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真・Water Gate Cafe

葵館・談話室

戦人記・第七話「蠢動」其の四

 ・・・意識を取り戻した俺の耳に、電子音に続いて入っ
て来たのは、電話に向かって喋っている奴の声だった。
「もしもしーーー、あァ、どうも。いつも、研究に協力し
てくれて感謝してますよ。クククク・・・。あれは、いい
素材だ・・・。心配しなくても、あなたの所に研究資料は
お送りしますよ。いえいえ、共に人類の未来を憂いている
物同士ーーー、これからも、協力していきましょう。クク
クク・・・。幸い、我々には共通の協力者(スポンサー)
がいる事ですしね・・・。それじゃ、また。学院長ーーー

 奴・・・死蝋の電話の内容からすると、こういうロクで
も無い所行に手を染めている奴が他にもいるだけで無く、
更にそれを陰から援助している奴らも存在する様だ。だと
すれば、事は単に死蝋の奴を『異状者の天国ないし、常識
人の地獄』に送り届けてやって終わりでは無い。
 尤も、今は奴の背後にいる連中の事を考えるより、俺が
置かれている、深刻かつ、厄介な事態・・・病院の手術台
の様な金属製のベッドの上に寝転がされ、おまけに枷を掛
けられて、四肢の自由を奪われている・・・をどうするか
が、目下の問題だった。
 唯一、自由に動く首を回し、自分の置かれている現状を
確認すると同時に、前の様に自分自身に問いかける事で、
今現在、どれ程の戦闘力が自分にあるのか確認する。
 
 ・・・思い出すだけで、胸が悪くなるような光景に代わ
り、金文字で背表紙が書かれた内容不明の書籍や、資料等
で埋め尽くされた本棚に、机の上にPCが置かれてある辺
り、意識を失った後、別の部屋に移されたのだろう。
 そして上半身は裸にされ、胸には心電図に使う様な吸盤
や、いくつかの電極が突き立っており、更に腕からは複数
の点滴のチューブが伸びている。瓶の中身なんぞ、考えた
くも無いが・・・・・・。
(ちっ・・・。どうやら寝てる間に、人体実験の『満漢全
席(デラックス・フルコース)』に供された様らしいな・
・・。随分と『人道的』な扱いをしてくれた物だ・・・)
 その所為か、空腹感や脱力、疲労感といった物まで全身
に絡みついており、正直、こうやって考える事も億劫でな
らない。
 ・・・結論として、戦闘力は落ちる所まで落ちていると
考えた方が良さそうだ。仮に『解放』を行った所で、その
<(力>>は、平常時にすら及ばないだろうし、今はじっとし
て、少しでも体力の温存と回復を図った方がマシだろう・
・・。
 そう結論を出し、目を閉じて軽く息をついた時。微かに
ドアがきしむ音の後、比良坂が部屋へ入って来た。 
「また・・・、あの人から電話?」
 奴はその声には答えず、探る様な目を比良坂に向ける。
「どこへ行っていた?」
「ちょっと、外へ」
 と、比良坂が素っ気無く返事をした直後。
「あッーーー」
 その比良坂の短い叫び声に小さな物音とが、同時に発生
した。首をそちらに向けて見れば、奴が背後から手を回し
て、比良坂の体を抱き寄せていた。
「お前は、僕のものだ・・・。誰にも渡さない・・・。お
前の、この髪もーーー、この指もーーー、この唇もーーー
ーーー、全て僕のものだ・・・、紗夜」
 奴は奇妙に歪んだ笑みと、生暖かい熱を帯びた声で語り
かけるが、比良坂の方は、僅かに顔を紅潮させてうつむい
たまま、身じろぎ一つしない。
「ククク・・・。人間は脆い・・・。そうさ・・・、すぐ
にあっけなく死んでしまう・・・。だけど、全て悪いのは
脆弱な人間の体さ・・・。強い魂を入れる強い<<器>>があ
れば人間は、今以上に強くなれる・・・。そうすれば、愛
する者を失う事もない・・・。死を恐れる事もないーーー

