「残念だわ。同じ部屋じゃないなんて」
心底残念そうにリリーが言った。振り分けられた部屋は残念ながら別々だったのだ。そしてリリーは自分のベッドを確認した後、すぐさまブリジットの部屋に遊びに来たというわけだ。
部屋の作りは全く同じ、円筒形の部屋に五つの天蓋付きのベッドが等間隔におかれている。周囲をみれば同室の少女達は息を潜めるように天蓋中の自分のテリトリーに引きこもっていた。
ブリジットは荷物を解きながら「そうね」と同意した。無表情ではあるがブリジット自身もそう思っていたので異論が在ろう筈もない。だがリリーにはやはり物足りないようだった。
「……ねえ、ブリジット。もう少し表情を豊かにする努力をしない? あなたが思ったままを口にする人なんだって言うのは何となく分かってきたけどやっぱり表情も合わせた方が良いと思うの」
「……善処するわ」
「ありがとう! それと、もう一つ!」
「……何かしら」
「私に好意を持ってくれてるんならちゃんと名前で呼んで頂戴!」
ビシッと人差し指を立ててリリーはブリジットに詰め寄った。
「だって、不公平じゃない。私だけブリジットの事を親しみを込めて名前で呼んでるのなんて。切ない片思いだわ」
「……片……思い?」
「そうよ!」
意外な言葉にブリジットは驚いて聞き返し、リリーは大きく頷いた。しばしじっとリリーを見つめていたブリジットはベッドに腰掛け、少し神妙なリリーと向き合った。
「どうして?」
「え?」
「どうして私に好意を持ってくれたの? あなたは一度私から離れていったのに」
「……」
静かな調子で問われてリリーは答えられず俯いてしまった。と言うのもリリーが組み分けの後、ブリジットの前の席に着いたのは周囲への反発心に因るものだったからだ。
誰もがブリジットを避けて通る。それを目の当たりにし、そんな周囲と同じになりたくないという気持ちが強かったからだ。そして、純粋にブリジットが可哀想だと思ったことも理由の一つである。その後ブリジットから「親しくない」と言われ猛烈に悲しくなって、初めてブリジットのことが好きだったんだと実感した訳だが……。
しかし、好意は良いとしよう。問題はそれに至るまでのきっかけ……。「反発心」や「同情」である。それらを理由に挙げて果たしてブリジットは不愉快に思わないだろうか?
実はブリジットに対して結構及び腰だったりするのだ。リリーは。
「リリー?」
黙り込んでしまったリリーを訝しく思ったのかブリジットは身を屈めて顔を覗き込んだ。そしてリリーはと言うと初めて名前を呼んで貰えたのが思った以上に嬉しくてまた顔が緩んでいた……。
「リ、リリー?」
「ブリジット、聞いてくれる?」
名前を呼んで貰えた事に力を得たリリーはキッと表情改め、居住まいを正してありのままを伝えることにした。本当にありのままを。そして飾らず端折らず話し終えた時、果たしてブリジットは微笑んで頷き、こう答えたのだ。
「きっかけは何で有れ、今あなたが私に好意を持ってくれたことが嬉しい。……それに、私は同情されるのも哀れまれるのも嫌いじゃないわ。だってそれってその人が優しい人なんだって証拠なんですもの」
「凄い考え方するのね。私は……同情されるのも哀れまれるのも嫌だわ。もしかしたら相手がただ優越感を感じたいだけかもしれないじゃい。それに可哀想なんて言われたら『ああ、私ってやっぱり可哀想なんだわ』って余計に落ち込んじゃう」
リリーの話にブリジットは苦笑を返した。
「そう言う時『私って人から可哀想に見えるのね』って思うのはどうかしら。そう思って違和感を感じたなら自分が可哀想なんだとは思ってないから大丈夫。落ち込む必要なんか無いわ。違和感を感じなかったなら自分でもそう認めているんだし、相手の思惑がどうであれ相手が優しく接してくれているのだからそのまま好意を受けていればいいのよ」
「……」
「大事なのは自分がどう思ってるかでしょう? それに主観と客観のギャップを楽しめるわよ」
言ってブリジットは大人びた笑みをリリーに向けた。
「……ブリジット、あなた何歳なの?」
