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真・Water Gate Cafe

葵館・談話室

戦人記・特別編

 
 ジリ・・・・・・。
 枕元にて鳴り出した、耳をつんざく金属音は、一秒もし
ないうちに停止した。
「ん・・・・・・。ふぁ・・・・・・」
 一つ小さな欠伸をした後、ベッドから上体を起こし、寝
癖の付いた髪を軽く手でなでつける。
「・・・・・・」
 そして視線を少し流せば、未だ心地よいまどろみにその
身を委ねた妻が、穏やかな寝息を立てている。
(・・・何というか、昨日はお互い、際限無く燃えたから
な・・・。さてと・・・、動くか・・・・・・)
 その思考が引き金となって起こる、若干の体温の上昇と
『一部』の体組織の活動の活発化を抑えつつ、彼女を起こ
さないよう、そっとベッドから抜け出すと、着慣れたトレ
ーニングウェアに袖を通し、俺は私室から忍び出る。
 このような事をすべき理由は、既に無くなった筈だが、
一旦身体に染み着いた癖や行動に感覚といった物は、中々
止められないものである。
 しんと静まり返った上、冷めきった廊下に出ると冷気が
肌を刺し、否応がなく本格的な冬の訪れを実感させる。
「今朝も冷えるな・・・・・・」
 ドアを開け、食堂兼、居間に入るとまずエアコンを作動
させ、室内にたゆたう冷気を追い出しにかかる。
 低い唸り声と共に空調機器が目を覚まし、自分の仕事を
果たし始めると、次にテーブルに目をやる。
 昨夜は妻の義妹の誕生日であり、同時に子供にとって一
年で最も待ち遠しい日でもあった夜である。五人で祝った
ささやかな宴の名残は、そこかしこに存在していた。
 そして壁に掛かった、日めくり式のカレンダーに目をや
る。
 日付は・・・、2004年、12月25日。
 かつて、この東京という街を震感させ、今迄も、そして
これからも決して、表舞台に出る事は無いあの龍脈を巡っ
ての凄絶な闘いが終わって五年。そして・・・、闘いとそ
れに纏わる因縁の全てにケリを付けた後、俺・・・、風間
翔二と、妻・・・、美里葵が結婚し、家庭を持つ様になっ
てから、五度目の冬が巡って来ていた・・・・・・。