「・・・・・・」
 奴の声を聞きながら比良坂は、何か言いたそうに口を小
さく上下させるが、結局、何も言いだせないままに、再び
下を向いてしまう。
「ククク・・・。まったく、お前は、いい素材を探して来
てくれたよ・・・。あの新宿の病院に張り込ませていた甲
斐があった。何でも、あそこは、特殊な病院らしいからね
・・・」
(新宿にある特殊な病院・・・、桜ケ丘の事か。奴の話か
らすると、墨田でのゴタの時、比良坂とあの場所で会った
のは、偶然では無かったって事か・・・。あの時は、そん
な事にまで考えを巡らしていられるだけの、時間的余裕は
無かったとはいえ、もっと慎重に対応すべきだったな・・
・)  
 ボケた頭でそんな事を考えていると、奴は腕に抱えたま
まの比良坂の顔を間近から覗き込む。
「どうした、そんな顔をして・・・? 心配するな。きっ
と、研究は成功する」
「・・・・・・。もう止めて・・・。もう、こんな事をす
るのはーーー」
 そして沈黙の後、何かに耐える様な表情で、初めて比良
坂が口を開いた。
「・・・・・・? どうした、紗夜・・・。愚かな人間た
ちに復讐したいとは思わないのか? 僕たちにこんな仕打
ちをした奴らを見返したいとは、思わないのか? お前だ
って、忘れた訳じゃないだろう・・・・・・」
「・・・・・・」
 奴の言葉に、三度押し黙ってしまう比良坂。そして奴は
比良坂の体を離すと、含み笑いを洩らし、視線を転じる。
「ククク・・・。お前は少し疲れているんだ。どうやら、
お前の王子様も目覚めたらしい・・・・・・」
 奴は薄ら笑いを貼り付けて俺に近寄ると、機嫌良さそう
に話し掛けて来る。
「おはよう。お目覚めのようだが、気分はどうだい?」
「・・・。最悪、だな・・・・・・」
「それは、それは・・・。しかし、こんなに早く、麻酔か
ら覚めるとは、思わなかったよ。その身体は、薬物に対す
る抵抗力も高いみたいだねェ」
「日頃の行いが善いのと、長く苦しい修行の賜でね。・・
・貴様と違ってな」
 奴を睨み付けながら、そう皮肉交じりの減らず口を叩い
てみせた後。
「・・・俺の得物はどこだ?」
「得物? ああ、それなら、そこに転がってるよ」
 俺の声に答えた奴の指した先・・・、数m先の床上に置
いてある箱の中に、銃と手甲が上着と一緒に無造作に突っ
込まれていた。
「だが・・・、それを知った所で、君にはもう不要の物だ
ろう。違うかい?」
「違わんね。あれは、お前の様な輩をあの世へと叩き出す
為に、必要不可欠な物なのでな」 
「ククク・・・。まァ、いいさ。その拘束具はそう簡単に
外れやしない。君のーーーその<<力>>を持ってしてもね・
・・」
「・・・試してみるか。一度試せば、次は無い。そして、
これが外れた瞬間、俺は必ず貴様を殺す」
 奴に向かって唾を吐きかけなかったのは、位置が悪いの
と、少し距離があった為だ。
「風間さん・・・・・・」
 比良坂からの声に、俺が彼女の方へと顔を向けた時。薄
ら笑いを浮かべたまま、奴が口にした言葉が俺の耳を通じ
て、心臓へと突き刺さった。
「ククク・・・。風間翔二君。紗夜はねェ・・・、僕の命
令で、君を観察していたのさ」
「観察・・・だと?」
「そう・・・。君の行動、性格、そして、その<<力>>ーー
ー。君が僕の研究の素材として相応しいかどうかーーー、
それだけを、見る為に・・・ね」
「・・・・・・」 
 その奴の言葉を聞き終わると同時に、彼女との出会いに
始まり、交わした言葉や、更に彼女と出会った状況の数々
を思い返し、再検証して行く。・・・その結果、頭の中で
構築途中のまま放置されていたクロスワードパズルが、不
足していた部分を得て、急速に形を整えて行き、それが完
成した時、一つの結論が導き出された。
「ふん。なる程、そういう事か・・・。さしずめ俺は、何
