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真・Water Gate Cafe

葵館・談話室

戦人記・第七話「蠢動」其の伍

「貴様等雑魚と、遊んではいられんのだ!!」
 『龍爪閃』の一撃でゾンビの頭を粉砕する。雑魚ゾンビ
なんぞ、相手している暇は無い。今は一刻も早く、比良坂
を医者に看せねばならない。そういった事情も加わり、俺
は今ある全ての<<力>>を使って、目に写る物全てを片っ端
から倒していった。腕を振るい、足が唸りを上げる毎に、
愚鈍な肉人形共は床に倒れ、壁に叩きつけられ、次々と潰
れていく。
 その頃には醍醐達も、ゾンビ共を相手に立ち回りを演じ
ている。雨紋の槍が的確に急所を刺し貫き、醍醐と分身を
出した紫暮が、休む事無く拳や蹴りを繰り出す横で、藤咲
と京一のコンビが奮闘していた。藤咲が手にした鞭を振る
うと、それは大蛇の様にゾンビ共の手足に絡みついてその
動きを封じ、そこへ間髪入れず、京一の刀が宙に白銀の軌
跡を描き、次々と斬り倒して行く。
 室内が広くない上、敵味方が入り混じっている為、普段
なら『前線』を援護すべき桜井は、矢をつがえてはいるも
のの、中々それを射放つ機会が無い。
 そんな状況で、裏密が投げつける(妙な輝きを帯びた)
光の粉が、以外な効果を発揮していた。何故そうなるかは
不明だが、その粉を浴びたゾンビは、コーヒーカップに落
とし込んだ角砂糖の如く、溶け崩れていく。
 死蝋の狂気が生み出したものが蠢く地下研究室は、一秒
毎に『人ならざる物』の残骸が折り重なっていく戦場にも
似た、悪魔のゴミ捨て場へと変わって行った。
『六つッ!!』
 確認した範囲で、最後のゾンビが掴み掛かって来た所へ
『龍星脚』を浴びせ、吹き飛ばす。そして、床の上でもが
くそいつに止めを差した後、俺は口中で小さく毒づいた。
「くそぉ、このボロ体が・・・」
 『気』を練るのも、それを撃ち出すのにも、普段の倍以
上の時間と体力を必要とするのに、肝心の威力の方はとい
えば、口にするのも情けないぐらい衰えている。更に体の
方も、本来の動きと力には程遠い。
 雑魚相手に手傷を負う事は無かったが、どうって事もな
い筈の相手、そして闘いが始まってどれ程も経過ってない
のに、俺は肩で息をする程疲弊していた。荒れた呼吸を整
える間も無く、次の相手が迫る。
『ガアァァァッ!!』
 俺を殺すという、死蝋から受けた命令を実行すべく、獣
も怯える様な雄叫びを上げて腐童が迫り、丸太の様な腕を
振り下ろした。
「ちッ!!」 
 間一髪の所で避けたが、奴の拳を受けた頑丈な金属製の
机が、只の一撃で飴細工の様に捻じ曲がり、粗大ゴミと化
す。・・・とんでもない力だ。こいつにかかったら、人間
の頭など卵同然だろう。
 奴は身をかわした俺の方に向き直り、無造作に近寄ると
再び剛腕を振るう。その一撃を、ギリギリの所で見切って
懐に入ると、『掌打』を叩きつける。しかし・・・。
 まともに受けたら、醍醐や紫暮でさえよろめく筈の打撃
が、奴には毛ほどもダメージを与ええなかった。
(・・・まずい! 『気』もそうだが、力が充分入らなか
った!!)