「11歳よ」
「嘘だわ」
「……」
「どうして私と同い年なのにそんな大人みたいな考え方が出来るのよ!」
鼻息も荒く捲し立てるリリーはずいっと顔を近づけブリジットの目を覗き込んだ。
「それは私の周囲に大人しか居なかったからだと思うわ」
「大人しか?」
「ええ、だから同じ年頃の友達……いいえ、友達自体あなたが初めてだわ」
「初めての……友達? 私があなたの?」
「ええ」
生真面目に頷くブリジット。そして嬉しくて顔が綻んでしまうリリーは頬を赤く染めながら、
「嬉しい! すっごく嬉しい!」
と何度も繰り返した。その様子が余りに愛らしかったので自然ブリジットの表情も優しいものになっていた。その表情に更に勢いを得たリリーが身を乗り出して口を開いた時、ブリジットはリリーに掌を向けた
「? ブリジット?」
「話が尽きないのは私もだけれど今日はもうお開きにしない?」
「え?」
「それにずっと話し声がしてるの他の人たちがよく眠れないと思うの」
きょとんとした顔でリリーはブリジットと見つめ、そして部屋を見回した。すると先程まで息を潜めていたどのベッドからも静かな寝息が聞こえてくる。
「……そうね。何も今日全てを話しきらなきゃならい訳もないんだし。また明日からの楽しみにとっておくことにするわ」
リリーはスルリとベッドから下りたった。
「ええ」
「じゃあ、帰るわ。……これから7年間、よろしくね」
リリーが右手を差し出すとブリジットも力強く握り返した。
「こちらこそ……!」
「お休みなさい、ブリジット。明日向かえに来るわね」
「ええ、分かったわ。お休みなさい、リリー」
戸口でヒラヒラと手を振ってリリーはパタンと小さな音を立てて扉を閉じた。
「……」
じっと扉を見つめていたブリジットは「ふぅ────」と大きなため息をついてベッドに倒れ込んだ。仰向けに寝ころべば全身から力が抜けて宙に浮いているような錯覚を起こした。
大夫と疲れているらしい。
初めての友達との会話。何もかもが初めで尽くしだった所為か尽く調子を崩されてばかりで疲労の度合いも大きいようだった。だが非常に心地よい疲れでもあった。
ブリジットはもう一度起き上がってビロードのカーテンを下ろし、ネグリジェに着替えた。脱いだ服を纏めてサイドテーブルに置いてもう一度横になる。
もう一度起き上がるのはムリだろうとブリジットは目を閉じてそう思った。
ほんの僅かな時間で意識が空気に融けていくのが分かる。
ふわふわとした感覚を楽しみながらブリジットは明日の朝を待ち遠しく思った。朝が待ち遠しいなど思った事は今まで一度もない。友達がいるだけでこうも人の気持ちは変わるものなのだろうか? 快闊に笑うリリーの笑顔を思い浮かべながらブリジットは穏やかな笑顔のまま眠りに落ちた。
同じ頃、同じようにリリーもブリジットの笑顔と明日の話題を選別しながら眠りに落ちた。 明日の朝、そんな二人を一騒動が待ちかまえていることなどまだ誰も知らない……。
そして翌朝────。
リリーが支度を終え、ブリジットの部屋を訪れた時、ブリジットはポツンとベッドに腰掛けて本を読んでいた。
「おはよう、ブリジット。ねぇ他の子達はもう行ってしまったの?」
「おはよう、リリー。起きた時にはもう居なかったわ」
挨拶した後、ブリジットはパタンと本を閉じ、肩を竦めてそう答えた。やはり一夜くらいでは鉄壁の無表情に変化はないようだった。
「まあ、あからさまにやな感じね」
「しょうがないわ。それよりも食事に行きましょう」
憤慨したリリーに苦笑しながらもブリジットはベッドから下りたって扉に向かった。勿論リリーに異論が有るはずもなく二人並んで螺旋階段を下りてゆく。
「おはよう!」
談話室に着くやにこやかにジェームズが二人の前に立ちはだかった。
「……」
「……」
明らかにうんざりしているリリーとブリジット。だがここで無視していこうものならどこまでも付きまとってくるに違いない。
「おはよう」
「おはよう、ミスター ポッター」
「爽やかな朝だね!」
「あなたに会うまではね」
「あははは、相変わらず手厳しいな」
