──明けて翌日の午前11時。
ピンコン
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ピンコン
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(居ないのかな?)
インターホンを前にしてはじめは小首をかしげた。実は昼食を作りに来て欲しいと亮から昨日の内に頼まれていたのだ。はじめにとって不可解極まりない男であるが断りも無くドタキャンするような人間でない事は判りきっている。事、食事に関してはなおさらだ。
(……まだ寝てるとか?)
その可能性は否めない。何せ相手は今をときめくスーパーアイドル様なのだ。久々のオフ故深ぁ〜く眠り込んでいるのかもしれない。
ピンコン
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(困ったな。どうしよう)
実は今も合鍵を持ち合わせていないはじめは本気で困っていた。
(くぅ! こんな事なら前に言われた時に合鍵貰っとけば良かった!!)
どうしても照れが勝ってしまい断っていたのだが……、悔やんでも後の祭りである。はじめは大量に買い込んで来た食材をみて乙女にあるまじき舌打ちをする。
(ここが一戸建てなら、ドアを叩くなり蹴るなり怒鳴りつけてやるのに……!)
ピンコン
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「……」
インターホンでの消極的なアピールではなく電話による攻撃に移ろうかと思ったその時─────。
「ああ───────!!!」
という叫び声が扉を突き抜けてきた。
「……な、な、なに? 今の瑞希さん!?」
扉に耳を当てれば「俺のバカやろ〜〜〜〜!! 何爆睡してんだよ〜〜〜〜〜!!!」と言う声がする。
「瑞希さん!? どうしたんですか!?」
はじめが声を張り上げればバタバタという足音の後、勢い良く扉が開け放たれた。
「うわああ! はじめちゃん!」
「瑞希さんどうしたんですか!?」
「良かった! 来てくれて!」
「!!!!!!」
感極まってつい抱き着いてしまった瑞希。勿論はじめはと言うと、ぱうっとその軌跡も鮮やかに鼻血を吹いて気絶してしまった。
「ああ! ごめん! はじめちゃん! お願いだから、後生だから目ぇ覚ましてくれ!」
これでもかと言う程に体を揺さぶられてはじめは薄っすら意識を取り戻したが、間近に迫った憧れの君の顔に再度鼻血を吹きそうになった。
「はじめちゃん! 頼むよ! 鼻血吹いてる場合じゃないんだよ! 亮が大変なんだよ!」
言って瑞希は片手ではじめの鼻を抑え、もう片手ではじめの手を引っ張って家の中に入っていった。そしてそのまま寝室に引きずり込む。
「み、!」
「いいから入って!」
「えっ、れ、れも……」
幾ら恋人とは言えまだまだお友達に毛の生えた程度(キスは済ませているが)のはじめには少しばかり羞恥を覚えるスポットらしく、はじめは硬く目を閉じた。
人間、目からの情報が得られなくなれば耳からの情報に集中するものである。
今なら100M先に落ちた硬貨の種類さえ聞き分けられそうなはじめの耳に届いた音は赤ん坊の泣き声と「はいはい、泣かないで〜〜。お兄ちゃんがポンポンしてあげるからね〜〜〜」と言う正直情けない程甘々の声だった。
「……………?」
訝しく思ってそうっと目を開ければこれでもかと言う程に相好を崩した江藤亮が泣いている赤ん坊をあやしていた。
「????????」
はじめは今見ている光景が理解できずコシコシと目を擦ってみた。勿論、そんな事で現実が変わらない。
「…………………………………………」
「はじめちゃん!?」
「電話お借りします」
突然踵を返してリビングに向かったはじめを瑞希も慌てて後を追う。はじめは受話器を取るや馴染みのナンバーをプッシュする。待つ事しばし……。
「おはようございます、はじめです。今すぐ前田さんに繋いで下さい!」