 攻撃の失敗に気付き、後ろへと跳び下がって間合いを取
り直す間もあればこそ。
『うおぉぉぉっ!!』
 奴の腕が伸びて俺の襟首を鷲掴みにすると、宙につり上
げ、そのまま壁へと向かい力まかせに叩きつけた。
「ぐはぁッ!!」
 全身に加わった衝撃と苦痛に、堪らず悲鳴が出た。後頭
部を強打した事で意識が飛びかけ、更に凄まじい力で喉元
を締め上げられる。
「ぐッ・・・、がッ・・・!!」
 こんな状況で『気』など練れる訳も無く、それ以外の手
段でこの絞首刑から逃れようと、手を延ばし胴を蹴りつけ
て、抵抗するが無駄な努力に終わった。
 呵責無い締め付けに、気管を通る空気の量が一秒ごとに
減少し、締め殺されるのが先か、頚の骨が砕けるのが先か
という、最悪の二者択一が俺に突き付けられた時。
 そこへ何かが飛び込んで来るのが、次第に暗くなる視界
の隅に映った。
 奴のお留守になった背中に向け、まず京一が斬り込み、
二撃目は紫暮の『発けい』。最後に鋭い気合いと共に、体
ごと飛び込んだ醍醐の強烈なレッグラリアートという三連
打に、さすがの腐童も弾き飛ばされ、それまで締め続けて
いた奴の腕から、漸く俺は逃れる事が出来た。
 その場にへたり込み、激しく咳込みながらも、大きく何
度も息をし、空っぽになった肺に新鮮な酸素を送り込む。
「大丈夫かっ、風間ッ!?」
「・・・辛うじてな」
 醍醐の個性の無い声に、そう答えるのがやっとだった。
「お前は、少し休んでな。このバケモンは、オレ達が相手
する」
「そういうこった」
「よし、行くぞッ!!」
 京一に続いて、雨紋、紫暮が奴に同時に飛びかかった。
(・・・冗談じゃない。あいつは死蝋共々、俺の敵だ。俺
自身の手で叩き潰さねば、気が済まん・・・!)
 不調とダメージのせいで揺れる足を手で支え、何とか立
ち上がる。
(・・・今の残り体力では『気』を使っての攻撃は、二発
撃てたら御の字か・・・。こんな状態で奴に対し、どれ程
の効果があるのか甚だ疑問だが、やってみるか・・・)
 そう胆を決め、『気』を練る為に、乱れきった呼吸を整
えようとした時、後方から足音が近づいて来る。
「動かないで・・・」
 誰の声なのかは、振り向くまでも無く判った。
「・・・比良坂は、どうなった・・・!?」
「出血だけは止まったけど、良いとはいえないわ・・・。
今は、高見沢さんが看てくれているわ」
「・・・美里、頼む。二分、いや、一分でいい。身体を動
けるようにしてくれ。比良坂は、俺なんぞを助け、庇った
せいで傷ついた。だから今度は俺が、彼女を助けなければ
ならんのだ」
「・・・わかったわ。目を閉じて、体を楽にして・・・・
・・」
 美里の指示に従い目を閉じ、力を抜く。その間にも、腐
童と醍醐達は戦い続けている。
「ライトニング・ボルトォッ!!」
 雨紋の放った雷撃は、腐童の巨体に降り注ぎ、その身体
を焦がす。
「やあッ!!」
 続けて桜井の矢が奴の胴や手足に幾本も突き立ち、更に
は京一が(自称とはいえ)異名に恥じない、八相の構えか
らの高速の斬撃を何度か浴びせ、素早く後退する。
「どうだッ!?」
「・・・無駄だよ。その程度で、この僕の最高傑作を倒せ
るものか・・・」
 低く冷笑した死蝋の言葉通り、ダメージを感じさせない
動きで、腐童の反撃が醍醐達を襲った。最初の標的となっ
たのは、京一・・・!
