戻る

真・Water Gate Cafe

葵館・談話室

戦人記・第八話「邪神街」其の壱

 「私には・・・・・・、一体、何ができるの?」
 思考の渕の底で、美里は一人、この春以来、心の中にわ
だかまっている想いと疑念に向き合っていた。
「誰かのためにーーー」
 声に重なる様に、閉ざしていた瞼の奥に、思考も言動も
対象的だが、共に武の道を歩み、互いを認め合う間柄であ
り、彼女の友人である醍醐雄矢と蓬莱寺京一の姿が映り、
消えた。
「大切な人のためにーーー」
 その言葉に続いたのは、入学以来の親友である、桜井小
蒔や、自分の回りにいる親しい人々。そして・・・。
「愛する人を護ることができるのーーー? あの人のよう
にーーー」
 三つめの映像が、この上なくはっきりとその脳裏に浮か
び上がる・・・。
 ・・・襲いかかる凶猛な『力』の前に、自らの身体を晒
し、深く傷付きながらも、その身をもって護った黒髪の青
年の腕の中で、はかなげに微笑む栗色の髪と瞳を持ち、そ
してもう、彼の手の届かない場所へと去ってしまった、少
女の姿が・・・・・・。
「私の<<力>>は、なんのためにあるの・・・・・・」
 美里の言葉に感応したのか、身体から<<力>>を放つ時に
現れる、蒼白い輝きが洩れ出す。が、放たれたその光は、
強さを増したかと思えば、一瞬後にはかき消えそうになる
など、ひどく不安定なものだった。
「誰か、教えて・・・・・・」
 そして、メビウスの輪の様に、幾度と無く繰り返される
その思惟を、唐突に遮る者が現れた。  
「葵ーーー。あーおーいーッ!! 約束の時間になっちゃ
うよーッ!!」
 階下からの呼び掛けによって、不意に現実に引き戻され
た美里は、少しの驚きと共に呼び掛けを発した人の名を呟
く。
「小蒔・・・」
「今日は、みんなでプールに行く約束でしょッ」
「うん、いま行くわーーー」
 と、ドアごしに友人の声に答えながら、美里は椅子から
立つと、前もって用意してあった荷物を手にし、壁に掛け
られた鏡の前で、素早く身だしなみをチェックする。
 それも終わり、私室を出る間際、美里はもう一度振り返
り、鏡を見た。我知らず唇を動かし、鏡に映る自分の姿に
向かい問いかける。
「私は・・・、誰か教えて・・・・・・」
 その問いに対する答えを、彼女は望んで止まなかった。
しかし・・・彼女の抱いている思いや、問いかけに答えを
もたらしたり、心に重くのしかかる、その迷いを振り払っ
てくれる者は、その場に存在しなかった・・・・・・。

