陰陽師

安倍晴明
夢の中にて黒き天狐に逢うこと

草木も眠る丑三つ時。
昼間の喧騒は何処へやら、この屋敷にも闇夜の静寂が降りている。
主の寝所から聞こえる寝息は二つ。低く深い大人のものと、軽く細い子供のそれ。
陰陽師・安倍晴明と化生の仔・深雪である。
身体を丸め夜着の中にすっぽりと収まっている深雪を片手で覆うように眠る晴明。

晴明は、夢を見ていた。



目の前を幾つもの影が過ぎる。
長い胴体を大きく弾ませ、風を受ける毛並みは波打つ。
白。茶。黄土。様々な毛色の獣。

――――狐だ。

狐達が向かうその先を見やれば、中心には漆黒を纏った黒狐がいる。白く射抜くような月光を浴び、全身で艶を放っている。獣相手に妙な例えをするようではあるが、なんとも端正な顔立ちをしているようだ。
黒狐は真っ直ぐに晴明を見つめる。
遠いように思えていた距離は、気付けばほんの数歩分程に迫っている。

『あれは、あの下に捨てられていたのだよ』
不意に口を開いたのは黒狐だった。視線だけで促され、晴明は示された方を向く。
『どうだ、見事な桜であろう。・・・・どれほど四季が巡ろうと散ることがない』
「―――捨てられていた、とは」
『おぬしが己の屋敷で匿っている化生じゃ。“深雪”と名づけた仔のことじゃ』
「深雪があの桜の下に・・・・?」
諾、と言うように黒狐は緩く頷く。しなやかな動作で身を起こすと、桜の大木を見つめ目を細める。
『ヒトとは愚かなものよの・・・・狐を神として崇め、千載を生く我らに縋る』
「・・・・・・」
『あれはな、生贄であったのよ。神にも値する長寿を望んだ男がおってな、引き換えにと言うて生まれたばかりの赤子を供えてきよった』
嘲笑うかのように口の端を吊り上げ、黒狐は晴明を見上げた。
『まこと愚かなものじゃ。―――その男はな、力欲しさに実の娘を捨てたのだよ』
その言葉に晴明は僅かに顔を顰め、それを見た黒狐はさも楽しそうに声を漏らす。
底意地の悪い、神経を逆撫でするような笑い声。
にやつきながら自分を見つめてくる黒狐を一瞥し、晴明は桜の下へ立つ。
四方に枝を張り巡らせ神々しくも思えるほどに咲き乱れる桜の巨木。合間から差し込む月明かりで樹全体が淡い光を放っているように見える。
身をかがめ、晴明は桜の根元に手を置く。
指先から流れ込む『観』に全神経を傾ける。それはなんの抵抗もなく、いとも容易く入り込んできた。
(泣いている)
産み落とされたばかりの赤子だ。
母恋しさに声をあげ両の手を必死に突き出している。
その赤子のもとに一匹の狐がやって来る。
(――白狐か・・・)
その白狐は見る見るうちにヒトの形になっていく。ヒトの手でその赤子を拾い上げる。
真白い肌に白銀の髪を持つ女だった。
慈愛に満ちた優しい瞳で赤子を見つめ、そのまま何処かへ行ってしまう。

晴明に観ることが出来たのはそこまでだった。

『吾の妻が赤子を拾うた。吾等の間に生まれた児が死んで間もない頃だった。児のいない辛さに耐えかねヒトの児を育て始めたのよ――』
「あの白狐が貴方の妻ですか」
『そうだ。実の児同然に可愛がっておった。だが妻は病を持っておった。育てることが出来なくなった』
足音も無く晴明の傍らに歩み寄り、黒狐は頭上を振り仰ぐ。しな垂れんばかりの桜の枝に思いを馳せ、先ほどまで見せていた不愉快な笑みは形を顰めている。
『―――――余程気がかりだったのだろう。虫の息でありながら・・・それでも赤子の行く末を思い、「ならばせめて」と言うて・・・・・・』
言い終わるよりも早く、晴明の内には再び『観』が流れ込んでくる。伏せがちだった両目を薄く開き、また桜の根元に手の平を這わせた。
『見えるであろう』
「・・・・・・ええ」
『・・・・妻はな、“移し身”を使うたのよ。歳経た獣の持つことが出来る力というものがある。妻は己の持つ限りの力を赤子に移し替えたのだ』
「―――では深雪の髪の色は」
『移し身のなれの果てじゃ。肌の色もな』
黒々とした尾を翻らせ、黒狐は晴明に背を向ける。向かう先には最初に晴明が見た多くの狐達が集まっている。
何も言わずに眺める晴明の前に、その内の一匹が進み出る。
口には小さな包みをくわえていて、それを晴明の足元へ丁寧に落とした。
「・・・・・・・これは」
『それをアレに渡してやってくれ。何かの足しにはなるであろう』
「お待ちを、黒狐どの。――貴方は何ゆえ私の夢に・・・」
『――――』
静かに晴明を見つめ、やがてゆるりと宙を仰ぐ。空の彼方に視線を送り、ぽつりと呟く。
『じきに夜が明ける・・・・・どれ、そろそろ戻らねばな』
『そうですな』
『戻りましょうぞ』
『玄狐さま、戻りましょうぞ』
『さあ、さあ』
黒狐は主のような存在らしい。他の狐達も口々に言い、先頭に立った黒狐の後をついて行く。
地に立っている感覚が曖昧になる。晴明は夢から引き戻されるのを感じていた。
頭の芯が冴えていく。
その場から消えようとする己の重みを受け止めながら、晴明は黒狐の言葉を聞いた。