「へッ、遅えんだょッ!!」
 破壊的な力が込められた拳を、一見、余裕たっぷりな台
詞とは裏腹に、実際はぎりぎりでかわした京一は、逃げが
けのついでとばかりに、一発を浴びせるが、やはり効いた
様には見えない。
 腐童の拳の届く範囲から逃れ、間合いを取った紫暮が「
化け物め・・・!!」と苦々しく呟き、雨紋も「チッ、こ
の野郎・・・!!」などと、吐き捨てる。
「いくらタフに見えても、不死身って訳じゃない。みんな
でかかれば、倒せる筈だッ」
 醍醐が皆に激を飛ばし、美里の『力ある言葉』が響く。
『4つの顔を持つ蛇の輝ける輪よ、私達に守護を・・・』
 筋力に代表される、一時的な身体能力の向上と、士気と
称される戦いに臨む際の、精神の高揚を対象者にもたらす
術に加え、いつもの防御術が全員の体に掛けられる。
「やあっってやるぜッ!!」
 美里の<<力>>を得、全身に戦気をみなぎらせた京一が刀
を握り直した時。
「うふふ〜。こんなことも〜、あろうかと〜」
 妙に自信ありげに笑い、最前列に立った浦密が、またぞ
ろどこからともなく、何かを取り出した。
 ・・・不思議な(怪しげな)光沢を自ら発している、3
0センチ程の細い紐である。これで何を・・・?
「うふふふふ・・・・・・」
 瓶底眼鏡が照明を反射し、不気味に光ると、浦密は紐に
向かい、口に出して何かの言葉・・・全く聞いた事の無い
言語である・・・を呟いた後、腐童に向けて投げつけた。
 ・・・恐らく、自分の目を疑わない者は存在しなかった
だろう。30センチ程度しか無かった筈の紐が、空中で伸
びた上に、親指程の太さに膨れ上がり、更には意志を持つ
かの様に自在に動き、這い回ると、数秒後には腐童の全身
を幾重にも縛り上げてしまったのだ。
『オォオォォォォ・・・!!』
 ほうこうを上げ、紐を引きちぎろうと藻掻く腐童。 
 これが鉄鎖や普通のワイヤーロープなら、奴はあっさり
と引きちぎっただろう。が、信じられない程の強靭さとし
なやかさを併せ持った紐の前に、奴の怪力も空回りするだ
けであり、紐は動けば動く程、全身に絡み付いていった。
「うふふ〜。世界と神々を喰らい尽くした魔獣すら縛り上
げる、偉大な小人の職人達が、女の髭と熊のアキレス鍵、
そして猫の足音から編み上げた、魔法の紐よ〜。その束縛
は〜、あなたでは〜、決して解けないわ〜」
 『にたぁ〜』と、勝ち誇った様に裏密は笑い、こちらを
振り返った。
「今が〜、チャンスだよ〜」
 浦密の言葉に突っ込みを入れたい所だし、動けない奴を
全員掛かりで袋というのは、何か釈然としないが、攻めあ
ぐねていた敵が見せた、千載一偶の好機であるのも確かで
ある。棒立ちの案山子状態になった腐童を、容赦無い一斉
攻撃が待ち受けていた。
「せいっ、やあっ!!」
 まず桜井が、矢筒に残っていた矢を全て放ち、腐童は針
供養の豆腐と化す。
「これならどうッ!!」
 気合いの声と共に振るわれる、藤咲の鞭に付いた鋭利な
棘が、幾つもの裂傷を与えた所へ、高く跳躍んだ雨紋の、
落下の勢いを利用した突き下ろしが襲いかかった。
「落雷閃ッ!!」
 勢い余って、奴の体を貫いた槍の柄が折れたが、体内に
残った槍に帯びていた高圧電流は、内部からダメージを与
える。
 すかさずそこへ醍醐と再度、分身を発動させた紫暮が、
三方から同時に攻撃を仕掛けた。『破岩掌』と『正拳突き
』に『弧月蹴』が、鈍い音を立ててめり込むと、初めて、
奴の口から悲鳴じみた声が出た。
「ゴアアァァァ・・・」
「いけるぞッ!!」
 誰かがそう口走った時、京一が電光石火という表現その
