はじめちゃんが一番!
A Hazy Shade Of Winter
〜The final edition〜
 1月20日午前3時──。
 亮は「ふぅ」と息をついて帰宅した。はじめも誰もいない家は身震いするほど寒々しくて何をする気にもなれない。とりあえずエアコンの電源を入れるがそんな早くにだだっ広い部屋が暖まるはずもないのでコートを羽織ったまま亮はぼーっと突っ立っていた。
(はぁ。家に帰れるんだったらはじめちゃんに来て貰っとけば良かったかな?)
 予定外の帰宅。本当なら今もスタジオに詰めてる筈。だがスタッフの一人が過労でぶっ倒れてしまい、如何ともし難い雰囲気故にレコーディングは早々に打ち切られた。帰宅できることが分かったのは午前2時も過ぎた頃。最早岡野家に電話を掛けられる時間ではなかった。それに誕生日だからか? 翌日は朝早くから取材が目白押しに入っているし歌番組の生バースデーライブもあった。恐らく明日は家にも帰れないだろう。
 折角の誕生日だからはじめとゆっくりしたいと思っていたがそんな事は夢のまた夢だった。
「……」
 亮は音もなく歩いて窓際に近寄るとそっとカーテンを開けた。例年に無い寒波の所為で夕方に降り出した雪は今も降り続き、街を灰色に染めている。その景色に亮はクスリと小さな笑みを浮かべた。
 冬の夜。そして雪の夜。瑞希はいないが一人起きて窓の外を見ている自分。
 コートも帽子も手袋もマフラーも去年と同じ。厳しい寒さと湧き起こる高揚感も同じ。
 1年前とよく似たシチュエーションにいてもたってもいられなくなって亮は玄関に向かって歩き出した。
 マンションのエントランスを出ればシンと静まりかえった街。雪は止めどなく降り続け天を見上げている亮に降り積もる。亮は身震いを一つして夜の街を歩き出した。勿論目的地ははじめの家である。
 歌う歌も同じ。A Hazy Shade Of Winterを唄って歩く亮は少し回り道をする。
 訪れたのはとある公園。思い出深い公園にはやはり誰もいない。置き忘れた自転車なければベンチの上にくるまれた赤ん坊も勿論いない。
 寒さに鼻の頭を赤らめながら亮は満足そうに微笑んで公園を後にした。あれから交流を深めている親子は今頃暖かな夢の中なのだろう。それがなんだか嬉しくてニコニコ笑いながら歩いていく。
 そして1時間ぐらいが過ぎた頃、亮ははじめの家にたどり着いた。余所の家の塀に手をついて少し上がった息を納める。重装備の上半身は火照る程に暖かかったが足は凍えそうに冷たくてすでに感覚はない。
(でもまあ、こんなものかな?)
 と相変わらずの無頓着ぶりを発揮して亮ははじめの家を見上げた。そして去年と同じように念を送る。  そして奇跡が起きた──。

「!」
 開いた扉からはじめが姿を現したのだ。これでもか言う程に着ぶくれたはじめが表に出てきたのだ。
 はじめは大事そうに何かを胸に抱えていた。雪に埋もれた周囲を見てうんざりしたように肩を落とし、ため息を吐いた。だが気を取り直すと足音を忍ばせて階段を下りてくる。見たところ亮の念に気付いた訳ではなさそうだった。
 オフホワイトのロングコート。帽子にマフラー、手袋と周囲に同化してしまってるのか、はたまた物思いに耽っているのだろうか? はじめは亮の存在にも気付いていない。
「…………」
「さむ……」
 身震いしながら通り過ぎるはじめをぼぉっと見送った後いつも通りに声を掛けた。
「はじめちゃんどこ行くの?」
「どこって江藤さんちに決まっ…………ええ!?」
 仰天して振り返ったはじめはその時漸くポケットに手を突っ込んで突っ立っている亮に気がついた。
「え、え、え、江藤さん!!!?」
「うん、オレだよ」
「な、なんでここに居るのよ!!」
「なんかはじめちゃんに会いたくなって」
「なっ…………!」
 しれっと言った亮の言葉にはじめは瞬時に顔を赤らめて言葉を詰まらせた。亮は首を傾げてそんなはじめを見ている。
「あ、あんた今日は帰って来れないって言ってたじゃない」
「うん、でも意外に早く着いたから。それになんか去年の事思い出したからここに来たくなったんだ」
「去年って…………ちょっとまさか歩いてじゃないでしょうね?」
