はじめちゃんが一番!
オレと彼女と彼氏の事情
Extra track
 屋上から降りてきた二人は使われていない会議室に入っていった。
 イスに座り込んだ亮はいつも以上にぼぉっとしている。そんな亮をり気にしながらもはじめは手早くお弁当を広げている。
「はい、どうぞ、召し上がれ」
 言われて初めて気が付いた様に亮ははじめを見て、それから目の前に並べられたお弁当を見る。
「あ……うん、いただきます」
 そっと手を合わせてから亮はお箸を手に取り少しずつ口に運ぶ。未だかつて無い光景にはじめの眉間に皺がよった。
「……江藤さん」
「……何?」
「それはあたしのセリフよっ」
「え?」
 訳が解らず亮はきょとんとしてはじめを見る。
「何なのよ、一体!」
「な、何が?」
「だからそれはあたしのセリフだって言ってるでしょ!?」
「わ、分かんないよ! はじめちゃん何怒ってるのさ」
「江藤さんこそどうして怒ってるのよ!」
「え?」
 亮の目が再度きょとんとした。はじめと言えばまだじぃ〜〜っと睨み付けている。
「……怒ってる? オレが?」
「そうなんでしょ!? 機嫌悪いったらありゃしないじゃない!」
「……そうかな?」
 小首を傾げてみれば(そうかも……)と思わざるを得なかった。
 その様子を見て取ったはじめは居住まいを正して正面から亮の目を見つめる。
「何があったの?」
 問われても答えられる訳もなく、さりとてその視線を受け止める事も出来ず亮は俯いてしまった。
「私には言えない事ですか?」
 勿論はじめに言える筈もないので亮は小さく頷いた。
「……瑞希さんには言えますか?」
 元から瑞希には話していた事だからと再度頷いた。
 それから重々しいまでの沈黙が二人の間に流れる。居たたまれず食事中にも関わらず席を立とうとした亮を制するようにはじめは小さく呟いた。
「……だったらいいです」
 そして黙々と自分の弁当を食べ始めた。
 その呟きは声がとてもとてもおどろおどろしいものだったので亮は怖くなってはじめの表情を盗み見た。
(怒ってる)
 言うまでもなくはじめの眉は不機嫌そうに歪み、顔は怒りの為かうっすら上気している。
「はじめちゃん」
「……なんですか?」
「怒ってるの?」
「怒ってませんよ」
「……」
 キッパリと言い切られて亮はまた俯いてしまった。
(……また怒らせちゃった)
 勿論亮とてはじめを怒らせるつもりは毛頭無かった。ただ真実を語る事が出来ないだけなのだ。

 一志に嫉妬している。

 その一言が言えれば話は簡単だったろう。だが亮はあの日以来はじめに対して負担になるような言動は一切していない。自分を頼りなく思わせる言葉、行い全てを我慢していたのだ。
  後輩への嫉妬など情けない事この上ないではないか。しかもはじめは一志に対して別に友情以上の感情は持ち合わせていない事も見れば分かる。ただただ亮が一人で不安になって一人で騒いでいるのだ。
(言えない……)
 恐らくは二人の話を盗み聞きしてさえいなければ一志への差し入れを止めて欲しいと素直に言っていたのだろう。
 だが我慢した結果がこれである。
 良かれと思ってした事は裏目に出て、今こうして二人の間には重苦しい沈黙しかない。
(でも言えない……)
 言えば更に良くない状況を招いてしまうのではと疑心暗鬼に陥っているのだ。結局何も言えないまま、聞かないままで食事は終わってしまった。
 終始無言のままではじめはお弁当をしまう。二人で過ごせる貴重な時間は斯くも無意味に終わりを告げる。
「……じゃあ、お仕事頑張って下さいね」
 一度も亮を見ないままはじめは立ち上がって、ペコンと頭を下げた。酷く他人行儀な所作に亮はドキンとした。その間にもはじめは荷物を抱えて扉へ向かう。何も言う事も出来ず亮はその背中を見つめていた。
(せっかく久しぶりに逢えたのにこんな気持ちのままでさよならするのか?)

 イヤだ。

 はじめの歩みは止まらない。
(こんな気持ちを時間が解決してくれるっていうのか?)

 そんな事あり得ない。

 扉の前に立ったはじめはノブに手を伸ばす。
(それまではじめちゃんとギクシャクしたままって言うのか!?)

 絶対にイヤだ!

