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真・Water Gate Cafe

葵館・談話室

戦人記・第七話「蠢動」其の参

 悠然たる態度で部屋に入って来たのは、医者の様に白衣
を身に付けた長身の男だ。年は・・・20後半ぐらいか?
一見、優男風で、栗色の長髪を頭の後ろで纏めている。
「やァ」
 気さくげに声を掛けて来たが、当然無視した。
「ククク・・・、初めまして・・・。僕の手紙を受け取っ
てくれて、有り難う。お気に召してくれたかい?」
「こんな悪趣味なシチュエーションを用意しているとは、
思っても見なかったがな。Dr・ファウストとやら」
 そう皮肉と毒気を込めて返答する。
「そう・・・。それは、失礼したね・・・。風間・・・翔
二君。フフフフ・・・。いや、失敬。手荒な真似をして悪
かった。君の<<力>>を、この目で見てみたくてね。女の子
を預かっていると書いたのは、嘘さ・・・」
 ・・・どうだか。そう言えば俺が警戒や気を緩めるとで
も思っているのだろうか。こいつが何を言おうと、信じる
つもりなど無い。俺の目的は、『人質』の救出も勿論の事
だが、こいつに浅慮の報いをくれてやり、二度とこんなふ
ざけた真似が出来ぬ様、思い知らせてやる事だ。
「さっき君が戦った生物は、僕の研究の一環でね。病院か
ら、手に入れた死体にちょっと手を入れた物なんだ。僕は
死人(ゾンビ)と呼んでいるがね。遺伝子工学と西インド
に伝わる秘法の賜さ。君は、ブゥードゥーという言葉を知
っているかい?」
(病院から手に入れた? ・・・と言う事は、前に遠野が
言っていた、新宿近辺での死体の盗難事件は、こいつの仕
業か)
 記憶の抽斗(ひきだし)に押し込んたきりになっていた
情報を引き出しながら、奴に答える。
「知らんな。興味も関心も無ければ、自慢たらしい説明も
聞くつもりも無い」
「そうか・・・、まァ、無理は無い。ククク・・・。ブゥ
ードゥーっていうのはねーーー」
「言った筈だ。話など聞くつもりは無いと」
 だが奴は、舌を動かすのを止めない。
「西インド諸島のハイチ島の黒人達に信仰されている宗教
の名でね。ロアと呼ばれる精霊を崇拝し、オウンガンと呼
ばれる祭司やゾボと呼ばれる魔術師たちは、様々な魔術を
使うといわれている。霊を喚び出すーーー、空を飛び回る
ーーー、そして・・・、死者を蘇らせるーーー。ゾンビっ
ていうのは、元々、ブゥードゥーの魔術によって死者の国
から呼び戻された物の事さ」 
 べらべらと舌を動かし続ける男に対し、俺は完全に無視
を決め込み、こいつの吐いた全ての言葉を、耳に入ると同
時に忘却の河へ流し去った。
「ククク・・・。そういえば、挨拶がまだ、だったね・・
・。僕の名は、死蝋 影司。品川にある高校の教師をして
いる。君の活躍を知りーーー、そして君の助けをーーー、
君の<<力>>を必要としてる者さ。よろしく・・・」
 ・・・高校の教師? なる程、こんなロクでなしの『社
会生活不適格者』が、『先生』だの『聖職者』だの呼ばれ
る立場にいるのでは、日本の教育が荒廃したと言われる様
になるのも無理からぬ事だ。
「よろしくされたくないな。貴様の顔を見るのも嫌だし、
声を聞くと不快感をそそられて仕方無い」
「ククク・・・。そんな顔するなよ。僕と君は仲間なんだ
からさ」
「・・・ジョークを聞くつもりは無い」
 まず言下に拒絶し、そして抑制した口調の中に、明確な
怒気を込めて言い放つ。
「僕はねーーー、君に協力したいと思っているんだよ。君
の持つ超人的な力を、もっと有効かつ合理的に使っていく
方法を、考えてあげようと思っているんだ。ほらーーー、
君は、まだ高校生だろ? 受験や将来の事が忙しくて、そ
んな事、考えている暇も無いだろ? だから、僕の頭脳と
人脈を活用して、君の未来(しょうらい)の手助けをして
あげようと思っているのさ。どうだい、いい話だろ?」
「寝言を抜かすな。貴様に助けて貰わねば、人生やってい
けないぐらいなら、舌噛んで死んだ方が遥かにマシだ」