リリーの言葉を意に介せずジェームズは二人の手を取ってお構いなしにソファの方に引っ張っていく。
「ちょっと! 一体何なのよ!」
「友達を紹介しようと思ってね」
「友達?」
「そう、僕と同室の友達達さ」
にこやかなジェームズとは裏腹にリリーとブリジットは困惑した様子だった。
「シリウス、連れてきたよ」
ジェームズが声を掛ければ見知らぬ少年達と喋っていたシリウスがこちらを向いた。見知らぬ少年達はリリーとブリジットを見るなりさっと顔を強ばらせている。
「待ちくたびれたよ。ったく女ってのは本当に支度に時間かかるよなぁ」
「誰が待っててくれ何て言ったのよ。勝手に待ってた分際で文句言わないで頂戴」
ジェームズの手を振り払ってリリーは腰に手を当ててそっぽを向いた。
「可愛くないの」
「なんですって!?」
「何だよ!」
「まあまあ、朝からケンカは止めようよ二人とも」
目くじらを立て合う二人の間に割って入ったのは勿論ジェームズだった。シリウスはそっぽを向いてソファに座り直し、リリーはブリジットの傍に戻って同じくそっぽを向いた。
シリウスとリリーが睨み合っている間、ブリジットはまるで置物のように微動だにせず立ち尽くしていた。見知らぬ少年達は二人とも居心地悪そうにソファに座って俯いている。
「リーマス、ピーター。立って!」
ジェームズに促されて少年達は怖ず怖ずと立ち上がった。一人の少年は病的なまでに青白い顔色をしており、もう一人の少年は小柄で鼻が尖ったいた。二人ともブリジットと視線が合うや慌てて俯いてしまった。
「……」
「紹介するよ、彼がリーマス・ルーピン」
青白い顔色をした少年が消え入りそうな小さな声で「よろしく……、リーマス・J・ルーピンです」と呟いた。
「で、こっちの彼がピーター・ペティグリュー」
小柄な少年はガクガク震えながらブリジットに向かって最敬礼をし、声をひっくり返らせながら「よ、よろしっくお願ぃします!!」と言った。
二人の余りの様子にリリーは呆れたように肩を落とした。ブリジットは青白い顔色をした少年に思うところがあるのか少し目を眇めて見ていた。
「紹介はいらないかも知れないけど一応、こちらブリジット・アンブローズ」
ジェームズの言葉にブリジットはとりあえず「よろしく」と言って手を出した。勿論握手のために。しかしリーマスもピーターも飛び上がらんばかりに驚いて自分の手とブリジットの手を何度も交互に見るばかり。ブリジットがため息を吐いて手を引っ込める寸前、リリーに激しく睨まれて、漸く怖ず怖ずと右手を差し出した次第だ。
「こちらがリリー・エバンズ」
「よろしく」
リリーも右手を差し出した。二人の少年はやはりドギマギしていたが幾分スムーズに握手することが出来た。
「ミスター ポッター」
「ジェームズでいいよ」
「ミスター ポッター。どうして彼らを私たちに紹介したの?」
「……。まあいいや。昨日の夜はこの4人で話し込んでたんだ。君たちの話とかもしてたんだよ。 そしたら二人とも君たちに興味が有るようだったから……」
「「ジェ、ジェームズ!」」
「そうなの」
大慌ての二人に視線を向ければ二人とも俯くだけだった。
「そうは見えないわね」
リリーが憤慨してそう言うとブリジットの手を取って扉に向かう。
「おい、エバンズ!」
「爽やかな朝が台無しだわ! あなた達もう二度と話し掛けないで頂戴! 不愉快だわ!」
振り向きざまにそう言い捨てるとリリーはブリジットを引っ張って談話室を出て行ったのだった。
「リーマス、ピーター……」
「だ、だって」
おどろおどろしいジェームズの声にピーターはそう言うのが精一杯だった。リーマスは申し訳なさそうに俯いている。
「大丈夫だって! 彼女怒らせたからって退学になんかならないよ」
「わわ、分からないよ! だだだだって、だってあのアンブローズだよ!?」
「ホグワーツに居る限りあいつもただの生徒だってば」
「だったら卒業してからがコワイじゃないか!」
「落ち着けよ。大体怒らせて退学になってるんだったら今頃僕とジェームズは家に強制送還されているさ」