「はじ……」
「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
もう、耐えられない!!!」

 突如はじめが吠えた。勿論亮はびっくりして目を丸めて言葉を引っ込めた。
  はじめはぐるんと振り向いてつかつかと亮の元に戻ってきた。訳が解らず目を白黒させている亮の前に立つや……。
「ごめんなさい!」
  と物凄い勢いで頭を下げた。
「……え?」
「だから、ごめんなさい! 怒ってないとか言いながら目一杯怒ってました!」
 そう告白されても訳が解らない事に代わりはない。とりあえず亮ははじめの肩に手を置いて身を起こさせた。
  深々と頭を下げていたせいか、胸の内を明かしたせいかはじめの顔は真っ赤になっている。
「……はじめちゃんを怒らせたのはオレでしょ? オレが悪いのにどうしてはじめちゃんが謝るのさ?」
  まだ俯き加減のはじめを見ながら亮が尋ねればはじめはうっと詰まってしっかりと俯いてしまった。だがそのままぼつぼつとしゃべり出す。
「え、江藤さんに対して怒ってたんじゃないわよ。あ、あたしはあたしに怒ってたんだから……」
「? はじめちゃん……に? どういう事? それ」
「……」
 問われてもはじめは俯いたままだ。だが亮も急かすような事はせずただじっと待っている。時間にして一分程であろうか? はじめは意を決して話し始めた。
「……嫉妬してたの」
 思いがけないキーワードに亮の心臓が跳ね上がったが口から漏れた声は「……え?」と言う間の抜けたものだった。亮はぽかんとはじめを見下ろした。髪の隙間から覗く耳やうなじは真っ赤になっている。
「だから! 嫉妬してたのよ! あたし!」
 亮の両腕をガッシと掴んではじめは言った。
「だ、誰に?」
「そんなの! 瑞希さんに決まってるでしょ!? 他に誰が居るって言うのよ!」
「瑞希に? はじめちゃんが? なんで? どうして?」
 至極真っ当な問い掛けにはじめはうっと詰まった。でも言い出したからには全てを言い尽くさなければならない。何度か口をもごもごさせた後はじめはぎりぎり聞こえるくらいの小声で呟いた。
「あ、あたしには言えないけど瑞希さんには言えるって言ったじゃない」
(あ……)
「分かってるわよ! 瑞希さんに比べたってしょうがないって事くらい! 瑞希さんはあたしとは比べものにならないくらい長い時間を過ごしてきたコンビよ。そんな瑞希さんに対抗したってしょうがないって事くらい分かってる。分かってるわよ。でも悔しいのよ!」
 高ぶった感情故かはじめの身体が小刻み震えている。亮は酷く混乱して突っ立ったままだった。
「あたしたち付き合ってるんでしょ? 一応、こ、恋人同士なんでしょ? だったらちょっとくらい、悩みを打ち明けてくれても良いじゃない! ……って思ってたのよ」
「え?」
「でも、それはあたしの我が儘だから、どうしようもない事を言われたって江藤さんが困るだけだし、でも、それでもなんか我慢して黙ってるのはやっぱり悔しいし……」
「は、はじめちゃん?」
「だから、納得出来ない自分に腹立ててたのよ」
 そう言い切ってはじめはぷいっと横を向いてしまった。 だがその後は全く喋ろうともせず、まるで亮の断罪を待っているかのようだった。
 だがいつまで経っても亮からは何の反応もない。焦れたはじめはそぉっと亮を見た。
  そこに在るのは酷く呆けた顔で──。
「え。江藤さん?」
「……ぶっ」
「ぶ?」
「ぎゃはははははははっ! ひゃーひゃっひゃっひゃっひゃっ!!」
 突然腹を抱えて笑い出した亮に今度ははじめがポカンとした。
「な、な、な、何で笑ってるのよ! 何が面白いって言うのよ!!」
「だっ、だって、これが笑わずには……。ぐひゃひゃひゃひゃ……」
 亮ははじめにしがみついて尚も馬鹿笑いを続ける。
「な、何なのよ……もう」
「だって、だって、まるで一緒なんだもん。お、オレと、はじめちゃん」
  涙を拭いながらはじめ言葉に応えた。
「はぁ?」
  漸く笑いを収めた亮は机に腰掛けそのまま深くはじめを抱きしめた。
「どうしようもない相手に嫉妬して、悩みを打ち明けて貰えない事に傷ついて、我が儘言ったら相手が困るからって飲み込んで、何も言えない自分にムカついて……。ね? 全く一緒じゃん」
「……え?」
  はじめは訳が解らなくなって首を捻って亮を見るが深く抱きしめられている為表情は窺い知れない。
「江藤さんが……嫉……妬? ……って……誰に?」
「一志に」
  あれだけわだかまっていた言葉がするりと口から零れた。
「か、ずし君?」
「うん。はじめちゃんの悩みを聞いて、はじめちゃんのお弁当食べる一志に嫉妬した」
 鳩が豆鉄砲を食ったような顔とは今のはじめを言うのかも知れない。
「ね、ねえ、ちょっと」
 言ってはじめは亮の腕を解いて顔を見つめた。
 いつも通りの子供のような笑顔。だが痙攣を起こす程笑ったせいか全体的に赤い。
「じゃ、じゃあ、さっき様子が変だったの、し、嫉妬してたからなの?」
「……? 変だった? オレ」
「変よ!」
