『正邪』の剣
第五章 昔語
『ほほう…これはまた素晴らしい出来上がりですね』
『やはり元がよろしくていらっしゃるから』
『女やゆうのが勿体ないわぁ。男はんやったらさぞっかしもてはるやろうに』
『そんなの関係無いってのが出て来るかもしれないぞ。なにしろこれ程の美しさだからな』
  などと十賢者は勝手を言ってる。しかし要の意識は十賢者よりもこの子犬らしきものに集中していた。逆さまにしてみたり、腹を調べたりとあまり意味の無い事をしている。そんな要に紫銀の瞳の青年が声を掛ける。
『守護神獣ですよ。ラーズラーシャ様が貴女や神力の守護の為に創られたものです』
「えっ?」
  話し掛けられてやっと賢者達の存在に気が付いた要は──聞いても分からないが──聞き直した。
『ああ、言語が違ったのでしたね。すみません、侍女頭の方にお願いされたのを忘れてました。今からこの世界の言語知識を貴女に写します』
「え? あ、あの何を言ってるのか…」
  青年は要が言い終わらないうちに要の両手をつかんで目を閉じ、小さな声で呪文を唱える。要は先程の激痛を思い出し、また何かが起こるのでは、と身を堅くした。が、杞憂だった。青年の掌から体温と共に、何かが体内に入って来るのが分かる。不快なものではない。どんどん入って来るのに圧迫感は無い。何かの流入が止まった時、心の中で弾けたものがあった。
  知識である。
「もう、大丈夫ですよ。言葉、分かりますね?」
「…はい。でも、どうして…さっきまで全っ然分からなかったのに」
  かなり混乱してる要を十賢者は面白そうに見ていた。するとダリルは意を決したようにウォーレンの方を向いて、怖ず怖ずという体で尋ねる。
「あの、大賢者様。イディア様はこちらの言葉をご理解なさっていらっしゃるのですか?」
「ええ、もう分かってらっしゃいますよ」
「そうですか…。では、イディア様。はっきりおっしゃって下さいませ。今のお召し物はお気に召しませんでしたか?」
  少しばかり顔を青ざめさせて要に聞いて来る。
「いえ、そんな事ないですよ。恰好いいし、とりあえず似合ってるから気にいってます。……ところで、イディア様って私の事ですか? 私の名前は、ミズキカナメって言うんですけど…。それとあなた達の名前が分からなかったんで…もう一度教えて下さい。あなた達のお名前も」
(相当、気にしてたんだなぁ)
  そんな風に思い遣りながらも答え、それとさっきから皆が言う「イディア」と言う者と十二人の名前について聞いてみた。
「まあ、分かりましたわ、イディア様。わたくしの名はダリルと申します。貴女様付きの侍女でございますから、何なりとお申し付け下さいませ」
  ダリルがほっとしたように再度挨拶し、続いてザーナが挨拶する。
「わたくしはザーナと申します。貴女様付きの侍女に選ばれて光栄です」
  次にがっしりした体格の男が歩み出て、灰銀爪を見せながら、
「始めまして、イディア様。私の名はセリオスと言います。微弱ながらも貴女のお役に立てるよう努力します」
にこにこと要に握手した。すると皆が彼を皮切りに挨拶をしていった。赤銀爪と赤銅色の肌を持つカリュノア。緑銀眼と左目の下に泣きぼくろのあるカート=ザ=ルーン。同じく緑銀眼とやや浅黒いパルトバール。関西弁をしゃべる茶銀髪のアルマリア。青銀爪を持ちよく似通っているトトラト=バリアナ=ゼルデガルドとルミーダ=レシアナ=ゼルデガルド。儚げな雰囲気を纏う橙銀髪のジュニマイラ。そして先刻、ウォレーンとメディオルの話し合いに参加して居た青銀眼のラキス=シェルオリ=ゼルデガルド。で、最後に紫銀眼のウォレーンが歩み出る。
「私の名前はウォーレンといいます。一応この世界に存在する魔法使いを統べる地位にいます」
「魔法使いぃ?」 
  要の思いっきり疑念の込もった言い様にもウォーレンはにっこりと微笑み返す。