も知らずに貴様の用意したケージの中を走り回っていた哀
れな『モルモット』。そして彼女は、反応を確かめる為の
『エサ』だった・・・。とでも、言いたい訳か・・・」
「ククク・・・」
 奴が洩らしたその笑い声と表情の両方が、『正解』だと
俺に伝えていた。そして笑いを収めると、後ろに立つ比良
坂の方を顧みる。
「紗夜。風間翔二君に、何かいってあげたらどうだい? 
口ではああいっているが、彼は、まだ現状を理解しきって
はいないようだからねェ・・・・・・」
 言いながら奴が少し後ろに下がると、比良坂がそれまで
伏せていた顔を上げて、入れ替わる様に俺に向け、歩み寄
って来る。俺は彼女の表情から、後悔に代表される複数の
感情が、交互に浮かんでは消えていく様なものを感じ取っ
た。やがて力無い声が、比良坂の口から出て来た。
「風間さん・・・。わたし・・・。・・・ごめんなさい・
・・」
 比良坂の発したその言葉に対し、俺はそれまで奴に向け
ていた殺気と怒気を抑え込むと、口調と表情を和らげて彼
女に話し掛ける。
「・・・謝らなくてもいい。奴はああ言ったが、比良坂は
本心から、こいつに加担していた訳ではないだろう。悪い
のは全て、罠と知ってながらノコノコ踏み込んで、とっ捕
まった俺の無能さ加減と、後は・・・。比良坂は何も悪く
は無い。そして俺は、君に対して怒りもなければ、恨みも
持っていないから・・・。だから・・・謝らないでくれ。
君のそんな顔を、俺は見たくないのでな・・・・・・」
 と、ゆっくりとした口調で比良坂に話し掛ける。彼女に
向けた言葉に嘘は無い。正直、彼女との付き合いはさほど
長くは無いし、その為人の全てを理解している等と言うつ
もりは無い。が、それでもこんな所行を自ら望んで行う様
な人間では無い事と同時に、彼女の本質では無い事ぐらい
は判っているつもりだ。そして本当に憎むべき相手が存在
するならば、それは他でも無い、彼女にこんな真似をさせ
た奴だ。この男だけは、何があっても赦すつもりは無い。
「風間さん・・・。本当にごめんなさい・・・・・・」
 俺に向かい比良坂が、今にも泣き出しそうな表情で、そ
れだけを呟き、うつむいた時。毒を含んだ不愉快この上な
い笑い声が、俺の耳に届いた。
「ククク・・・。何をあやまる事があるんだ、紗夜。彼の
身体は、人類の未来の為に、役立つんだよ? 感謝されこ
そすれ、恨まれる覚えはない」
 薄ら笑いを浮かべながらの奴の一方的な言いぐさに、俺
は心からの侮蔑と嫌悪を込めて吐き捨てた。
「よくもまあ、ぬけぬけと・・・。貴様は、人間と呼ぶに
値するものか。この恥知らずのドブネズミが・・・!!」
 俺の身体の脱力、疲労感等は未だに残っていたが、その
存在は身体の中で奔騰する巨大な憤激と、それに伴って沸
き起こる<<力>>の前に、急速に勢力を縮めつつあった。四
肢を拘束していた金具がきしみ、悲鳴を上げるかの様に、
嫌な音を立てる。
「ほぅ・・・。この状態で、まだそんな<<力>>を出せると
はねェ・・・。ますます君に、興味が湧いてきたよ。だが
・・・」
 奴の手が白衣のポケットから、何かを引っ張り出すやい
なや。
「・・・・・・!!」
 俺の全身を、数日前に味わったものに匹敵する苦痛が貫
いたが、意地と自尊心の総力を懸けて、声を出すのだけは
堪えた。
「どうだね? 効くだろう? ごく短時間なら、命に別状
は無い程度の高圧電流を流したんだ。君の抵抗力を削ぐの
と同時に、肉体の耐久力がどれ程のものか、調べなければ
ならないからね・・・・・・」
「き、貴様ァ・・・」
「少し、お喋りが過ぎたようだね。さあ、もう一度いこう
か・・・」
「!!!!!!」
 悦に入った顔で奴が再び機器を操作し、全身を襲う電気
ショックに耐えつつ、俺が何とか反撃と脱出の機会を見出
そうとしていた時・・・・・・。

