戻る

真・Water Gate Cafe

葵館・談話室

戦人記・第八話「邪神街」其の弐

         ■芝プール内■

 あの後少しして、プールに到着した俺達だが、入り口付
近で恥ずかしい台詞を大声で叫ぶ『馬鹿』が若干、一名い
た以外はさしたる事も無く、入り口にて女性陣と別れた俺
達は、手早く水着に着替えプールサイドに立っていた。
 ・・・プール内は、涼を求める人でごったがえしていた
が、窮屈さを感じる程では無かった。さすが休日だけあっ
て、カップルや、親子連れ、友達同士といった組み合わせ
が目立つ。プールサイドに色とりどりのパラソルが立ち並
ぶ中、様々な色や形の水着を来た人々が行き交う様は、万
華鏡の様な華やかさであった。
「うーーーんッ。やっぱ、夏は海かプールに限るなッ!!
このオレの、無駄なく引き締まった体も、見せがいがある
ってもんよ」
 声と共に大きく伸びをする京一。・・・まあ、確かに。
猫科の肉食獣を連想させる、一見細身だが、その実、強靭
かつしなやかな筋肉を持ち、一片の贅肉も無いその体付き
は、十分賞賛に値するだろう。しかし・・・。
「それはいいんだが、京一・・・。どうしてお前は、こん
な所まで木刀を持って来てるんだ」
 それらの好印象、全てをぶち壊すに足る『事実』を醍醐
が告げ、言われた京一はサングラス越しに、醍醐を見やっ
た。
「そういうコトは鏡見てからいえよ・・・。お前こそなん
なんだその格好は」 
「なんだとッ!? プールに行くときの必需品だろうがッ
!!」
 反撃された醍醐が、そう力説するが、その言葉に京一は
『抱腹絶倒』という表現そのままに、笑うのだった。
「あーはははッ!! ゴーグルにシュノーケルで市民プー
ルに来るバカを、オレは初めて見るぜッ」
「おれだって、市民プールに木刀持ってくる馬鹿は、初め
て見るがなッ!!」
 文字通りの『五十歩百歩』。凄まじく低レベルな罵声の
応酬に続く、歯ぎしりと目から出る火花を交えた睨み合い
の後、両者が同時に『きっ』と、俺を直視する。
「よーしッ、こうなったら、どっちが本当の馬鹿か、翔に
判断してもらおうじゃねェかッ」
「望むところだッ。遠慮する事はないぞ。はっきりいって
くれ風間」
 俺は無言で二人を見た。両者には、共通する表情が存在
した。・・・即ち、『相手の完全なる敗北と、自らの絶対
なる勝利への確信』である。そして判定を待つ二人の希望
通り、俺は率直極まる返答を口にする。
「・・・間違い無く二人とも、上に『大』では無く『激』
が付く程の『馬鹿』だ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 と、この上なく公平な判決を告げ、黙り込む二人から離
れた俺は、パラソルの一つに近寄ると、タオルなどの手荷
物を置いた後、デッキチェアを占領して、寝転がった。
「後で覚えてろよ・・・・・・」
 心底悔しそうな京一の声を『馬耳東風』と聞き流して、
俺は持参したミネラルウオーターのボトルを手にする。
「おいッ。そこの2人組ッ」
 背後からの呼びかけに、まず京一達が振り向き、少し遅
れて俺も二人がいる方を見た。
 ・・・振り向いた先に立っていたのは、一人の少女だっ
た。健康的に日焼けした小麦色の肌と均整の取れた体つき
に、ポニーテールにした赤茶色の髪。胸元に星をあしらっ
た紺色の水着を着ており、全身から活動的な雰囲気が溢れ
出している。歳は多分、俺達とそう変わらないだろう。
「2人組って、オレたちの事かよ?」
「他に誰がいるってんだよッ。怪しげな格好しやがって」
 問いただす京一の声に対し、少女はいきなり核心をつく
一言を口にし、京一の表情が目に見えて変わる。
「なッ、なんだとう、てめェ」
「へッ。ホントの事いわれて怒んじゃねェよ」
「てッ、てめェーーーッ」
 声には芯も張りもあるし、男そのものの言葉遣いで、ポ
ンポンと威勢のいい言葉を投げつけるものだから、京一は
早くもいきり立つが、彼女の方は平然たる物だ。
 ・・・何となくだが、桜井の持つ雰囲気を、更に一歩押
し進めた様な印象を彼女からは受ける。
「あー、そうそう。あんたたちに聞きたいんだけどさ。オ
レにちょっと似たカンジの女の子なんだけどさ」
「お前に似たカンジィ?」
「性格は、オレと正反対で、おとなしいんだけどよ。見な
かったか?」
「けッ。仮に見たとしてもお前にゃ教えねェよッ。だいた
い、人にモノを聞くときはだなァーーー」
「悪いが、見てないな」
 心底胡散臭げに呟いた後、少女に何か言ってやろうとす
る京一だが、それより早く醍醐に割って入られた為、脱力
しつつも、どこか恨めしそうな顔をして相棒を見やる。
「醍醐、お前なァ・・・・・・」
「そうか・・・。もう少し捜してみるか。ーーーありがと
よ」
 醍醐の言葉に、少女はやや失望の体で肩をすくめ、短く
礼を述べた後、さっさと歩き去った。人混みの向こうにそ
の姿が消えると、面白くもなさそうに京一は口を開く。
「なんだ、今の女は」
「はははッ、口の悪さは、お前といい勝負だな」
「ちッ。・・・そんなことより、美里と小蒔が来るまで、
先に水に入っていようぜッ」
「そうだな、少し、汗ばんできたしな。どうだ、風間。お
れたちで、少し先に泳いでこないか?」
 醍醐にまで言われ、撫然たる表情をする京一だったが、
気を取り直しての提案に醍醐も同意した後、俺を見た。
「・・・俺はいい。行きたきゃ、二人で行ってこい」
「そうか・・・。ふたりに気を使ってるのか?」
「いや、単に面倒くさいだけだ」
「まッ、それならお前はそこで待ってろよ。それじゃ、オ
レたち二人で行こうぜ、醍醐」
「あッ、あァ・・・・・・」
 京一の誘いにも、醍醐は妙に歯切れが悪く、プールへと
歩く途中で、まだちらちらと俺の方を見る為、『早く行け
』とばかりに俺が手を振った時。
「気にすんなッて。あいつは早く、美里の水着姿が見たい
んだろうよッ」
 なんぞと、他人が聞いたら要らぬ誤解を与えるような事
を、聞こえよがしにほざく奴に向かい、俺は即座に口と手
の両方で反撃しようとしたが、実行に移す前に二人が水に
入ってしまった為、結局、不発のまま終わった。
(あの野郎・・・。さっきの『覚えてろ』とは、こういう
意味だったのか・・・・・・)
 小賢しい真似をしてくれた奴に向かい、胸の中で小さく
悪態をついた後、俺はペットボトルの封を切って中身を咽
喉へ流し込むと、泳ぐ二人の姿を見ながら、効果的な再反
撃の手を探していた所へ・・・。
「あの・・・、すいません」
 と、横合いから遠慮がちな声が聞こえ、俺は上体を起こ
して声の聞こえた方を見る。
 声の主は、またしても女性だった。長い黒髪を頭の上で
結わえ、ピンク色のシンプルなワンピースの水着を着た、
楚々たる印象を見る人に与える、今時珍しい純和風の美人
だった。歳は・・・俺と同じぐらいか?
「何か?」
「あッ、あの・・・。つかぬことをお伺いしますが、わた
くしと、よく似た顔立ちの、女性を見かけてはいらっしゃ
いませんか?」
(ん? 先程の女性も、同じ様な事を言ってたな・・・)
 つい数分前の出来事を思いだし、目の前に立つ女性の顔
を注視した俺は、彼女と先程の女性の顔に、異なるようで
共通する部分がある事に気付き、頷いてみせた。
「ああ、それらしき女性なら、今し方、そこで見かけたが
・・・」