    異伝・東京魔人学園戦人記 特別編

   『風間翔二氏の優雅ならざる一日・社会人編』 

 往復5kmのランニングと、各種の体操という『日課』
を済ませた俺が家に戻ってくると、室内には暖気が満ちて
おり、台所からは金属とプラスチックが接する事で起こる
規則的かつリズミカルな音が響いて来る。
 一旦、私室に戻ると、着替えを手に浴室へと向かう。
 頭から熱湯を浴び、身体に残る眠気の残しと、運動によ
って生じた汗を綺麗さっぱり洗い流し、拭い去る。
「ふう・・・・・・」
 手早くシャワーを終えて浴室から出ると、今一度私室に
取って返して、今度は身繕いと出勤の準備にかかる。
 とにかく『お堅い』職場であるし、多くの人間と接する
為、服装に手を抜いたり、隙を作る事は出来ない。見る人
はちゃんと見ているし、加えて職場の人口比率的に見て、
自分が頭を下げるより、(形式的とはいえ)下げられる事
の方が多いのだから。
「・・・よし」
 容儀を整え終え、上着や仕事道具一式を入れた鞄を下げ
て、食堂兼、居間に向かう。
「おはよう、翔二」
「おはよう」
 これまたきっちりと服装を整え終え、白い清潔なエプロ
ン・・・胸元には、『才色兼備』と言う刺繍が入っている
・・・を身に付けた葵が台所から顔を出して挨拶して来た
のに応じつつ、テーブルに向かう。
 卓上に整然と並べられた食器には、暖かでいて魅惑的な
芳香を立ち昇らせる料理・・・今日は和風だ・・・が所狭
しとよそわれている。
「何か、手伝える事は?」
「今、終わった所よ。すぐ行くから、席についてて」
「わかった」
 俺が椅子に腰掛けると、少し経過ってからエプロンを脱
いだ葵もテーブルの向かい側の席に腰を下ろす。・・・朝
食は出来る限り、二人一緒に摂る。これは結婚当初からの
二人の約束事である。
 そしてTVから流れてくる、国営放送のニュースを聞き
ながらの朝食がほぼ終わりかけた頃。
「あの・・・、翔二」
 呼び掛けられた俺は、それまで目を落としていた新聞か
ら顔を上げると、彼女を見る。
「何だ?」
「その・・・、今日はお仕事の方、早く終わりそう?」
「ん? ちょっと待てよ・・・・・・」
 隣の椅子の背もたれに掛けてあった上着の内ポケットか
ら手帳を抜き出す。
「そうだな・・・。この前の、連続強盗放火事件も片した
から、捜査本部の解散とそれに付いて来る残務処理に、そ
れと・・・・・・」
 更に続けて、びっしり予定の詰まったメモ帳の内容を読
み上げる。
「うーん・・・。ちょっと苦しいな。向こうを出るのは、
どんなに早くても七時半過ぎだろうな」
「そう・・・」
 返事を聞いた葵の顔に、幾分残念でいて、寂しそうな色
が浮かぶ。
「どうかしたのか?」
「うん・・・、今日はクリスマスでしょ? たまには・・
・二人きりで、外で食事でもどうかなって思ったの」
「あ、そう言う事だったのか・・・」
 と、そこへ。
 廊下より、ペタペタというスリッパの音がすると、居間
のドアが開く音に続き、最初に半分寝ぼけた様な声がし、
少し遅れて前者と大して変わらない声が居間に響いた。
「おかーさん。おはよ〜〜〜」
「ふぁ・・・。おはよ〜ございます・・・」
「おはよう」
「おはよう。美桜(みお)、龍葵(りゅうき)」
 それぞれ欠伸をしたり、目を擦ったりしながらパジャマ
姿のまま居間に入って来たのは、双子の姉弟である子供達
だった。
「・・・二人共、早く顔を洗って着替えて来い」
「そうよ。早くしないと、迎えのバスが来てしまうわ」
『は〜〜〜い』
 二人はハモッて答えると、台所に隣接した洗面所に向か
う。
 ・・・全くもって誉められた事ではないが、俺達の関係
は、『事実』が『形式』に先行した事も有って、あの二人
が生まれるまでには、それこそ両手両足の指でも足りない
程のトラブルが生じたし、出産時には岩山院長をして、『
米粒にモナ・リザを描くようなものだて』と、言わしめる
程のとてつもない難産であった上、産まれた後も噴出する