 キッパリ言い切られて亮は考え込む。確かに釘を刺す為に緊張していたのは事実だ。
「なんか妙に強引で何考えてるのかと思ったわよ」
 強引だったのは少しでも早くはじめを一志から引き離したかったからだ。
「うん……オレ凄い嫉妬してた。……ごめんね。怒ってる?」
  あんまり素直に言うものだからはじめの頬が朱に染まる。
「怒ってなんかないわよ」
「ほんとに?」
「ホントよ」
「良かったぁ」
 花の綻ぶような、心から安心した笑顔を浮かべて亮は再びはじめを抱きしめた。はじめも亮をそっと抱きしめる。
「はじめちゃん」
「なに?」
「お願いしたい事があるんだけど……いい?」
「なによ」
 亮ははじめの耳元に唇を寄せた。
「もっともっとワガママ言って」
「へ?」
「オレが困っちゃうくらいのワガママでも良いから言って」
「え、江藤さん?」
「お願い。……ダメ?」
 言って亮ははじめの顔を覗き込んだ。鼻血を吹く寸前かと思う程はじめの顔は真っ赤になっていた。
「お願い、はじめちゃん。言って」
 だめ押しのつもりか髪やこめかみや頬に口付ける。
「〜〜〜〜〜〜〜じゃ、じゃあ、言うわよ! 良いのね!? 本当にっ」
「うん。オレはじめちゃんのワガママだったら何だって叶えられる気がするもん」
「〜〜〜〜〜〜だ、だったら言うわよ。……江藤さんもあたしにワガママ言って頂戴」
「……え?」
「だから! 江藤さんもワガママ言えっていったのよ!」
 それは亮にとって予想外のワガママだった。それ故に酷くポカンと間抜けな顔をしてしまう。
「オレが、はじめちゃんに、ワガママ言うの?」
「そうよ、それがあたしのワガママよ!」
 文句あるのかと言わんばかりの目つきではじめは亮を見据えた。そして亮はまた例のバカ笑いを始めた。
「は、はじめちゃんってやっぱりサイコー!」
 一頻り笑い終えた亮は涙を流したままはじめを見る。
「で、でも、良いの? はじめちゃんそんな事言って。オレ、凄いワガママ言っちゃうかもしれないよ?」
 そんな亮の言葉にはじめはフンと鼻を鳴らす。
「聞くだけはタダだもん」
 そのあまりにもはじめらしい答に亮はぶっと吹き出した。
「それもそうかぁ」
「大体全部が叶えられる訳ないじゃない」
「……」
「良い? ワガママって言うのはね相手を困らせる為に言うんじゃないの! 自分を分かって貰う為に言うのよ!」
「……!」
 亮の目がまん丸になった。それ程はじめの言葉は思いがけないものだった。
「自分を……?」
「そうよ。今そう思ったの。ワガママって良くないイメージあるけど、要は自分がどう思ってるか、何を願ってるかを伝える事な訳でしょ? 言った結果、叶えられなかったり相手が困ったりとかはあくまで別問題よ」
「……」
「あたしこれからは江藤さんにワガママ言うわ。あたしを知って貰う為に。……だから、江藤さんもワガママ言ってよ」
 だが亮ははじめの言葉に応えない。まだ何か思い悩む事があるらしい。はじめはそれを根気よくまった。
 そして漸く決心が付いたのか酷く怯えた表情で問う。
「はじめちゃんは……オレがワガママ言っても嫌いにならない?」
 今度ははじめの目がまん丸になった。そして逆に問う。
「……江藤さんはあたしがワガママ言ったら嫌いになるの?」
「ならないよ」
 キッパリとした答にはじめは破顔した。
「だったらあたしも嫌いになんかならない」
「本当?」
「本当よ。……ムカついてぶん殴るかも知れないけどね」
 澄まして答えるはじめに亮はまた笑った。あの日以来心から笑っていなかった。それを取り戻すかのように笑った。
「オレ、やっぱりはじめちゃんが大好きだ」
 しみじみと言う亮に「やっぱりって何なのよ」とツッこむはじめ。
「? なんだろね?」
「何よ、それ!」
「それよりはじめちゃん」
「何よ」
「お腹すいた」
「はぁっ!?  あ、あんたたった今お弁当食べた所じゃない!」
「うん、だけど目一杯笑ったらお腹すいた」
「そ、そんな事言われたってもう何も無いわよ」
「え〜〜〜〜。あ、じゃあさ、今日晩ご飯も作りに来てよ。 だったらオレ我慢する」
 名案とばかりに亮は目を輝かせた。
「……それってワガママ?」
「うん、そう、ワガママ」
  ニコニコ笑って亮は答え、はじめは盛大に溜息をつく。
「しょうがないから行ってあげるわよ」
「ありがとう、はじめちゃん。やっぱり大好き」
「だから何なのよやっぱりって!」
 また会議室が笑いで包まれる。
 亮が笑い、はじめも笑う。

 いつでも笑顔ではいられないけど、それは哀しい事なのかもしれないけど、この笑顔を求める気持ちがあればきっとどんな困難でも乗り越えて行けるはず。

 漠然と、でもそう思い合った二人はまた一歩前進した──かもしれない。

おわり
終わりました〜〜〜〜。

プラスαで「はじめちゃんと江藤さんの仲が進展する」

はクリア出来てるのでしょうか? うーむ甚だ不安ですね。如何でしょう? 
判断は皆様に委ねます。

最後までお読み頂きまして心から感謝申し上げます。

最後にこのお話をぺこ様に捧げます。