はじめちゃんが一番!
A Hazy Shade Of Winter #1

   それはとある冬の、寒い寒い夜の事──。
 深い眠りについていた筈の亮は唐突にパチリと目を覚ました。
「──────」
 ムクリと起き上がると隣で眠っていた人物が眠そうな声で問い掛けた。
「……亮? どうしたんだよ」
 彼の恋人かと思いきや、声の主は彼の相棒・和田瑞希であった。
 例の如く彼の芸能活動に対して不理解な父親と派手に喧嘩し、捨て台詞を残して江藤家に現れた訳だ。仲良く酒を喰らって、いつも通り同じ布団で寝入った訳だが……。いつまで一緒に眠るつもりなのだろうか。この二人は。
 ともあれ、瑞希は眠い目を亮に向けた。
「何か目が覚めた」
「嫌な夢でも見たのかよ?」
「いや、別に」
「……幾ら明日は夜までオフだからって眠れる時に眠らないと体がもたないぞ」
 言って瑞希は掛け布団を巻き込んで寝返りを打った。
「…………」
 そんな瑞希を亮はチラリと一瞥し、徐に布団から抜け出した。
「亮?」
 入り込んだ冷気に身震いした瑞希は首をめぐらせて相棒を見る。
「何してんだ、お前」
 見れば手早くパジャマから着替えた亮はオフホワイトのロングコートに袖を通している最中だった。
「目ぇ覚めたし散歩に行ってくる。オレ」
「散歩ォ?」
 瑞希は窓の外に目を向けた。
「雪降ってんじゃん! フザけんな! 風邪引くぞ」
「うん、でも厚着して行くから大丈夫だよ」
 亮は耳まで隠れるニットの帽子を被り、長い長いマフラーを首に巻きつけ、手袋を嵌めている。ちなみにこれら3点セットは今年のクリスマスにはじめがくれた(勿論手作り)品である。
「瑞希も一緒に行く?」
「行かねーよ!」
 と強い調子で返され亮は若干拗ねた表情で頬を膨らませた。
「ちぇっ」
「何が『ちぇっ』だよ! TPO考えろよ、TOPを!」
「もういいよ。行ってきます」
「……凍死すんじゃねーぞ」
「……瑞希とはじめちゃんが怒るからそんな死に方しないよ」
「OK! 行ってこい」
 布団の中からヒラヒラと手を振って瑞希は再び、速やかに眠りの国の住人となった。亮はそんな瑞希に小さく微笑んで、静かに表に出て行った。



「!」
 突然顔に叩き付けらた雪に亮は身を硬くした。が恐る恐る目を開けると何だか嬉しそうに夜の街へと繰り出した。
「はぁ─────」
 間断なく舞い落ちる雪を見上げながらしんと静まり返った世界を歩く。

 何だか子供の頃に帰ったようだ。

 見知った街は雪と夜の帳によって初めて訪れた異国の地と化していた。
「……はじめちゃん何してるのかな?」
 白い呼気と共に亮は小さく呟いた。
 そんなもの、寝ているに決まっている時間である。だが亮は良い事を思いついたと言う感じではじめの家に向かって歩き出す。走って30分の距離である。その距離を考える事無く亮は歩き出した。
 周りは相変わらずの街並み。偶に通り過ぎる車や人も居たが『世界に一人だけ』な感じは今もあった。だが、不思議に不安は覚えなかった。
 何と言っても今から向かう先には世界で1番大切な女の子がいる訳だし、家に帰れば世界で一番大切な人がいる訳だ。
 そう認識すると途端に嬉しくなって歌いだしたい気分になった。
 思い浮かんだのはSimon & Garfunkelの『冬の散歩道』。
 タイトルから得られる雰囲気とは裏腹に聴いてみるとなんだか焦燥感を煽るようなメロディラインの楽曲である。だが今の気分には合っている曲だった。
 そんな風に気の赴くまま歌を歌ったり、立ち止まったりしてはじめの家に辿り着いたのは小一時間も過ぎた頃だった。
「……」
 亮は真っ暗な窓を見上げた。
(起きてって念送ったら起きるかな、はじめちゃん)
 そう思って亮は目を閉じ、ぬぬぬぬぬ〜〜〜と現在爆睡中であろう恋人に念を送る。
 たっぷり5分ほど念を送ったあと、亮はそっと目を開いた。
(やっぱり無理か)
 念が届いてはじめが起きてくれるのは嬉しい事だが暖かい睡眠を邪魔して怒られるのは、楽しい事だが、申し訳ない。
(どうせ明日の昼には会えるんだし)
 そんな感じで自己満足を得た亮は元着た道を引き返し始めた。

 ───── 一体なんなんだろうこの男は。

 また同じように歌を歌い、少し遠回りしての帰り道。
 ただただご機嫌な亮の耳にか細い猫の鳴き声が届いた。
「……」
 耳を澄ませば確かに聞こえてくる。
(……ネコ……だよな)
 泣き声に誘われるように亮はフラフラと音源に向かって歩き出す。
 そこは存在だけは知っていた近所の児童公園だった。
 なんの変哲も無い公園である。ブランコ・滑り台・ジャングルジム。公衆トイレに水のみ場。置き忘れられた自転車。そしてベンチ────。
 そのベンチの上に何やら一抱えもありそうな茶色の物体があった。
 泣き声はどうやらそこから聞こえてくるらしい。目を凝らしていると時折蠢いている。「……?」
 亮は近づき覗き込んだ。
「!」

 ───赤ん坊であった。

 生後半年ほどだろうか? 顔を真っ赤にしながら小さな小さな赤ん坊が泣いていた。
「あ……あ……あ……」
 完全に動転してしまった亮は震える手で赤ん坊の真っ赤な頬に触れた。
「!」
 赤ん坊の頬はその色とは対照的に凍えるように冷たくて亮は無意識に抱き上げてその場から走り出していた。



「……ぁ」




「……ら」



「亮!」
「?」
 強い呼びかけに亮は漸く反応を返した。目の前には瑞希が青い顔で自分を覗き込んでいる。
「瑞希……? どうしたの」
「! ……どうしたんじゃねーだろ!? お前こそどうしたんだよ! 何なんだよその赤ん坊は!」
「え?」
「あーもー!!! 『え?』じゃねーだろ!? 『え?』じゃ!!!」
 瑞希が指差す方、自分の腕の中を見れば小さな赤ん坊がすやすやと眠っている。
「……」
 安らかなその様子に亮はふんわり花のほころぶような笑みを浮かべた。
 並大抵の人間なら全てをうやむやにしてしまいそうなその笑顔も瑞希には通じない。
「な・に・が・た・の・し・く・て・極上の笑顔なんか浮かべてやがるんだよ!」
「瑞希、静かにしてよ。折角気持ち良さそうに眠ってるのに起きちゃうじゃん」
「あ、ワリ…」
(じゃなくてぇ!)
 最早泣きの入りかけた瑞希を残して亮は寝室へと向かった。窓の外はまだ暗い。夜明けまではまだ時間がありそうだ。
「おいっ! あき……」
 大声を出そうとする瑞希に亮は「しぃー」っと指を口に当てて制し、赤ん坊を布団の真中に寝かせた。
(亮!)
(眠くなったから寝るね。オレ)
 小声でそう言うや赤ん坊の左隣を陣取って目を閉じた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
 呆れて物も言えないとはこの事だろうか? 瑞希はやけくそになって赤ん坊の右隣に入り込んだ。
(夜が明けたら……夜が明けたら……いの一番にはじめちゃんを呼んでやる───!!!)
 そう心の中で叫びながら瑞希を目を閉じた。
つづく