<< back | ![]() ![]() |
next >> |
---|---|---|
<< 明星を語るINDEX | ■アンディー・ラウ(敢えて書くが)■ | |
|
多分、3までお読みいただいた方には、僕の華仔への熱い思い入れが感じとっていただけたと思う。
しかし、ここで、二日たったので、冷静にあのコンサートを振り返って、批判を書いてみたい。 お互いの持ち味は違うが、それぞれの「よい部分」を考えた場合、フェイ、ジャッキー、アンディーでは、一番、(残念で、悔しいけど)アンディーが落ちると思う。 というのは、このコンサート、あまりに計算されすぎて、アンディーが「優等生的」にこなしていたからだと思う。 フェイの「北京語での挑戦、アンコールなし」ジャッキーの「リクエスト大会(ただし、これも、ある程度、曲目は選んであった気もするが)」には、新たな彼女、彼の可能性を感じたのだが、華仔には「彼は、何年たっても、こういうショーを続け続けるだろう」というスタティックなイメージが感じられた。 (例えていうなら、「香港旅行パック」とかいって、あらかじめ、行く観光地が決められていて、自由時間がホテル内だけで、三泊四日、「いらっしゃいませ」で始まり、「さよなら」で終わるような。 (もっと、香港の裏道も知りたいんだようって感じかな) どうも「魅せる」ことに重点を置きすぎて、多少、アレンジを変えた曲はあったものの、原曲の焼き直しの域を出なかったし「肉声」がおろそかになってしまった。 アンディーの後ろにスタッフの影がちらついて、しょうがなかった。 そして、アンディーにもそれを「打ち破る意思」も、感じられなかった。 確かに、アンディーといえば、「香港一の大明星」だから、冒険できないかもしれないが、そこを、敢えて、日本という「異国」なんだから、思いきって、「イメージを逸脱する過剰な何か」を持ってきてよかったのではないか? 年齢的にも、変化は自然と要求されてしまうだろうし(もう、若手がぐんぐん伸びている)彼も、いつ「過去の人」になる恐れがないと限らない。 どうも、そういう危機感が感じられなくて、随分のんびりしてるな、と思う。(前述の二人には、時代の変化、(それによる)自身の変化に微妙に対応していたのに) |