「ククク・・・。かわいいよ、君って・・・。僕と君は、
いいパートナーになれるよ。きっと」
「有り難い事に、そうなる確率は、円周率が割り切れる可
能性より低い。つまりは、ありえん」
「・・・君は考えた事があるかい? 『人は、何処から来
て、何処へ行くのか・・・』と・・・」
「約400万年前に猿から分化して、今はこの通り。後は
健全で理知的な人が多ければ、その分長く続くし、阿呆が
多ければ、それだけ滅びが早く訪れるだろうよ。偉く哲学
的な命題だが、貴様の様な『四流』の偏執狂が軽々しく口
にするようでは、この言葉の価値も、堕ちる所まで堕ちた
らしいな」
「・・・もしかしたら、僕たちは、もっと、別の進化の道
を歩む事が、できたんじゃないか・・・ってね。・・・・
・・君が協力してくれれば、僕はその謎を解き明かす事が
出来る。君の、そのーーー、強靭な肉体と、揺るぎ無い精
神力、そして、超人的な<<力>>があれば。そうすればーー
ー、人は、超人ーーいや、魔人ともいうべき存在に進化で
きるのさ。わかるかい? 風間 翔二君・・・。その<<力
>>があれば、戦争や犯罪をなくす事が出来る・・・。君達
が苦労して、護っているこの東京も、もうこれ以上、君達
が傷つく事はなくなる。ククク・・・。どうだい・・・。
僕と手を組まないか? そして、人類の新たな未来を築こ
うじゃないか・・・・・・」
「答えてやろうか? NO、いやだね、断る、真っ平御免
だ・・・。どれでも好きな表現を選べ。<<力>>を持った事
で、戦争や犯罪をなくす事が出来る? <<力>>を持って、
それを振るわない自制を持った組織や人間なんぞ、そうそ
ういるものか。<<力>>なんて物は存在した所で、悲劇しか
引き起こさないってのは、歴史が証明している。そんな今
時、気のきいた小学生でも気付く事も判らず、本気でそん
な事を信じているのならば、救い様の無い阿呆だな。『人
類の未来?』そんな物、俺の知った事か。何より・・・貴
様とつるむ事など、俺の羞恥心が許さない。それ以外の奴
だったら、何とか折り合いを付けてもいいけどな」
 いい加減、精神の中に爆発物が溜まって来た。そして何
一つ、まともに取り合おうとしない俺の態度に、奴の顔に
苛立ちにも似た物が漂う。
「無理するなよ・・・。君達だけで、この東京が護れると
でも、思っているのかい? 自分の力だけで、他の人間ま
で護れると思っているのは、君の自己満足(エゴ)だよ。
その君の自己満足の為にーーー、君の仲間が命を落とす事
だってありうる・・・。君はその罪を購う事が出来るのか
い?」
 奴は薄く笑いながら、優越感を込めてそう言いつのる。
「・・・・・・」
 ・・・確かに俺は、社会的にも、法律的にも無力な18
歳にも満たない青二才に過ぎない。もし、俺以外の誰かが
戦いの渦中で後々まで残る障害を受けたり、たおれる事に
なったらどうするのか・・・。俺の首一つ、差し出して済
む事では無い。その点については、奴の言葉は一面真理で
はあった。
「・・・購えないかも知れん。自分の力で出来る事、出来
ない事を弁えもせず、本来は無関係の人を大勢、巻き込ん
でいるのかも知れんし、やっている事は、単なる独り善が
りの愚行なのかも知れない・・・・・・。だが・・・例え
そうだとしても、今の貴様がやっている事も又、世に認め
られる物では無ければ、ましてやその、まともな道を踏み
外している、薄汚い屍体泥棒の下衆野郎に、殊更、善導者
面して言われたり、咎められる様な謂れなど無い!!」
「ククク・・・。若いな、君は。この廃屋の地下に、僕の
研究室がある。ついて来たまえ・・・。僕の研究を見せて
あげよう。そうすれば、そんな甘い事は言ってられなくな
る・・・・・・」
 そう言って死蝋は部屋を出ると、廃屋の奥の方へと歩き
去る。無防備な背中を晒しているのは、自信か油断か。
 正面きっての闘いともなれば、左手一本あればこいつを
『解体』する事が可能だろう。が・・・、敵であっても、
丸腰の奴の背中を撃つ様な事は躊躇われた。戦闘態勢だけ
は崩さぬまま、俺は奴の後を追い、地下へと降りていった
・・・。  