「本当ですか!? 良かった・・・」
 彼女はそれを聞いて、心から安堵したかの様な表情をす
ると、更に聞いて来る。
「それで、姉様はーーー、いえ、その女性はどちらに?」
「それは・・・・・・」
 彼女が立ち去った方を指差そうとしたその時。
「おいッ!! そんなとこで、なにやってんだよッ!!」
 声と同時に、当の本人が現れ、黒髪の少女は驚いた様に
顔を上げると、安心と驚きが混じった声を出す。
「あッ、姉様ッ!!」
「まったく・・・。急にいなくなるから、心配したんだぞ
ッ」
「ごめんなさい・・・、姉様」
「はははッ、そんな顔すんなッ。変な男にでも引っ掛かっ
てじゃないかと、おもってさ。なァーーー兄ちゃん」
 駆け寄った後、済まなそうな顔をする黒髪の少女を、安
心させる様に笑い掛けた後で、彼女の姉だった活発な少女
は、じろじろと露骨に怪しむ目を俺に対し、向けて来た。
 ・・・まあ、見ず知らずの男に対して警戒を示すのは、
若い女性としては当然だろう。少なくともその逆よりは、
まともな反応である。
「あッ・・・。この方には姉様を見なかったか、聞いてい
ただけです。どうも、ありがとうございました」
 と、妹の方がフォローを入れて、礼儀正しく頭を下げた
のを見ると、『警戒の必要無し』と考えたのか俺から視線
を外し、妹を促した。
「まッ、いいか。それじゃ、行こうぜ」
「はい」
 二人して歩き出したが、すぐに足を止めると、姉の方が
こちらを振り向いた。
「あッ、そうそう。あんたーーー、妹が迷惑かけて、すま
なかったな」
「・・・なに、よくある事だ、迷惑の内に入らん」
「はははッ、妹は結構、世間知らずだからな。あんたがい
い人で助かったよ。じゃあなッ」
 彼女の言葉に対し、『謝罪など無用』と答えを返す。そ
れを聞いて、少女は白い歯を見せて笑うと、軽い足取りで
離れて行く。
「あッ、姉様・・・。それでは、わたくしも失礼いたしま
す」
 そして妹の方は、再度丁寧に頭を下げると、姉の後を追
う。・・・古風というか、何というか。その折り目正しい
態度や姿勢に加え、おっとりとした物腰や言葉遣いといっ
た物は、既に死語と化した存在を見る人に思い出させる。
「何もかも対象的というか、変わった取り合わせだったな
・・・・・・」
 それが彼女達に対する、俺の評価と感想だった。
「おいッ、翔ッ」
 不意に呼び掛けられると同時に、乱暴に肩を叩かれた。
振り向けば、いつの間にプールから上がったのか、京一と
醍醐が立っていた。
「なにボーッとしてんだよッ。オネェちゃんの水着にでも
見とれてんのか? うんうん。お前も男だってことだ」
「風間をお前を一緒にするなッ」
 一人頷く京一に、俺より早く、醍醐が突っ込む。
「そんでよーーー。向こうでなんかの撮影やってるみたい
なんだッ。ちょっと見に行かねェかッ?」
「どうやら、美里と桜井はまだのようだな・・・。女の着
替えというのは、予想以上に時間のかかるものらしい・・
・・・・」
「いいから、早く行こうぜッ。あいつらが、出てくるとま
た、うるせえだろッ」
 女性用更衣室の方を眺めやって、醍醐が呟くと、京一が
そう急かしたてた時。
「あれェ〜〜!? こんなとこで会うなんてェ、すっごい
偶然〜ッ!!」
 聞き憶えのある声がした為、俺達は一斉に振り向き、醍
醐が声の主の名を呼ぶ。
「たッ、高見沢じゃないか・・・」
「うふふッ、元気〜?」
 俺達と同様、<<力>>を持つ者であり、『霊感持ちの天然
系見習い看護婦』にして、桜ケ丘のマスコット(?)的存
在でもある高見沢が、普段の様にニコニコと笑いながら立
っていた。
 そして若草色のビキニを着た、・・・出るところは出て
いる、バランスの取れた体つきをした・・・高見沢を見る
と、以外かつ、関心した様な顔で京一は呟く。
「・・・・・・。おッ、お前って、結構ナイスバディだっ
たんだな・・・・・・」
「えへへッ。わ〜い、ほめられたァ」
 京一の声を素直に受け取り、無邪気に喜び、笑顔を見せ
る高見沢。そして次の瞬間。世にも恐ろしい台詞を口走っ
た奴がいた。
「もッ・・・もしかして、院長先生と、一緒に来たんじゃ
・・・・・・」
 ビシッ。
 初夏だというのに何かが凍り付く、聞こえる筈の無い音
が響き、加えて周辺の空気が、一瞬にして氷点下にまで下
がるかと、錯覚させる様な雰囲気がその言葉にはあった。
「バッ、バカやろーッ!! 気持ち悪いモン、想像させん
じゃねェッ!!」
 口走った張本人である醍醐に向い、怒りに満ちた顔で怒
鳴り付ける京一を、俺は人外のモノを見る様な目で見た。
(お前・・・。『それ』を想像したのか・・・・・・)
 俺の場合は、それを聞いた瞬間、精神衛生の保全の為と
いう理由で、脳に拒否された。
「ブーッ、ハズレェ。看護学校のお友達とだよォ。この近
くの病院のお手伝いに行った帰りなのォ」 
 その雰囲気を知ってか、知らずか、高見沢は明快に否定
し、それを聞いて心底安堵した様な溜め息が、複数洩れた
のだった。
「ねェねェ、そんなコトよりィ、一緒に遊ぼうよォ」
「・・・俺は構わんが。もうすぐ、美里や桜井といった面
々も、顔を見せるだろうし」
「うふッ。やった〜ッ!! なにして遊ぼっかな〜ッ」
 その誘いを、断る様な理由も無い為、俺が頷くと、また
大袈裟なぐらい喜んでいる。・・・そこまで喜ぶような事
だろうか?
「いや、どうせ遊ぶなら、友達のオネェ様方も、一緒に・
・・・・・」
 下心丸だしで、京一がそう言うやいなや。
「あァーーー、忘れてたァ。アイスが溶けちゃう〜」
「へッ?」
 唐突に上げた素っ頓狂な叫びを聞き、それまでニヤけて
いた京一の顔が、再び凍り付いた。そして走り出す高見沢
の後ろ姿に、懸命に呼び掛ける。
「あッーーー、おッ、おいッ!! 行くなら、白衣の天使
のお友達を紹介してからにしてくれ〜ッ」
 しかし・・・・・・。
「行ってしまったぞ」
 醍醐が短く、冷厳な事実を告げると、京一はその場にが
っくりと膝を付き、肩を震わせた。
「うゥ・・・、白衣の天使ちゃんが・・・・・・」
「何も泣く事ないだろ・・・・・・」
 滝の様に『目の幅涙』を流す京一を見て、呆れ返った醍
醐は何度も首を振る。
「うゥ・・・、だって、ハーレムが・・・。女子大生のオ
ネェちゃんもいいけど、未来の白衣の天使ちゃんもいいん
だもん・・・・・・」
「なに訳のわからん事を・・・・・・」 
 挙げ句の果てに、うずくまって指先で『のの字』を書き
始める始末である。・・・欝陶しい事、この上無い。
 俺はその辺に置いてあったビート板を拾い上げ、その頭
を目掛けて振り下ろす。
 すぱかんっ!!
「痛ってェ・・・。あにすんだよ、翔ッ!?」
「やかましい!! いい年した男が泣き真似をするな。見
てて欝陶しい!!」
 頭を押さえた京一の抗議に対し、怒鳴り返す。更に何か
言いかけた京一だが、それを止めると、不意にきょときょ
とと、回りに視線を送った。
「んーーー?」
「・・・どうした? 電波でも聴こえたのか?」
「うるせェなッ! 今、なにか視線を感じたような気がし
たんだよッ!!」
「ふゥ、まったく・・・、処置なしだな。それより、撮影
を見に行くんじゃないのか?」
「おッと、そうだったぜッ。早く行かねェと、終わっちま
うッ」
 話が拗れる前に醍醐が仲裁に入り、俺達はその撮影とや
らが行われている一角に向かい、歩き出した。