  異伝・東京魔人学園戦人記 第8話『邪神街』

         ■新宿駅前■

 ・・・あれから二週間程の時が経ち、季節は梅雨から初
夏へと移ろいゆこうとしていた七月のある日曜日の朝。
 俺は『ある用件』があって、新宿駅前にて人を待ってい
た。頭上からは太陽が容赦なく照りつけ、降り注ぐ陽光を
地面に敷き詰められたアスファルトが反射する。それに加
えて、路上に並ぶ車からの排ガスと、ごったがえす人いき
れからの熱が相乗効果を生み、結果、心底うんざりげっそ
りするような熱気が、俺の周りの空気に満ち満ちていた。
 七月上旬でこれでは、八月になったらどうなる事やら・
・・。ああ、かつて数年の間を過ごした、遥か北に在る霧
の街。麗しの倫敦が懐かしい・・・・・・。
「かなわんな、これは・・・・・・」
 宙天にて燦々と輝く太陽を、若干の疎ましさと恨みを込
めて、見上げながらぼやいた時。
「おはよう、翔二くん」
 振り向いた先に立っていたのは、待ち人の一人・・・美
里だった。
 いつもの学生服と違い、艶やかな黒髪を白のカチューシ
ャで留め、胸元に花をあしらった、青を基調とする涼しげ
なノースリーブのロングワンピースに身を包み、そしてし
ょう奢なデザインの白いサンダルを履いて、手には小さな
バッグを下げた楚々としたいで立ちで、彼女は穏やかに微
笑んでいる。
「・・・ああ。おはよう」
 短く返事をする。因みに俺の服装はというと、夏物のシ
ャツとスラックスの上に薄いジャケットを羽織っている。
 暑苦しいと言うなかれ。仕立ての良い服ならば、下手に
薄着をするよりこっちの方がずっと涼しいし、何よりTシ
ャツにジーンズという格好は嫌いなのだ。当然ながら腰の
後ろには、銃が入ったホルスターが存在し、ジャケットの
内側には携帯に向いている『燕青甲』が、目立たぬ様に納
められている。
「途中まで、小蒔と一緒だったんだけど・・・、なにか、
忘れ物をしたからって・・・・・・」
「そうか」
 返事の後、美里は俺と並んで立った。待ち合わせの指定
時間まで、まだ五分少々残っている。 
「今日も・・・、暑くなりそう・・・」
「予報では、今日も最高気温は三十度を越えるそうだ。日
射病に気をつけた方がいい」
 顔の前に手をかざし、空・・・雲一つ無い快晴、洗濯指
数は100%間違いなしの青空・・・を見上げた美里の声
に答えた時。不意に笑い声が聞こえ、何かと思い頭を少し
動かせば、美里が何やら可笑しそうに笑っている。
「それにしても、昨日の京一くん、少し、可哀想だったわ
ね」
「''可哀想''ねぇ・・・・・・」
 肩をすくめつつ、俺は事の発端である昨日の出来事を思
い出したのだった。

      ■3−C教室ーーー放課後■

 その日も又、授業を含めて問題無く終わり、返り支度を
終えた俺が、教室の出入口を出ようとした時だった。
「翔ッ」
 背後から呼び掛けられて振り向けば、何か面白い事でも
あったのか、京一が妙に機嫌良さそうに笑いながら立って
いた。
「何か用事でもあるのか?」
「なァ、明日オレとプールに行かねェか?」
「・・・何なんだいきなり?」
「オレさあ、い〜とこ知ってんだよ。ちょっと、耳貸せッ