 ・・・奴に少し遅れて階段を降りたが、そこにも複数の
部屋が有った。そして、前方にある半開きになった扉を潜
ったと同時に、照明が目を刺激した。
「!?」
 目を細め、手をかざして光を遮る。そして光に目が慣れ
て来た時ーーー。 
「ようこそ・・・。ここが、僕の城さ・・・・・・」
 死蝋が正面に立っていた。腕には、何かの液体が満ちた
ガラスケースを抱えており、中に入っているのは、鼠の標
本・・・では無い。生きて、じたばたと中で動き続けてい
る。 
「どうだい? 素晴らしいだろ? この鼠は、水の中で、
もう五日も生き続けている。こっちの二つ首のある犬は、
別の犬の首を移植したんだ。それぞれの脳が、感覚を別に
持っていながら、分泌器官や内臓を共有している・・・」
 奴の足元にあるケージの中をうろうろする、『犬だった
』モノの口からは、唸り声と怯える様な声が同時に聞こえ
てくる。
「ほら、こっちも見てごらんよ。この猿は、一度、死んで
いるんだ。それを、僕がある細胞を移植して、生き返らせ
た。何だと思う?」
 そこで奴は言葉を切り、俺を見た。俺が『それはなんだ
?』とでも、聞く事を期待しての事だろう。だが、そんな
物に付き合うつもりなど無い。無視を決め込んだが、奴は
何も知らないと受け取ったのだろう。俺の鈍さを嘲笑う様
な顔をして、再度、口を開く。
「ククク・・・。癌細胞さ・・・。こいつらは、現存する
どの進化形態にも当てはまらない。どの科学の力も為し得
なかった領域に、僕は入り込んでいるのさ。・・・ねえ、
風間翔二君・・・。この技術を、人間に応用したらどうな
ると思う? ククク・・・。想像してみなよ。水の中でも
呼吸のできる人間。二つの脳を持つ人間。死は、もう恐れ
るに足りない。新たなる進化の可能性を人間は、知る事に
なるーーー。素晴らしいと思わないかい?」
 こいつを前にして、狂ってる等と今更、口にする気にな
れなかった。『狂気』という単語に対する定義のベクトル
が、根本的に違っているのだ。
「・・・これが、これが『進化』等と呼べる物か。長い歳
月と苦難や障害を乗り越えた末に、新たな環境や世界に適
応して行く生命の可能性と力を指して、『進化』と呼びう
るんだ。貴様のやっているのは、只、命を弄び、歪めて悦
に入っているだけに過ぎん!!」
「ククク・・・。まあ、いいさ・・・。いずれ、君にも理
解して貰えるだろう。君自身が、その身をもってね・・・