ままに、一瞬で奴の懐へと躍り込んだ。
『破アアァァァッ!!』
 紫電一閃。いや、二閃。
 腐童の右腕は、肘の辺りから切り落とされ、それが床に
落ちると同時に、袈裟掛けに斬られた胸の傷から、大量の
体液が噴き出した。
『全員、退けッ!!』
 怒鳴ると同時に、俺は体に残った『気』を解放した。
 皆が『気』を練り、体勢を立て直すのに必要なだけの時
間を稼いでくれた事と、美里の掛けた<<力>>によって、体
は(一時的だが)本来の力と動きを取り戻している。
『断空旋ッ!!』
 『八雲』と今だ使わずにいる、ダークサイドに属する、
蹴りを使った技が近接戦の切り札なら、俺が今使える内で
遠距離攻撃の最強技はこれである。
 腐童の体を捉らえ、炸裂したその渾身の一撃は、鉄壁と
も思えた肉体に致命的なダメージを与えると共に、目に見
えない巨大な鉄槌で殴り飛ばしたかの様に、奴の体を宙に
舞わせ、優美ならざる軌跡を描かせたが、吹き飛んだその
先には死蝋がいた。
「なッ・・・!?」
 眼前に迫る腐童の体を、死蝋はどうにか避けた。主人に
見捨てられた奴の体は、派手な音を立てて衝突した机を巻
き添えにして床に倒れ込むと、二度と動かなかった。
 勿論、これで終わりでは無く、もう一発分残っている『
気』を右手に集中させる。これが通常の『発けい』なら、
そのまま直線的に撃ち出す。『断空旋』なら、ボクシング
のコークスクリューブローの様に、手の捻りを加えながら
撃ち出すが、今から放つのはそれらとは少し違う。
 まず腰を落とし、両脚でしっかりと床を踏みしめる。そ
れから上体を可能な限り大きく捻った後、膝と腰を始めと
する下半身の動きと連動させながら、広げた腕が円を描く
様に鋭く、力強く振るう事によって生まれた遠心力を『発
けい』に乗せて放った。
『円空破ッ!!』
 俺の手を離れた『円空破』は、空を切り裂き、震わせな
がら飛翔すると、狙いあやまたず、目標である諸悪の根源
たる男・・・死蝋を直撃した。
 <<力>>を持っていても、それを自身が戦う為に使うとい
う研究はして無かった、もしくは持っていた<<力>>は、奴
に知識や技術をもたらすに留まり、戦う為のものではなか
ったのか、まあ、何にせよ『円空破』に直撃され、脆くも
吹っ飛んだ奴の口から悲鳴らしきものも聞こえたが、それ
も壁に叩きつけられた際の音に掻き消されてしまい、その
一発で戦闘力を喪失した奴は、その場に昏倒してしまった
為、その場に立って俺達に敵対する者はいなくなった。

 ・・・一応の片が付いた後、倒れた死蝋と室内に散乱す
る戦闘の名残を見回しつつ、戦闘体勢を解いた醍醐と京一
は、ぼそぼそと話し合う。
「事情はよくわからんが、こいつが風間をさらった犯人か

「ーーーのようだな。しっかし、この化け物は、一体、な
んだったんだよ?」
(・・・永久に昏倒していろ)
 と、壁際で倒れたきり動かない奴に対し、視線を向ける
事無く俺はそう声に出さずに呟くと、近寄って来る美里や
桜井、他数人の声に機械的に頷き、返事をしながら、精神
の方向を戦闘から平常へと切り替えて、比良坂のいる方へ
と向かう。
 <<力>>を放ち続けていた高見沢が顔を上げる。その額に
は、汗が幾つもの滴を作っていた。
「・・・どうだ?」
「ひどいケガだから、<<力>>だけじゃダメよ〜。早く〜、
ちゃんとしたお医者さんに見せないと」
 目を伏せて答える高見沢の声に、普段の陽気さに代わっ
て、沈痛さが満ちていた。
「そうか・・・」
 比良坂の側で片膝をつき、その体を抱き上げた。ここか