 唐突な誘いに続いて、俺の肩を掴んで頭の位置を下げる
と、耳に顔を寄せて話し出した。
(港区の、芝プールッて、とこなんだけどよ。近くの短大
のオネェ様方が、穴場にしてるんだとよ。行けば、天国間
違いなしッ。ナンパしほーだいッ。ヘヘヘッ・・・。今年
の夏は、熱くなりそうだぜ)
 そこまで言った所で、横目で京一の顔を見たが、その表
情を例えるなら、火にあてたチーズかバターの様に、緩み
まくって締まりのない物だった。
「・・・・・・」
 あまりのお気楽極楽ぶりに、突発性の偏頭痛が起こりそ
うになった俺は、こめかみを指で押さえたが、それに気付
いた風も無く、京一は話し続ける。
「なッ、翔。ヤツらには内緒でよお・・・・・・」
 そういう背後に、ふっと人影がさしたが、自分色の夢に
酔っていた京一は、その気配に気付くのが遅れた。・・・
恐らくそれが、京一の不幸だった。
「ふ〜ん。誰に内緒なのかな〜?」
 これを聞くやいなや、京一の表情が微速度撮影でもした
かの様に変わった後、振り向いた先にいた人を見て、大い
に慌て、驚いたのだった。
「げッ!! こッ・・・小蒔ッ」
「へえ〜、ふ〜ん。男ふたりでプールねェ〜。確かに、最
近暑いもんねェ・・・・・・」
 桜井は、じろじろと俺と京一を眺めやると、何やら考え
込むが、その姿を京一は非難がましい目つきでじっと見て
いる。そして桜井は『ぽん』と、小気味良い音を立てて手
を叩くと、名案を思い付いたかの様に顔をほころばせた。
「そうだッ!! どうせ行くなら、みんなで行こうよッ!
!」
「なにィ!? お前なァッ、毎度毎度、同じ手でオレたち
の邪魔ばっかーーー」
 桜井の声に、即座に沸騰した京一が手にした木刀を振り
かざし、怒りと抗議の声を張り上げたが、それはまるっき
り無視されていた。
「あッ、葵ィー、醍醐クーンッ!! 明日、みんなでプー
ルに行こうよーッ!!」
「チョ、チョット待てッ!! まだ、連れていくとはいっ
てねーだろッ!!」
 教室の方を振り向いた桜井が、教室内に残る人影に向か
い呼び掛け、再度、京一が抗議と不平の声を出すものの、
やはり無視されて終わった。
「京一と、風間クンも行くってさーーー」
「うおォォォーッ、オレのナンパ天国があァァ・・・」
「俺はまだ、行くとは一言も言ってないのだが・・・・・
・」
 桜井の呼び掛けに応じて近づいて来た、醍醐と美里を含
めた三人の間で、待ち合わせ場所や時間が手早く決められ
る一方で、京一は無念さと敗北感に満ちた声を、俺は事後
承諾の極致というか、意思表示を示す間も無く、頭数に入
れられた事に対する呆れ声を出す事しか出来なかった・・
・・・・。
 ・・・と、まあ、俺が暑い中、この日、この場にいるの
は、こういう経緯があったからである。
「結局、みんなで行くことになっちゃって・・・・・・」
 その時の光景を思い出したのか、美里がもう一度小さく
笑ったが、その後は他の三人が来るまで、何をするでもな
く、道ゆく人の流れをただ眺めていた時。
「翔二くん・・・、あのね・・・」
 その横合いからの声に、俺は声の聞こえた方へと首を動
かすと、美里が何か思い詰めた様に、真っ直ぐ、そして真
剣な面差しでこちらを見ており、自然、俺も表情を普段よ
り引き締める。
「どうした?」
「あの・・・。少し、私の話を聞いてくれる?」
「ああ。俺でよければ、聞こう」
「ありがとう・・・。私、きっとこんなことをいえる立場
じゃないんだと思う。でも・・・、どうしても、翔二くん
に聞いてほしくて・・・・・・」
 どこか苦渋を含んだ声と表情が、彼女の抱えている問題
の重さと大きさを俺に感じさせた。・・・恐らく、<<力>>
絡みであり、俺にも無関係では無い話題である事を、俺は
理性と感性の双方で悟り、黙ったまま、彼女の次の言葉を
待つ。
「私ーーー、今も、あの時のことが、目に焼き付いて、離
れないの。あの人ーーーーーー、比良坂さん・・・」
(!!)
 その名を聞いた時、俺は変わろうとする表情を、制御す
るのに多少の努力と手間を必要とした。それは俺にとって
も、忘れられる事でも、名前でも無い。・・・もし、彼女
の事を忘れようとするなら、俺はきっと脳そのものを、破
壊するしかないだろう・・・・・・。
「翔二くんを護るために、命を懸けたひと・・・。やさし
くて・・・、強いひと・・・・・・」


『風間さん・・・。人は、何を護る為に生きているんでし
ょう。わたし・・・、ずっと考えていたんです。あの事故
のときから、ずっと・・・。でも、風間さんに会って、わ
かったんです。護る事の大切さを・・・。わたし・・・、
風間さんに会えて・・・よかった・・・・・・』


