どうしよう
とてつもなく幸せな気分で居た訳だけどある現実を目の前にしてオレは途方に暮れていた。
腕の中ではじめちゃんは気を失っていて、目を覚ます様子も無い。
別にそれはかまわない。
このまま寝てしまえばいい事だし、いつもの事だし……。でも……。
どうしよう、着替え……。
今はじめちゃんが着ているのは勿論はじめちゃんの私服でトレーナーに例のマルサンストアのスカートって至って普通の格好で──。
別にその格好まま寝ても問題ないけど……着替えた方が楽だよな。
……起こさなきゃ。
「はじめちゃん、はじめちゃん。起きてよ」
「ん……………………」
「はじめちゃんってば、起きてよ」
揺さぶっても、ペチペチと頬を叩いてみてもはじめちゃんは一向に起きてくれない。
元々はじめちゃんは気を失おうが、普通に寝入ろうが一度寝たら朝までは絶対に起きてくれない。
どうしよう……。
「はじめちゃん、寝るのは良いけど着替えようよ。起きてよ、お願いだからっ」
なんかオレは必死になってるのにはじめちゃんはすぅすぅと寝ててなんだか悔しい。
「るさ……………………」
しかもうるさそうに顔を背けるんだからひどいよ。
「はじめちゃん! 起きなきゃオレが着替えさせるよ!? いいの!?」
絶対に飛び起きるだろうって思って言ったのにはじめちゃんは、
「う……ん……いよ………………」
なんて返すから、本当に、本当にオレは途方に暮れた。
出来るわけないじゃん……。
幾らOKが出たからってそんな事したらはじめちゃんオレのこと一生許してくれないと思う。
それにオレだってはじめちゃんが起きてなきゃ楽しくも嬉しくも無いよ。
それでもさっき一度熱くなった体はすぐにでも熱を取り戻しそうで、服なんて脱がせたらオレは自分を抑える自信は……余り無い。
無理。
絶対無理。
もうこのまま寝てもらおう。寝苦しくたってしょうがないじゃないか。起きないんだから!
「もうオレ知らないからね!」
「……………………ぃゃ」
……もしかして起きてるの? 起きてオレのことからかってるの?
そう疑いたくなるくらいはじめちゃんは悲しそうな顔をしてる。
「勘弁してよ……」
オレは盛大にため息をついた。
こーゆーのを蛇の生殺しって言うんだろうな。
…………………………もう、いいや。
オレが我慢すれば済む話だろ?
するよ。我慢。
あ、……瑞希ならどうするんだろう? 電話して聞いてみようかな?
でも……下手にGOサイン出されても困るし……止めとこ。
オレはため息混じりにはじめちゃんを抱き上げてベッドに連れてった。そぉっと下ろしてトレーナーの裾に手を掛けて……止めた。
電気消そ。
なるべく見ないようにしなきゃ本気でヤバイ。
なるべく平常心を心がけてオレはトレーナーをたくし上げて……ガバッと戻した。
電気消したの大間違いだった……。
薄暗い部屋の中、仄かに白いはじめちゃんのおなかとブラジャーが異様に艶かしく浮き上がってて一気に体が熱くなった。
ダメだ、ダメだ、ダメだ!
はじめちゃんは寝てるんだから、意識無いんだから……!