          ■廃屋前■

 一方その頃、比良坂からのメッセージを受け取った醍醐
達は、途中で雨紋、高見沢、裏密、紫暮、藤咲といった面
子と合流し、総勢9人となった一行は、地図に載っていた
品川区の廃屋前へと、辿り着いたのだった。
「この辺りか・・・」
「あァ、紗夜ちゃんからもらった地図だと、この辺だな」
 荒れ放題の建物を前にしての醍醐の声に、地図を持った
京一が答えた時。
「ねェ、罠じゃないのかなァ?」
 弓を袋から出して弦を張りながらの桜井の一言に、京一
は顔をしかめる。
「んなワケねェだろッ」
「だってーーー」
「まあ、用心しておくに越した事はないな」
 と、口論に発展する前に、醍醐がストップをかけるが。
「ちッ、疑り深いやつらだせ」
 尚も京一は小さく呟きつつ、自らも得物を取り出す。
(風間くん・・・。比良坂さん・・・)
 美里は無言のまま、両手を胸の前で強く握り合わせる。
 先程から、何か悪い事が起こるのではないかと、いう予
感にも似た思いが、彼女の鋭敏な感覚を刺激してやまず、
それに追い打ちをかけるかの様に、胸の内に存在する不安
と焦慮の混合物が、加速度的に膨張していった。
「風間クンになにもなければいいけど・・・」
「そうだな・・・・・・」
 弦を張り終えた桜井がポツリと洩らした言葉に対し、深
刻な面持ちで、醍醐は声に出して頷く。
「アンタらが、心配すンのも無理ねェけどよ、ここでこう
して話してたって、ラチあかねェだろ?」
「そうそう。今は行動あるのみよッ」
 雨紋に続いての藤咲の声に、その場にいた他の面々も、
皆、一様に頷いて見せる。 
「・・・そうだな。みんな、行くとしようか」
 その場にいる全員を見渡した後、醍醐の言葉を合図に、
一行は問題の廃屋に向かい歩き出し、入り口にある錆付い
た扉は、数日前と同様、重々しい響きと共に開き、招かれ
ざる客人達を迎え入れた。
 早速、屋内を調べにかかる一行。だが、一部屋、一部屋
ごとに丹念に調べたにも関わらず、何一つ目ぼしい成果を
挙げる事は出来なかった。
 そして、建物の奥手にある部屋・・・数日前、そこで彼
らが捜している人物が死人共の襲撃を受け、そしてそれら
尽くを葬り去ったものの、その痕跡は何一つ残らず隠滅さ
れてしまった・・・。に入り込んだ所で、京一が呟いた。
「・・・誰もいねェな」
「ここ・・・、使われているの・・・」
 只、広いだけの殺風景な室内を、桜井が不審げな表情で
見回し、その隣に立つ美里も憂慮の表情で、無言のまま頬
に手を当て、首を傾げてみせる。
「ほんとに、この建物なのかよ。別の建物じゃねェのか?

「でも、比良坂さんの地図を見ると、ここっぽいんだけど
なァ・・・・・・」
 それまで京一が持っていた例の地図を、自分の手に移し
た桜井が、地図に記された道順や周囲にあった目印等を、
指先でなぞり、更に頭の中で再確認しながらそう答える。
「京一・・・」
 不意に呼び掛けられた京一は、反射的に相棒の方を見や
る。
「ん? どうした、醍醐?」
「何か聞こえないかーーー」
「なにかって、なんだよ。オレには風の音しか聞こえねェ
が」 
 と、大して気に止めようとせず京一は答えるが、醍醐は
それにかぶりを振ってみせる。
「いや・・・。下の方から、何か低い振動音のような音が
聞こえるーーー」
 その醍醐の声に、全員が耳を澄まし、聴覚に神経を集中
させる。そして・・・。
「ホントだ・・・。なんの音だろ?」
 その異音に気付いた桜井が、当然といえる質問を口にし
た時。
「ねえねえ。こっちに階段があったよ〜」
 との高見沢の声が、自然、次の行動を決定づけた。
「よし、下に降りてみようーーー」
 何の成果も得られなかった建物の地上部分を後にし、9
人が地下部分の捜索に移ったのと、ほぼ同時刻・・・。

