『正邪』の剣
第七章 謁見
 場所は変わってここは王城の謁見の間である。
 ディルアラーンに向かった筈の要達が何故ここにいるのかというと、現ゼルデガルド正王国国王ザドゥフォーがどうしても要に会いたい! とマニスに申し付けたからである。
 そして要の国王、ザドゥフォーに対する第一印象は、
(ライオンみいたいな人だな。…かなり苦労してそうだ。お気の毒に…)
だった。
 ザドゥフォーは今年五十四歳と老王と呼ぶには少し失礼に当たるのだが、今は要の印象通り灰色の瞳は精彩を欠いており、目の回りにはくまが出来ていた。心なしか三割程白くなっている波打つ長い焦げ茶色の髪や髭もくすんでいる。何の憂いも無い時であれば、素晴らしく威厳に満ちた王であろう事は想像に難くなく、また早めの楽隠居を楽しんでいてもおかしくはないだろう。そんなザドゥフォーは要が入って来るや否や、玉座から走り寄り、手を取って要を歓待した。
イディア様、よくおいで下さいました。余…いやいや私が三百三十九代目ゼルデガルド正王国国王ザドゥフォー、太古に貴女様に選ばれた者の子孫です」
 言うなり要の手に口付け、臣下の礼を取った。
「うっ」
 驚きの声を発して固まってしまった要にザドゥフォーは怪訝そうに問い掛ける。
「どうかなさいましたか?」
「す、すみませんっ。こ、こ、こうゆう挨拶の仕方をされたの初めてなもんで…、つい固まっちゃって。それに一国の王様ともあろう方が…」
 要は指先まで真っ赤になってどもりながら答えたのに対して、ザドゥフォーは心底意外そうに要を見詰めて言った。
「何をおっしゃいますか。私がこのような晴れがましい地位にありますのも、総てはイディア様のお陰。それに貴女様は救国の英雄でいらっしゃるのですから」
 ザドゥフォーは心底意外そうに要を見詰めて言った。
「『救国の英雄』って…、まだ勝つと決まった訳じゃ…」
「はっはっは、英雄殿はご謙遜が上手であらせられるようだ。尤も、大口たたいて魔王に負けたのでは立つ瀬は無いでしょうに」
 要の話を遮って柱の陰から男が現れた。年の頃は二十八、九。短い赤茶の髪を後ろに撫で付け、緑の瞳を不気味にぎらつかせた無礼な男の出現にさっと緊張が走る。十賢者の中には顔も見たくないのか「けっ」と顔を背けた者までいる。
「バディガル! イディア様に対して何という無礼をっ…。ああ、イディア様、どうか息子の無礼をお許し下さいっ」
 ザドゥフォーは血相を変え、跪かんばかりに要に謝罪した。当のバディガルは、そんなザドゥフォーを諌める。
「父上、ゼルデガルド正王国の王ともあろう方がお情け無い。いくら前世が神だったとはいえ、相手は男か女かも分からないガキではありませんかっ」
 不謹慎にもバディガルの最後の言葉に吹き出した数人の賢者達は、要の鉄板をも貫きそうな視線をまともに受けて気まずそうに咳ばらいをした。
 バディガルはそんな周りを無視して更にいけしゃあしゃあと言い募る。
「大体、我々は選ばれた人間なのですぞ!! それなのに…」
 ザドゥフォーはバディガルの奢った態度にいよいよ顔を真っ赤にして詰め寄る。
「黙れっ! 愚か者めがっ、何という慢心だ。私の方が情けなくなるぞ…。第一王の選者はこのお方ではないかっ」
(王の選者は私じゃないだろ? 前世の事なんか持ち出さないでくれよ。しかし、まあ、このバディガルっての、この国の王子なんだろうけど血統主義の権化みたいな奴だな。あんまりって言うより、はっきり言ってお近付きになりたくないってゆうタイプだ。それにしても、男か女か分からないだとぉ? うるせーよ、ほっとけバーカ)
 要は二人の口論に口を挟まず、そのような事を考えていた。
「父上のおっしゃる救国の英雄とは私のこと。ですから、再三申し上げた通り私に御譲位を…」
「我々も再三申し上げているように、我々は貴方を次代の王とは認めておりませんよ」
 愚かしい話に業を煮やしたウォーレンがきっぱりと言い切った。バディガルはキッと振り返り、要を含めて十賢者に怒鳴りつける。
「黙れっ。お前達は大局というものが分からんのかっ。この美しきゼルデガルドを救うのはだなぁ、こんな小娘ではなくこの私、バディガルなのだっ!」
 そう言い切ったバディガルの瞳は恍惚に満ちていた。要はちょっとたじろぎつつも──彼の迫力に押された訳でなく、危ないヤツには近付きたくないという理由でだ──バディガルに聴きたい事を質問する。