 ・・・あの時、比良坂が言った言葉は、俺は全て憶えて
いる。そして闘いの後、比良坂が俺の腕の中で語った言葉
を思い返している間にも、美里の言葉は続いている。
「・・・私、あれから考えるの。自分には、何ができるん
だろうッて。私、役に立ってるのかな? 時々、自信がな
いの・・・。みんなのためにーーー、何か、したいのに・
・・・・・」
 普段の笑みに代わり、彼女の秀麗な顔には、憂いと迷い
に、悲しみとが混じり合っている。口調こそ安定している
が、かえってそれが、彼女が受け止め、背負っている物の
痛みと重さを、何よりもはっきりと伝えて来た。
「・・・・・・。こんなこといったら、・・・翔二くん、
迷惑よね・・・?」
 ・・・俺の中には、師から叩き込まれた『戦士』として
の心構えに、修行の中で培った闘う為の力や、強敵と相対
した時の対応策、加えて生き残る為の術・・・等といった
知識と技能が豊富に存在する。例え単身、『旧校舎』で1
ダースの敵に包囲されたとしても、それを切り崩し、打ち
破って、勝利する事など、はっきりいって児戯に等しい。
 だが・・・、そんな物が、<<力>>とその意味に思い悩む
女性(ひと)の支えになる訳も無く、これが何度目になるの
か、俺自身の人間としての底の浅さに加えて、無能さをこ
れでもかという程、再確認する事になったのだった。
(本当、つまらんというか、甲斐性が無いよな、俺は・・
・・・・)
 そう内心で自嘲混じりに嘆息する一方、どうにかして、
彼女の心をいたわってやりたかった。少なくとも俺は、既
に心理的再建(らしきもの)を果たしている。出来る、出
来ないはともかく、次は他の奴を助ける番だ。
「そんな事、迷惑などと思っていない。それに・・・自分
で思っている程、美里は無力では無いぞ。俺の持つ<<力>>
は破壊しかもたらさんが、お前の持つ<<力>>は、傷ついた
人を護ったり、癒し、助ける事が出来る。実際、半年に満
たない間に、これだけ様々な事件に関わって、それでも皆
が五体満足でいられるのは、他でも無い。美里の存在と<<
力>>があるからこそなんだ。その事を俺は頼もしく思って
いるし、それ以上に『みんなのために』と、思える心は偉
いと思う。・・・その、長くなったが、美里は本当に・・
・よくやっている。自分の<<力>>とやっている事に、自信
を持っていい。その事については、俺が・・・保証する」
 ・・・偉そうな物言いだが、冷酷な見方をすれば、保証
といっても、形として存在するものでなければ、単に物事
の都合の良い一面だけを見た、詭弁の押し付けと評されて
も仕方無いだろうし、加えて俺自身は、頼りとするには、
藁にも満たない存在だろうが、それでも・・・出来る限り
の事を、彼女にしてやりたかった。尤も、それは『あの時
』何も出来ず、してやれなかった事への負い目、又は、代
償行為の一種なのかも知れないが・・・・・・。
「・・・・・・。ありがとう、翔二くん・・・。私にでき
ること・・・、今は、まだわからないけど、それでもいつ
かーーーーーー」
 そういって顔を上げた彼女の表情には、迷いはまだ少し
残ってはいたが、憂いと悲しみはその勢力を縮めており、
彼女の精神が、若干良い方へ向かった兆しの様に俺には感
じられた。多分それを成したのは、俺の言葉では無く、彼
女の心が持つひたむきさや、前へ進もうとする意志といっ