厄介事の処理に奔走する事になったが、何より以外であり
安堵したのは、『菩薩眼』と『黄龍の器』という、異能の
持ち主同士の間に生まれたにも関わらず、二人に<<力>>の
発現や、その存在を思わせる様な兆候が見受けられない事
だった。
 <<力>>なんぞ持ったばかりに心を喰われ、遂にはその身
をも滅ぼしたという事例を、俺にせよ葵にせよ、あの闘い
の中でうんざりする程見てきている。そして人間は<<力>>
なんぞ使わずとも生きて行けるし、あの子達が<<力>>を持
つという事の重みに耐えられる保証等、どこを捜しても無
い。よって『誹勇』の技も子供達に伝えたりはせず、俺の
代で終わらせるつもりだ。この技に<<力>>も、既に大方の
役割は終えているからには、こんなものが必要とされる様
な事はもう無いだろうし、同時にあってはならない事だと
も思っている。
 そして柳生を始めとして、<<力>>に魅入られた輩が再び
現れる様な事になれば、その時はそれら全て俺が滅消させ
る。子供達も含め、他者を介在させるつもりは毛頭無い。
 だが・・・、もし、<<力>>が目醒める様な事になれば、
その時は<<力>>について全てを教え、話すと共にその使い
方を伝えざるをえない。<<力>>を持った事により起こった
幾多の闘いと禍い。そうした過去の過ちの轍を子供達が踏
む事が無い様に・・・・・・。
 そういった事を思えば、俺は子供達に<<力>>が現れなく
て本当に良かったと思っているし、願わくは一生、無縁で
あって欲しいと、心から祈っている。
 程なくして洗面所より、水の冷たさにぎゃいぎゃい騒ぐ
声と水音が立ち初めた時。
「・・・葵。何とか時間の方、やり繰りしてみるよ」
「えっ?」
「実際、二人きりで食事なんて久しぶりだしな。それに・
・・昨日、今日の急な思い付きじゃ無く、前々から下見や
予約とかをしていたのだろう?」
「うん・・・・・・」
「なら決まりだ。仕事が終わり次第連絡入れる。新宿まで
飛んで帰ってくるが・・・、あの子達はどうするんだ?」
「その事なら大丈夫。マリィが来てくれるそうよ」
「そうか・・・。それなら安心出来るし、有り難くもある
が、クリスマスの日に子守を頼むなんて、少し悪い気がす
るな・・・・・・」
「じゃあ、帰りに何かお土産を買っていきましょう」
「そうだな・・・・・・」
 ・・・数年前の闘いの中。狂信的な反動主義者共の組織
によって成長を止められ、玩具にされた挙げ句、『兵器』
として歪んだ妄念を植え付けられていた少女・・・マリィ
の心と未来を救ったのは、葵とその両親であった。
 美里家に引き取られた後、それまで得られなかった愛情
や暖かさを惜しみなく与えられ、忌まわしい記憶や過去と
訣別し、健やかに、伸びやかに成長した彼女は、この五年
の間に出会った当初に比べ、30cm近く背が伸び、私服
で街を歩けば、道行く男共が思わず振り返る程の存在感と
美貌を持つ女性に成長していたのだった。
 葵から聞いた話では『真神の女王』なる異名を奉られ、
学年を問わずラブレターやデートの申し込みが引っ切り無
しに来る程の人気者だそうだ。そして子供達も『お姉ちゃ
ん』と呼んで、非常に懐き、慕っている。
「・・・おっと、そろそろ出ないとな」
 TV画面に映った時刻を見て、俺は椅子から立ち上がっ
た。上着に続いて、葵が渡してくれたコートを羽織ると、
鞄を手に下げる。
「行ってらっしゃい」
「行ってくる」
 返事をしながら、扉の方をちらっと見て確認すると、葵
の背中に手に回し、互いに軽く抱きあった後、踵を返し居
間から出て行く。
『いってらっしゃ〜い』
 そして廊下で擦れ違った二人の挨拶には、髪をくしゃく
しゃと掻き回す様にして頭を撫でる。
 新宿駅から途中乗り換えて、地下鉄有楽町線、桜田門駅
に降りると階段を駆け上がり、地上への出入り口すぐそば
に立つ、屋上に置かれたヘリポートと特徴的な外観を持つ
ビルへと入って行く。
 ・・・警視庁、刑事部捜査第一課、強行犯係に所属する
警部。これが今の俺の社会的身分である。