 ・・・何分か歩いた所で、撮影現場に到着すると、そこ
は、昼休み時の学食を遥かに凌駕する喧騒と人垣に覆われ
ていた。大勢の人間が中心にあるだろう『何か』を求め、
押し合いへし合いして、ちょっとやそっとでは、収拾がつ
かない程の騒ぎである。
 俺と醍醐は騒ぎに巻き込まれるのを避け、少し外側に陣
取って、その様子を眺めていたに留まったが、(無謀にも
)京一はその中へ突っ込んで行った。
「すッ、すごい人だかりだな・・・・・・」
「確かに。取り付け騒ぎが起こった銀行の前みたいだな・
・・」
「クソッ、前が見えねェ」
 と、呟く京一。挑み掛かっている人だかりの向こうから
は、『それじゃ、こっち向いて!!』とか、『いいねェ、
そのまま笑ってーーー』だのといった声と甲高いシャッタ
ー音が、見物人の発する歓声に混じって、聞こえて来る。
「グラビア撮影みたいだな」
「おッ。見えた、見えたーーーーーー」
 偶然出来た隙間に頭を突っ込んだ京一が、声を弾ませた
直後。
「あァーーーッ!! あッ・・・、あれッ・・・あれはー
ーーッ!!」
「なんだ? どうした、京一?」
「まッ、舞園さやかーーー、さやかちゃんだァァァァァッ
!!」
 京一が辺りの迷惑をはばからず上げた大声に、醍醐は少
し眉根を寄せたが、すぐに納得した様に頷いた。
「舞園さやか? あァ、あれか。お前がいいって言ってい
た、アイドルのーーー」
「アイドル? 舞園さやか? 誰だそれは?」
 俺は醍醐に訪ねた。我が家のTVは、国営放送のニュー
スやドキュメンタリーに、映画のビデオを見る以外に使わ
れてないので、そういう物には、俺はいたって疎いのだ。
「そうそうそうそうそうそうッ!! 15歳のピチピチ高
校一年生ッ!! 平成の歌姫とも呼ばれる、売りだし中の
超美少女だぜッ!!」
 恥ずかし過ぎる言葉と共に、京一が『懇切丁寧』に説明
してくれたが、感謝する気にはなれなかった。
『きゃーッ、さやかちゃーんッ!!』
『うおーッ、さやかーーーッ!!』
 ・・・といった叫びに加えて、拍手に口笛等々。男も女
も、老いも若いも取り混ぜて、凄まじい迄の熱気と興奮に
溢れている。程度の差こそあれ、世の中には京一の同類は
多いらしい。それに圧倒されたかの様に、醍醐が呟く。
「まったく、すごい人だな・・・・・・」
「何が楽しくて、あれ程騒いでいるのだ? ・・・俺には
理解できん」
「どわッ!! クソッ、みッ、見えねェ・・・・・・」
 俺が感想を述べていると、人波に突き飛ばされた京一が
たたらを踏んだ。もう一度その姿を見ようと京一はあがく
が、分厚過ぎる人の壁に阻まれ、割り込む事は出来ない上
に、乱暴に押され、揉まれ、足を踏まれ、弄ばれる。
「いッ、痛ェ。てッ、てめェ、このやろーッ」
 その直後、俺達の目の前で破局が訪れた。
「ちくしょーッ、諸手上段ーーーッ!!」
 とうとうブチ切れた京一が、人混みの真っ只中で木刀を
振るい始めたのだ!!
『剣掌、旋ィーーーッ!!』
 理不尽な暴力の前に、罪も無い一般市民数名が、次々と
散華する・・・。会場は一瞬にして、パニックのどん底に
叩き込まれた。悲鳴と怒号に混乱とが入り交じる様は、以
前遭遇したあの花見での事件や、俺が倫敦にいた時に巻き
込まれた、某組織の爆弾テロに比べれば小さいが、それで
も『惨事』である事に変わりは無かった・・・・・・。
 ・・・等と、批評家面して言っている場合では無い!!
 無秩序に逃げ出そうとする人が元で、将棋倒しまで起こ
り、更に騒然とする中を、俺と醍醐は騒ぎの中心に向け突
入し、流れをかき分けて『諸悪の根源』の所へと辿り着く
と、奴の両腕を引っ掴むや、混乱に乗じて、その場から必
死に遁走を計ったのだった・・・・・・。
 それから、暫く経過って・・・・・・。
 何とか現場から逃げおおせた俺達は、プールの片隅にあ
る自販機コーナーで、ほとぼりが覚めるのを待っていた。
 コーラを飲み干した醍醐が、大きく肩で息をつくと、苦
り切った顔で口を開く。
「ふゥ・・・。まったく、お前って奴は・・・・・・」
 醍醐の声は、まるで耳に入っていなかった。再び、京一
は肩を震わせているが、その理由は先刻のそれとは違い、
この上無い喜悦によるものであった。
「この目で、本物の舞園さやかを見ちまったぜ・・・。オ
レは・・・、オレは・・・、もう二度と、瞬きなんかしね
ェぞォッ!!」
「ほほぉ・・・・・・(青筋)」
 低く、底冷えする様な声調で俺は呟くと、京一の背後に
忍び寄る。・・・俺の右手には長さは約50cm、幅は1
0cm程度の白く細長い板を、複数枚重ね合わせた物体が
握られている。そして・・・、手にしたそれを振り上げ、
手首のスナップを効かせながら、力任せに叩き付けた!!
 すぱんっ!!
「ぐべ」
 小気味良い音に続いて、トラックに潰された蛙の様な悲
鳴を上げて、京一がコンクリートの上に昏絶した。
「全く・・・。この赤毛助平猿は・・・・・・」
 手にしたハリセンで京一をどつき倒しても、まだ怒りが
収まらない俺と、倒れたまま、頭の後ろから『ぷしゅ〜』
とかいう音を立てて、煙を出す京一を交互に見ながら醍醐
が聞いて来る。
「風間。一体、それはどこから・・・!?」
「企業秘密だ。・・・それから、飛び込み用プールの所に
でも、重し付けて沈めとけ。そうすれば、こいつの希望通
り、二度と瞬きせずに済むだろうからな」
「・・・。鬼か、お前は・・・・・・」
 俺の無慈悲な一言に、醍醐の顔が引きつったが、結局の
所それを実行はせず、醍醐が伸びた京一の襟首を引っ掴ん
で、俺達は元の場所へ戻って来た。
「しかし、結構、人がでてるな」
 またデッキチェアに根転がった俺の横で、椅子に腰掛け
た醍醐がプール内を見回しながら独り言を言った所へ、ダ
メージから立ち直った京一が、つまらなそうな顔をする。
「あーあ・・・。やっぱ、オレと翔とで来るべきだったよ
なァ。そうすりゃ今頃、プールサイドでオネェちゃんに囲
まれて、酒池肉林って感じだったってのによォ・・・」
「・・・あのな。どこをどうすれば、そんな発想が出来る
んだ、お前は・・・・・・」
 一人、見果てぬ夢を語る京一に、本日分の忍耐心の最後
の在庫を掻き集めながら、俺が突っ込んだ時。
「なァにいってんのよッ。相変わらず、馬鹿ねェ、アンタ