「歩いてだよ? だって車無いし」
「ばっ……! 何考えてんのよ! この真冬の雪も降ってる真夜中に!!! 風邪引いて仕事に穴明けたいの!?」
「まさか」
 激高するはじめに亮はふるふると首を振った。
「大丈夫だよ。予防接種はちゃんとしたし、スッゴい着込んでるし、はじめちゃんの3点セットも付けてるし風邪のバイキンだって寄ってこないよ」
「…………はぁ。あたしの帽子とマフラーと手袋は魔よけじゃないっての」
「へへ」
 相変わらずの亮の言葉にはじめはガックリと肩を落とし、そして……「は……ハックション!!」と大きなくしゃみをした。
「はじめちゃん大丈夫?」
「ああ〜〜、寒い! 歩くわよ!」
「え?」
「帰るのよ! あんたんちに!」
「……。うん、分かった」
 はじめの言葉ににっこりと笑って亮は歩き出した。はじめも並んで歩き出すと亮は右手を差し出した。
「はじめちゃん、手を繋ごうよ」
「はあ?」
「雪積もってるし、足下危ないから。ほら」
 そう促されてはじめは躊躇いながらも持っていた荷物を右脇に抱えて左手を差し出した。
 亮ははじめの手を握り、自分のコートのポケットに突っ込んだ。
「!」
「えへへ。そう言えばはじめちゃんと手を繋いで歩くって初めてだよね」
「そ、そりゃあそうでしょ。昼日中にあたしなんかと手を繋いでたら何言われるか分かったもんじゃないじゃない」
「……別に良いと思うんだけどなぁ」
「あたしが構うのよ!」
「ちぇ」
 素っ気ないはじめの言葉に亮は唇を尖らせた。
「それはそうとさ、それ何なの?」
 亮ははじめが抱えている荷物を指さして尋ねた。
「!」
 一瞬はじめの肩がびくんと震えた。
「それもってオレんちに来るつもりだったんでしょ? 何なの? それ」
 言い逃れも出来ずはじめはぼそりと呟いた。「プレゼント」と。
「え?」
「だから! 江藤さんの誕生日プレゼントだってば!」
「……本当?」
「……嘘付いてどうすんのよ」
「あはは確かに。ねえ、はじめちゃん、プレゼント頂戴。オレ今すぐみたいよ」
 亮が立ち止まってしまったのではじめも立ち止まらざるを得ない。何もこんな寒いところでプレゼントの受け渡しをしなくても家に着いてからでも良いではないか。はじめはそう言ったが珍しく亮が譲らなかったのだ。そんな訳で根負けしたはじめは、
「江藤さん、誕生日おめでとうございます」
 と少し照れた笑みを浮かべてプレゼントを手渡した。
「ありがとう、はじめちゃん」
 亮は心底嬉しそうに微笑んでからプレゼントを受け取り封を開けてみた。
「うわあ」
 亮が感嘆の声を上げて中から出したのはセーターだった。そう、今亮が身につけている3点セットと同じ柄のセーター。
「もしかして編み上がったところ?」
「う、うん」
「それでどうしてこんな夜中にオレんちに届けようと思ったの?」
「う、……しょ、しょうがないでしょ! 編み上がったら何だかいてもたってもいられなく成ったんだから! 江藤さんが居ないってのは分かってるけど、手渡しが一番良いってのは分かってるんだけど……。とにかく、その、行ってみたかったのよ!」
 もう聞くな! と言わんばかりに顔を真っ赤にさせてはじめはそっぽを向いた。そんなはじめを愛おしそうに見つめて亮は広げて見せた。
「ねえ、着ても良い?」
「……はぁ!?」
 はじめが止めるまもなく亮はコートを脱いではじめに手渡した。
「ちょ、ちょっと!」
「ごめん、ちょっと持ってて」
 そしてこの極寒の状況で帽子、マフラー、トレーナーと次々に脱いでははじめに渡してしまった。もうこうなっては止められずはじめは疲れたようにため息を吐いた。
「早く着なさいよ。風邪引くわよ」
 はじめがそう言うのも無理はない。亮はそれはもう嬉しそうにセーターを見つめてご満悦だったからだ。しかし思い切ったように袖を通して頭を通した。シャツの襟を出して裾を整えて亮は両手を広げて見せた。
「似合う?」
「……誰が作ったと思ってるのよ」
 照れ隠しにそう言うはじめの表情は満足げだった。そんなはじめを荷物ごと抱きしめて亮はも一度「ありがとう」と囁いた。
「どういたしまして。どうでも良いけど見てるだけで寒いんだから早く着てよ!」