「そうです。ここは魔法によって形成される世界なのです。貴女がいらっしゃった世界がどうかは知りませんが、この世界は魔法によって支えられているのです。そしてこの世界は貴女の生まれ故郷です」
「! た…確かに私は捨て子ですが…、でも急にそんな事言われても。それに魔法って」
  突然、出生の秘密めいた事を言われてしまって要はかなり戸惑っていた。合わせて魔法などという突飛な言葉にもだ。
「もしかして、いきなり言葉が分かるようになったのもやっぱり……魔法、なんですか?」
  まだ、釈然としないながらも聞いてみる。だが神秘的な見地からでしか先程の出来事は説明も理解も出来ない。
「そうです。それと貴女の事をイディア様とお呼びするのは貴女がイディア様という人物の生まれ変わりだからです」
「……生まれ変わり、ね。前に前世占いをしたら、戦国時代の足軽だったんだけど…」
  神秘的なものに多少の興味を持つ要だが、いざ自分に降り懸かるとなると話は別だった。
「まあ、いきなりの事ですからそう言われるのも無理もありません。ですが貴女はイディア様なのです。我々は貴女にこの世界を救って戴きたいのです。その為には貴女がイディア様である事を理解し、納得してもらわねばなりません。今から説明します。長くなるかも知れませんが心して聞いて下さい」
  言って彼は要を椅子に座らせる。十賢者はどこからともなく椅子を出し、各々座ってウォーレンの話を聞いた。
  ウォーレンは遠い昔を思い出すように目を閉じ、静かに語り出す。女神の降臨と世界の創造。ゼルデガルドの黄金時代。『正邪』による黄金時代の終焉を。話が半分まで来るとウォーレンは息を付き、ザーナが入れてくれた香茶を飲んで喉を潤す。
「それは神話と言う物じゃないんですか?」
  途切れに乗じて要は意見を述べた。自分とのつながりが今一つかめなかったが、要は真面目に聞いていた。
「私達にそんな丁寧な言葉を使う必要はありませんよ。貴女は私達が足元にも及ばない方なのですから。それに、この話は確かに神話ですが、実話でもあります。話はまだ続きますよ」
  ウォーレンの申し出に一応体育会系を自認する要は丁重に断った。が、そこは余り人の好意に遠慮しない要の事。二度目の申し出に、
「そうですか。じゃあ、そうさせてもらいます。そこまで実話だと断言できるって理由をしっかりと聞かせてもらおう」
挑戦的な笑みを浮かべて深く椅子に腰掛けた。
「勿論ですとも。では続きを話しますよ」
  そして話は創魔神の誕生から、神剣と英雄神の創造。女神の永眠。クライマックスの『正邪』大戦。英雄神の勝利によるゼルデガルド正王国の建国と魔法使いの育成。神力の封印へとなだれ込んだ。
「国が国としての機能を果たし、魔法使い達が生き物を救う術となった時、二人は二銀一混色の魔法使いを賢者として王と共に人々を導くよう言い残して旅立ちました。これが約一万五千程前の事です」
「話の流れは分かったけど、事実かどうかは今一信憑性が無いんじゃないかな? 一万五千年も前の事だとさ。それとその二銀一混色ってなんの事?」
  要はダリルに香茶のお代わりを頼み、ザーナが持って来た焼き菓子をぱくついて尋ねた。
「この世の魔法使いは髪、瞳、爪の三ヶ所のいずれかに銀色が宿ります。例えば私なら、髪と爪が銀で瞳が銀交じりです。この型をとりあえず二銀一混色と言っています。魔法使いは銀が多ければ多い程、又、他の色が交じっていなければいない程魔力が強くなり寿命も長くなります。ちなみに二銀一混色の寿命は約二千年です」
「二千年! じゃ、じゃあ、あんた達今何歳なんだよ」
「私なら今年で千六百六歳になります。セリオスは千四百二十一歳。カリュノアは千三百八十一歳。カートは千二百五十八歳。アルマリアは千九歳。トトラトとルミーダは双子で九百七十二歳。ジュニマイラは七百十八歳。パルトバールは六百四十五歳。ラキスは三百四十一歳です。イディア様とラシャ様は三ヶ所とも交じりっけなしの銀色でこの型を三銀色と呼び、三銀色の存在は二人が旅立ってから確認されていません。ですから三銀色の寿命も分かりません。それから黄金時代の話は神であった二神によって文書化されておりますし、二人の事は初代の大賢者によって伝えられています。大賢者は私で二十一代目そうするとそれ程昔の事では無いでしょう」