……………シャワー浴びてこよう。
じっとしてても頭の中に焼き付けられたさっきの映像がぐるぐる廻っておかしくなる。
はじめちゃんに布団を掛けたオレはこの日2回目のシャワーを浴びに風呂場に向かったのだった……。
◇ ◇ ◇
しばらく水を浴びて火照りを収めてオレはベッドに戻った。
……なんなんだろう? この気の重さは。
ベッドの脇に腰を下ろしてしばらくじっと見てたけど、見てる間に3回は寝返りをうってた。
……やっぱり寝苦しいんだ。
今度は目を瞑ってしよう。
盛大にため息をついてから袖口に手を伸ばす。引っ張って袖から腕を抜く。これは別に目を閉じなくても出来ること。……めちゃくちゃ緊張はするけど。
そして……ゴクッと唾を飲み込んでからオレはぎゅっと目を閉じた。
裾に手を掛けてゆっくりとたくし上げる。
「!」
一瞬、指先がはじめちゃんの肌に触れた。冷えた身体が一気に熱を取り戻してしまった。
目を閉じてるせいか五感が酷く過敏になってる。
指先に意識が集中して、心臓がバクバク鳴ってて、唐突に目を開けたい衝動に駆られた……。
でもそんな事したら歯止めが利かなくなのは目に見えてる。オレは首がギリギリ言うくらい顔を背けてゆっくりとトレーナーを脱がせた。
漸く第一関門突破だ……。これだけでこんなに疲れてどうするんだよ。
肩を落としながら次は……と思って、更に絶望した。
ブラジャーだ。
こんなのどうやって外せばいいんだよ……。
もうオレは噛み切りそうなほど唇を噛み締めて仰向けで寝てるはじめちゃんの背中へと手を差し込む。
「ん…………………」
「!」
はじめちゃんが身じろぎした。飛び上がりそうなほどびっくりしたけどオレの体は固まってて動けないままだった。すると右手から熱と体重が消えた。どうやら寝返りをうったみたい。
……始めからそうすれば良かったんだ。
オレって絶対バカだ。
そう思いながらはじめちゃんの背中に手を伸ばす。
……よかったフロントホックじゃない。
心の底から安堵の息をついてオレはホックを外しに掛かる。が、出来ない。
目を閉じてるからか、緊張して指が震えてるからか、はたまた両方か本当に上手く外れない。
……こんなのどうやって片手外せるんだよ。瑞希。
色々レクチャーしてくれたけど、オレには絶対無理だと思った。
心の中でいっぱい瑞希に八つ当たって意識を逸らして、どうにかホックを外せた。……ごめんね、瑞希。
でもそこで一気に気が抜けてオレはぐったり肩で息をする。
……オレ、さっきから息止めたまんまだったんだ。
心臓がバクバクいってるのはずっと同じだけど酸欠で頭がクラクラしてる事に今更気付いた。
何度か深呼吸を繰り返して、息を整えて、またはじめちゃんに触れる。触れた肩からストラップを抜いて、手探りで脇に置いていたパジャマを取って袖を通した。反対側に寝返りをうたせて同じように袖を通す。
今度は仰向けに寝かせてそのままボタンを留めていく。
でもやっぱり上手く止められない。
焦るオレ。震える手。留まらないボタン。 泣きそうになるオレ。
悪循環を繰り返して全てのボタンを留め終えたオレは疲労困憊でベッドに突っ伏していた。
あーまだズボンが残ってる……。
オレは歯を食いしばって起き上がり、はじめちゃんを見た。
腹立たしいくらいすやすや眠ってる……。
少し投げやりな気分だったのにスカートのボタンに手を掛けた途端に身体が熱くなる。
オレがバカなのか。男がバカなのか。
慌てて目を閉じたオレはボタンを外して、ジッパーを下ろす。スカートに手を掛ける。ゆっくり慎重に下ろしてるのに下着が一緒に滑り落ちたみたいで、オレ は泣きそうになりながら片手で下着を抑えてスカートを脱がせた。そして、漸くズボンを履かせる事が出来た訳だけど……。
本気で疲れた。20分のメドレーの方がよっぽど楽だ。
もう、これでいつでも眠れる。
……眠れるけど……。
結局オレはまたこの日3回目のシャワーを浴びに風呂場に向かった……。
◇ ◇ ◇
身体が痺れるくらいまで冷たい水に打たれて、漸く熱は引いていった。
……なんか身体と一緒に心まで冷えてしまった気がする。
すやすや寝入ってるはじめちゃんの顔を見ながら思った。
……何やってんだろ。オレ。
たくさんキスもしたし、こんな風に一緒の布団で眠る仲なのに肌に触れる権利すら許されてない。
はじめちゃんはいつになったらオレを受け入れてくれるんだろう?
怖がらせちゃいけないと思って積極的に求めた事は無い。
さっきのが初めてだ。……あっさり断られたけど。
求めてるのは事実だけどいつもはじめちゃんに言ってる言葉に嘘は無い。
そばに居てくれるだけで本当に幸せを感じてる。
でもこんな夜はちょっと切ない。
胸が痛い。
胸の奥が熱くて痛い。
甘い痛みは全身に広がってオレの身体を熱くする。
こんな痛みも熱さも生まれて初めてでどうすれば良いのか分からない。分からないけどこの痛みも熱さも全てはじめちゃんからもたらされたものだから、はじめちゃんでしか治められないのだと思ってる。
はじめちゃんはいつになったらオレを受け入れてくれるんだろう?