「ん・・・・・・? 何か、音が聞こえた気がしたが・・
・」
 手術用の道具を準備していた死蝋が、ふと顔を上げる。
あれから電撃は数回続き、俺は致命傷には程遠いが、決し
て無視は出来ないダメージを受けていた。せっかく高まっ
ていた<<力>>も、半分方消えてしまい、拘束具から逃れら
れるかどうか、正直おぼつかない・・・。
(この状況で、更に麻酔なんぞかけられでもしたら、それ
こそ『ゲームオーバー』だ。何とかせねば・・・)
 相当ヤバい状況であるが、この後に及んで外部からの救
援なんぞ来る筈が無いし、何とか自力で切り抜けない事に
は、解剖実験用の『丸太』という、楽しすぎる未来が俺を
待ち受けている。
(来てくれた・・・。お願い、早くここへ・・・)
 『物音』の正体を知っている比良坂が、表情には出す事
無く、内心安堵し、心の中でそう強く願う傍ら・・・。
「ククク・・・。まァ、侵入者だとしても、捕まえて、実
験材料にするまでだ・・・」
 聞くもおぞましい言葉を、平然と口にした奴は、少し離
れた壁際に立つ比良坂の方を見る。
「紗夜。死人たちの部屋の扉を開けてくれ。侵入者を始末
させるには、丁度いいーーー。ククク・・・。今日は、つ
いているなァ。新鮮な素材か、向こうからやって来るとは
ね・・・・・・」
 奴は、心底愉しそうに笑っていたが、動こうとしない比
良坂を見て、その笑いを止めると、不審げな声を代わりに
発した。
「どうした、紗夜。早く、部屋の扉を開けてくれ」
「・・・・・・。もう・・・、止めて」
 うつむいたままの比良坂が、咽喉から押し出した声に、
奴は忙しく動かしていた手を止め、彼女を凝視する。
「紗夜・・・・・・」
「もう・・・、こんな事は止めてーーー」
「何をいいだすのかと思えば、また、そんな事を・・・」
 聞き分けの悪い子供を、あやす様な声を奴は出し、彼女
に向かって手招きする。
「こっちにおいで、紗夜」
 だが比良坂は奴の声に対し、頭を振って拒絶を示した。
「風間さん。今、拘束具を外してあげるわ」
「紗夜・・・、何で、そんな事をするんだい? 僕には、
お前の行動が理解できないよ」
 俺が動きを封じられている手術台へと、近寄ってくる比
良坂がそんな言葉を口にするなど、奴は思ってもみなかっ
たに違いない。半ば呆然とした奴の顔に衝撃と驚愕の色が
満ちた後、比良坂の手の中に俺の銃と手甲があるのを見た
奴は、怒りに満ちた顔を比良坂に向けた。
「紗夜ッ!!」
 だが、死蝋から怒声を浴びせ掛けられても、比良坂の歩
みは止まりはしなかった。
「風間さんーーー。わたし、いつも、あなたを見ていまし
た・・・。あなたの言葉ーーー。あなたの強さーーー。あ
なたの優しさーーー。初めは、あなたに近付く為だけだっ
たけど、いつからか、そんなあなたに魅かれ始めていまし
た。・・・人は、復讐の心だけじゃ生きられない・・・。
人は、一生をその為だけに捧げる事は出来ない・・・。そ
う・・・思い始めたんです。わたし・・・、間違っている
でしょうか?」
「いや・・・、比良坂は間違っていない・・・。それに気
付いたのは、比良坂が人として、そして看護婦を目指す上
で、一番大切な物を決して見失っていないという、何より
の証だ。人を信じ、慈しむという事のな・・・」
 真っ直ぐ俺の方を見つめながら、自らの心情を吐露した
後、問いかけて来た彼女に、俺はそう答えた。
「風間さん・・・、わたし、あなたのこ・・・」
 そして比良坂が全てを言い終える前に、地下室に押し殺
した笑いが響いた。奴は肩を震わせながら笑い続け、何度
も頷いてみせる。
「ククク・・・。そうか・・・、そういう事か。道理で、
最近、様子がおかしいと思ってたんだ。許さないぞ・・・
紗夜。お前は僕のものだーーー。心も・・・身体も」
「止めてッ!!」
 奴のその言葉を、短いが強い力を含んだ声が遮った。そ
して何かを振り払うかの様に、何度も頭を振りながら、更
に言葉を続ける。
「止めて・・・兄さん」
(兄さん・・・だと? と言う事は、あの写真の中で、比
良坂と一緒に写っていた男は、死蝋だったのか!?)
 俺の中を驚きが駆け抜ける中、比良坂の声は尚も続いて
いる。
「わたしは、兄さんのものじゃないわッ。わたしは、生き
ているのッ。わたしは、自分で考えられるのッ。兄さんが
創った怪物たちと一緒にしないでッ」
「紗夜・・・」
 声はさほど大きくは無い。だが、それに反比例して、声
に含まれた拒絶と嫌悪の意志は大きく、それをまともに受
けた奴は、目に見えてたじろいだ。
「もう、こんな事は、終わりにしましょう・・・。病院か
ら死体を盗んだり、人をさらったりーーー。こんな事をし
て、何になるっていうの? 兄さんは、あいつらに騙され
ているのよッ。いいように、利用されてるだけだわーーー