「!!」
 次の瞬間には、左手にある銃が奴の額を狙い、右手から
は『龍爪閃』を繰り出すべく、『力』を高めていた。
「・・・成る程、良く判った。貴様の思考も、存在も危険
過ぎる。今この場で殺しておかねば、後々、取り返しのつ
かない事を招くだろうよ・・・」
 ・・・『あの日』以来『力』を使う事はあっても、殺し
だけは二度とすまいと心に決めていたが、それも過去の物
になりそうだった。事、こいつに関してだけは、良心の痛
みや躊躇といった物を感じる事無く、彼岸の向こう側へ送
り届ける事が出来る。その上で、こいつが創り出した狂気
の産物を、一つ残らずこの地上から消し去ってやる。 
 そう決意し、殺気を込めて睨みつけながらの、俺の宣戦
布告を聞いても、奴の顔色や態度は変わらない。
「ク、クククク・・・・・・。ようやく、僕の研究も完成
する・・・。感謝してるよ・・・紗夜」
 その声が聞こえ、背後からの扉の開く音に反応し、振り
向いた時、ここにいる筈が無い人影を見いだし、俺は顎然
とした。
 青い上着と赤いスカートという、見慣れた制服を身に付
けた栗色の髪の少女・・・・・・。
「比良坂・・・・・・」
 思わず、奴に向けていた銃を下ろし、その名を呼ぶ。
「風間さん・・・」
 軽い混乱があった。奴の指示通り、入り口は施錠してお
り、以後、入り込む事は出来ない筈。そして、奴は人質は
取って無いと言ったが、確かに今の比良坂はどう見ても、
捕らわれていた様には見えない。なら、彼女は、この不愉
快極まる男とどんな繋がりがあって、此処に・・・?
「あの・・・、風間さん、わたし・・・・・・」
「なぜ・・・」
 こんな所に・・・と続けかけた時、視界の隅で死蝋の手
が動き、小さな破裂音の後、俺に向かい銀色の光が宙を疾
る!!
「!?」
 ガウンッ!!
 音に気付き、振り向くと同時に、死蝋に向けトリガーを
絞った。が・・・。狙いは逸れ、そばにあった標本の一つ
を粉砕するに留まり、銀色の光が俺に突き立った瞬間、全
身を筆舌に尽くし難い衝撃と痛みが走り抜ける。
「!!!!!!」
(ス、スタンガン・・・。ワイヤー射出型の奴か・・・)
 立つ力を瞬時に奪われた俺は、銃を取り落とし、床に膝
を付いた。
「・・・・・・」
「少し、眠ってもらうよ。おやすみ、風間翔二君・・・」
 暗転する意識の中で、表情を押し殺した比良坂の顔が、
ぼやけて見え、そして、最後に聞こえたのは、勝ち誇った
奴の声だった・・・・・・。

    ■数日後、放課後ーーー3−C教室■

 帰りのHRも終了し、既に殆どの生徒が帰って、がらん
とした教室内に、話声が響いていた。
「風間クン、今日も来なかったね・・・」
「ええ・・・」
 桜井の声に頷いた美里が、自席の隣・・・本来、そこに
座るべき人影は無い・・・を見やり、頬に手を当てた時、
二人の会話を聞いた京一が、ひょっこり顔を出す。
「家に電話しても、誰も出ねェしな。まァ、あいつは元々
一人暮らしだが・・・。でも、あいつが四日も休むなんて
珍しいな・・・。なァ、醍醐」
「そうだな・・・・・・」
 相棒に会話を振られた醍醐が首を縦に振る。・・・これ
まで、無遅刻、無欠席を続けて来た人間が、連休の第四土
曜と日曜を含むとはいえ、四日間も連絡が不通になってい
る。眉根を寄せ、腕組みをする醍醐。
「何事もなければ、いいが・・・」
「何事もーーーって?」
 怪訝な顔をする桜井。そこに京一が口を挟む。
「まさか、お前、凶津が言ってた事気にしてんのかよ?」
「・・・・・・」
 黙り込む醍醐だが、それを見て京一達も又、期せずして
同じ事を脳裏によぎらせる。

 この街はーーーーーー、この東京は、もうすぐ鬼の支配
する国になる。俺たち、<<力>>を持つものと、鬼たちの支
配する国にーーー。奴らの名は鬼道衆ーーーーーー。この
東京は、間もなく、狂気と戦乱の波に包まれるだろうよ。
奴らはいずれ、お前の前にも現れるだろうぜ。

 ・・・凶津が口にした言葉の意味を考え、一段と深刻な
顔になる醍醐に京一が目を向ける。
「鬼だの鬼道衆だーーーって、時代錯誤もはなはだしいぜ
ッ。今が、いつだと思ってんだよ。江戸時代じゃねェんだ
ぜ?」
「でも、ボクたちみたいに<<力>>を持っている人がいるん
だから、凶津(あのひと)のいうコトも、ウソだとは決め
つけられないよッ」
 表情と声の両方で『馬鹿馬鹿しい』と言いたげな京一だ
が、桜井の声に有効な反論が出来ずに黙り込んでしまう。
「帰りに、風間の家に寄ってみるか・・・。おれの思い過
ごしかも知れんが、それならそれでいい」
「そうね・・・。行ってみましょう」
 腕組みを解いた後、醍醐の出した結論に、まず美里が賛
同し、他の二人も又、頷く。
 そう話が纏まれば後は早かった。一行は手早く帰り支度
を済ませ、足早に教室を後にしたのだった。