でも面と向かって問う勇気はオレにはない。
……情けない。
オレは身を屈めて顔を寄せてキスをする。
オレに許されてる行為はここまでだ。
でも何度かキスを繰り返しても切なさは拭えない。
……どんどん欲張りになってく。
呆然としながらオレはキスを繰り返す。
ついさっきまで瑞希とはじめちゃんにどれだけ愛されてるかを知って信じられないくらい幸せだったのに。
まだ更にその先を欲しがってる。
最低だ、オレ。
はじめちゃんの頬に雫が落ちた。
「…………………」
ゆっくりと身体を起こしてオレは天井を仰ぎ見た。
いつからオレはこんなに欲深くなったんだろう?
ほんの少し前まで瑞希さえ居てくれればそれで良かったのに。
今では瑞希はおろかはじめちゃんもそばにいて欲しいと願ってる。
はじめちゃんに至っては心どこか身体まで自分のものにしたがってる。
止まる事を知らない欲望がオレの中で渦巻いていて、やがてオレを飲み込んでしまいそうだ。
一緒に居ることすら本当は罪なのかもしれない。
でももう離れられない。
離れる事なんて考えられないから。
はじめちゃんが言ってくれたから。
オレがいなきゃ生きていけないって。
オレは大手を振って側にいる事が出来る。
……もしかしたらそれって肌に触れるよりも大切な権利なのかも知れない。
そう思ったらほんの少し欲望を抑える事が出来た。
また新たな幸せの発見が出来たから。
現金だなって思うけど、そう思ったんだ。
そしたらさっきまで憎らしかったはじめちゃんの穏やかな寝顔がいつも通り愛おしくなった。
オレは飽きることなくはじめちゃんの寝顔を見ていた。そして──。
「はじめちゃんが好きだよ」
オレは涙を拭いながら言った。
「好き。大好き。世界で一番大好き」
繰り返すとはじめちゃんがにへらっと嬉しそうに笑った。
「ぶっ……」
思わず笑ってしまって慌てて口を抑えた。
……はじめちゃんの笑顔って不思議。
どんな暗い気分も吹き飛ばしてくれる。
さっきまで確かに痛かった胸が仄かな暖かさで満たされてる。
「また…明日もいっぱい笑顔を見せてね」
額にキスしてオレは隣に潜り込んだ。
◇ ◇ ◇
あれからどれくらい経ったんだろう?
隣で寝てたはじめちゃんが急に擦り寄って来た。
ほっぺたスリスリするもんだからはじめちゃんの髪がオレの顎やら喉やら胸をくすぐる。
「ん……。はじめちゃん、くすぐったいよ……」
うっすら目を開ければ、目に前にはじめちゃんの顔。
息が掛かるくらいの距離でちょっと口を突き出せばキス出来そうだった。
「!!!!!」
はじめちゃんの目がまん丸になってく。
珍しいね。はじめちゃんが朝までに起きるなんて……。
って言うかオレはまだまだ眠い……。
「……もう少し寝てようよ? ね?」
言って、少し唇を突き出せば思った通りキスできた。そのまま目を閉じて意識を手放そうとしたけどはじめちゃんがオレのパジャマにしがみついて話しかける。
「え、江藤さん?」
「ん〜〜〜〜? なにぃ〜〜〜〜?」
「あ、あ、あたしどうしてパパパパパジャマ着てるの!?」
「どうしてって……。そんなのオレが着替えさせたに決まってるじゃん……」
苦労…したんだからね。本当…大変だったんだから……。
「ブブブブブラ、ブラ、ブラ……」
「ああ……あれも、なんか……息苦しそうだったから外したよぉ」
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
……なんかはじめちゃんがブルブル震えてる。
落ちる瞼を何とかこじ開けて見たはじめちゃんは耳まで真っ赤になって口をパクパクさせてた。
……心配してるのかな? オレが何かしたんじゃないかって……。当たり前か。
「……何も見てないし、何もさわってないよ……」
「……………………え?」
「オレ…すごく…我慢……したもん。だから……すごい疲れた……。お願いだから……もう少し……寝かせて……」
それが限界でオレの瞼はぴったりと閉じてしまった。
「……江藤さん?」
ごめん、マジで眠いんだ。
応える代わりぎゅうっと抱き寄せて頬摺りする。
オレの意識は眠りの底にどんどん沈んでいったけど腕の中の温もりだけはいつまでも残っていた。
その温もりがいつまでもオレの腕の中にいて欲しいと願いながらオレはまた眠りに就いた──。