 ・・・今日一日の間俺は、机から離れる事は無かった。
否、出来なかったというべきか。
 朝言った残務処理をさっさと片付けた後も、せわしなく
キーボードを叩き、休む事無くペンを動かし続ける。
 会議に出た時の報告書を纏めるのに平行して、提出すべ
き書類に目を通して、不備やミスが無いかをチェックし、
更にそれらを統括して『上』へと提出する。他にも枚挙に
暇が無い程の仕事が、俺の処理を待っていた。
 年末という事も加わり、その他諸々含め、日頃に倍する
膨大な書類を相手取る羽目になった俺が、只ひたすらに悪
戦苦闘を続け、神経が灼き切れるかと思う程の書類の尽く
を討ち斃し、この日の全業務を終えたのは冬の陽もとうに
落ち、窓の外が夜の帳に覆われ尽くした時間であった・・
・・・・。
「ふう・・・・・・」
 最後の一枚に目を通して捺印し、『処理済み』のトレイ
へと放り込んだ後、溜息と同時に思わず机に突っ伏しそう
になったし、食事も申し訳程度でしか摂れずにいたので、
いい加減胃の方も抗議の歌を歌い始めている。
(やれやれ・・・。状況終了、だな・・・)
 PCの画面の見過ぎでちかちかする目と、強張りかけた
手をゆっくり揉みほぐしながら、紙コップに入ったままの
かつては熱かった茶を一息に咽喉へ流し込んだ後、俺は帰
り支度に取り掛かったのだった。
 仕事場を出て、通路を早足で歩きながら、行き交う人々
に挨拶をし、返していく。
 そして途中、エレベーターホールにて、地方に出向して
いた同期とばったり出くわしてしまった結果、ビル内のカ
フェテリァで30分近く話し込んでしまった。
(いかん・・・。早い所、葵に連絡を入れないと・・・。
家で待って、待ってしているだろうしな・・・・・・)
 俺はそいつと別れた後、これ以上同僚、上司問わず、他
人と会って余計な足止めや出来事に関わらぬ様、大急ぎで
警視庁ビルから飛び出すと、地下鉄の出入口へと走りなが
ら、取り出した携帯にて自宅に連絡を入れ、待ち合わせ場
所等を聞き、タイミング良く来た帰りの便に乗り込んだ。