        ■真神学園正門前■
 
 そして一行が正門前に差し掛かった時、桜井が少し先を
歩く人影に気付いた。
「あッ、マリアセンセー」
 その声が届いたのか、彼女はそこで立ち止まると、一行
が近付いた所で、話しかける。
「フフフッ。みんな、今、帰り?」
「はい・・・」
「今から、みんなで風間クンの家に行くんです」
「風間クンの家に?」
 美里と桜井が順番に答え、それを聞いたマリアは、意外
そうな顔をした後、事情を理解し頷いてみせる。
「そう・・・・」
「センセー、風間クンからなにも聞いてないですよね?」
「えェ・・・。風間クンに会ったら、早く学校に出てくる
ように伝えて」
「わかりましたッ」
「それじゃ、気をつけてね」
 桜井がそう元気良く答えた後、最後にそう言い残し、彼
女は一足先に校門を出て行く。
「さーてーーー、それじゃ、風間クンの家に、しゅっぱー
つッ」
「うふふ、小蒔ったら・・・」
 威勢よく、手を上げる桜井を見て、美里が微笑んだ時。
「あ、あの・・・。こんにちは・・・・・・」
 遠慮がちというより、恐る恐るといった感じの声が、彼
らに向けられ、四人は一斉にそちらを振り向く。
 それに一番に反応したのは、京一だった。声の主に気付
くや、軽く手を上げて挨拶をする。
「おーッ、紗夜ちゃんッ」
「あッ、どうもです」
 それに応じて、頭を下げる比良坂に、京一は軽い足取り
で近寄って行き、ごく当たり前の台詞を口にする。
「どうしたんだ、こんなところで?」
「あの・・・。風間さんの事で・・・」 
「翔の?」
「はい・・・」
 言葉少なく頷く比良坂を見て、美里は本人も意識せず、
僅かに眉を動かし、そして比良坂を見ながら、桜井が答え
る。
「風間クンは休みだけど。・・・風間クンに、何か用?」
「・・・・・・」
「紗夜ちゃん?」
 桜井の声に、うつむいて表情を曇らせた比良坂を見て、
いぶかしんだ京一が呼び掛けた時。
「風間さんを救けて下さいーーー」
「え・・・?」
 唐突に出たその言葉に、美里は驚きの色も露に声を上げ
る。
「場所は品川区ーーー」
「チョ、チョット待ってよッ、風間クンがどうかしたの!
?」
 桜井も又、驚きと緊張がない混ざった声を上げ、比良坂
の方を注視する。
「詳しい場所は、このメモに・・・。それじゃーーー」
 比良坂は、近くにいた京一に紙片を渡すと同時にきびす
を返し、そのまま一目散に走り去って行く。
「いったい、どうして・・・」
「・・・・・・」
「風間くん・・・」
 訳が分からないという風な顔をする桜井に、ひたすら沈
黙する醍醐。そして、先刻の教室での会話が現実化したよ
うな状況に、思わず美里は眉を潜める。
「とにかく、この場所に行ってみようぜッ。そうすりゃ、
紗夜ちゃんのいってた事が、本当かどうかわかるさ」
「ああ。そうだな・・・」
 京一の声に、言葉少なく醍醐が頷いた時、桜井が付け加
える様に提案する。
「・・・ねェ、ほかのみんなも呼んだ方がいいんじゃない
かな?」
「雨紋たちをか?」
「ふむ・・・。万が一、と言う事もあるか・・・」
 京一が呟き、醍醐が顎に指をやって考えるが、それも長
くは無く決断を下す。
「よし、みんなで手分けして、連絡を入れよう」
「よっしゃ」
「うんッ」
「そうね」
 互いに頷き合うと、四人は迅速に行動に移る。ここ数ヶ
月の間に潜り抜けて来た体験の数々は、良くも悪くも彼ら
を確実に変えていた。

