「………………」
一ヶ月ぶりにはじめに名前を呼ばれてまた胸が詰まった。
『江藤……さん?』
「会いたい」
『え?』
「会いたい。会いたい。会いたい!」
『え、江藤さんっ?』
「会いたいっ! はじめちゃんに……!」
涙声でただそう訴える亮。受話器の向こうで息を呑んでいるはじめ。そしていつしかお互いの間に沈黙が横たわった。
「………………ごめん」
先に沈黙を破ったのは亮だった。溜まりに溜まっていた感情を吐き出したせいか少しばかり冷静さを取り戻したようだ。
「ごめん、みっともないね。ごめん」
だがはじめは未だ黙したままだった。
「は、はじめちゃん?」
呆れてものも言えないのか?
そう思い至って亮は焦ってもう一度はじめを呼んだ。
『わたしも……会いたいよ』
「え?」
『わたしも、江藤さんに会いたい……』
今度ははっきりと聞こえた。そしてはじめの声が震えている事にも気が付いた。
「は、はじめちゃん」
今すぐ会いに行く、と言い出そうとした時──。
『でも、会えない──っ』
「え?」
『ごめんなさい!』
ガチャン
ツ── ツ── ツ── ツ──
……
……後はただ無機質な音が受話器から流れるだけだった。
つづく