         ■新宿中央公園■

 その異変の前触れは、唐突かつ、些細なものだった。
 ・・・過去の闘いで幾度となく『戦場』となり、今では
春に一家友人総出で花見に来るのが恒例行事となっている
場所を通りがかった時だ。
(・・・・・・!?)
 それまで肌を刺激していた冷気よりも尚、冷たく重い感
覚が突如首筋に走った。
 思わず顔を上げたが、始めは気のせいでは? という思
いが先に立つ。しかし立ち止まってみれば、それが錯覚で
は無いという事を否応がなしに実感させられ、すぐさま全
方位に警戒の視線を向ける。
(このザラッとした感覚・・・、敵意・・・? 違う、こ
れは妄念、渇望だ。それも死者や怨霊の類が、生者へと向
ける・・・)
 それは露骨では無く、本当に微かな物だ。だがそれだけ
に、鮮やかなイルミネーションを始めとした幾百万の煌き
が辺りの歩道を絶え間無く行き交う、カップルや親子連れ
に気の合う友人同士といった人々の姿を浮かび上がらせて
いた中で、その気配は余りにも異質、異様に過ぎた。・・
・例えるなら、白い羊の群れの中に一頭だけ、黒い毛を持
つ個体が紛れ込んだかの様に。
 危険に対する感覚を賦活化させ、気配が漂ってくる方向
・・・それは目の前、中央公園からだ・・・を確かめる。
 歩道と公園とを隔てる生け垣へと向かい、ガサゴソとか
き分けて公園の敷地へと踏み込むと、獲物の痕跡を嗅ぎつ
けた肉食獣の様に気配を探りつつ、慎重に歩みを進める。