た物の功績だろう。
 ・・・『憂愁の麗人』などという表現があるが、少なく
とも美里はそれに当てはまらない。彼女の美しさや人間的
な魅力の本質は、普段見せているあの生気に満ちた微笑に
こそあるのだと、俺は思っている。・・・その事を素直に
口にするには少々難があるが。
「・・・今日は、みんなで遊びにいくんだもの。・・・こ
んなこと、いってちゃいけないわよね」
 それにどう答えようかと、言葉を探していた時。
「・・・・・・あ、小蒔と醍醐くんだわ」
 美里の声に重なる様に、近づいて来た二人が、元気良く
挨拶して来た。
「おッはよーッ!! 風間クン!! さっき、そこで醍醐
クンと会ってさッ」
「よォ、早いな」
「うふふ、おはよう」
 美里は微笑みと共に答え、俺は無言で軽く手を上げて挨
拶に代える。
「それにしても、今日は、絶好のプール日和だなァ」
「ほんとね。晴れて良かったわ」
「あれッ? 京一の奴、まだ来てないんだ」
 醍醐と美里が話す横で、桜井がきょろきょろと、周囲に
目をやる。・・・確かに、言い出した本人であり、勉強に
は見向きもしないが、遊びには惜しまずエネルギーを投入
するだろう奴の姿は無い。こういう事には、真っ先に出て
きそうなものだか・・・・・・。
「まったく、あの遅刻常習犯めッ!!」
 と、怒る桜井の背後から・・・。
「よッ、お待たせッ!!」
「げげッ、京一・・・・・・」
 まさに絶妙のタイミングで掛けられた声に、妙に漫画チ
ックな声と動きで、桜井はざざっと、身を引く。
「げげッ、ッてなんだよ。さては小蒔ーーー。俺の悪口い
ってただろ?」
「ははッ・・・。聞こえてたの?」
「聞こえてねェけど、カオに、そう書いてあんだよッ」
「でもボク、ホントのことしかいってないもーんッ」
「まったく、口の減らねェ奴だぜ」
「はははッ、これで、みんな揃ったな」
 毎度おなじみの、害の無いやり取りを見ながら笑う醍醐
を、桜井との漫才を止めた京一が、ジト目で見やる。
「醍醐・・・・・・」
「何だ?」
「なんだよ、そのカッコ。相っ変わらず暑苦しいヤツだな
・・・・・・」
 京一が言うのも無理は無い。衣替えはとっくに過ぎてい
るし、そしてこの暑さにも関わらず、今だ醍醐は冬用の学
生服を着用していたのだから・・・。はっきり言って、非
常〜〜〜に、浮いている。
「ふんッ。学生が、学ラン着て何が悪いんだッ」
「このクソ暑い中、良くそんな格好してられんな、ってい
ってんだよ」
「心頭滅却すればなんとやら、だ。まあ、忍耐とか我慢と
かいう言葉を知らないお前には、縁のない話かもしれんが
な」
「へッ、よけーなお世話だッ」
「・・・言い分はともかく、TPOは考えた方が良いと思
うがな、俺は・・・・・・」
 醍醐の反論に、鼻を鳴らして答える京一の横で、俺も小
声で突っ込みを入れたが、その不毛な会話を遮る様に、桜
井がせっついた。
「もう・・・。いいから、早く行こうよッ」
 その言葉に醍醐は、きまり悪そうに頭を掻いた後、俺達
を見る。
「あッ、あァ。すまん・・・。それじゃ、そろそろ行くと
しようか」 
「ええ、そうね。今日は・・・、楽しく過ごせるといいわ
ね。さ、行きましょう、翔二くん」
「ああ」
 出発を促す醍醐に頷いた後、美里は俺を見る。そして俺
は彼女と肩を並べて、既に歩き出している醍醐達三人の後
を追って、駅の構内へと入っていった。
 