シリウスが面倒くさそうにそう言った。もの凄く説得力のある言葉にピーターもリーマスも「そう言えば……そうだね」と頷いた。
「エバンズと仲良くするって事はスリザリン生みたいに純血主義って訳でもないんだろうね」
「スリザリンの奴らを相手にするよりきっとマシなんだと思うよ」
リーマスの言葉をシリウスが継いだ。リーマスとピーターがお互いの顔を見て僅かに頷き合った。
「アンブローズは基本的に他人に興味ないし、普通にしてたら逆鱗に触れることもないさ」
「それに沸点はエバンズの方が低そうだしね」
「言えてる!」
ジェームズの言葉にシリウスは手を叩いて同意し、リーマスもピーターも笑った。
「さあ、そろそろ行こうぜ。腹が空いて鳴りそうだよ」
シリウスはお腹を押さえながら立ち上がった。周りを見れば彼らの他にはもう誰も残っていなかったのだ。
「急ごう、食いっぱぐれるよ」
「うん」
ジェームズが先頭に立って歩き出し、続いてピーターとリーマスが、最後にシリウスが欠伸を噛み殺しながら談話室を出て行った。
大広間に至る迷路のような道順をジェームズは迷うことなく歩いていく。
「ジェームズ、ちゃんと覚えてるんだ」
ピーターが辺りをキョロキョロ見回しながら感心したように言った。
「なんだい、君は覚えてないのかい?」
「え……う、うん。リーマスは?」
「僕は何となく覚えてる……かな?」
「シリウスは?」
「僕が覚えてない訳ないだろ」
「ご、ごめん」
慌てて謝るピーターにシリウスは「謝る必要はないだろ?」と素っ気なく答えた。
やがて4人は大広間に到着した。グリフィンドールのテーブルを見ればお馴染みの少女が一人ポツンと座って食事している。
「あれ? アンブローズってばまた一人だよ?」
「どれどれ?」
ジェームズの背後から首を伸ばしてシリウスが見れば確かにブリジットが一人で食事を取っている。そしてまるでバリアを張っているかのように彼女の周囲に人は居なかった。
「本当だ。ま、席が空いてて何よりだな」
「え!? もしかしてアンブローズの近くに座るの!?」
ピーターが愕然と目を見開いた。
「何かマズい事でもあるのかい?」
逆に問われてピーターは俯いてしまった。そんな二人を尻目にジェームズはさっさとブリジットの向かい側の席に腰を下ろしていた。
「またケンカしたのかい?」
「……いいえ」
スクランブルエッグを飲み込んだ後、ブリジットは首を振った。
「じゃあエバンズはどうしたんだい?」
シリウスはブリジットの右隣に腰を下ろした。
「今マクゴナガル教授の所に居るみたいね」
ブリジットは少し首を伸ばして教授達が座っている大広間奥のテーブルの見やった。ジェームズもシリウスも彼らの隣に座ったリーマスやピーターも倣って奥を見やる。リリーは見知らぬ少女と二人でマクゴナガルに何か話し掛けているようだった。
「何か有ったのかい?」
「さあ。彼女……ミス オーディッツに何か耳打ちされてそのままマクゴナガル教授の所に行ってしまったから分からないわ」
「オーディッツ? グリフィンドール生?」
「ミス ポーリーン・オーディッツ。私の同室で隣のベッドよ」
「へぇ」
ジェームズはよそ見しながらも溢すことなく朝食を平らげていく。シリウスも時折思い出したようにリリーを見ていた。リーマスとピーターは至極静かに食事を続けている。
リリーが戻ってきたのはそれからしばらくしてからの事だった。とても興奮しているが満面に笑みを浮かべている。
「やったわ! ブリジット! ……ってどうしてあなた達がここにいるのよ!」
席に着くまでジェームズ達が目に入っていなかったのか気付いた途端にリリーは顔を顰め、4人を睨め付けた。
「4人纏めて座れる席はここしかなかったんでね。他意はないよ」
いけしゃあしゃあと言ってのけるジェームズにリリーは不快感も露わに舌を出した。それからフンと鼻を鳴らした後、ゴブレットに満たされていたかぼちゃジュースを一息で飲み干し「はぁ〜〜〜〜〜」っと大きく息をついた。
「ああ、美味しい!」
「……それで何が『やった』なの?」