「なにィ・・・?」
 いきなり馬鹿呼ばわりされた京一が、顔をしかめながら
声の正体を確かめる為に、顔を上げると・・・。
「は〜い。ふふッ。元気にしてた?」
 その挨拶が聞こえると同時に、これまた友人である藤咲
が手を振り、軽くウインクしつつ、俺達の前に立った。
「藤咲か。・・・そっちも、元気そうだな」
「まあ、それなりに・・・ね。あ、そうそう、亜里沙でい
いわよ。あたし、名前で呼ばれる方が好きだし」
「ふッ、藤咲ーーー」
「すッ、すげェ・・・」
 俺と藤咲が話す一方で、醍醐達が息を飲む藤咲のいで立
ち・・・豹柄のビキニの上下だが、その布地は上下とも必
要最小限の大きさしか無い。何とも目のやり場に困る扇情
的な格好であるが、それが似合っているのも事実だ。
「・・・・・・。きょッ、京一・・・。よだれがでている
ぞッ」
「おッ、おうッ」
 しばし呆然と見ていた醍醐が相棒を見た後、肘でその脇
腹をつつき、慌てて口元を拭う様を見て、藤咲は愉快げに
笑い出す。
「あははッ。別に、減るモンじゃなし、いいわよ、いくら
見ても」
「じゃ、お言葉に甘えてーーー」
 化け猫に誘われた若侍。又はゴキブリホイホイに惹かれ
るゴキブリの様に、ふらふらと藤咲に近寄って行く京一だ
が、その足に俺はさりげなく、自分の足を引っかけた。
「!? んどわッ!!」
 バランスを崩し、よろけた京一はプールに転げ落ちた。
盛大な水飛沫が高々と上がる。
「・・・少し、そこで頭を冷やしてるんだな」
 水面に浮かぶ泡に向け、霜のおりた声で言い捨てた時。
微笑を浮かべた藤咲が、俺のすぐ近くに寄って来ていた。
 流し目に加え、艶然たる表情がなまめかしい。
「ねェ、翔二くん・・・。どう? 今日のあたし。グッと
こない?」
「ん・・・。ま、そういう事にしておいてやるよ」
 素っ気無い俺の返事を肯定的に解釈したのか、藤咲の顔
と声にどこか満足そうな色と響きが現れる。
「ふふふッ・・・。翔二くんったら、照れてるの? でも
あたし、翔二くんのそういうクールなトコ、好きよ。・・
・あーあ。あたしもアテが外れたし、この際、翔二くんた
ちと一緒に遊んじゃおうかなァ・・・」
「アテって・・・、なんのことだ?」
「ここのプールって、短大生の穴場じゃない? それを目
当てに来る男を逆にカモろうと思ってたのに、ロクな男が
いやしないッ。しかもヘンなウワサのせいで、最近、港区
中のプールで客足が減ってるって話よ。さっきの撮影も、
区が提案したCM用のグラビア撮影だって」
「ヘンなウワサ〜? なんだそりゃ」
 醍醐の問いに藤咲が答えていると、プールから這い上が
って来た京一が口を挟むが、藤咲は露骨に『興味無いわ』
と言いたげな態度と口調で答える。
「さあねェ〜。あたしもよくは知らないわ。・・・あ。そ
ういえば、さっき撮影会場で、なんか騒ぎがあったらしい
けど・・・。アンタたち、それがなんだか知ってる?」
「いや・・・。それ自体、初耳だからな。ま、どうせ、ど
こにでもいる、節度を欠いた輩が、熱狂の余り『馬鹿』な
真似をしたのだろう」
 まさか『当事者』だと言える筈も無く、俺は適当な嘘を
付いてその場を誤魔化したが、幸いにも、藤咲が更に突っ
込んで聞いてくる事は無かった。
「そうね。・・・悪いけど、あたしはもう帰るわ。アンタ
たちは、水遊びでもなんでも、楽しんで頂戴。・・・ふふ
ッ。じゃ、またね、翔二くん」
 最後にもう一度ウインクし、藤咲は女性更衣室に向かっ
て歩き去った。
「なァにが、楽しんで頂戴、だッ。ーーーッたく、なに考
えてんだ、あいつは」
 そんな事を言っても、現にだらしなく目尻を下げていた
のだから、京一が何を言った所で全く説得力は無い。 
「だが、ヘンな噂というのが気になるな・・・。一体、な
んのことなんだ?」
「さあな。そんなことより、オレが気になるのは、さっき
の視線の主なんだけどな・・・」
「まったく、自意識過剰な奴だな。誰もお前のことなど、
見ちゃいないさ」
「いや、そんなはずはねェッ。きっとどっかのオネェちゃ
んが、オレに熱〜い視線を注いでいるに違いねェッ!!」
「なにを馬鹿な事をーーーーーー」
 口角泡を飛ばして力説する京一を、呆れきった顔で見て
いた醍醐の表情に突然、緊張の色がよぎった。
「むッ!? この気配・・・、なんとなく、知っているよ
うな・・・・・・」
「まッ、まさかッ!?」 
『・・・うふふ〜』
 間を置かず、京一も同様の表情を浮かべた所へ、響き渡
るこの独特の笑い声は・・・。間違い無い、あの御仁だ。
「まさかッ、この笑いは・・・・・・」
「京一く〜ん、醍醐く〜ん。風間く〜ん」
 はっきりと顔を引きつらせる京一。そしてどこからとも
なく名を呼ばれた二人は、『ばっ!!』と、立ち上がり、
何故か背中合わせになると、四方に視線を送り込む。
「どこだッ!! 一体、どこにいるんだ・・・・・・」
「どこにも、見当たらねェぞッ!!」
 旧校舎でも見せない様な表情をして、小声で話す二人。
そこへ・・・・・・。
「うふふふふ〜。こんな所で、会うなんて偶然〜」
 その声と共に、水色をした花柄の水着の腰にパレオを巻
いた少女が現れた。その姿をまじまじと見つめた後、信じ
られない様な顔をしつつ、醍醐に続いて京一が口を開く。
「その笑いは、うッ、裏密・・・?」
「お前、どうしたんだ、その格好は・・・・・・」
「うふふふふ〜。もちろん、プールに来る格好よ〜。それ
とも〜、あたしが〜、プ〜ルにいちゃあいけないの〜?」
「・・・別段、そんな事は無いがな」
 二人が答えないので、俺が返事をすると、例によって裏
密は『にたぁ〜』と笑みを浮かべる。因みに泳ぐのに邪魔
なのか、最大の特徴であるあの瓶底眼鏡は掛けていない。
