銀色の美女(美男?)が悲しげに涙を流している。
(どうか泣かないで。あなたの泣き顔を見ていると私まで辛くなってしまう。ほら笑って、あなたにそんな顔は似合わない)
何故か要は彼に(彼女に?)笑ってもらう為に奔走する。その甲斐あってか、悲しげな泣き顔が晴れやかな笑顔に変わる。その笑顔は要に至福を齎すものであった。心が騒ぐ。負の感情ではなく、懐かしさや、愛しさや、大切にしたいという暖かい感情だ。
不意に銀色の美女(美男?)が黒銀色の少年に変化する。微笑みは消え、憎しみを孕んだ瞳になる。
(何故だっ!? ──、お前はいつも私の側にいたのに! どうしてそんな目で私を見るんだ!)
知らない筈の少年の名前を呼んで問い掛ける。
胸が苦しい。
少年が歩み寄る。何故か要は後ずさる。形の良い黒銀の爪が目に見えて長く伸びる。少年は振り降ろさんが為にそれを高く持ち上げた。
(どうしてなんだ!? ああ、胸が苦しい。わからない。苦しい!)
美しい、でも残酷な笑みを浮かべ少年は要の首をめがけて振り降ろした。
「うわっ!」
ガバッと要は跳ね起きた。拍子に白くて丸いモノがベッドから床に転げ落ちる。
『キャンッ!』
(『キャン』? なんだよ、これ)
要はまだ動悸の治まらない胸を撫でながら転げ落ちたモノを拾いあげる。
(……子犬?)
真珠色の体長二十センチにも満たない手の平サイズの子犬。多分これが胸の上で寝て居たのだろう。
「おいっ、お前のせいで変な夢見ちゃったじゃねーか。こらっ」
要はピンッと指で子犬のおでこを弾いた。子犬はキャンと鳴いたが、青玉のような瞳を輝かせ己を抱き上げた手をペロペロとなめる。その時、要は自分の爪が銀色である事に気が付いた。
(夢じゃ…なかったんだ…)
そう思い、要は改めて周囲を見回した。要の部屋なら五つは軽く入りそうな、広い広い豪奢な部屋の、これまた大きく豪奢な天蓋付きのベッドに寝かされていた。背面の―べッドの両脇は天井まで続く窓になっていて日の光が燦々と降り注ぎ部屋の中を明るく照らしいる。要は白を基調にさっぱりした品の良い壁や調度に、
(高そうな部屋だなぁ。一晩いくらだろ?)
と、極めて庶民的な感慨をもって眺めていた。じゃれている子犬を抱き上げてベッドを出ると、要は自分が着ている服が制服でなく、白くてとても肌触りの良いパジャマ(の様な物)であると気が付いた。
コンコン
誰かがノックした。
「はい?」
『失礼致します』
断って三十歳位の恰幅の良い女性と、要と同じ年頃の二人の少女が部屋に入り、スカートを軽く持って挨拶をした。要も慌ててお辞儀する。そんな要に驚きながらも恰幅の良い女性は、
『お初におめもじ致しますわ、イディア様。わたくしは侍女頭のマニス=ラーナと申します。この者達は貴女様にお仕え致しますダリルとザーナでございます』
にこやかに紹介した。紹介された二人が一人づつ歩み出て挨拶する。
『わたくしがダリルでございます。何なりとお申し付け下さいませ』
ふんわり薄茶色の髪を淡い薔薇色のリボンで結い上げている少女が軽く膝を折った。続いて焦げ茶色の髪を編み混み、薄い水色のリボンでまとめている少女が挨拶をする。
『わたくしがザーナでございます。イディア様付きの侍女になる事が出来てとっても光栄です』
二人は緊張のせいかうっすら頬を赤らめていた。どうやら三人共要が全く言葉が分からないという事を知らないようだ。
要にしても自己紹介である事は分かったが、肝腎の三人の名前が分からない。故に要は聞き返す事にした。
「すみません、何を言ってらっしゃるのか分からないんですけど…」
三人は聞いた事もない言語に心底驚いたようだ。
『んまあ……。やはりわたくしどもとは違うお言葉をお話しになられるんだわ。変わった文字のあるお召し物でいらしたもの。……そうだわ、賢者様方ならお分かりになるかもしれないわ。二人ともイディア様のお支度を…。ではイディア様、失礼致しますわ』
言うなりマニスは要に礼をして部屋を出て行った。
『ではイディア様。お召し替え致します』
ダリルは慌ただしく出ていったマニスを呆然と見送くる要に言って、隣接した衣装部屋の中から光沢のある柔らかそうな下着とシャツを持って来た。要は、
(着替えろ、って言ってんだろうな)
思い躊躇いながらも服を受け取った。
その間ザーナは白い厚手の素地に金糸銀糸で刺しゅうの施された豪華な長衣をもって来た。丈が長く要の足首まであるだろう。また、同じ素地の、同じ刺しゅうの施されたズボンも持って来る。
(ドエラく派手な服だな……。まるで宝塚じゃんよ。ま、スカートでないだけマシか…)
と言うのが要の感想であった。あまり服装に興味を示さない要らしいと言えばそれまでであるが…。それでも要はパジャマを脱いで下着を着る。シャツを着てズボンをはく。あまり形式が変わらないので手伝ってもらう必要はなかった。
第一、要と二人の身長差は二十センチ近くもあり、手伝ってもらう方が気疲れが起こりそうだった。故に少し手持ち無沙汰そうな二人だったが、要がズボンにくっついたベルトを蝶結びをした時は違うと言う風に首を振った。ザーナが直してくれたのを見ると、どうやら結ぶのではなく、ぐるぐる巻いて最後には中にしまい込むようだ。
ズボンが済むとザーナが靴を持って来た。服と同色のブーツで、踝が五センチ程あった。ダリルは椅子をもって来て要を座らせると、ズボンが皺にならないように気を付けながらブーツを履かせた。ザーナが上着を要の肩の高さまで持ち上げて、後ろから羽織らせてくれる。臍のあたりまであるホックを合わせ、ダリルが取り出した幅一五センチくらいの白銀の長い布をベルトとして腰に巻き付け、今度は九十センチ程残してしまい込む。そして裾に金糸で刺しゅうされた純白のマントを羽織らせ、仕上げに銀で作られた竜がバカでかい青玉をくるんでいると言う、これまた高そうなピンで止める。
ようやく着替えの完了した要は、次に椅子に座らされた。
(次は何なんだ?)