「二人は元々人間だったって事は?」
  いまいち納得出来ずウォーレンに疑問をぶつけてみる。
「それはありません。二神が神力を封印した場所は実際に残っている訳ですし、神力を守る為の守護霊獣や守護神獣が今も存在していますしね」
  新しく出て来た単語に子犬らしきものが反応し、キャンキャンと吠る。
「その守護なんたらって何?」
「初代の昔語りには守護霊獣は神力を封印している神殿を守護する為に、守護神獣は神力とイディア様、つまり貴女を守護する為にラーズラーシャ様が創ったと記されています」
「イディアを?」
  ウォーレンは頷いて要の手を甘噛みしている子犬らしきものを指さし、
「貴女が今抱いていらっしゃるのが守護神獣ですよ。昔語りに拠ると今はまだ幼獣の様ですが成獣になるとかなり大きくなるのだそうです。実物を見たのは初めてですがね」
のんびりとした調子で語った。要は自分が抱いている子犬らしきものが、そんな大層なものなのかと驚きの眼差しで自分の腹に顔を擦り寄せている守護神獣を見た。不意に何かに気付いたらしくウォーレンに聞く。
「そういや、まだ私がイディアって奴の生まれ変わりだって理由を聞いて無い。それとイディアの生まれ変わりが私だとしたら、ラシャって奴の生まれ変わりは誰なんだ」
  一番重要な問題を思い出し、又、素朴な疑問を聞いてみる。
「何故三銀色が…貴女がイディア様の生まれ変わりかと言うとですね、イディア様とラシャ様の残された魔導書に記されているんです。魔力とは基本的に魂に宿る力なのだそうです。実際、魔法使いの人口には上限が存在します。ちなみに二銀一混色は最高で十二人です。やはり三銀色はイディア様とラシャ様以外はこの一万五千年の間存在せず、そして現在存在する三銀色は二人。つまり三銀色の上限人数は二人という事ですよ」
  要はウォーレンの説明に感じた疑問を口にする。
「三銀色の寿命が分からないんなら今でも二人が生きてるって事ぁないのかな? それに…、さっき三銀色の存在を感じ取れるっていったよな。それなら死んだのだって感じ取れるんじゃねーの?」
「三銀色の寿命が不明なのは、御二方が旅に出た時に気配を完全にお消しのなったからです。又、御二方が生きて居るとしたらこういう状況に陥る前に世は直されているでしょう」
  理路整然とした返答に要は困ってしまう。
(まずい。このまんまだと私がイディアって奴の生まれ変わりだと押し切られちまう)
「それとラシャ様の生まれ変わりの事ですが、実は彼の事で貴女を召還したのです」
  ウォーレンがラシャの話をし始めた時、要はひとまず自分自身の事は置いておき、思考を切り替えた。
「彼って事は一応男なんだな? それに召還ってどういう事だよ」
  それまで穏やかだった表情が急に曇りだした青年を不思議に思いながら聞く。他の賢者達も真剣な表情で二人の会話を聞いている。
「……とりあえず、召還の事をお話しましょうか。先程も言いました通り、貴女は元々この世界の人間なのです。生まれたばかりの貴女は魔物達に力を封じられ、異世界に転送されました。我々が貴女の波動を感じ、駆け付けた時には結界が張られていて、中に入る事は出来なかったのですが、その時に村は潰滅され、結界が消えた後には貴女も魔物も消えていました。………本当言うと我々は貴女を呼び戻すつもりはなかったのです。貴女の力を必要とする程世界は乱れていなかったからです。しかし、ラシャ様が…。ラシャ様は貴女と同じ年の暮れに生まれ変わっています。それを嗅ぎ付けた魔物達は世界を手に入れんが為にラシャ様を攫って教育を施し、魔物を統べる魔王に仕立てあげたのです。そのせいも有り、世界は乱れています。我々賢者が束になっても三銀色には敵いません。それ故貴女を召還したのです。まあ、我々も成功するとは思っていなかったんですよ。何と言っても成就率が一分も無いんです。それでもしないよりましって言う事でやったんですけどね。いや、本当に五七回目で成功するとは…」