「うふふ〜。あたし〜に会えて、嬉しいのね〜」
「どうとりゃ、そう見えるんだ?」
 裏密の声に俺では無く、京一が突っ込んだ時。その肩に
俺は手を置き、話しかけた。
「良かったな、京一」
「・・・なにがだよ?」
「いや、望み通り『熱〜い視線を送ってくれるオネェちゃ
ん』に巡り合えただろ? これを良かったと言わずして、
何と言うんだ?」
「・・・・・・。殴るぞ」
「殴れば。きっちり、十倍にして返してやるから」
 青筋を浮かべる京一に、さらっと俺が答えた時。
「うふふふふふ〜。水占い(ハイドロマンシー)で、ここ
が視えたんだ〜」
「水ゥ? そんなの、当たんのかよ?」
「うふふふ〜。あのノストラダムスも、<<諸世紀>>を制作
する折りに、使ったといわれてるのよ〜」
 京一の問いに、裏密は『ムー大陸存在説』を唱えた奴と
双壁を為す、世界屈指の『ペテン師』の名を出して答える
と、またしても『にたぁ〜』と笑った。
「それより〜、ここにはでるのよ〜。『白い腹、灰緑色の
鱗〜、瞬きしない濁った目〜』うふふ〜。早く現れないか
しら〜」
 との、何やら妙な響きを帯びた言葉を言いたてた後、裏
密はふらっと立ち去ってしまい、その場に残った俺達は、
期せずして顔を見合わせた。
「行っちまったぜ・・・・・・」
「なッ、なにが出るっていうんだ・・・・・・」
「海坊主か?」
「こッ、ここは、プールだろッ」
「・・・ま、二人とも、精神衛生の事を考えるなら、今の
数分間は『無かった事』とでも思うのが、健全かつ適切だ
ろうな」
「ーーーーーーと、ようやくお出ましのようだぜ」
 そういった脈絡の無い会話を止めたのは、女性更衣室の
方を見た京一の言葉だった。
「よッ、お待たせッ」
「・・・遅くなって、ごめんなさい」
 声と共に現れる女性陣。そして。
「あははははッ。ふたりとも、なに、そのカッコ」
「うるせェなッ!! 大事なもんは、肌身離さず持っとく
主義なんだよッ。なッ、醍醐」
 醍醐と京一の格好を見るや桜井が爆笑し、笑われた京一
はむくれながら同意を求める様に相棒を見るが、反応は無
い。口を開こうともせず、ぼーっと立ち尽くしている。そ
れを看取り、諦めた様に頭を振ると、話題を変える。
「・・・だめだな、こりゃ。それより、ふたりとも結構、
可愛いじゃねェか」
「まあ、当然ッて感じかなッ!!」
「もうッ、小蒔ッたら・・・」
 おちょくるか、からかったりすると思いきや、以外と素
直に京一は二人を誉め、明るい青色をしたスポーツタイプ
の水着を着た桜井は、京一の声に答えながら醍醐を見た。
「ねェ、醍醐クンは、どうおもう?」
「あッ、あァ・・・。中々・・・似合ってるんでは、ない
かと・・・・・・」
 ゴーグルで表情は見えないが、裏密の時とはまた別の緊
張を醍醐は感じている様に見えた。そして、しどろもどろ
な態度と返事に、桜井は不満そうな顔をする。
「もうッ・・・。もっとハッキリいってよ」
「いッ、いや・・・、そのッ・・・。かッ、可愛いんじゃ
ないか?」
「えへへッ。ありがと、醍醐クンッ」
 妙に舌を縺れさせ、おまけに額に脂汗を流しつつ、よう
やく醍醐は率直な誉め言葉を口にし、桜井は満足げに頬を
綻ばせる。
(難儀な事だな・・・。ま、俺には関わり合いの無い事だ
が・・・・・・)
 完全に他人事の為、二人の声を聞き流しながら、俺が先
程、近くのスタンドで興味半分で買った『スイカ紅茶』な
る、怪しい飲物の容器にストローを突き立てた時。
(ほらッ、葵も聞いてみなよッ)
(え!? で、でも・・・、あの・・・・・・)
(いいから、聞いてみなッて)
 ひそひそ話の後、友人に背中を押された美里は、2〜3
歩前に出ながら息を整えると、我知らず顔に熱を覚えなが
ら、目の前にいる人影に話し掛ける。
「あの・・・、翔二くん・・・。その・・・この水着・・
・、似合ってるかしら・・・」
「ん・・・?」
 手にした飲物の容器を一旦置き、振り向いた俺はその問
い掛けに答えを返すべく、彼女の姿に目を向けた。
 ・・・体育の授業で彼女の水着姿は何度か見たが、今日
は学校指定の野暮ったいものではなく、オレンジ色のライ
ンが入ったクリーム色のワンピース水着で、ほっそりとし
た優美な肢体を包み、同色のリボンで髪を束ねている。
 普段は服に包まれている、滑らかな肩のラインや、すら
りと伸びた形の良い手足を見て、魅力的と感じない者は、
まず存在しないだろうし、手放しの賞賛に値するものでも
あり、何とも強烈で鮮烈な印象を俺の中に焼き付けた。
 ・・・と同時に、俺は以外な窮地に立たされた事に気付
いた。迂闊な事を言ったものなら、京一辺りに揚げ足取り
の材料を与える。かといって、無神経な事を言えば、当然
ながら彼女は・・・・・・。
 ひとしきり、言葉の選択に煩悶した後。結局俺は、最初
に彼女を見て感じ取ったものを、そのまま口にした。
「そうだな・・・、良く似合っている。それに、何と言う
か・・・綺麗だと思う」
「あッ、ありがとう・・・。翔二くんにそういってもらえ
るなんて、嬉しいわ・・・・・・」
 返事の直後。彼女の白い肌や頬がさぁっと、桜色に染ま
り、そしてはにかみと恥じらいに歓喜が入り混じった表情
と声が、俺の視覚と聴覚を満たした。
「えへへッ。良かったね、葵!!」
「う・・・、うん」
(・・・ふう。まあ、何にせよ、彼女に悪い印象は与えず
に済んだようだな・・・・・・)
 続いて聞こえて来た女性陣の声に、内心で安堵を覚えな
がら、俺は『スイカ紅茶』をすすったが、飲んだ直後。
(う・・・。ま、不味い・・・・・・)
 そのとてつもない不味さ・・・大して質の良くない茶葉
に、スイカの絞り汁をぶち込んでおり、只でさえ貧弱な紅