とややげんなりした様子で要は探った。ブラシやら何やらを持ってくるところを見ると、髪を整えるらしい。ザーナは良い匂いのする香油を手に取り、髪に撫で付ける。そして目の粗いブラシでざっくりと後頭部に向かって櫛削る。
そしてそして、全ての支度が整った、絶世の美少年にしか見えない要を、恍惚としか言えない表情で二人は見ていた。それ程までに白を基調にしたこの服裝は要の銀の髪や瞳に映えていたのだ。
二人はほくほく顔で要を姿見の前まで連れて行き感想を待つ。要の感想はというと、
(……まるで宝塚ってゆーより、まんまだよなぁ。しかし男にしか見えないってのはどーゆー事だ?)
という複雑な思いと表情だった。そんな要の態度に二人の顔が強張る。
『どうしましょうっ。お気に召さなかったんだわ』
『ああ、侍女頭様に叱られてしまうわ』
泣き出しそうな二人の様子に気がついて要は慌てて笑顔を作った。
「あ…えっと、すごく派手…じゃなくてかっこいい服だね。とってもよく似合ってると思うよ、うんっ」
必死に身振り手振りを合わせて、通じない言葉で誉めまくる。
二人はまだ強張りながらも、そんな要の必死な様子に笑顔を作る。
(困ったな、泣かせるつもりはなかったんだけど…)
すると、それまでおとなしく要の着替えを待っていた子犬が要の足にじゃれ寄る。愛らしい子犬の存在に二人の顔がほころんだ。
(助かった……かな?)
要は子犬を抱き上げ、背を撫でた。嬉しそうに子犬は目を細める。
『イディア様。もうすぐ賢者様方がいらっしゃいますので、どうぞ執務室の方へ…』
「え? そっちに行けばいいの?」
部屋に在る二つの二枚扉の内──衣装部屋の扉は一枚扉なのだ──三人が入って来た方の扉を開けて待つ二人に従って要は隣の部屋に移動し、唐突に立ち止まった。そこは先の部屋よりも更に広く、豪奢な部屋だった。三方の殆ど総ては本棚で埋め尽くされ、唯一本棚の無い窓際には畳二畳分は有りそうな巨大な執務机と座り心地の良すぎるような椅子が有り、もう一方の扉の近くの本棚の脇には円卓と三脚の椅子が置かれていた。
自室とのギャップにポッカーンと大口を開け、立ち尽くす要を執務椅子に座らせると、ダリルは香茶を注いだカップを恭しく机に置く。同じく要も恐縮しまくって椅子の中に畏まっていた。が、手の方は落ち尽きなく子犬の頭を撫でいた。
「アレッ?」
不意にその手が止まった。指の腹に異物を感じたのだ。子犬の額にコブがある。さっき落ちた時に出来たのかもしれない。心配になって毛を掻き分けて診てみるとコブではなくもっと硬質なモノだった。ちょうど角のようなモノだ。
要は目を凝らして調べて見るとやはり角だった。ツンと尖ったものでなく、捩れた角だ。
「お前、犬じゃないのか?」
答えるとは思ってないが聞いてみる。すると子犬(のようなもの)はまるで言葉が分かるかのように頷いた。
「えっ?」
コンコン
誰かがノックした。
『どなたです』
ダリルが誰何する。
『十賢者です。イディア様がお目を覚まされたとお聞きして参りました』
ウォーレンの応えが返るとダリルとザーナは落ち着いた動作で扉を開けた。
『失礼致しますね』
言って十賢者が姿を現した。
つづく