 ーーー山中に墜落した、乗員乗客200名を乗せたイン
ド機は、今日二日目も、地元の救助隊の懸命な救助活動が
行われていますが、墜落現場が、深い密林に包まれている
為、救出活動が難航しています。
 旅客機は、ほとんど形を留めておらず、乗客の安否が心
配されますーーー。
 この機に乗り合わせた日本人乗客ですが、身元が確認さ
れているのはーーーーーー、
 
 一寸先も見えない闇の中、なぜか俺の耳に、淀みなく、
淡々とした声調で、航空機事故についての情報が流れ込ん
で来る。
 そして、その無機質な声が消えると、次に幼児の泣きじ
ゃくる声が聞こえて来た。声が次第に大きくなり、そして
声の主が俺の前に立つ。
(この子は・・・!?)
 栗色の髪を持った、見た目3〜4才ぐらいの幼児。・・
・この前拾った写真の女の子に間違い無い。だが、何故こ
の子が俺の前に現れる? こんな子供と直接出会った記憶
など、俺には無いのに・・・・・・?
「ひっく、ひっく。パパァ・・・。ママァ・・・」
 泣きじゃくりながら、必死に両親を呼んでいる。いつし
か周囲は、闇一色から赤一色に変わっていた。異常な形に
ねじ曲がった金属の塊や、黒く炭化した物体が無数に散乱
し、足の踏み場も無い戦場の様な光景の中を、幼児は力無
く、よろよろと歩きながら泣き続けている。・・・この状
況は一体・・・?
「ひっく。パパとママを助けてーーー。ねェ、パパとママ
を助けてよーーー」
 その涙交じりの声に返って来たのは、パァンと、何かを
弾く音と野太い男の声。
『うるせェ、ガキッ!! こんな状況で、誰が他人の面倒
なんて見るかよッ!!』
「パパとママを助けてーーー」
『あーははははッ!! 運の無い奴は死ぬしかないのさッ
!!』
 更なる呼び掛け、いや悲痛極まる哀願に対しては、嘲り
に彩られた女の声・・・。
「お願い、誰かーーー」
『邪魔だッ!!』
 そして三度目の叫びを遮る様に聞こえた返答は、短く、
残酷なまでの拒絶に満ちていた。
『おーいッ、こっちだ、俺を救けてくれッ!!』
『こっちよーッ!!』
 男も女も含め、辺り一帯から救いを求める声に加えて、
ごうごうと響きわたる耳を聾する騒音が間断無く響く中、
幼児の声はそれらに掻き消され、虚しく宙に霧散するだけ
であり、誰一人として手を差し伸べる所か、その子を見よ
うとしなかった。
「誰か、パパとママを助けてーーー。お願い・・・。お願
い・・・」
 その醜悪極まる、人間の最低の部分を煮詰めたかと錯覚
する様な光景を、目を閉じる事も、耳も塞げず、声も出せ
ずに見つめ続けた俺の中に、ある種の感情が沸き起こる。
(胸クソ悪りィな・・・・・・)
 それは、目の前で繰り広げられる光景に対してと、何も
出来ない自分自身に向けての物とが、混ざり合って生まれ
た物であった。尚も続く光景を見て、その感情が臨界点に
向かって高まって行った時、その最悪の光景を断ち切った
のは、突然耳道に飛び込んで来た、電子音のせいだった。
(!? 何の音だ・・・?)
 その音を認識すると同時に、今まで見ていた光景が急速
に遠ざかり、それと入れ替わりに何か別の物が視覚に代表
される五感へと、流れ込んで来る。
(白い・・・天井か? 何だ・・・? それに、体が妙に
重い・・・。一体、どうなっている・・・?)
 脈絡も無く、そんな事を思っている内に、俺の意識は、
その悪夢にも似た世界を離れ、現実へと引き戻されたのだ
った・・・。 


        第七話『蠢動』其の4へ・・・・・・

 戦人記・第七話其の四へ続く。

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