「具体的に何をなさるんです? (クソ馬鹿)王子様。貴方が先程おっしゃった通り、大口をたたいて何もありませんじゃ立つ瀬が無いでしょう」
 先刻の『男か女か云々』の事を怒っているのか、かなり慇懃無礼な言葉だ。だがバディガルは寒気の走りそうな笑顔を向けると一言、
「秘密だ」
とのたもうた。
 たいして期待していなかったが、聴いていた全員ががっくりと方を落とす。すると双子の賢者が、
「はっ、偉そうな事言って、出て来た言葉が『秘密だ』かよ。笑わせてくれるぜ。このバカわよ」
「そーよねぇ、口先だけの見本じゃないかしら? こぉんなのと血縁関係にあるなんて情け無くって涙が出てくるわよ」
はっきりきっぱり言い切った。ルミーダは泣き真似までしている。
(親を前にして、よくここまで言えるもんだ)
 要は妙に感心していた。口には出さないが思っている事は皆同じである。言われた当人は額に青筋を浮かべて反論する。
「ふんっ、私が秘密だと言ったのは、お前ら如きに私の神計を理解出来んだろうと思ったからだ。馬鹿にするなっ!」
「そのとおりだ、二人とも」
 思ってもみないラキスの助け舟にそこに居た全員が目を丸める。
「馬鹿に対して馬鹿と言う程失礼なものはない。第一馬鹿の相手をしていると、こちらまで馬鹿になってしまうじゃないか」
 助け舟どころかこれ以上は無いという程のけなし方だった。バディガルはいよいよ真っ赤になって腰に提げていた剣に手を掛け、すらっと引き抜くと、ラキスに切り掛かった。ラキスも笑みを浮かべながら右手に気を集中させ、攻撃の為の光球を作り出す。
「やめいっ」
 それまで沈黙を守っていたザドゥフォーが鋭く言い放った。動悸が激しいのか心臓の当たりを左手で抑えている。二人はその声に動きを止めた。正に鶴の一声であった。
「イディア様の御前でなんという見苦しい真似をするのだ二人とも!」
 ザドゥフォーに続いてウォーレンが己の年若の仲間である三人を怒鳴りつけた。
「いいかげんにしねーか! テメーらそれが誉れ高き賢者の地位を戴く者の言動かっ! 海より深く反省しやがれっ!」
 何度も敬語は止めてくれと頼んでも止めなかったウォーレンが、大賢者としての威厳に満ちたウォーレンが、急に普通のヤンキー(死語)になってしまった。
 要にはウォーレンの豹変にただただ目を丸めるばかりで、怒鳴られた三人はというと、かなり釈然とはしていなかったが、ウォーレンの説教に頭を垂れていた。
「もうよいっ、バディガル。お前は下がれ」
 ザドゥフォーは玉座に座り直し、額を押さえてそう言った。
「父上! 私は…」
「下がれと言っておるのだっ。これは王の命令だっ!!」
 自分の弁護を図ろうとしたバディガルをザドゥフォーは一言の元に退けた。
「! …失礼致します」
 その口調には明らかに圧し殺した怒りが滲み出ていた。バディガルは父王に一礼をすると、くるりと踵を返し謁見の間を出て行った。その際バディガルは要や十賢者に呪いのこもった眼差しで睨みつけたのだった。
「ふーっ、…イディア様にはとんだところをお見せしてしまい申し訳無く、また恥ずかしく思っております。あれは凡庸ではありましたが、あのような暗愚なお子ではありませんでした。それが今度の戦乱で人が違ったようなり果てたのです」
 深い溜め息をついたザドゥフォーは、更に疲労の色が強くさせていた。
「すみませんでした、陛下。私の監督不行き届きです」
 ウォーレンが年若い賢者達の非礼を詫びた。元の穏やかな口調にすっかり戻っている。
「いいや、ウォーレン気にしてくれるな。大方はあやつが悪いのだからな。…イディア様、申し訳ありませぬが御前を失礼させて戴きます。少し疲れて参りましたので」
 そう言ったザドゥフォーの顔色は最悪だった。要は気の毒になって少しでも王の心労が取り除けるように努力しようと決心した。
「王様、絶対とは言えませんが、出来るだけ…いえ、なんとかこの世界に平和が取り戻せるように頑張ります。だから王様も頑張って下さい」
 自分より弱い存在以外には、滅多にも見せない優しさである。ザドゥフォーは喜びの涙を流し、再度要の手に口付けた。要は又も固まり掛けたが、にっこりと笑って言う。
「頑張りましょうね」
 ザドゥフォーも力強く頷き、侍従長に手を借りて自室に戻って行った。要はそれを見送り、晴れ晴れとした顔で十賢者に、
「じゃあ、行こうか」
言って、返事も聞かずに転移の間に向かって行った。
つづく