ら脱出する為、立ち上がろうとした時、彼女がそれまで閉
ざしていた目を開いた。
「風間さん・・・」
「比良坂・・・」
 頭からの出血は止まっていたが、彼女の顔色は一段と悪
くなっていた。声もひどく聞き取り辛い。目立った外傷は
他に無いのに、これ程の痛手を受けたという事は、やはり
傷は内臓にまで達していたのか・・・・・・。
「少し我慢してくれ。直ぐ、医者の所に連れていくから」
「わたしと兄は、12年前・・・、父の仕事の関係で、家
族と一緒にインドに向かっていました・・・。でも、途中
・・・、その飛行機が墜落して・・・・・・」
(・・・そう云う事だったのか。あの夢にも似た世界で、
俺が目の当たりにした光景は、彼女自身が体験した事その
もの・・・・・・)
 再び、あの時の光景が脳裏から逆流して来たが、今は彼
女の言葉を聞く事に集中する。
「わたしと・・・兄は、無事・・・でした。墜落する時、
父と母が・・・、身を呈して護ってくれたんです・・・。
それからわたし達は、別々の親戚の所に預けられましたー
ーー。でも・・・、親戚達の対応は冷たく、生活は悲惨な
ものでした・・・」
(・・・成る程。奴が人に対して、並々ならぬ憎しみと敵
意を持っていたのは、過去にそういう事情が存在したから
か。・・・彼女に比べたら、俺は幸せなんてレベルじゃな
いな。親父に養母さんも直接の血の繋がりの無い自分を、
この上無く公平に接し、自分達の子供と同じ様に育ててく
れたのだからな・・・・・・)
「兄が、高校を卒業するのと同時にーーー、わたし達は、
それぞれの家を出ました・・・。そして、ふたりで、暮ら
し始めたんです・・・」
 言い終えた所で咳き込み、苦しげに息をつく比良坂に、
美里と高見沢が<<力>>を送り込むが、『焼け石に水』でし
かない。
 重傷の人間が喋るのは、体力の甚だしい消耗を伴う。こ
れ以上彼女を喋らせるのは、危険すぎる。
「風間さん・・・」
「もういい。医者の所に行くまで、喋るんじゃない」
「人は・・・、何かを護る為に、生きているんでしょう。
わたし・・・、ずっと、考えていたんです。あの事故の時
から、ずっと・・・。でも、風間さんに会って、わかった
んです。護る事の大切さを・・・・・・」
「比良坂・・・」
 その彼女の言葉に、再び、失調をきたした俺の言語感覚
と舌は、言葉を言葉として送り出す力を無くし、彼女の名
前を呼ぶ事しか出来なかった。そして血の気の失せた比良
坂の顔に、信じられない程、穏やかで透き通った微笑みが
浮かび上がった。
「わたし・・・、風間さんに会えてよかった・・・」
 俺は片手で比良坂の体を支えながら、もう一方の手を延
ばして、彼女の手を包み込む様に握った後、髪より少し濃
い、はしばみ色の瞳を真っ直ぐに見つめ、頷いた。
「・・・俺もそう思っている。本当に・・・」
「そうだ・・・、今度、どこかに行きませんか・・・?」
「いいとも、約束しよう。君が望む所なら、何処へだって
行くし、どんな所へも連れて行ってやる」
「えへへ・・・。楽しみだなあァ・・・」
 ゆっくりと比良坂の瞼が落ち、声が小さくなっていく。
「なんだか・・・、ちょっと、眠くなってきちゃった・・
・・・・」
「紗夜ちゃんッ!!」
「比良坂さんッ!!」
 その言葉に凍り付く俺の周囲で、何人かの叫び声がこだ
まする。
「風間さんの腕の中って暖かい・・・・・・」
 それを最後に声が途切れると、彼女の頭が落ち、握って
いた手から力が抜けた。思わず息を確かめようと、彼女の
首筋に手を伸ばした瞬間。
「紗夜ォ・・・。僕を一人にしないでくれよォ・・・」
