約三カ月ぶりに地球世界に帰還した要を待ち受けていたのは、親友・松浦清子の十連続往復ビンタと留年と言う衝撃の事実であった。
まず、往復ビンタ・松浦清子に関して説明すると、彼女は要が行方不明になった直後から生きる支えを失った要の祖父母の世話を要に代わってしていたのだそうだ。ちょうどその日も―巷では夏休みである―水城家で夕食の支度をしていたらしく、エプロン姿で玄関に出て来たのだ。清子は要を見るや、近所中に響き渡る叫び声をあげ、その大声を聞き付け、慌てて飛び出して来た米造と菅子は泣き出してしまった。
後日その事を米造に聞くと、
「年寄りは涙もろいのじゃ」
と照れ顔で言ったそうだ。
問題の行方不明の理由説明はこの三人だけに真実が告げられた。勿論、最初は一笑に付されたがそこは『百聞は一見に如かず』で、目の前で魔法の実演をして見せ、納得させたのであった。
だが学校にはそうも行かない。要の実の親の遺産相続争いに巻き込まれたや、電話も通っていない海外のド田舎で連絡のしようが無かった等と、要自身信用出来ない話を無理やり押し通した。当然学校側も信用していないらしく、事実を告白すれば一年生時の順位が一桁だったという好成績を憂慮して、留年は多めに見るとも申し出だったが、真実を語れる筈も無く、結局休学手続きを取り、来年から新たに二年生となる事になった。二カ月以上の無断欠席。並びに、中間・期末をすっ飛ばしているのだから、当然と言えば当然の処置であろう。故に今の要は日長一日キシェルとカーティの遊び相手やバイトの鬼と化していた。
キシェルと言えば、米造も菅子も大喜びで迎え入れてくれた。とりわけ、菅子は要が断固として拒絶したピンクや花柄やフリルを着せる事が出来、心底嬉しがっていた。
そしてカーティは水城家に住むにはこれしかない、と言う訳でなんと猫(アメリカン=ショートヘア)になっていた。最初は不満一杯だったが、今では撫でられれば喉を鳴らせる程に定着している。
時は平穏に過ぎていた。約束どおり、時にはゼルデガルドに清子や米造らを連れて遊びに行ったりもした。
しかし要の心には絶えず、しこりのような物がこびりついていた。あれから一度たりとも姿を見せないラシャの事である。呼んでも現れない。探しても見付からない。あんな事を言った手前、誰かに聞くのも気恥ずかしい。しかも、ラシャにくっついているのか風月も同様に姿を見せない。
そんなこんなで心に重石を乗せたまま、要はもう一度二年生になった。
精神的には前と全く変わっていなかったが、髪も伸び(伸ばしっぱなしなのだが)、肉体的に徐々に丸みを帯びてきた今日この頃。女子生徒だけからのラブレターで埋め尽くされていた下駄箱に、ちらほらと男子生徒からのそれも紛れ込むようになっていた。
そしてそんなある日の事。
「水城せんぱぁーい、お早ようございまぁーすっ!」×22
「…あのね君達、頼むからその『先輩』と敬語は止めてくれっていったでしょお?」
要ががっくりと机につっぷすと、クラスメートの女の子達は「え―っ?」と甘えたふりをする。
「だって、やっぱり水城先輩は水城先輩だよねぇ?」
一人の問い掛けに他の女の子達が、
「そうだよねぇ、先輩としか呼べないよねぇ」
声を揃えて頷く。後日談だが、結局要は卒業するまで『先輩』であり、敬語を使われるのである。
「そんな事より先輩っ。水城先輩っ、凄いんですよ聞いて下さいっ」
要の正面にいた少女が本題を思い出し、顔を上気させて机に詰め寄った。
「どうしたの都ちゃん、何が凄いの?」
諦めの境地で顔を上げて、要は都に話の続きを促した。
「転入生が来るんですよ、うちのクラスに」
「今頃? 珍しいね」
ちなみに今日は五月二日、明日からG・Wである。そう、あの日からちょうど一年だ。
「それがですね、先輩。なんとオーストリアからの転入生なんですよ! オーストリアから! あたし達より一つ年上らしいんですけど、日本になじんでないからって、二年生のクラスに転入する事になったらしいんです」
「ふーん、じゃあ私と同い年かぁ」
(お仲間だ)
ぼんやりとそんな事を思いながら女の子達の情報の早さにやや敬服していた。
「私達さっき校長室に入るところを見たんですけど、物凄くかっこいいんですよ。顔いいし、背高いし、足長いし、声もいいんです! もう百点満点、パーフェクトなんですよ」
彼女達の様子から判断するに、余程の美男子なのだろう。
「あたし達って本っ当にツイてるよねぇ」
「うんうん、すっごいラッキーだよねぇ。アノ担任を差し引いても最高だよね」
「水城先輩と同じクラスになれただけでも他のクラスから凄い顰蹙買ってるのに、これでもう憎悪の的じゃない?」
「あたし、この学校に来てよかったわ」
「あたしもぉ」×21
(んな大袈裟な)
完全に自分の世界にハマっている可愛らしいクラスメート達には悪いが、要にとってはどうでもいい事だった。
キーンコーンカーンコーンー
キーンコーンカーンコーンー
オーソドックスなチャイムが響き、間もなく担任の倉本が現れた。
「こらっお前達! べちゃくちゃしゃべってないで、席に着け!」
要の周りに群がっていた少女達が蜘蛛の子を散らすように自分の席に戻った。要は急激に人口密度の減った周囲にほっとしつつも、心に残るしこりを思って溜め息をつき、俯いて組んだ手に額を預けた。
教卓では肥満気味の倉本が汗を拭き拭き話しを進めている。
「えーっ、今日は時期外れだが、えーっ、転校生を紹介する。えーっ、皆仲良くするように。えーっ君、入って来なさい」
倉本が声を声を掛けると、噂の転校生が教室に足を踏み入れた。
キャ―ッ
オオ―ッ
女子の絶叫が教室を揺るがし、珍しく男子の感嘆が静かに響く。要は相変わらず俯いている。
「君? どうしたのかね」
倉本が訝しげに問い、ざわめきが辺りに広がった。
(? 何なんだ?)
要がちらりと目だけを動かすと視界に灰色のズボンに包まれた細い足が映った。足の方向からして要を見ているようだ。
「?」
怪訝に思って面をあげようとした時―。
『あの時は本当にすまなかったな』
聞き慣れた言葉が、懐かしく優しい声が不意に耳元で紡がれた。
「!」
ガターンッ
余りの勢いに耐え切れず、椅子が音を立てて転がった。視線が上に上がる。
『不意打ちは成功だっ』
おわり