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僕が出演することについての言い訳。

 今回台本を書く上でマーケティングを意識せざるを得ませんでした。
 いや、マーケティングと言ってもつまりはどの客層に焦点を当てるかということですけども。

 「集団ラストエム」と銘打って公演を打つわけですが、劇団としての実績がまったくないので、どうしても客層はキャストの知り合いに限られてきます。
 そしてそのほとんどが交際範囲の広い主演女優の山口さんの知り合いであろうという見込みでしたし、実際そうでした。
 さらにその山口さんからは、「私の知り合いはほとんどが芝居を観慣れていない人だから、とにかく脚本についてはわかりやすいのがいい」という注文でした。

 さて困った。
 難解なのを書いて高尚ぶるつもりは毛頭ありませんが、かといってあんまりわかりやすいのは子供だましみたいで僕の好みではないのです。

 かてて加えて今回の台本はプロットに仕掛けがしてあります。
 どちらかというと芝居ズレしている人向けの構成です。
 言ってしまえばわかりにくいことがアイデンティティーみたいな脚本です。
 観客に断りなく(←これは前ぶれなくいきなりという意味で)コロコロ場面転換をしますし、タイムスケールも狂いまくります。

 しかし、実はこういう芝居の構成は「芝居全体が登場人物の妄想だった」というオチの伏線になっているのです。
 つまり取り留めのない展開は、一人の人間の取り留めのない思考の表現の一つであったと。

 で、なんでそんなプロットになったかというと、当初僕は役者を演る予定ではなかったからです。
 実は僕がやった役を演る予定だった役者が一身上の都合で降りてしまったので、仕方なく僕が演ることにしたのです。

 正直言うと、その役者を僕はあんまり当てにはしてなかったので「いざとなったら俺が演ればいいか」と思いつつ話を進めていたので、その役者が降りたこと自体は別にいいのですが、問題は「そうすると僕が演出と役者を兼ねることになる」ということでした。
 そのうえ僕は脚本の作者です。

 それぞれの仕事をきちんとこなせる上で作・演出・出演の三つの仕事を兼ねてるっていうのならともかく、単に役者が足りなくて作者まで出るはめになってるなんて作者としても演出としても出演者としても、何より集団(劇団)として最高にカッコ悪いことの一つです。
 そんな価値観を持つ僕には何らかの大義名分が必要でした。

 そこで書き途中だった台本の構想を差し替えて、『舞台の上で繰り広げられていたことはすべて一人の登場人物の妄想であった』というオチにすることにしたのです。

 こういうプロットは「夢オチ」の変形で、ありがちと言えばありがちですが、その妄想をしている人物を演じるのが作者である僕自身であるというのがポイントなのです。

 ある意味、その役を演じるのは僕でなくてはいけないのです。少なくとも、僕がその役で出ることに何らかの意味が生まれます。

 そうやって大義名分をでっち上げた上で脚本を完成させました。だから今回の芝居は、実は本来役者の独壇場である舞台上にその作者自身が殴り込みをかけるという図です。

 舞台の上の世界を作り上げた人間が、自分が作ったその世界の中で、自分の妄想の産物(実はモデルがいる)の人間たちと会話を繰り広げていく。
 舞台の上における僕の演じる役と物語との関係と、現実世界における僕と脚本との関係が、実は全く同じ構図であるというのが今回の脚本の外殻だったのです。

 そんなこんなで今回の脚本はあんまりわかりやすくなりそうもない脚本になってしまったのです。
 でも観に来る客層をまるっきり無視するわけにはいかないですからねぇ。
 舞台上での脚本解説みたいなモノローグを最後に入れたりもしたわけですよ。
 こういうの、あんまり僕好みじゃないんですけど、致し方ない。

 あ、パンフレットのやつもそういう意味合いを込めて書いてます。
 一見、金に物を言わせて大道具を作り込む割に役者は駄目駄目な劇団に対する挑戦状みたいな感じですが(そうでもないか)、どっちかというと、お客さんにこの芝居についての先入観を与えようという作戦だったわけです。

 いや、ほんとに。


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