 何時の間にか死蝋が起き上がり、虚ろな表情を浮かべ、
自身がゾンビの様な足取りでこっちに向かって来ていた。
 それに反応して、醍醐を始め何人かが構えをとりかけた
が、奴は数歩歩いただけで立ち止まり、突然笑い出した。
「ク、クククク・・・・・・」
「てめェッ、なにがおかしいんだよッ!!」
 意識を失った比良坂の体を再び横たえ、近くに放置して
いた銃に手を伸ばした時、京一が叫んだ。
「心配ないよ、紗夜・・・。僕が、今すぐ生き返らせてあ
げるからねェ・・・・・・」
 それきり、腰が抜けたかの様に、その場にへたり込んだ
死蝋の目に既に正気の光は無く、その精神は完全に現実の
岸から離れ、どこか別の場所をさまよっている様に感じら
れた。
「・・・・・・」
 銃を手に下げた俺が、奴の所に向かう為、立ち上がろう
とした時。
『ちッ、役に立たねェ奴らだぜーーー。せっかく、色々と
手を貸してやったってのによ』
『ーーーーーーッ!!』
 室内に突如響いた、露骨な嘲りを帯びた男の声に、その
場にいた全員の表情が急変し、誰からともなく一斉に得物
に手を伸ばした。
「誰だッ、出て来いッ!!」
 戦闘体勢を取った醍醐が怒鳴った時、その横顔が赤く照
らされた。
 ・・・室内には火の元になる様な物は、何一つなかった
のに、部屋の一角から突然、焔の渦が巻き起こったのだ。
「うわッ!! 火がーーー」
「きゃッ」
 突然の事に、思わず悲鳴を洩らす美里達。
「くくくッ・・・・・・」
 低い笑い声が響く中、燃え盛る炎の中に人影が現れ、俺
達の前に立ちはだかった。
 ・・・姿を現したそれは、何から何まで異形の存在だっ
た。足に脚半を巻き、両腕には鋭利な鈎爪が付いている手
甲を。そして赤一色に染められた忍者の様な装束を身に纏
い、その顔を覆っているのは鬼の面・・・。
「てめえは、いったいーーー」
 抜き放った刀身に、炎を反射させながら、京一が呟く。
 その額に流れる汗は、燃える炎の所為か、それとも未知
の敵に対するプレッシャーの為か・・・・・・。
「鬼道五人衆がひとりーーー、我が名は、炎角」
 ・・・そいつの姿を見、声を聞いた瞬間、俺は先程、直
感がもたらした危惧と疑惑が、見事に的中した事に気付い
た。これ以上はないというぐらい、最悪の形でだか・・・
・・・。
「炎角だと・・・?」
「まさか、貴様ら・・・・・・」
 京一に続いて、醍醐が呻く様な声を出し、炎角と名乗る
男は俺達全員を見た後、得心がいった様に首を動かす。
「そうか・・・。風角がいっていた小僧ってのは、お前た
ちか・・・。くくく、面白え。こいつも、縁って奴か」
「貴様ら、いったいーーー」
「俺たちの名は、鬼道衆ーーー。この東京(まち)は、も
うすぐ、俺たちの手に落ちる。そうなりゃ、ここは阿鼻叫
喚の地獄絵図と化すだろうよ」
 醍醐の誰何の声に答えた後、炎角はいかにも愉しげな笑
い声を響かせる。
「今日の縁が真なら、また再び相見える事も有るだろう。
それまで、せいぜい長生きするんだなーーー」
「てめェ、逃げんのかッ!!」
 その言葉を聞き、京一が鋭い口調と共に切っ先を奴に向
け、一歩前に出た。
「くくくッ・・・・・・」
 侮蔑を込めた含み笑いで答えた奴は、俺達の方を向いた
まま、すっと音も無く退がり、背後で激しく燃え上がる炎
の方へと向かう。
「待ちやがれッ!!」
 得物を振りかざし、炎角に向かって突っ込もうとする京
一だが、面倒くさげに奴が指先を向けると、野球ボール大
の火球が宙に生み出され、次の瞬間には京一目掛けて撃ち
出された!!