         ■中央公園内■

 ・・・公園内を奥へ奥へと進む毎に、俺の肌を刺してい
る嫌な『氣』の密度は増していき、およそ東京の只中にい
るとは思えない程の静寂に押し包まれた闇に響くのは只、
俺の足音だけである。
 そしてまだ宵の口にも関わらず、周囲に人気が全く無い
のも、何らかの『異変』が起こっている事を何よりも雄弁
に語っていた。
 そして・・・、眼前の景色が一変した。
「・・・・・・!!」
 俺を迎えた異変の第二段階は、全くもって予想外の出来
事であった。それを目にすれば、いかなる人間といえど驚
きとは無縁ではいられまい。公園内の遊歩道の両脇に並び
立つ樹々・・・翌春を迎えれば、瑞々しい若葉を生い茂ら
せ、それを見ればどんなに散文的な人間であっても、不思
議と郷愁や感慨といった物を呼び覚まさせ、人を魅きつけ
てやまない、繊細で端麗な花を咲かせる為の、永い眠りに
ついている筈の桜の樹は、今がまさにその時であるかの様
に、視界全てを埋め付くし、華麗に咲き誇っていた。
 ・・・それは、まるで闇の海に浮かぶ薄紅色の珊瑚礁の
様に、歪でいて不条理な物だった。
「・・・。これは、また、なんと・・・・・・!」
 予期せぬ光景を前に、俺は首を振りつつ嘆息した。それ
は、いよいよもって尋常ならざる事態に遭遇した事に他な
らない。しかも、唖然とし続ける事も出来ない。
 まず、聴覚が激しく地面を踏み荒らす足音に始まり、荒
々しい息遣いや打突音に怒号に近い叫びを拾い、続いて視
覚が闇の向こうで入り乱れて動く、複数の影を捉えた。
 例え、星明かりすら届かぬ完全な闇の中に在っても、高
純度の黒耀石より削り出され、裏密の手によってある種の
<<呪力>>をも付与された、『魔眼』とでもいうべき物を左
目に持つ俺にとって、東京の宵闇は到底闇足り得ない。
 そして、この辺りに満ちた不快極まりない『氣』の源泉
が、前方で蠢く影から発せられるのも確認した。そんなモ
ノを放つ存在が、『まとも』でいてヒトに対して無害な代
物であろう筈が無い。
「・・・全く。本当に、この街は騒がしい。現役を引退し
たのに、人を静かに暮らさせてはくれないのだからな」
 一つ溜め息をつくと、物音の発生源へとひた走り、走り
ながら『解放』と『増幅』を行い、『氣』を全身に行き渡
らせる。鼓動の高まりと共に、身体に熱と<<力>>がみなぎ
り、その勢いは刻一刻と増して行く。
 ・・・あの闘いの後、その役目と存在意義を終えた『黄
龍甲』と『真龍』に『闘牙』といった装備は全て、如月に
頼んで封印しており、『燕青甲』の方も既にボロボロで、
戦闘に耐えうる状態では無い。
 久方振りの実戦。しかも丸腰ではあるが、不思議と恐怖
や不安等は無かった。代わって全身に疾る物は、ある種の
高揚感と緊張感の混合物だ。
(・・・この風、この肌触り・・・。あの時は未練なんぞ
憶えなかったし、完全に捨て去ったつもりだったが、やは
り闘いは、俺にとっての一種の活力源なのかもな・・・。
同時に・・・この認識が正しいとすれば、つくづく俺はロ
クでなしというか、救われ難い種族だよな・・・・・・)
 一瞬だけ、そんな思いが脳裏をよぎったが、頭を二、三
度振ってそれを追い出すと、騒ぎの中心へ向け戦闘加速で
突っ込みを掛けた。
 一つの影・・・コートを着た少年が、ネズミ花火の様に
動き回りながら、それ以外の影を掴んでは投げ飛ばし、あ
るいは蹴りを入れ、拳を振るうが、倒れた影はすぐにまた
起き上がって、ジリジリと少年に対する包囲を狭める一方
で、相手しきれない分が少年の背後に立つ樹の根元にうず
くまる人影・・・妙齢の女性へとにじり寄りつつある。
 既に影の正体も判明している。かつての旧校舎で。青山
霊園の地下で。何処とも知れぬ異空間で。討ち斃し、薙ぎ
払ってきた奴等と同様のモノ。命朽ちて尚、世の陰に留ま
り、隙あらば陰より這い出て、そこに生者がいれば、己が
側へと引き込もうとする忌むべき存在。それら妖物に対し
ては、只、全力を持って掃滅・駆逐あるのみ・・・!
 両腕には既に、十分な破壊の<<力>>が満たされ、解放さ
れる瞬間を待っている。
「呼ォォォォ・・・・・・破ッ!!」
 気合と共に、右掌より繰り出される『断空旋』と、左の
手刀から放たれるのは直線的に疾る『音速刃』。例え目標
が最初に襲い来る、音速を越えた魔刃をかわし、あるいは
耐えたとしても、第一撃に勝るとも劣らぬ威力を持つ『氣
』の奔流が、くびきから解き放たれた事を知るや、歓喜に
満ちた獰猛でいて狂暴な咆哮と共に襲い掛かる、魔獣の如
く敵を飲み込み、周囲のモノをも巻き込んで、纏めて破砕
してのける・・・。
 あの闘いに於いて猛威を振るった『必殺』の一撃は、今
また再び、無慈悲極まる牙を剥いた。
 二つの<<力>>を元に巻き起こった、凄まじいデストラク
ション・ウエーブ。その軌道上に立っていた妖物共は、例
外無く吹き飛び、消滅した。  
 そのまま、『断空旋』によって開かれたばかりの空白の
場へと、一気に躍り込む。俺という不意の乱入者が現れた
事で、少年と妖物共の動きは一瞬だけ止まりはしたが、動
きを取り戻したのは妖物の方が先だった。
『飢アアァァァッ!!』
 聞く者の躯をすくみ上がらせる様な叫びと共に、複数の
影が跳ねる・・・だが、それは、決定的に遅い。
 ブランクが在ったにも関わらず、身体は意識の統御の下
で、忠実に、迅速に、正確に従った。
 その場から跳び、突進をかわす。跳躍の頂点から、眼下
に見えるがらあきの背中へ発剄を叩き込み、そいつが吹き
飛び、崩れ落ちるより早く着地。そうして攻囲を脱した頃
にはもう、二撃、三撃目を繰り出せる状態にあった。
 こちらへと振り向こうとした奴の頭部を掌打が捉え、大
きくのけぞり、倒れ込むまでに『龍閃脚』と『龍爪閃』が
新たな犠牲者を生み出している。
「ふんっ・・・!!」
 掌打を受けた奴の体を、『龍鎚震』で一息の元に踏み砕
いて止めを差す。敵は『選り採り見採り』。相手に困る事
など無い。
 固めた掌に『氣』を収束させつつ、視界の隅に捉えた少
年を見やり、もう一方の手と視線にて意志を伝える。
「・・・・・・」
 ぱっと表情を変えた少年は、一言も発する事無く身を翻
すや背後の女性へと走り寄って行き、俺は俺で、連中の進
行を阻む為の壁と成るべく立ち位置を変える。
 突進に続いて、奇声と共に振り下ろされる腕を払い除け
るのと、そこから踏み込み、それ迄蓄積されていた『氣』
の宿る掌が唸るのは同時・・・!
『螺旋掌・・・!』
 『氣』の奔流に混じる声と打撲音。そしてボウリングの
ピンの様に吹き飛ぶ躯。
 そして背後からも同様に、烈迫の叫びと鈍い音が聞こえ
て来る。