「うん!」
 元気よく頷いて亮は3点セットとコートを身に纏った。着ていたトレーナーはセーターを包んでいた袋に収めて亮が持つこととなった。
 そしてまた手を繋いで二人は歩き出した。
 4時を過ぎた真冬の街はまだまだ真っ暗で街頭の明かりが寒々しく辺りを照らしている。
「ったく江藤さんは欲しい物をなんにも言わないからいつも苦労するわよ」
「……そうかな?」
「そうでしょ。江藤さんってどこまでも受け身じゃない。何貰っても喜んでくれるのは嬉しいけどそれが本当に江藤さんの欲しいものかどうか全然分かんないじゃない。ずるいわよ」
「……ずるい? そうかな」
「他に欲しいもの無いの? そりゃあんまり無茶なもの言われても用意出来ないかもしれないけど、それでも見合うように努力はするわよ」
 そうまで言われて亮は「うーん」と唸り声を上げて「一つあるよ。欲しいもの」と言った。
「……高いもの?」
「別に高くはないかな? あ、いや、すんごい高いかも……」
「はぁ? 何よそれ」
 訝しげなはじめを余所に亮は「高いかな? 高くないかな? でも安くはないよな?」と自問自答している。
「ちょっと! 訳分かんないのよ! はっきり言いなさいよ!」
 いつものようにどやされてから亮は自信なさげな顔で言った。
「今年もはじめちゃんの一番傍に居いられますよーに!」
「はぁ? な、何よそれ」
「オレが一番欲しいもの」
「……それって『欲しい物』じゃなくて『お願い事』じゃない」
 呆れ果てた顔と声ではじめはそうツッコンだ。
「だって……」
「だってもへったくれも無いわよ。それに何なのよ。それ来年も誕生日にお願いするつもり?」
「うん、来年もだし再来年もだし、ずっとずっとお願いするつもりだよ」
「折角の誕生日に何考えてんだか……」
「折角の誕生日だから叶いそうな気がするじゃん。だからずっとずぅ〜〜〜〜っと。それこそ死ぬまでお願いする」
「だったらいっその事死ぬまで一緒に居たいって言えばいいじゃない。毎年毎年めんどくさい」
「え……いいの?」
「ど〜ぞ」
 いつもの戯言と思ったのか何の気無しに言ったはじめを言葉を受けて亮の顔が少し真顔になった。しかしマフラーに埋もれて前を見ているはじめは気がつかない。
「ん?」
 急に立ち止まった亮に引っ張られてはじめも立ち止まった。
「江藤さん?」
「はじめちゃん」
 亮は大きく息を吸って真っ正面からはじめを見つめた。今まで見たこともないような真面目な表情で見つめられてはじめの心臓がドキンと高鳴った。
「ずっと、ずっとはじめちゃんの一番傍に居させて」
「!」
「死ぬまでずっと、ずっとはじめちゃんの傍に居させて」
「……」
「お願い」
 別にプロポーズでもないのに気の利いた言葉でもないのになんだか胸がいっぱいになってはじめの目から涙が溢れだした。
「は、はじめちゃん!?」
 泣くほどイヤだったのかと亮が顔面蒼白になった。しかしはじめはフルフルと頭を振った。
「違うわよ……」
「はじめちゃん……」
「死ぬまで……死ぬまでって言ったんだからうんと長生きしてよね!」
 言ってはじめは勢いよく亮に抱きついた。亮もはじめを強く抱きしめ何度も何度も頷いた。
 誰もいない夜の街で、二人は痛いほどに抱きしめあい、そしてふっと顔を見合わせて近づけた。何度も何度も口付けを交わして、それから二人は歩き出した。

 それは二人が一緒に歩く道。
 これからもずっと続いていく道。
 笑ってばかりはいられないかも知れない。時には泣いて怒って離れてしまうかもしれない。
 でも二人なら手を引き合って歩いて行けるかも知れない。

 明けない夜なんてない。
 終わらない冬もない。
  二人なら大丈夫。
 そんな事を思いながら二人は歩き続ける──。
おわり
いやはや無事にゴールに辿り着きました。感無量の陸海です。
ちょいと昔の話を交えてなので読んでない人がいたらごめんなさい。
亮君の誕生日。きっと大好きな人の誕生日は自分にとっても大切で嬉しい記念日ですよね。
はじめちゃんもまた幸せになるべき日だと思って書きました。
これが二人のゴールって訳では勿論なくてこれが始まりなんだと思います。
色鮮やかな二人の歩く道に幸多かれ!