「危ないッ、京一ッ!!」
「あちッーーー、くそッ!!」
 桜井の警告と、危険を悟って間一髪、身を翻した京一の
鼻先を火球が掠めたのが同時だった。外れた火球は、反対
側の壁に命中して砕けると、無数の飛沫を上げた。
「くくくくッ・・・・・・」 
 京一の追撃をかわし、笑いながら炎の中に立つ奴の姿は
大きく揺らいだ炎に一瞬隠れ、炎が引いた時には、その姿
は現れた時と同様に、その場から消え失せていた。
 そして室内を、奴の置き土産である炎が、まるで貪欲な
不定形生物の様に蠢き、刻一刻と勢いを増していた。
「炎が回ってる。早く、外へ逃げるぞッ」
 状況を見て取った醍醐が、言わずもがなの言葉を発し、
皆は次々と燃え上がる室内からの脱出を始める。
「? 比良坂は、どこだ・・・」
 一足先に脱出した雨紋達に続き、俺達も離脱を図ろうと
した時。俺は比良坂の姿が無い事に気付いた。
 炎角が現れるまで、俺のすぐ近くに横たわっていたのだ
し、何より到底、動ける様な体では無い筈だが・・・。
 耐え難い程の熱気に支配された室内を見回した俺が、比
良坂の姿を確認したのと、『あ、あそこにーーー』と、指
指しながらの美里の声が響いたのは同時だった。
 ・・・比良坂は精神の均衡を失い、自失状態に陥った死
蝋の傍らに寄り添っていた。既に二人の周囲は、獰悪な炎
の壁に取り囲まれており、近付こうにも、近付けない。
「紗夜ちゃんッ!!」
「早く、こっちに・・・」 
「わたしたちが犯した罪は、こんな事で購えるものじゃな
いのはわかってます・・・。みなさん、ありがとうござい
ました・・・」
 京一と桜井の声に対し、頭を振った比良坂が、向こう側
から俺達に向かい頭を下げた。
「馬鹿な事を・・・!! 死ぬ事で罪を購うなど、体の良
い逃げ口上でしかないッ!! まして、比良坂が死なねば
ならない必要が何処にある!? 罪を自覚しているのなら
ば、尚更生きて、購う道を探すべきだろうがッ!! 俺も
手伝ってやるッ!!」
 炎の向こうに向かい絶叫するが、比良坂は頭を振るだけ
で、そこから動こうとしない。
「・・・。風間さん・・・、わたし、もっと早くあなたに
会いたかった・・・・・・」
「そんな言葉など、聞きたくないッ!! 急げ、一緒にこ
こから脱出するんだ。でなければ・・・、さっき交わした
約束が守れんだろうが!!」
 再度叫んだ時、比良坂が俺から目を逸らして、死蝋の方
を見た。そして一段と猛り狂う炎から生まれる、非音楽的
な音に混じって、可聴域ぎりぎりの声が、俺の耳に届く。
「ごめんね・・・兄さん。でも、これからは、ずっと一緒
だから。ずっと・・・・・・」
 その刹那。
 凄まじい轟音を伴って、二人の頭上部分の天井が崩落し
た。落ち掛かった巨大な炎とコンクリートの塊は、一瞬に
して部屋の半分と、有形無形問わず、そこに存在した物全
てを、火神の生贄に捧げた。
「比良坂ーーー!!」
 崩落時に生じた音は、俺の声を飲み込み、掻き消した。
更に最初の崩落は、二次、三次の崩落をも招き、俺の頭上
からも、細かな破片が降って来る。
 俺の思考と精神は、比良坂の死と崩落の拡大をはっきり
と知覚し、逃げる様に警告を発していたが、どこかで神経
回路が遮断されており、体はそれに従おうとしなかった。
 立ち込める黒煙と焼けただれた空気、そして炎の舌が俺
を包囲しようとした時。
「急いで、風間くんッ!!」
「風間クンッ、早く!!」
「・・・?」 
 のろのろと、亀の様な動きで声のした方を見れば、美里
と桜井が手をこっちへ伸ばし、呼んでいるのが見えた時。
「ボケっとしてんじゃねェ、くたばりてぇのか!!」
 その怒声より早く、鈍い音と強い衝撃が俺の右頬を打っ
た。
「・・・ッ!!」
 予期せぬ一発に、半歩よろめいた俺が顔を上げると、目
の前に拳を固めた京一が仁王立ちしていた。そして走り寄
って来た醍醐が、腕を掴んで強く引っ張りつつ、耳元で怒
鳴りつけた。