       ■港区ーーー芝公園■
 
 鉄とコンクリートにアスファルトで構成された街から、
緑に満ちた公園に入ると、非人道的な酷暑も少しは和らい
だ。木立の間を静かに、涼やかに吹き付けてくる風が、不
愉快でしか無い汗と暑気を払ってくれるのが、なんとも心
地良い。
「それにしても、今日もあっちィなァ」
 額に浮いた汗を拭う京一の横で、桜井は声を弾ませる。
「今年初めてのプールだもんねッ。ボク楽しみだなァ」
「うふふ・・・、そうね」
 桜井の元気に触発されたのか、美里の表情も明るいもの
になる。そして、何気なく首を動かした桜井が声を出す。
「あッ、見て見て!! 東京タワーだよッ!!」
 指差した先に、公園内にそびえ立つ、赤と白の鉄骨で構
成された、長大な鉄塔の姿が樹々の間から見えた。
「あッたりめェだろッ!! 今更、何いってんだよ? そ
んなもん、見慣れてるだろうが」
 京一は面倒くさげ、かつ、面白くもなさそうに答える。
「えーーーッ。せっかく、ここまで来たんだから、ついで
に見に行こうよッ」
「あッ・・・。そういえば、増上寺もここからすぐなのよ

 等といって残念がる桜井に続いて、美里が思い出した様
に呟くと、桜井がそれを耳にし、以外そうな顔をする。
「お寺? 近くに、お寺なんかあったんだ・・・」
「うふふッ。由緒正しい、古いお寺よ」
「へェーーー」
「東京タワーに寺だァ? ふたりとも何考えてんだ。この
クソ暑いのにッ。オレは、早くプールに行って、美人でナ
イス・バディのオネェちゃん達と遊ぶんだッ」
「京一・・・、おまえの頭は、本当に女の事しか考えてな
いんだな・・・・・・」
 女性陣の会話を聞いての京一の言葉に、呆れきった顔で
相棒の方を見ながらの醍醐の声に対し、当の本人は胸を張
り、当然の様にいってのけた。
「当然だッーーー!! たくさんの水着ギャルが、首をな
が〜くして、オレの到着を待っているんだぞッ!!」
「そんなこと、絶対ないって・・・。だから、安心してい
いよ。ねッ、京一ッ」
 にやけながら、自分色に染めた夢と幻想に浸る京一に、
桜井が即座に突っ込みを入れると、慰めるかのように、ぽ
んぽんとその肩を叩いてみせる。
「なにをだッ!!」
 気分を害したか、置かれた手を払い退けて京一は噛みつ
き、再び漫才が始まった。
「まったく・・・。しかし、こうも意見がバラバラじゃ、
埒があかんな。別におれは、どこかに寄るのも構わんが・
・・」
 それを見聞きながら醍醐は腕組みし、考えこむような顔
をすると、視線を転じた。
「風間ーーー。お前はどうおもう?」
「ん・・・。東京タワーに行っても、別段、見たい物なぞ
無いし、寺巡りってのも、いまいち気が乗らんな・・・。
このまま、プールへ向かおう」
「そうだろッ、そうだろッ。やッぱ、プールだよなァ」
 なんぞと言いつつ、京一が大きく頷いて、満面の笑みと
共に笑いかけて来たが、一方で桜井は、ちらっと俺を見た
後で、ぽつりと呟く。
「風間クンの頭の中も、結局、京一と一緒か・・・・・・

「・・・桜井。俺個人としては、その評価と発言は、もの
凄く不本意な言われようなんだがな・・・・・・」
 桜井にこきおろされた俺が、こめかみに一筋の汗を浮か
べつつ、小声で抗議すると、京一に続いて醍醐が口を挟ん
で来た。
「お前なァーーー、もともと、プールに行くのが目的じゃ
ねェかッ」
「確かに、ちょっと暑くなってきたな。当初の目的通り、
プールに直行するかッ」
「よっしゃッ!! それじゃ、プールに直行だッ」
 そして醍醐の声を受けて、やおら威勢よく叫びながら、
一歩を踏み出した京一を、美里が止めた。
「ーーーちょっと、待って。誰か・・・、こっちへ来るわ