茶本来の香気や持ち味を、スイカの汁の生臭さや中途半端
な甘味が完膚無きまでに殺しており、何一つとして美点と
言える物が存在しない代物・・・。に冗談半分とはいえ、
買った事を俺が心の底から後悔した時・・・。
「よッしゃァッ。水着披露も終わったことだし、そろそろ
遊ぶとするかッ」
「賛成ェ!! プールでこうやって遊ぶのは、今年最初だ
もんねッ。おもいっきり楽しまなきゃッ」
 そのお気楽コンビの声に、頷こうとした醍醐がふと視線
をある一方へ向けた。
「・・・ん? どうした、醍醐?」
「あら・・・誰かこっちへ来るわ」
 美里の声に人影を注視した京一が、声を弾ませた。 
「おッ!! あれはーーー、あの形のいいバストと、極上
の曲線美はーーー」
「お前な・・・」
 なんぞと、大声で恥ずかしげも無く言う京一を、俺は再
びハリセンではたき倒そうとした。
 ・・・しかし、持っている雰囲気や口調のせいかも知れ
ないが、こういう男が聞いても恥ずかしい、女が聞けば嫌
悪や反感を招く様な言動をしても、何故か下品さやいやら
しさを感じさせない物が、京一の中には存在する。もしか
すると、この極端ともいえる態度は何かを隠す為の、こい
つなりのポーズなのかも知れない。・・・確証は無いが。
「ふふッ、久しぶりね。こんな所で会うなんて、本当に奇
遇ね」
 洒落たデザインのサングラスを外し、人好きのする微笑
を見せながら、俺達の前に現れたのは、これまた見知った
女性だった。
「まさかーーー、わたしのこと、忘れてないわよね?」
「お久しぶりです。あの渋谷以来ですね、天野さん」
 俺は軽く目礼すると、以前、渋谷でのゴタの際に出会っ
た、ルポライターを生業とする女性の声に答える。
「良かった。覚えててくれたのね。忘れられてたら、どう
しようかと思ったわ」
「大丈夫だって、エリちゃん。たとえ翔が忘れようとも、
このオレは絶対に忘れねェからさ。しかも、今度はその水
着姿が目に焼き付いて、当分忘れそうもねェ」
「ふふッ。ありがとう、京一くん」
 歯の浮くような台詞を口にする京一だが、黄色のビキニ
姿の天野さんは、それを余裕を含んだ笑みで受け流す。
「それはそうと、みんな元気そうね。相変わらず・・・、
危険なことに手を出しているの?」
「へへへッ、まァね」
「本当に困った子たちね・・・。先生の苦労が目に浮かぶ
わ」
「へへへッ。だから、今日は息抜きって訳さ。エリちゃん
は、仕事の途中かい?」
「さァ、それはどうかしらね。どうやら、あなた達とは、
また、会う事になりそうね」
「えッ?」
 京一に聞かれた天野さんが、巧みに答えをはぐらかしな
がらも、どこか含みのある言葉を言うと、桜井が以外そう
な顔をする。
「ふふふッ・・・。それじゃ、向こうで友達が待ってるか
らーーー。Bye、また会いましょ」
「あッ、エリちゃ〜ん」
「いっちゃった・・・」
 軽く手を振ると、のびやかでいて、軽い足取りで天野さ
んが人混みの向こうへ消えると、醍醐がしかめ面で唸りつ
つ、腕組みをしている。
「気になるな・・・。また、何か事件が起こっているのか
?」
「・・・・・・」
「・・・そういえば、ここに来る時に会った、水岐とかい
う奴も、気になる事をいっていたな・・・」
「えェ・・・」
 醍醐が深刻そうな顔をし、美里も又、表情を曇らせる。
(・・・どうやら、あの時、奴に違和感を覚えたのは、俺
だけではなかった様だな。関係は不明だが、藤咲に加え、
裏密の奴も妙な事を言ってたし・・・・・・)
「海のけん族によって、支配される・・・か。風間。お前
はどう思う?」
「『気付くのが遅いんだよ』と、言いたい所だが、俺も人
の事は言えんな・・・。残念だが俺にも、あの男の言葉の
真意までは判らんし、第一、俺達は今この辺で何が起こっ
ているかすら知らんからな、迂闊に行動には移れんよ。怪
しいとは俺も思うが、確たる物証に人証も存在しないし、
不確かな情報や先走りと憶測を元に、行動を起こす様な事
はすべきでは無いしな・・・。今は『妙な事』が起こって
いるとして、その中で『あの男』がどういう立場にいるの
か? そして<<力>>や『奴等』が関わっての事か? とい
った辺りの事を、慎重に見極めた方がいいだろう・・・。
って、事ぐらいしか言えんな」
「そうか・・・。そうかも知れんな・・・・・・」
「・・・まあ、すぐ何かが起こると決まった訳では無い。
繰り返す様だが、単にあれは誇大妄想患者の世迷言でしか
無いのかも知れんし、何より自分の能力や思慮の及ばぬ事
まで考えて深刻ぶった所で、良い事なんぞ無いからな」
 気難しい顔のまま頷く醍醐に、更に話し掛けた時。
「きゃはははッ。葵ーーーッ。冷たくて、きもちいいよー
ッ。風間クンに醍醐クンも、はやくおいでよーーーッ」
「おッ、あんなとこにポニーテイルの美女発見ッ!!」
「・・・あいつら、いつの間に」
「うふふッ」
 一足先にプールの中ではしゃぐお気楽コンビに、醍醐は
呆れ、美里が笑いを浮かべると、桜井が手を振って、呼び
掛ける。
「葵ーーーッ。はやくおいでーッ」
「せっかく来たんだもの、水に入りましょうか」
「はははッ。そうだなッ。それじゃ、行くかッ」
「賛成だ」
 頷き合い、二人がいるプールへ向かおうとした時。
「フフフッ。みんな、楽しんでいるようね」
 背後から、音楽的な迄に澄んだ声が響くと、反射的に俺
達は振り返り、そしてプールの中からの桜井の驚きを含ん
だ声がその名を告げた。
「あッ、マリアセンセーッ!!」
「How are you,Everyone? フフフ
ッ、こんな所で会うなんて、偶然ね」
「センセーッ、すっごーいッ。大胆な水着ィ。さッすがァ