(あいつら? 先刻の電話に出て来た、スポンサーとやら
の事か。・・・待てよ。こいつの背後にいるのって、まさ
かとは思うが、例の『奴等』なんじゃないのか!?)
 比良坂が糾弾という名の、言葉の連弾を奴に浴びせてい
た時、その中に含まれていた一言から、俺は脳裏に閃く物
を感じた。勿論、それは確たる物的証拠や、他者への説得
力を有する物では無いが、それを否定する材料も又、持ち
合わせて無かった。
 その事に思い至った俺が内心、慄然とする一方で、黙り
こくっていた死蝋が口を開いた。
「・・・お前も、僕を裏切るのか? 薄汚い人間たちと同
じように・・・。強欲で身勝手な人間たちと同じように・
・・・・・」
 声こそ静かだが、不気味な雰囲気に加えて、憤りに満ち
た視線が真っ向から比良坂を見る。だが、彼女は唇を一文
字に引き締め、うつむく事無く、正面からそれを受け止め
る。そして奴の視線が、比良坂から俺に移った。
「風間翔二・・・。お前さえいなければ、紗夜は、僕のも
のだった・・・。お前さえいなければ・・・・・・」
「ーーーーーーッ!!」
 声の中にはっきりと、俺に対する害意や悪意が含まれて
いる。それに気付いた比良坂が、息をのんだのが判った。
「ククク・・・。そうだよ、簡単な事じゃないか。風間翔
二・・・。お前が死ねばいいんだ。お前が死ねば、紗夜は
僕の元へ帰って来る。腐童ーーー」
 そう言った奴は、自らが出した結論に満足気に頷くと、
すぐそばにあった、何かのスイッチに手を延ばした。
「ううぅぅぅぅッ」
 近くの扉が開くと、獣の様な唸り声が響き、巨大な影が
入って来た。
 ・・・現れたのは、身長は2mを軽く越し、そしてペン
キを塗りたくった様な緑色の肌の下に、岩盤の如く分厚い
筋肉と、子供の太股ほどある膨れ上がった上腕を持った、
非人間的かつ、魁偉な巨人だった。
 これも又、死体を元に死蝋が創り出したゾンビであると
同時に、恐らく奴の切り札なのだろう。比良坂の顔に、怯
えと恐怖の色が満ちた。
「兄さんッ」
「腐童・・・、こいつを殺せ。この男をーー」
 死蝋の指が、俺を指し示すと同時に、腐童と呼ばれたゾ
ンビは、唸り声と共に向かってくる。
「止めて、兄さんッ!!」
 声まで蒼白にして比良坂は叫ぶが、腐童の動きは止まら
ない。腕がゆっくりと、元の位置から上がっていく。
「っぬああぁぁぁぁッ!!」
 俺も既に行動に移っている。奴らを迎え討つ為に、四肢
に<<力>>を送り込んで、拘束具を一気に引きちぎろうとす
る。が・・・・・・。
 電撃の被害は予想を越えて深刻だった。自由を取り戻す
のに、必要なだけの力が足りない。
 そして、腐童が大きく腕を振りかぶったのが見えた。こ
んな状態で奴の一撃を受けたものなら、容易に致命傷とな
りうる。金具はギシギシと悲鳴を洩らし、今にもちぎれそ
うに上下に揺れ動いてはいるが、腐童からの一撃を喰らう
前に逃れるのは、恐らく無理だろう。
(クッ・・・。まずい、間に合わん・・・!!)
 あがきつつも、直撃を受ける覚悟をし、それに伴う衝撃
と苦痛に耐えるべく、俺が全身に力を込めた時、そこから
どれ程も離れていない一室では・・・・・・。