 そこで皆が申し合わせたかの様に、近寄って来る人影を
見た。
 
 ・・・年は俺達と同じぐらいか? 背丈は高からず、低
からず。長く伸ばした前髪が顔の半分程を覆い、細面の顔
立ちは悪くは無いが、どこか神経質そうな印象を与える男
だ。
 ゆっくりとした歩調で近付いて来た男は、俺達の手前で
立ち止まり、口元に笑いをたたえた後、話し出した。
「・・・この世界は、放蕩と死に溢れている。だが、それ
も美しい婦人たちの前では無に等しい」
「・・・・・・?」
「なんか、ブツブツいってるよ・・・」
 美里は当惑したように男を見返し、桜井が怪訝な顔をし
て呟いた時。
「君ーーー、今、僕に何かいったかい?」
「えッ、ボッ、ボク? 別になにも・・・」
 男に不意に話しかけられ、慌てた様に首を振り、否定す
る桜井を見て、男は再び笑った。
「君は美しい顔をしているね・・・。まるで、どくろの上
に腰掛けた乙女のようだ」
 その口から出た言葉に、さっと、桜井の表情に常に無い
色が浮かび上がる。・・・誉め言葉と言うには、表現が穏
やかで無い。それを聞き、隣に立つ京一は小さくこぼす。
「小蒔を見て、美しいとは・・・。こいつは、かなりイカ
レてるぜッ」
「きょ〜いち〜ッ」
 それを耳聡く聞き付けると、額に青筋を浮かせ、火山の
爆発の前兆のように震える声を桜井は出す。が・・・。
「だがーーー、美しいものほど、残酷で、罪深きものはな
い・・・。ーーー何という惨劇。時こそが人の命を噛る。
姿見せぬこの敵は、人の命を蝕んで、我等が失う血をすす
り、いと得意げに肥え太るのだーーー」
「へッ?」
「・・・?」
 三度始まりかけた漫才を遮る様に、言葉の羅列を宙に吐
き出す男を見て、京一と桜井が同時に呆けた顔をする。
「フフフ・・・。ボードレールの詩だよ」
「ぼおどれえるゥ?」
「ボードゲームとは、・・・違うよね」
「アホか、お前は」
「フフフ・・・。シャルル・ボードレールはフランスの詩
人だよ」
 本人達は意識して無いのだろうが、顔を見合わした後、
やっぱり漫才の様な会話をする二人に、男が説明する。
 ・・・確かうちの学校の図書室に、作品集が置いてあっ
たような気が・・・?
「キミは、一体・・・?」
「僕を知らないのかい? 詩人という高貴なる僕を」
「うッ、うん・・・」
「何という事だ・・・。僕の心は、シテールのように荒涼
たる風が吹いている・・・」
 桜井の返事を聞くと、男は片手で顔を押さえながら、何
度も大げさな動きで頭を振る。・・・喋りといい、態度と
いい、積極的に友人付き合いをしたいタイプではない。早
い話、どうも気に入らない手合だ。
(こいつ、新手の宗教かナンかか?)
(さ・・・、さァ?)
 それを見ての京一の耳打ちに、首を傾げる桜井。
「そういえば・・・。なにかで見た事があるわ。港区の、
セント=クライスト学院に、13歳で文壇デビューした天
才詩人がいるって・・・。確か名前は、水岐ーーー」
 眉を寄せて、記憶を探りながらの美里の声が聞こえたの
か、男は頭を振るのを止めると、芝居がかった動きで手を
広げた。
「おォ・・・。君こそは、砂れきの砂漠にいる慈悲深き尼
僧。僕がその、水岐 涼だよ・・・」
「ええーッ!? この人、天才だったんだ・・・。どうり
で、いっているコトが難しいワケだ・・・」
「フフフッ・・・。僕の高貴な世界を、理解できる人間は
少ない・・・・・・」
 少々、ピントのずれた感想を出す桜井に、そいつ・・・
水岐は、満足そうに薄く笑うと、視線を巡らし俺を見た。
「そこの・・・、背の高い君」
「何か用か?」
「君の名は・・・、なんていうんだい?」
「・・・風間。風間翔二」
「いい名だね・・・。ところで・・・、君は、海が好きか
い?」
 その問いかけに対し、俺はサングラスを少しずらすと、
凍てついた視線の矢を水岐に向け、放った。
「・・・答える必要を認めんな。一つ言うならば、俺は自
らの事を恥ずかし気も無く、『高貴』などと称する様な輩
は嫌いでな」
 ・・・前にも言ったが、俺は馬鹿と変態にナルシストは
嫌いなのだ。詩人の全てがそうとは言わないが、こいつの
場合は些か、度を過ぎている。仮に気分を害した所で知っ
た事か。・・・我が家の家訓に曰く。『嫌いな奴を不幸に
してやろう』又は、『嫌いな相手に好かれる事程不幸な事
は無い』とは、誠に至言である。
「君は海が嫌いなのかい? 冷たい人だね・・・。でも、
その深い海の底のような冷徹さが僕をゾクゾクさせる。君
のおかげで、いい詩ができそうだ」