食事の手を止めてブリジットはリリーを見ていた。一瞬きょとんとしたリリーだが我に返るとグルンと身体を捻ってブリジットに向き合った。
「そうだわ! 聞いて頂戴、ブリジット! 私たち、同室になれたのよ!」
喜色満面のリリーに対し、ブリジットは不思議そうに眉根を寄せた。
「何が……どうしてそう言う話になったの?」
「ん? ああ、ポーリーンがさっき持ち掛けてきたのよ。部屋を変わらないかって」
ブリジットはチラリとポーリーンに目を向けた。こちらの様子をこっそり窺っていたのだろうか? バチッと目が合った瞬間、ポーリーンは真っ青になって視線をそらした。
「……ミス オーディッツが?」
リリーが頷くとジェームズとシリウスは「なるほどね〜」と意味ありげにブリジットを見た。
「まあ彼女のどういう目的で言ってるかは良いとして渡りに船じゃない? 二つ返事でOKしたのよ。それで許可をもらいにマクゴナガル教授に掛け合ってたの」
「……あのマクゴナガルがよく許可したもんだね」
「と言うより、よく真面目に掛け合ったもんだ」
ジェームズとシリウスが呆れ顔でそう言った。リリーはフンと小さく鼻を鳴らすと「案ずるより産むが易しよ」と言った。
「お願いすれば許可して貰えるかもしれないけど、お願いしなければ百年経っても許可は貰えないでしょ」
「確かに」
「勿論、今回だけ特別に……って念を押されたけどね。でも、これでずっと一緒に居られるわ!」「そうね」
「「「「……」」」」
嬉しくて溜まらないと言う様子のリリーとこれっぽちも表情の変わらないブリジット、そして彼女たちの間には実は大きくて深くて流れの速い川があるのではないかと心配しているジェームズ達。
「アンブローズ、君は本当に嬉しいのかい?」
ジェームズの問い掛けにブリジットは無言で頷いた。リリーはジェームズに対して勝ち誇ったようにフフンと笑って見せた。
「良いこと? ポッター。ブリジットはね私以上に何でも思ったことをそのまま言うのよ。それこそ相手の気持ちなんかお構いなしに嫌なら嫌ってはっきりきっぱりくっきり言ってくれるわ」
「……君が自慢する意味が分からないよ」
くつくつ笑うシリウスをリリーは「うるさいわね」と睨み付けた。だがすぐ気を取り直すと食事を続けながら視線をブリジットに投げかけた。
「リリー?」
「ねえブリジット、明日の朝は私にヘアメイクさせてね!」
「「「「「…………………………え?」」」」」
「私決めたの。何が何でもあなたをキュートな女の子にしてみせるって」
妙に気合いの入った表情でリリーは小さな拳を握りしめた。この唐突且つ素っ頓狂なリリーの宣誓にブリジットは勿論ジェームズ達も何とも言えぬ複雑な表情をしている。しかしリリーはそんな事は気にもせず夢見がちに頬を染めながらあれこれと彼女なりのプランニングを進めるのだった。
「それにはまずやっぱり髪型よね。そのきっちりと一分の隙もない髪型! あり得ないわ! ポニーテールとかツインテールとかカールとか色々あるじゃない! なんなのよその引っ詰め髪! 味気ないったらこの上ないじゃない」
余りの言い様にジェームズ達は呆然としてブリジットを見た。ブリジットの髪型は襟足で一本の三つ編みに編まれている。そしてその三つ編みは相当に長いらしく、ヘアバンドのようにくるりと頭を巻いてもまだ余りがあるので襟足の辺りで丸く留められていた。
後れ毛の一本も見当たらない、当に一部の隙もない髪型だった。
「でも……ポニーテールはともかくツインテールは止した方が良いと思うな……」
想像して余りの似合わなさに痛ましさを覚えたシリウスがそう言った。
「僕も、カールは良いとしてもツインテールはね……」
ジェームズも重々しく頷いた。リーマスもピーターも何も言わないが微妙な表情でブリジットを見ているのだから同意見なのだろう。そしてリリーは勿論憤慨して反論した。
「どうしてよ。絶対に可愛いわよ。ブリジットがきちんと目を見開いてくれればね」
「「「「「……」」」」」