「ちょっと待て、それじゃあ何か? 今まで放っといたくせに世界が危ないから呼び戻したってのか? それってかなり調子良すぎんじゃねーの? 冗談じゃねーよ。人を何だと思ってやがんだよっ! えっ!? この世界が滅ぼうが私の知った事じゃないね。…元の世界に戻せよ」 
  青年の勝手な言い分に激怒した要は、ダンッと拳をテーブルに叩き付けて怒鳴りつけた。テーブルがビキッと軋む。あまりの迫力にダリルとザーナが肩を震わせておろおろと見ている。青年は困ったような顔をして要を落ち着かせる。要も脅えている二人の様子に気付いて居住まいを正す。
「落ち着いて下さい。我々が貴女を呼び戻さなかったのは召還が成功しなかった事もありますが、現在の貴女にも新しい家族や家庭があるかもしれないと思ったからです。実際、貴女の事を占ったりしているとあまり、と言うより殆ど悪い結果は出ませんでした。だからです。決して我々の打算からだけではありません」 
  紫銀の瞳に嘘の濁りは無かった。青年の真意をはかるように凝視していた要は、
「悪かった。頭に血が上っちゃて…。本当にゴメン」
素直に己の非を認め頭を下げて誤った。賢者達もほっとした様子で胸を撫で下ろしていた。
「いいえ、こちらこそ言葉が足りませんでしたね。すみません」
「でもっ、私がこの世界を救うってのは…。そりゃ、私が人の役に立つんなら協力したいよ。でも、もし私が帰れなくなったり、死んだりしたら……。誰もじーちゃんとばーちゃんの世話をする人間がいないんだ。今まで実の孫同様に育ててくれたのに…。悪いけど向こうの世界に返してくれないか」
  要はダリルとザーナのすがるような視線を避けて申し訳なさそうにそう言った。その時ダリルが要の元に駆け寄り跪いて懇願する。
「お願いでございます、イディア様。どうか、どうかこの世界をお救い下さい。どうか魔王の手に脅かされ、絶望しているわたくし達をお救い下さい!」
  ダリルに続いてザーナも跪き涙を浮かべて哀願する。
「イディア様、身勝手な事をと、お怒りになるのもご最もです。ですが貴女様意外この世界をお救いになれる方はいらっしゃらないのです。お願いです、どうかこの世界を、美しいゼルデガルドを…」
  ザーナもダリルも泣き出してしまって後はもう何もしゃべれなかった。要はというと心底困り果てていた。
  基本的に人から頼まれるとイヤと言えない性格と、自分よりも小さく弱いと主観的に判断した存在にはべらぼうに弱いという性格とが自分の決心をグラグラとグラつかせるからだ。
「ちょ、ちょっと泣くのだけは止めてよ。あ──もうっ、泣かれると弱いんだよ私は。ねっ頼むからねっねっ?」
  慌てて自分も跪いて必死で二人を宥める様子に、賢者達は思わず失笑を漏らす。要はそんな賢者達に憎々しげな視線を投じる。
(笑って見てねーで助けろよ、コノヤロー)
  口程に物を言う要の視線を受け、ウォーレンはみかねて一つ提案をした。
「まあまあ、貴女達も落ち着いてください。イディア様も困り果てているじゃないですか。どうです、イディア様。少しお一人でお考えのなってみては。我々は向こうに行ってますから」
  ウォーレンの提案に賛成した要は、
「そうさせてもらうよ、悪いけどしばらく一人にしてくれ」
言って深く腰掛け、二人の視線を避けるように目をつぶった。
  賢者達が嗚咽の止まらない二人を立ち上がらせてドアの向こうへと消え、ドアが閉じられると要はグシャグシャと髪を掻き乱して、
「どうすりゃいいんだよっ」
天に向かって叫んだのだった。
つづく