強い調子でそう言い切ってはじめは相手を待っている。その横で瑞希は「何だって前田さん?」と?マークを飛ばしている。
「あ、おはようございます。はじめです。前田さん。単刀直入に訊きますけど今WEにドッキリしかけてますか!?」
「は? ……ドッキリ? あ!」
瑞希は一瞬助かった! と言う顔をした。
「いいから答えてください! 返答如何によっては私にも考えがありますからね!」
どんな考えがあるのやら、はじめは受話器の向こう側を威嚇しつづける。漏れ聞こえる声からするに前田は相当慌てているのが感じ取れた。
「はい……はい…………。…………そうですか。…………はい、判りました。…………突然申し訳ございませんでした。…………すみません。取り込んでいるのでこれで失礼します」
言うなりはじめは受話器を下ろす。その直前まで前田の声が漏れていたが敢無く黙殺された。
「はじめちゃん……ドッキリじゃ」
「瑞希さん、なんなんですか!? あの赤ちゃんは!」
「オレの方が聞きたいよ!」
「あ、はじめちゃんいらっしゃい。いつの間に来てたの?」
のほほんとした声に振り返れば満面の笑みを浮かべた亮が立っている。勿論、その薄い胸には大事そうに赤ん坊を抱えて。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
瑞希は確かにブチッっという擬音を聞いた。
「このボケ林ヌケ作が〜〜〜〜! 一体どこの女に生ませてきたのよ〜〜〜〜〜!!!」
「…………はじめちゃん落ち着いた?」
瑞希は煎れてきた紅茶をはじめの前に置いた。漸く涙と鼻血の治まったはじめはスンと鼻を鳴らしながら「すみません」と謝った。
「ねえ、瑞希。オレには?」
「お前は自分で煎れて来い!」
ギッと睨まれ亮はさも悲しそうに赤ん坊と向き合い「聞いた? 今の。酷いよね〜〜?」等とほざく。
「いい加減にしろよ! いつまでもそんな調子ではぐらかす様ならたった今からお前とは絶交だ!」
途端に亮はイヤイヤと泣いて瑞希にしがみ付いた。
「……………………」
はじめはそれをかなり複雑な表情で見つめていたが口出しはしなかった。実際は億劫だったのもあるが、どう足掻いてもこの二人の間には入り込めない絆が存在する事を再認識してがっくりきていたのだ。
「じゃあ、大人しく白状しろ! この赤ん坊は一体どこの誰なんだよ!」
「知らない」
端的な答えに瑞希の頬が引きつった。
「じゃあ、どこから連れてきたんだよ!」
「公園」
「どこの公園だよ!」
「近所の」
「親は!?」
その時初めて亮の表情が無くなった。
「……………………居なかった。一人で泣いてた」
「居なかったって……お前、それじゃこの子は……」
「捨て子じゃねーか」と言う言葉を瑞希はやっとの思いで飲み込み、はじめははっとして亮を見つめた。
既に亮は笑みを浮かべてまた少しぐずりかけている赤ん坊をあやしている。
「オムツかな? お腹すいてるのかな? おねむ……じゃないよな。さっきまで寝てたんだし………………あ、オムツはまだ大丈夫みたい」
亮の言葉にはじめは深く溜息をついて立ち上がった。
「はじめちゃん?」
「重湯作る。歯は生えてるみたいだし…………。とりあえずご飯にしましょう。瑞希さんも江藤さんも…………」
はじめが逃げ込むように台所に入ると亮は「オレ、オムツ買いに行ってくる」と言って立ち上がった。
「亮! 何考えてんだよ! お前!」
「何って……オムツを買いに……」
「いい加減にしろよ!お前、自分が芸能人だって自覚あんのか!? お前がコンビニでオムツ何ぞ買ってたって事が芸能リポーターにバレたら面倒どころじゃ済まないんだぞ!?」
「変装するから平気だよ。ほら、オレ眼鏡で掛けたらてんで存在感ないし」
あははのはーと脳天気に笑う亮にとうとう瑞希の怒髪天を衝き、勢いよく衝き抜けた。
「……もうオレは知らん! 勝手にしやがれ!」
そう捨て台詞を残して瑞希は手早く着替えを済ませて出て行ってしまった。