「しっかりしろ、風間!! 逃げないと、お前も死ぬぞッ
!!」
 ・・・ショック療法とでもいうべきか、それまで寸断さ
れていた神経回路が、京一の一発を受けた途端、急速に機
能を回復させて行く。
「・・・そう怒鳴らなくても、聞こえている」
 醍醐の手を振りほどき、脱出口である部屋の出口を目刺
し俺は走り出した。振り返りたい衝動と、炎の向こうに消
えた比良坂に対する感情を抑え込みながら・・・・・・。

 ・・・崩壊する廃屋から、辛うじて脱出に成功した俺達
は、警察や消防、野次馬の類に見咎められる前に、少し離
れた所にある空き地に移動していた。 
「比良坂さん・・・・・・」
「凶津のいっていた事は、本当だったのか・・・・・・」
 桜井と醍醐はそう言った後、虚脱したかの様に地面に座
り込み、血の気の無い顔を見合わした。他の面々も目の前
で起こった事に、精神の処理能力が追い付かないのか、誰
一人として、積極的に口を開こうとしない。
「だけど、これも鬼道衆(やつら)が仕組んだコトだって
いうのかよ・・・・・・。紗夜ちゃんは、なんにも、関係
ねェじゃねェかッ!!」
 近くにあった木に拳を叩き付けた京一の顔に、深い憤り
と無念さが漂う。
「ああ。たぶん、二人とも利用されただけなんだろうな」
「そんな・・・。ヒドイよ・・・・・・」
 唇を噛み締めての醍醐の呟きに、桜井の表情が歪むと、
涙になる寸前の声を出した後、力無くうなだれた。
「鬼道衆とかいってたなーーー。人の心の弱みに付け込ん
で、何をしようというんだ・・・。一体、奴らは、この東
京でーーー」
「・・・・・・」
 その問いかけに答えられる者など、その場にいる筈も無
く、醍醐の言葉は発した直後に風に吹き散らされ、虚しく
宙に消え、そして美里は只、ひたすら沈黙していた。彼女
の端麗な顔からは、普段の他者を魅了する穏やかな微笑み
は失われ、黒真珠を思わせる瞳には、後悔と悲哀が入り混
じった光がたゆたっていた。
 そういった声が耳に流れ込んで来たが、俺の思考と意識
は、別の方向を向いていた。
 ・・・俺には、彼女に仇討ちなどと言う資格は無い・・
・。そして復讐だのと、自身の行動と手段を正当化する為
に、言葉を飾るつもりも又、無い・・・。俺には何も出来
なかった。そして彼女に対し、何もしてやれなかったのだ
から・・・。だが、俺の罪ないし業はいずれ清算するとし
ても、その前にやるべき事がある・・・・・・!!
 今迄、対じした相手に対し、怒りや敵意、憎悪を抱く事
はあっても、そういった感情が理性の手綱を逸脱したり、
制御を失う様な事は無かった。だが・・・・・・。
 一時の喪失感が過ぎた後、恒星から吹き上げるブロミネ
ンスにも匹敵する、巨大な熱と質量を持った鬼道衆と名乗
る奴等に対する憎悪と憤激が全身を満たし、それに衝き動
かされるままに、俺は叫んだ。
「鬼道衆・・・。その名、二度と忘れん!! そして奴等
がどれだけ数がいようが、その組織がどんなに強大であっ
ても、必ず最後の一人まで狩り尽くし、この手で滅絶させ
てやる!! ・・・これは誓いだ。俺自身の命と魂の尊厳
にかけてのな!!」
 拳を強く握る余り、爪が肉に喰い込み、生暖かい感触が
指先を伝うのを自覚したが、痛みなど無かった。
 そして、突然の目眩に続いて、視界が揺れたのに気付い
た。
(!? 体が・・・、妙に・・・重い・・・・・・)
 まず、膝の辺りに固い物が辺り、地面が急速に顔面に迫
って来ると、次に頭部に何か固い物が当たる音がした後、
半分ぼやけた視界の中で地面が水平になり、誰かの足が、
垂直に映った。どこかで驚いた様な声が、同時多発的に発
生したが、それが何なのかを確かめる前に、俺の意識はど
こか遠くに引っ張られ、深淵の中に沈み込む様な感覚に包
み込まれたのだった・・・・・・。

 戦人記・外伝其の四「決起」へ続く。

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