『そうは思えぬかもしれぬがな――吾はあの仔を愛しく思うておるよ。愛しき白狐の唯一の忘れ形見じゃ。吾等に混じって生きるよりおぬしらのもとで生きる方が良かろう。後生大事にしてやってくれ・・・・』

『たのむぞ』
『あれを守ってやっておくれ』
『我等の宝じゃ。奥方様の忘れ形見じゃ』
『たのむぞ、たのむぞ』



次第に遠のく狐達の声。さわさわと足早に去る彼等の気配を追いながら、晴明は目を覚ました。
しばしぼんやりと天井を見つめ、ようやく傍らの存在に意識が向く。
はて、今のはただの夢だったのであろうか。
そう思いながら身を起こし外を見やると、いつの間にか夜が明けていたらしい。
僅かに身を捩るが起きる気配のない深雪に夜着を被せ、晴明は部屋を後にする。
そして部屋の正面に当たる庭を見るなり、思わず目を見開いた。

白銀が敷き詰められた地面に無数の足跡が残っている。
犬のそれとよく似た形の、小さな足跡。

出所を辿ってみれば、それは門の外から続いている。

(・・・・・・ここまで来ていたのか・・・・・)
結界を張ってはあるが、それは化生などといった鬼にしか通用しないものだ。
人語を解すものであろうと、獣には意味のないもの。あの大量の狐達は屋敷の中にまでやってきて、晴明の意識に潜り込んできたらしい。

言葉を失う晴明は、しかし同時に感慨深い思いをしてしまう。

「余程の力を持つ狐だな。・・・・・・妖狐・・・いや、天狐か」
妻の忘れ形見が気にかかり、仲間を引き連れわざわざやってきたのだろう。
ヒトと狐という種族の差はあっても、子を思う親の気持ちは同じということだろうか。



「せいめい、せいめい。コレはなんだ?」
「―――それは・・・」
着替えも済まないうちからやって来た深雪は、晴明の目前に小さな包みを突きつけた。昨晩の夢の中で、晴明が狐から受け取った物である。
「どこにあったんだ?」
「せいめいの部屋。まくらもとにおきっぱなし」
「そうか・・・・・」
黙って手を差し出すと、深雪も黙ってそれを晴明の手に置く。
紋模様の上等な生地に包まれていた物。深雪は目を丸くしてまじまじと見つめる。
「ほう・・・・・なかなか見事な物だ」
銀の鈴があしらわれた装飾品。軽く揺らせば、それは控え目に涼やかな音を鳴らす。
丁度手首に巻きつけられる大きさだった。
「銀の鈴は魔を払うといわれるからな・・・・・」
深雪の手を取り、手首に巻く。興味津々といった顔で見つめる深雪に、晴明はゆっくりと言い聞かせるように話す。
「深雪。これはある御仁からお前への贈り物なのだ。大事にしろ。そうすれば、コレはお前を守ってくれる。絶対に失くしたりはするな」
「―――うん」
珍しく神妙な面持ちで深く頷く深雪に、晴明は心の内で微笑んだ。