 担任であるこの女性まで、此処に現れるとは、偶然が重
なるというか、よくよく知り合いに出くわす日である。
 そして、素早くプールから上がった桜井が、上げた感嘆
の声は誇張ではない。
 ・・・大胆なスリットが多数入った真紅の水着。それに
透き通る様な大理石の肌や、波打つ豪奢な黄金の髪が合わ
さる事で、見事なコントラストを成している。そして黄金
分割法で算出した様な、豊麗なプロポーションを惜しげも
無く晒し、その全身から漂わせる華やかな彩りと気品は、
ルネッサンス期の彫刻が命を吹き込まれ、動き出したかの
様な錯覚さえ与える程だ。
「まァ・・・。フフフッ。ありがとう、桜井サン。でも・
・・、男の子にはちょっと、刺激が強かったみたいね?」
 妖艶と形容出来るような流し目と魅惑的な微笑が、俺を
含めた男連中に向けられる。醍醐は止め度無く脂汗を滴ら
せて、地蔵か何かの様に固まったまま動かず、真っ先に何
か言う筈の京一ですら、天野さんや藤咲に対した時の様な
行動に出ず、只ひたすらその艶姿を見つめているだけだ。
「へへへッ、そうみたいだねッ。まったく、だらしないな
ァ」
「フフフッ・・・。ワタシも、まだそういう対象に見ても
らえるってことかしら?」
「全ッ然ッ、OKだよッ。他の女の人が霞んじゃうってッ