「改善点は山ほど有るわ。まず髪型でね。それから表情だわ。いきなりフランクになれって言ってもムリだからまずその鬱陶しい半眼を強制しなくちゃね。光に弱いのはしょうがないけど校内は帽子を被るんだし大丈夫よね? それからそれから……後はやっぱりコミュニケーションよね。相手の表情から心情を読み取るのはやっぱり必要なことだと思うのよ。だからもう少し言葉以外に頼ってみたらどうかしら? それに人の表情を観察することによって自分の表情に活かせられたら一石二鳥じゃない! ブリジット、これよ、これだわ。あなたがまず最初にするべき事は人の表情を読み取る事よ。あなたがそれに励んでる間、私が髪型を考えてあげるわ!」
二息で言い切ってリリーは同意を求めるようにブリジットを見た。しかし最早何を言って良いのか分からないジェームズ達……。だがしかし、ブリジットは思うところが有るのか自分の髪に手を当てながら「そんなにこの髪型は味気ないかしら?」と、微妙にずれた問いを発した。
「まるで厳格な修道院にいるシスターの様だわ」
「そう……5秒で出来るから気に入ってたんだけれど」
「「「「「5秒!?」」」」」
何の気ないブリジットの言葉に過剰反応を示す5人。しかしどうみても5秒で出来る髪型には見えないのだからしょうがないだろう。
「どうやったらその頭が5秒で完成するんだよ。といて三つに分けるだけでも1分は掛かりそうじゃないか」
「嘘をついて何の意味があるというの?」
「嘘じゃないならこの目で見せてくれよ。本当に5秒で出来るんなら今ここでやっても大丈夫だろう?」
結局はシリウスの興味本位なのだろう。浮薄な表情と声音がそれを如実に語っている。そしてブリジットにもそれが分かった。しかし拒否したところで昨日のようにしつこく絡まれるのだとしたら、業腹だが要求を呑んでやった方が時間と気力と体力の消費を押さえられる。そう思ったブリジットは小さくため息を吐いた後、髪を留めていた象牙の簪を引き抜いた。
途端、縛めから解かれたブリジットの髪はまるで流れ落ちる水の如くサラサラと解けて落ちた。見た目にもきつく結われていたと言うのにその髪には全く癖が付いていない。それどころか定規で引いた線のように真っ直ぐだった。薄い卵色の髪は天井から降り注ぐ朝の陽光を浴びてプラチナブロンドへと変化していた。その全く癖のない輝く髪は肩や背中に滑り落ちると幾重にも天使の輪を作り上げている。
「「「「「……」」」」」
5人は息を呑んでいた。今まで見たこともない美しい髪にただ目を見張るだけだった。
ブリジットはサラサラすぎて何度掻き上げても顔を覆い隠してしまう髪を鬱陶しげに鷲掴み、呆然としたままのシリウスを見た。
「よく見てなさい」
言うなり髪全てを纏めて掴んだかと思うと徐に取り出した杖で4回叩いた。
すると髪は一瞬根本から毛先に向かって細かく波打った。かと思うと、見る見る間に三つ編みが編まれ。そのまま頭を巻いてゆく。そして瞬く間に襟足で纏まり、髪は動きを止めた。
ブリジットは手にした象牙の簪を無作為に刺すと「出来たわよ」と言ってシリウスを見た。この間、約5秒。確かにブリジットの言ったとおりの時間だった。
「満足?」
「………………」
「ミスター ブラック?」
「ブリジット!」
「え!?」
ブリジットはリリーの叫び声に驚いて振り返った。見ればリリーは両手を堅く組み、目を潤ませ、感動を押さえきれないと言う表情でブリジットを見つめていた。
「リ、リリー?」
「なんて……なんて綺麗な髪なの!!?」
「え?」
「私、あなたの髪ほど綺麗な髪は見たこと無いわ!」
「……あ、ありがとう」
ぐいぐいと身を乗り出してくるリリーから僅かに身を引きながらブリジットは絞り出すように礼を言った。
「ねえ、髪に触っても良い?」
否とは言わせぬ雰囲気で尋ねるリリーにブリジットは小さく頷いた。許可を得たリリーは小躍りしそうな表情で、でもそろそろと手を伸ばしてブリジットの髪に触れた。
「……………………」
「リリー?」
「堅い」
リリーはぼそりと呟くと物凄くつまらないと言う表情で今度は遠慮無くぺたぺたと触りだした。
「……結構きつく巻いてるからそれは仕方ないと思うわ」