「醍醐・・・、ほんとに聞こえたのかよ」
「う、うむ・・・」
 その疑わし気な京一の声に対し、醍醐の返事は歯切れが
悪い。
 あの後、地下に降りた醍醐達だが、彼らが見たのは今ま
でと変わらない、がらんとした空き部屋だけで、例の音の
発生源と見られる様な物を、見つける事は出来なかった。
「ちッ。全然、そんな音なんて聞こえねェじゃねェかよ」
「・・・・・・」
 との、音高い舌打ちに続いての京一の声に、黙り込む醍
醐の横で桜井は首を傾げた。
「おかしいね。さっきは、確かに聞こえたんだけどなァ」
「そうだな・・・」
 桜井の言葉通り、一行が地下に降りると同時に音は消え
てしまい、後はいかに耳を澄ましても、物音一つ聞き取れ
なかった。
「上へ戻ろうぜッ。地下(ここ)には、なんもーーー」
 さっさときびすを返した京一が、一歩を踏み出したまさ
にその時。
「きゃあぁぁぁーーーッッ!!」
「ーーーーーーッ!!」
 突如、地下に反響したうら若い女性の悲鳴に、緊張と危
険に対する警戒の色が、一瞬にして全員の表情に満ちる。
「この声はッ!!」
「あっちだッ、行くぞッ、みんなッ!!」
「よっしゃッ!!」
 京一を先頭に、全員が脱兎のごとく、そこから飛び出す
と、悲鳴が発せられた場所・・・少し前方にある、金属製
の扉の向こうを目指し、ひた走る。
 二十秒とかからず、その扉の前に立つと乱暴に蹴り開け
た結果、強引な接吻を強いられた壁と扉とが抗議する音を
聞きながら、9人は一気に室内へと躍り込んだのだった。
 

 俺を襲った腐童の殴打の前に、自らの身体を楯として受
け止め、吹き飛ばされた比良坂が俺がいる手術台、ついで
床に叩き付けられる異音を聞き、倒れ伏す光景を目の当た
りにした、俺の呼吸と思考が一瞬停止し、精神の中に空白
が生まれた。そしてその空白を満たしたのは、一秒にも満
たぬ間に煮えたぎった、負の感情であった。
「貴様ァァッ!!」 
 沸騰する激情のままに吠えた瞬間、それまで右手を固定
していた枷がはじけ飛んだ。と同時に、自由になった手に
条件反射的に集めた『気』を、腐童に向けて叩き込む。
 至近距離からの『発けい』をまともに食らって、今度は
腐童が吹き飛んだ。奴の体は、壁際にある本棚まで飛んだ
後、ぶつかった衝撃で倒れかかる本棚の下敷きになる。
「比良坂ッ!!」
 まだ左手に掛けられている枷に右手を延ばしながら、床
にうずくまる彼女を呼ぶと、それに反応して、ぴくりと体
が小さく揺れ動いた。
「風間さん・・・、これを・・・」
 そして弱々しい声と共に、緩慢に上体を起こした比良坂
が差し出した銃を受け取ると、残った枷をそれで吹き飛ば
し、体に付いていた電極類を引き剥して手術台から飛び降
りた。彼女の体を抱き上げ、呼びかける。
「比良坂ッ!!」
「風間さん・・・。大丈夫ですか?」
 満足に立つ事さえ出来ない状態にあるのに、苦痛どころ
か、他者の身を案じる言葉が彼女から出た事に絶句した俺
は、只、頷く事しか出来なかった。そして一時的に麻痺し
た声帯と言語能力をどうにか動かし、咽喉の奥から声を絞
り出した。
「比良坂・・・。なんて無茶な事を・・・・・・」
「良かった・・・。風間さんに、怪我が・・・なくて。わ
たしなら、大丈夫、です・・・」
 ・・・大丈夫な筈が無い。髪を纏めていたリボンはどこ
かへ行ってしまい、そして乱れた髪と顔は頭からの出血で
半ば朱く染まり、口の端からも細く血が流れだしている。
もしかしたら、傷は内臓にまで達しているかも知れない。
 そんな状態だというのに、彼女の顔には、微笑みすら浮
かんでいる。
「そ・・・そんな・・・、何でだ、紗夜・・・。何で、そ
んな奴を庇うんだ・・・。そいつが死ねば、僕たち兄妹を
邪魔する奴はいなくなるのに。何でなんだ・・・・・・」
 目の前で起きた出来事に、とてつもないショックを受け
たのか、震える声を隠そうともせず、蒼白な顔で死蝋が独
語した時、鈍い音が響いた。
「!?」
 我に返った奴が、扉の方を振り向くと同時に、開け放た
れた扉の向こうからどやどやと、俺にとっては見慣れた顔
が部屋に乱入してくる。
「京一に醍醐ッ、それに・・・」
 本来、来る筈のない連中がこの場に現れた事に、信じら
れない思いを込めて、俺は連中の名を呼んだ。そしてその
中に美里と高見沢の姿を認め、僅かながら内心に安堵を覚
えた。二人の<<力>>があれば、奴らを張り倒して、比良坂
を医者に見せるまで、手当を任せる事が出来る。
 俺は比良坂の体を抱き上げると、大急ぎで醍醐達がいる
入り口の方へと走り寄った。
「お前たち・・・、何故、ここに・・・。紗夜、まさかー
ーー」
 背後からの死蝋の声に、俺は何故醍醐達が、此処へとや
ってこれたのか、遅まきながらその理由を悟った。比良坂
が呼びに行ってくれたのだ。それが、実の兄に対する裏切
りになるのを承知した上で。それだけでは無く、彼女は・
・・・・・。
「風間くんッ!!」
「風間ッ!!」
「紗夜ちゃんッ!!」
「比良坂さん、どうしてここにーーー」
 美里、醍醐、京一、桜井の順に声が上がると、比良坂が
うっすらと目を開けた。
「風間さん、みなさん・・・。早く、逃げて下さい。早く
・・・」
 どうにか聞き取れる程の小声で囁いた比良坂が咳込み、
吐き出した呼気に血が混じった。
「紗夜ちゃんッ、ケガしてんじゃねェかッ!!」
「喋るんじゃない、体力を消耗する。・・・美里、高見沢
ッ!!」
 血相を変える京一。そして比良坂の体をそっと床に降ろ
し横たえると、俺は癒しの<<力>>を有する二人を呼ぶ。 
 比良坂の側でしゃがみ込み、美里が<<力>>を送り込む一
方、高見沢は持参した救急箱から医療キットを取り出し、
応急手当を始める。
 その間に、得物を手に臨戦体勢に入った雨紋や醍醐、紫
暮といった面々は、傷ついた比良坂と美里達を守るかの様
に、ぐるりとその周囲を取り囲み、壁の様に立ち並ぶ。
「・・・五分で片付ける。二人共、それまで比良坂を頼む