「フフフッ、桜井サンたらッ。でも、そういう目で見られ
るのって、女としては嬉しいけれど、教師の立場からする
と少し複雑な気分だわ・・・。桜井サンや美里サンに比べ
たら、こんなにオバさんなのに。ねェ、風間クン」
「別に・・・若さだけが女性の魅力では無いでしょうよ」
 微妙に視線をずらせつつ、礼を失さぬ程度の素っ気無さ
で俺は答えた。以前、職員室にて『痛い目』に遭わされた
事への、警戒と経験がそうさせた。
「風間クン・・・。フフフッ・・・。アナタは優しいのね

「先生はオバさんなんかじゃないです・・・。若くて、綺
麗だし・・・」
「フフフッ。ありがとう、美里サン。みんな、ワタシをお
だててどうしたの? あァ、さては、今度のテストの点を
甘くして欲しいとか?」
「あッ、バレたか」
「フフフッ、やっぱり。その手には、乗りませんよ」
 (内心はどうかは知らんが)俺と美里の声に、先生が上
品な微笑をたたえながら答えた後に、続けて言った冗談め
かしての言葉に、桜井も軽い口調で答えると、女性陣は屈
託なく笑い合った。
 それから話は、先生の同伴者についての物になったが、
ひょんな事から『あの』犬神氏が、先生と『親しい間柄』
にあるのでは? なんぞという話が出るや、先生はそれま
での余裕に満ちた雰囲気はどこへやら、露骨に慌て、落ち
着かない態度になり、挨拶もそこそこに足早に離れて行っ
てしまった。・・・まさか、図星を差された訳ではないだ
ろうが、それにしても・・・だ。まあ両者共、俺にとって
『様々な意味』で気にかかる存在である事だし、発する言
葉や態度に、今後も注意を払っておくべきかも知れない。
 そして、先生が立ち去ってから3分程経って・・・。漸
く、二人が口を開き、動きを取り戻した。
「醍醐ォ・・・・・・」
「ん・・・・・・?」
「いいもん見たなァ・・・」
「・・・・・・」
「・・・こいつにゃ、ちょっと刺激が強過ぎたか。けど、
マリアセンセーもいい身体してるよなァ・・・。オバさん
なんていったら、バチが当たるぜッ」
 完全に硬直が解けない醍醐の横で、自分の事を棚に上げ
て偉そうに腕組みしながら京一が言うと、桜井も頷いた。
「うんうん。マリアセンセーッて、やっぱり胸おッきいよ
ねェ。どうしたら、あんなに大きくなるんだろォ」
「あー、やめとけやめとけ。どう考えても、お前は大きく
ならないから」
 桜井の疑問に対し、火の中にガソリンを放り込む様な返
事をした奴に、桜井が瞬時に沸騰した。
「なんだッてェーッ!!」
「なんてたって、お前は半分、男だからなァ」
「このォッ!! 待て、京一ッ!!」
 言葉の半ばから、既に桜井は駆け出している。鬼ごっこ
が始まったが、美里が二人に声を掛ける。
「小蒔ッ、京一くんッ。プールサイドを走ったら、危ない
わッ」
 だが・・・。警告を発した目の前で、桜井を道連れにし
て、京一はプールに転げ落ちた。・・・幸運な事にそこに
は誰も居なかったし、一番深い所でもあるから、心配は無
用だろう。・・・多分。
「うふふ・・・。さあ、私たちも行って、遊びましょう」
「あァ、そうだな。少し水に浸かって、頭を冷やすとする
かッ」
 言うなり、大股に歩き出す醍醐を見て、美里は笑う。
「うふふ・・・。醍醐くんたら。それじゃ、行きましょう
ーーー翔二くん」
「・・・ああ」
 俺達も続いてプールへと入り込むと、早速、桜井が両手
で水をすくい、勢いよく掛けて来る。
「行ッくよーッ、葵ッ!!」
「ーーーきゃッ。もうッ。小蒔ったらッ」
「へへへーッ」
 水音に、黄色い歓声が重なり、飛び散る水飛沫が陽光を
反射して、七色に輝く様が眩しい。一方では・・・。
「なァ、醍醐ォーーー。そのゴーグル、ちょっと貸してく
れよォ」
「ん? ・・・何に使う気だッ」
「ヘヘヘッ、もちろん水中で、オネェちゃんのおみ足を、
鮮明に見るために決まってんだろッ」
「そんな理由で貸せるかッ!!」
「いいじゃねェか、ちょっとぐらいッ!! 翔ッ。お前に
も貸してやるから、醍醐を押さえろッ!!」
「いらんわ、そんなモン!! 勝手にやってろ」
「ばッ、馬鹿ッ!! やめろ、京一ッ!!」
 ゴーグルを奪うべく、醍醐に躍り掛かりながら叫ぶ京一
に、少し離れた水面でラッコの様に、仰向けになって浮か
びながら俺が答えた所へ、代わりに桜井が加わって来た。
「あッ、ボクも、ボクもッ!! 行ッけーッ!! 醍醐ク
ンを沈めちゃえーッ!!」
「こッ、こらッ、お前らッ、みんなでのっかるなッ!!」
 一斉にしがみつかれて、慌てかつ、怒る醍醐だが、二人
は容赦ない。
「うふふ・・・。みんな、楽しそう・・・・・・」
「・・・全くもって、ガキだな。二人とも・・・」
 美里が、少し離れてそれを見守りながら、思わず笑みを
こぼし、浮いたまま俺が、ぎゃいぎゃいと騒ぐ三人を見な
がらそれを評した時。ついに身体を支えきれず、醍醐が転
倒したが、上に乗っかっていた二人が、よりにもよって、
俺の方へと倒れ込んで来たのだ。
「どわーッ!!」
「うわァ、バッ、バカッ!!」
「!!」
 ・・・避ける事も、防ぐ事も悲鳴を出す間も無く、不運
にも巻き添えを食らった俺は、そのまま轟沈した・・・。
 この後にも、京一がナンパに挑戦するも、あえなく惨敗
を喫する(皆の物笑いの種になったのは言うまでも無い)
わ、スタンドで買った食い物を巡って、桜井と京一が熾烈
な闘いを繰り広げた事等・・・。
 他にも、様々な出来事は有ったが、結果としてこの日俺
達は、充実した休暇を過ごす事が出来たのだった。

         第8話『邪神街』其の3へ・・・
 

 戦人記・第八話「邪神街」其の参へ続く。

前頁

次頁

戻る

真・Water Gate Cafe

葵館・談話室