段々と力が籠もってくるリリーの手を避けながらブリジットがそう言った。
「やっぱり髪型を変えましょうよ。さっきはまるで神話に出てくる女神か妖精かって感じだったのにこれじゃやっぱり勿体ないわ」
一体何が勿体ないのだろう? リリーの価値観が分からないブリジットは小首を傾げた。見れば僅かにリリーの顔色が曇っている。
「リリー?」
「本当に勿体ないわ。こんなに綺麗な髪なんだもの。もっともっとみんなに披露すべきよ」
複雑な表情でリリーはブリジットの髪を凝視している。
「もし私の髪があなたみたいだったら括るなんてしないわ」
少しばかり様子のおかしいリリーに5人の視線が集中する。
「………………エバンズ。君は……その……自分の髪が嫌いなのかい?」
「赤毛なんて最低じゃない」
怖ず怖ずとしたジェームズの問い掛けにリリーは憎々しげに答えた。
「まるでにんじんだわ。こんな髪大っ嫌いよ」
リリーはそう吐き捨てて唇を噛み締めた。
リリーの髪はとても深い赤であった。もしかしたら今まで髪のことでからかわれてきたのかも知れない。近代とは言え、赤毛をコンプレックスとする人はやはり少なくないのだから。
「……私はあなたの髪の色が大好きだわ。それに……」
言ってブリジットはリリーの髪を一房指に絡めてみた。指に巻き付けてみれば確かな弾力でもって元通りにもどる健康的な髪。勿論堅い訳でもない。魔法を使わねばリボンどころか髪留めさえもすり抜けて落ちてしまう自分の髪に比べればなんとハリのある理想的な髪なのだろうか。
「質感も手触りも私の理想の髪だわ」
抑揚のない声だがはっきりとした意志が伝わってくる言葉だった。
「……ブリジット」
リリーは自信なさげに眉を寄せて居る。
「さっきも言ったけど本当に素敵な色だと私は思うわ」
「……そうかしら」
「ええ、深みが有って気品のある赤だわ。それでいて暖かみもあって…… 」
ブリジットの言葉にリリーの頬がうっすら紅色に染まった。
「何よりもあなたの肌と瞳にこれ以上はないくらい映えているわ」
「そ、そう?」
照れまくっているリリーにブリジットは生真面目に頷いて見せる。
「「「「………………」」」」
なんだかむやみやたらと良い雰囲気を振りまく二人を居心地悪そうに見守るジェームズ達……。
「雪のような白い肌、暖炉の火のような暖かみのある赤い髪、木々を思わせる緑の瞳……」
周囲を完全に蚊帳の外に押しやってブリジットはまだ幼さの残る指先でリリーの頬と髪と瞼ににそっと触れ、僅かに微笑んだ。
「私、好きだわ」
「……ブリジット」
「
クリスマスカラーみたいで」
「「「「「………………………………………………………………………………は?」」」」」
「ブリジット、い、今なんて……」
「クリスマスカラーみたいで好きよって言ったの」
「クリスマス」
「カラー」
「クリスマス……」
「「「「カラー」」」」
バチ────ン!!!
小気味良い音が大広間に響き渡った。
ジェームズもシリウスもリーマスもピーターも、いや、大広間に居た人間が全て水を打ったように静まった。
「
人を……、人を馬鹿にするのも大概にしなさいよ!」
思い切りよくブリジットの頬をぶっ叩いたリリーの身体は怒りで小刻みに震え、目には涙を浮かべ、唇は戦慄いていた。一方ぶっ叩かれたブリジットは頬を押さえてこれ以上はないくらいに目を見開いている。
「リ……リリー……?」
「あんたなんか大っ嫌いよ! もう顔も見たくないわ!」
そう吐き捨ててリリーは大広間を飛び出していった。数多の視線がリリーを追った後、当然のように呆然としているブリジットに集中した。
「……ア、アンブローズ。だ、大丈夫……かい?」
シリウスが怖ず怖ずとブリジットの目の前でヒラヒラと手を翳した。
「私………………」
「え?」
「私……何か拙いことを言ったの?」
未だ頬を押さえたままリリー出て行った大広間の扉を見つめてブリジットが誰にともなく問い掛けた。
全く分かっていないブリジットにシリウスは、いや、周囲の人間は「だめだこりゃ」とため息を吐いたのだった……。
つづく