「博雅。昨夜深雪の親父どのに会ったよ」
「・・・なに!?深雪の親父にか!!?」
火桶を囲みながら酒を飲み、ふと思い出したかのように晴明は博雅に言う。
「どうして深雪がここにいると分かるんだ!?俺が拾ってきたのに・・・」
「そうさなあ。やはりヒトではないからだろうな」
「・・・では、深雪の親父どのは何しに来たんだ?」
「――『これからも娘を宜しく頼む』、というようなことを言っておったな」
身を乗り出して聞いていた博雅は、晴明の言葉に安堵の息を吐いた。
「・・・・・そうか・・・連れ戻しに来たのではなかったのか。・・・良かった・・・・・・・」
「嬉しいか」
「ああ、嬉しいさ」
博雅は杯に注がれている酒を一気に飲み干し、何かを考えるように眉を寄せる。
楽しげにそれを見つめていた晴明に向き直り、真面目な顔で尋ねた。
「なあ、晴明」
「なんだ」
「深雪の親父どのは、一体どのようなモノだったんだ?」
子供と変わらない興味津々な瞳の博雅を見て、晴明は「似たもの親子だな」と思う。
「深雪の親父どのはな、神だ」
「か・・・・・神!!?」
「そう、農耕の神だ。とくに黒狐は水と土の気を兼ね備えているからな、
神通力を持つといわれる白狐よりも格上の御仁だよ。そのうえ火の気も強い」
「・・・・・神・・・」
「火と水を統べる玄狐どのだ。深雪の髪と肌の色は母親だった白狐の力を受け継いだ為だそうだ」
あんぐりと口を開いたまま絶句する博雅に気を止めることもなく、晴明は平然と酒を注いで飲み干す。
会話の途切れた二人のもとに、やがて鈴の音が木霊した。
「なんだ、どうしたんだ?ひろまさ、顔がヘンだぞ」
「・・・・・・・・・・・・」
「気にするな深雪。――どれ、今日は何を教えて欲しい?」
「んー、何がある?」
「なんでもあるぞ。そうだな、“丹生大明神告門(にうだいみょうじんのっと)”などどうだ?詞(のりと)だ。深雪ならちょいと訓練すれば面白い事になるぞ」
「おもしろいことって?なんだ?」
「――――晴明・・・?」
なにやら嫌な予感がして顔を顰める博雅と『すごいこと』という言葉に純粋な期待を寄せる深雪を交互に眺め、晴明は目許だけで意地悪く笑ってみせる。
「地震、霹靂、豪雨、大風・・・・・天変地異も思いのままだ」
「!!?っ・・・せ、晴明!お前というヤツはっ・・・・」
「・・・『てんぺんちい』って、なんだ?」
「試せば分かるぞ。早速始めてみるか?」
「うん!」
「やめろー――――――――――っっっ!!!」



「相も変わらず、仲睦まじい親子ですこと」
「ですわね。お父上ふたりの教育方針がメチャメチャですけれど・・・・」
「深雪様の事です。どちらの良いところもしっかり受け継いでくれますわ」
「素直で無垢なところは博雅様譲り、方術の力量は晴明様譲りですよ」
風に揺れる木の葉のように柔らかく清々しい式達の声は、この屋敷に舞い降りたささやかな平穏を喜んでいるようだ。
雪に閉ざされた庭を眺めながら、誰ともなしにほろりと呟く。

「―――――春が待ち遠しいですね・・・・・・」

いつの間にか日々は過ぎ去り、気付いた頃にはもう木々が芽吹き出す。

今まだ遠い、暖かな木漏れ日の春。
やがて訪れるその季節を心待ちにしながら、晴明邸では変わらず賑やかな時が流れることだろう。




おわり



あとがき
【完遂です!!】
空也さんの要望どおり、ほのぼので終了です。
まあこれにて第一部は終了、ということで。
いえいえ、まだ書きたい事があったのですよ。
深雪の正体をどのように暴露するかが私なりの難点でしたので、それに気を取られて他にまで手が回らなかったのです。考えなしなもんで。
いつまでに書くとは言えませんが、書くと思います。
めっさ曖昧ですけどね(死)
あまりにも唐突な暴露の仕方で意味不明でしょうがきっと黒狐さんも慌ててたんです!うん!!
伏線もなにもあったもんじゃない(←まったくだ)
どんどんどん、ぱふぱふー

どうもお疲れさまでした、蓮美さま。
わたくしめの願いを聞いていただいてありがとうございます。
読みながら「あ、ほのぼのや、ほのぼのや!」と小躍りしてました。

……しかしまあ、深雪ちゃん、物凄い御仁だったんですね。
天狐、昔『みかん絵日記』描いた人の作品で天狐が出てくる話があったのですが、物凄い妖力を持っている、とあったような(ゲロうろ覚え)

晴明様、戯れに天変地異を起こさせてはなりません。
博雅さん、W親父って言うより女房役になってません? (恋女房?)
晴明パパに博雅ママ……。なんか良い感じ(そうか?)

蓮美さん。第二部、楽しみに待ってますからねぇぇぇぇ?

いやはや、とりあえず、第一部終了誠にお疲れさまでした。
これからも、このサイトに華を添えてやって下さいませ。
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