 <<力>>を放ち続ける美里と高見沢に向かい、そう告げる
と、俺も醍醐達と肩を並べる。奴から受けた電気ショック
のダメージや、注射された薬物の影響はまだ、体の芯に残
っている。だがこの程度の事、比良坂が受けた痛みに比べ
たら、どれ程の事か・・・・・・!
「ううぅぅぅっ」
 倒れた本棚を押し退けて、腐童が唸り声を上げながら立
ち上がった。・・・本調子でなかったとはいえ、どうやら
『発けい』一発ではさしてダメージにはならなかったか。
「何だ、こいつは・・・」
「巨人の・・・化け物・・・!?」
 それを見た醍醐と紫暮が、声に出して驚きを表し、そし
て死蝋が、強烈な敵がい心と憎悪に溢れた眼差しを全員に
向けて来る。
「ククク・・・。わかったよ、紗夜・・・。お前は、騙さ
れているんだね。こいつらにーーー。安心するんだ。今、
僕がその呪縛を解いてあげるよ。紗夜を、お前たちの好き
にはさせないーーー。行けッ、死人たちッ。こいつらを、
殺せッ!!」
 奴が言い終えると同時に、すぐ近くにあったドアが開か
れ、そこから数日前と同じく、例のゾンビ共がゾロゾロと
列をなし、俺達に向かって押し寄せる。
「ククク・・・。僕の<<力>>を見るがいいッ」
 ゾンビ共の影になってその姿は見えないが、声と<<力>>
持つ者に共通する、誹い光だけははっきりと確認出来た。
 ・・・なる程、あの悪趣味な研究の産物や、『動く死体
』なんぞを創り出せたのも、こいつに<<力>>が有ればこそ
か。
「なッ、なんだこりゃッ」
 そして、今迄闘ってきた奴らとは、明らかに異なる異形
の敵を目にし、京一の声にも驚きが多分に含まれている。
「・・・あれは、病院から盗んだ死体を元に創り出された
物だ。あの男は、ゾンビ等と称して、手駒として使ってい
るがな。・・・気をつけろ。死体を元にしてるから当然、
痛覚も自我も無い。奴らは行動不能にならない限り、何度
でも起き上がってくるぞ」
 その場にいる全員に聞こえる様、俺は手甲を填めながら
注意を発する。
「行動不能って・・・。どうすりゃいいんだよッ」
「そんな事は自分で考えろ。さしあたっては、首を飛ばす
か、バラバラにするか・・・。どっちでもやり易い方を選
べ」
 京一を相手に、口を動かしたのはそこまでで、次の瞬間
には床を蹴り、奴の作り出した木人形(でくにんぎょう)
共の真っ只中へと躍り込んだ。

        第七話『蠢動』其の5へ・・・・・・

 戦人記・第七話其の伍へ続く。

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