そんな瑞希を呆然と見送る亮と痛ましげに見送るはじめ。
「……はじめちゃん、オレ、なんかマズい事言った?」
しょんぼりと訊ねる亮にはじめは冷酷に「だから瑞希さんが怒って帰っちゃったんでしょうが!」と言い捨て台所に戻っていった。
はじめにもすげなくされて亮はかなり本格的に落ち込み始めた。いつもならピッタリとくっついて、それこそ相手が根負けして許してしまうまで引っ付き倒す のに今日ばかりは腕の中の赤ん坊に頬摺りして寂しさを紛らわしている。とりあえず、愛らしい赤ん坊の仕草に浮上したのか亮は眼鏡を掛け、赤ん坊を抱えて出 かけようとする。
「……どこに行く気なのよ」
「え、コンビニだけど……。はじめちゃん何かいるものある? あるなら買って来るけど」
「……」
「え? 何て?」
「お前はさっき瑞希さんが言った事を欠片たりとも理解しとらんのか!?」
亮の耳を思い切り引っ張って、はじめは声の限りに怒鳴りつけた。当然の事ながら亮はクラリと蹌踉け、赤ん坊は負けじと大声で泣き出す。
「な……」
はじめはエプロンを外してソファに放り投げると亮の横をすり抜け「お鍋の火見てて頂戴」と言って玄関に向かう。
「はじめちゃん!?」
「煮たったら弱火にして10分後に消して」
「はじめちゃんってば!」
亮は慌ててはじめの右腕を掴んだ。
「……あたしがオムツを買ってくるって言ってんのよ! 文句あんのっ!?」
イライラとした様子で顔を背けていたはじめだがグルンと振り返って顔を真っ赤にさせてそう言った。怒鳴られた亮はマジマジとはじめを見つめる。
「……瑞希みたいに帰っちゃうのかと思った……。良かった……」
心の底から安堵したように亮ははじめの肩に額を預けた。まだ少し震えが伝わってくる。
「あたしまでいなくなったらどうなんのよ!? アンタも! 赤ちゃんも!」
「うん、うん、だからよかった……」
「……………………………………」
少し掠れた声で囁かれてはじめは明らかに照れているようだった。そして亮は腕を背中に回してはじめを抱きしめた。勿論もう片腕には赤ん坊が未だ泣き続けている。
「……怒鳴ってごめんね。あなたは……何も悪くないのにね」
驚く程優しい声ではじめは赤ん坊に話しかける。亮の腕を解き、赤ん坊を受け取ってはじめはあやし始める。
「よしよし、良い子ね。もう大丈夫。泣かなくて良いのよ」
頬摺りまでしてはじめは鮮やかな手並みで赤ん坊を寝かせてしまった。
「……………………………………」
「はい、これで帰ってくるまでは大丈夫だと思うから」
「……………………………………」
「…………何よ。その珍獣でも見る目つきは」
「……………………………………」
「……5人も育てりゃ泣きやます要領くらい心得てるわよ」
「……………………………………」
「〜〜〜〜〜言いたい事あるならはっきり言いなさいよ!」
ずっと目を見開いていた亮は何度か瞬いた後、今度は両手ではじめを抱きしめた。
「はじめちゃん……凄い。本当にお母さんみたいだ……」
心底感動したのか亮ははじめの硬い髪の毛に頬を擦り寄せて「本当に本当のお母さんみたい」と繰り返した。
「……………………………………」
大人しく擦り寄られていたはじめだが二十歳間近の乙女が心の底から「お母さん」呼ばわりされて嬉しい筈もない。
「うっさい! あたしはアンタみたいなデカくて手の掛かる赤ちゃんの母親になった覚えは無いわよ!」
それでも耳まで真っ赤にして腕を振り払うと、今度こそ赤ん坊を亮に渡して玄関の扉を開く。
「あっ、はじめちゃん!」
「……何よ」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
膨れながら振り向いたはじめに、亮は赤ん坊の手を取り、バイバ〜イという風に振って見せた。
「!」
まるで○○である。(お好きな言葉を入れて下さい)
「い、い、行ってきます……」
とっさに鼻を押さえながらはじめはその場から逃げ出すように買い物に出かけた。
残された亮は上機嫌で台所へと戻っていった。
つづく