「天才詩人だか、なんだか知らねェけど、いきなり、海は
好き? は、ねェだろ・・・。そんなこと、どうでもいい
じゃねェか」
 会話を耳にした京一が、腕組みしながらごちると、また
しても水岐は口元に笑いをたたえる。
「フフフ・・・。どうでもいいことじゃないさ。海は偉大
なんだよ。全てを生み出し、そしてーーーーーー、全てを
無に還す。万物の根源・・・」
「水岐クンーーー。キミのいうことは、難しいよ・・・」
 倫理の授業に無理矢理参加させられた、小学生の様な表
情で桜井が呟く間にも、水岐は話し続ける。
「海は、全てを呑み込む。汚れた人間も、腐敗した世界も
ーーー。今の世界は、一度海へと還るべきなんだよ・・・
・・・」
(!?)
 言葉の中に含まれた物に、どこかで聞いた事のある響き
や匂い、僅かな違和感を感じとった俺が、こいつに対する
不審感と猜疑を抱いた時、それまでひたすら聞き手に回っ
ていた醍醐が、たまりかねたかの様に口を開いた。
「一体、なにがいいたいんだ」
「罪深い邪教を信じた報いを、この世界は受けなければな
らない。かつての、紅の花に埋もれた美しい世界を壊した
報いをね。もうすぐこの世界は、全て海の底に沈むんだ。
誰も逃れることは叶わない。この世界はもうすぐ、海のけ
ん族によって支配されるんだーーーーーー」
(こいつ・・・『あの男』と同じ様な事を・・・。考え過
ぎかもしれんが、只のナルシストの『へぼ詩人』が並べ立
てる、妄言として片付けるのにはな・・・。注意するにし
かず、か・・・・・・)
 考え過ぎかも知れないが、内心で一秒毎に膨れ上がる、
こいつに対する危険と警戒の念を自覚し、サングラスの奥
で目を細めながら、左手が腰の後ろに伸びかけた時。
「・・・頭が痛くなってきたぜ。オレたちは、お前の妄想
に付き合ってやるほど、ヒマじゃねェんだよッ!!」
「妄想かどうかは、もうすぐわかるよ・・・。人間が犯し
た罪を知るがいい・・・・・・」
 いい加減頭に来たのか、得物を入れた袋を突き付け、京
一が怒鳴り散らしたが、水岐に冷静な調子で受け流され、
不快そうに舌打ちする。
「ーーーちッ、やってらんねェぜ。おい、こんな奴ほっと
いて、さっさとプールに行こうぜ」
 言い終えるより早く、きびすを返す京一を水岐が呼び止
めた。
「待ちたまえ・・・」
「なんだよッ、まだ、なんか用かよッ」
「君たち・・・、プールに行くのかい?」
「わりーかッ? プールへ行っちゃァ!!」
「芝プールかい?」
「そうだよッ。なんか文句でもあんのかよッ?」
 最後は殆ど、喧嘩越しで問いかけに答える。
「いや・・・、なんでもないよ。楽しんでくるといい。君
たちとは、また会えるような気がするよ」
 笑みと笑い声をその場に残し、水岐は俺達の横を通り過
ぎると、悠然と立ち去った。
「行っちゃった・・・。なにがいいたかったんだろ?」
「・・・・・・」
「人間が犯した罪・・・って?」
「さァな」
 十秒ぐらい経ってから、俺を除く四人は三種の表情を作
った。桜井は首を傾げ、醍醐も同じ様に眉間にしわを寄せ
て首を捻っている。そして美里は奴の口にした言葉の一節
を呟き、京一は京一で、聖書の一節を説かれた、無神論者
の様な仏頂面をしている。
「冗談じゃねェぜ、まったく。イヤ〜な気分になっちまっ
たぜ」
「あァ・・・。確かに、変わった奴だったな・・・。詩人
というのは、みんなあんな感じなのか?」
「そんなことはないと思うけど・・・。ただ、水岐くん(
あの人)は少し違ったみたいね」
 顔を見合わしての醍醐達の会話に、美里がやんわりとし
た口調で口を挟むと、桜井も同調した。
「まあね・・・。でも、性格はともかく、結構、格好良か
ったよねッ」
「なにいってんだ、お前はッ!! 男の価値は、カオだけ
じゃねェっての。ーーーッと、まあオレはカオもいいけど
な」
「また始まったよ・・・。いいから早く、プールに行くよ
ッ」
「うむ。そうだな」
「・・・右に同じ」
 自負と自信(根拠はともかく、少なくとも本人はその事
に対し、確信に近い物を抱いているようだ)に満ちた顔で
そう言ってのける京一の言葉を、桜井はすげなく聞き流し
て、さっさと歩き出すと、俺や醍醐も続いて歩を進める。
 予期せぬ人物と、予期せぬ出会いを果たした為に、要ら
ぬ道草を食った俺達は、急ぎ足で公園を後に、プールへと
向かったのだった。
 
          第8話『邪神街』其の2へ・・・

 戦人記・第八話「邪神街」其の弐へ続く。

前頁

次頁

戻る

真・Water Gate Cafe

葵館・談話室