 ・・・一言で言って、『敵』は馬鹿だった。
 統率の『と』の字も無い、只、勢いだけを頼みにでんで
ばらばらに突っかかってくるだけ。少々数がいた所で、散
発的に繰り出される単純な攻撃など問題にはならない。し
かも彼我の戦闘力には圧倒的な開きが存在していたのだか
ら、怪我はおろか苦戦などしよう筈も無い。
 俺が半ダース程の敵を張り倒した所へ、女性の介抱を終
えた少年も加勢し、程無くカタは付いた。
 野球なら、ノーヒットノーランどころか完全試合だ。
 最後の一匹に対し『八雲』を叩き込み、細片も残さず粉
砕せしめた事で、漸くにして公園は場に相応しい静寂と安
穏を取り戻したのだった。
「手助けする必要も無かったか・・・・・・?」
 言いながら少年が近寄ってくる。僅かな星明かり越しに
見えた、見るからに負けん気ときかん気の強そうな光を宿
した目や顔立ちが、若く俊敏な猟犬の様な印象を与える。
「いや、何。お前さんもいい動きをしてたさ。お蔭で、俺
の方も随分楽が出来た」
 と、賞賛交じりの軽口で応じた後。
「それよりも・・・、あんた、何モンだよ!?」
 首を突っ込んだ時点で、予め予想されたその少年からの
問いかけに、俺は背を向けて歩き出しながら、地面に落ち
た書類鞄を拾い上げると、汚れをはたき落とした。
「・・・何、只の通りすがりの日本の国家公務員だよ。女
房、子持ちのな」
「嘘つけ! こんなマネができる国家公務員がいるもんか
よ・・・!」
 俺は正直に答えたが、言いぐさが気に入らなかったか、
少年は後を付いて来る。・・・今見せた<<力>>について、
根堀り葉掘り聞かれては、何かと面倒な事になる。  
 一度足を止め、少年へと向き直ると同時に。
「・・・はっ!!」
 どおんっ!!
 『氣』を右手に収束させ、足元に向けて叩き付ける様に
解放する。爆発同様の衝撃が広がると、派手に舞い上がっ
た土埃と桜の花びら、そして『断空旋』による『氣』の障
壁が、少年と俺の間に形成され、互いの姿を遮った。
「うわっ!!」
 少年が驚いて、大きく飛び退いた瞬間。
 すかさず踵を返した俺は、可能な限りの迅速さでその場
からの離脱にかかった。追跡の手掛りとなる自らの『氣』
と気配を抑え込むのに平行して、全力疾走と跳躍を行う。
 手近に植えられた樹に向かい助走すると、一気に跳び上
がる。樹の幹に足が触れた瞬間、更にそれを蹴って高く跳
び、上へと伸びる枝を掴むと逆上がりの要領で体を引き上
げて、枝の上に立つや間を置かず、さながら、バッタか東
南アジア辺りに生息する猿の様に枝から枝へ、枝から街灯
へと連続して飛び移っていく。
 そうした変則的な空中移動を数回続けた後、地面に降り
立つと即座に駆け出す。・・・俺が走るのを止めたのは、
公園の出口が見えた頃になってであった。
「・・・ま、ここまで来れば、大丈夫だろう・・・」
 独り言の後、軽く手を叩いて、戦闘で付着した土埃以上
に、遁走の際に付いた枝や細かいゴミを落としながら、ネ
クタイやスーツに、コートが痛んだり、汚れてないかどう
かを調べる。
 葵が見たら又、余計な心配をしかねない。
(・・・よし。目立つ様な傷は無いな。しかし・・・、あ
の少年、身ごなしだけで無く、『剄力』をも駆使していた
な・・・。何時、何処で誰の下で修めたかは知らんが、や
はり『あの時』の俺達みたいなコトに関わっていたのだろ
うか・・・・・・?)
「・・・今度、紫暮や壬生に会ったら、今日のコトを話し
てみるか・・・。あいつらなら、何かしら知っているかも
知れん」
 一人呟いた後、俺は『この件』に関する記憶を脳裏の『
再調査』の棚へと放り込んだが、再度走り出そうとした所
で、内ポケットに入れた携帯がけたたましく騒ぎ出した。
「ーーーむ。メールか。送り主は、と・・・・・・」
 足を止めて液晶画面に目を落とし、内容を確かめる。
「・・・タクシー!!」
 慌てて辺りを見回すと、たまさか走って来たタクシーを
見たが、そこには無情にも『賃走』の二文字が・・・。
「ーーーええい!!」
 再度、『解放』を行うや全速で・・・先程の『逃走』時
に匹敵する程、迅く・・・走り出す。
 急がないと。
 急がないと。
 急がないと。これ以上、葵を待たせられない。
 道行く人の奇異に満ちた目が集中するが、知った事か。
 一度機嫌を損ねたものならば、野郎にとって『ある意味
』で世にも恐ろしい『お仕置き』が待っていて、それには
一切逆らえないのだから。
 気分はさながら、イギリスの児童文学に出て来る白兎・
・・いや、むしろ背負った柴の束に火を付けられた、カチ
カチ山のタヌキといった所か。  
 ・・・なんとも雑多で、忙しい上に騒々しくて、良くも
悪くも様々な出来事に相対する、日々毎日。
 今日の事もそうだ。
 小さな闘いと、小さな出会い。
 そこからは何も生まれる事もなければ、何とも繋がる事
無く記憶の底に埋没してしまうかも知れず、又、職業柄、
胸が悪くなるような物とも向き合ってきたし、今日のよう
な異変や、もしかしたら<<力>>絡みの大乱も再び起こり得
るかもしれないが、だからこそそんな何でもない日々を、
途方もなく充実していて、心から愉しく、貴重にしようと
思えるのはひとえに葵がいて、子供達がいて、たまに顔を
見せ、遊びに来るあいつらのお蔭である。
 その気持ちはきっと、変わらないし忘れない。
 ・・・走り続けたその先に、待ち合わせ場所としたビル
がそびえ立つ。
 その入り口前にたたずむ見慣れた人影は、せわし気に辺
りを見回していたが、その視線がこちらを見るや、気持ち
怒ったような、それでいて嬉しそうな真っ直ぐな視線と、
大輪の華のような笑顔を投げかけてくる。
「もう・・・。遅いわよ、翔二」
「ああ。待たせた事は本当に悪かった。済まない」
 人混みを掻き分け近寄るなり、つん、とむくれて見せる
葵に向かって、うぅ、と手を合わせて『御免なさい』とい
うジェスチャーを示す。
「・・・よろしい。それじゃあ、行きましょうか。予約の
時間もおしてる事だし、私をちゃんとエスコートしてね」
「はいはい、わかりました。今夜一晩、誠心誠意、勤めさ
せて頂きます」
 恭しく一礼した後、彼女の手を取り歩き出す。
 腕を組み、肩を寄せ合い歩きながらの雑談の合間に、俺
は遅刻の要因の一つ・・・帰りの道中にて買い求めた小包
を、何時どんなタイミングで渡すべきかを脳裏にてシミュ
レートし始めた所に。
「・・・翔二」
「ん?」
「これから、何もかも忘れて思いっきり楽しむんだから。
ちゃんと付いてきてね?」
「当然だ。そういうお前の方こそ付いてこい!」
 ・・・どうも俺を取り巻く、優雅なようでいて喧騒に満
ちた、平穏とはいえない一日はまだまだ、終わりそうに無
い。
 
       異伝・東京魔人学園戦人記 特別編・完
 

 戦人記・特別編  完

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