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真・Water Gate Cafe

葵館・談話室

戦人記・第八話「邪神街」其の四

  ・・・一方その頃。『武器庫』から持ち出した各種装備
を背嚢に詰め込んで家を出た俺は、新宿駅にて待っていた
四人(既に、邪魔な手荷物をコインロッカーに放り込み、
身軽になっている)と共に一路港区へと向った。事前の連
絡通り、芝プールの最寄り駅前で、増援組の雨紋、紫暮、
藤咲といった面子と合流した後、『異形の物』が潜伏して
いると思われる、下水道の『調査』を開始したが、実際に
地下へ潜入したのは、俺を含めた真神の五人だけであり、
雨紋達には近くで待機してもらう事にした。
 理由は簡単。足場もロクに無い狭あいな地下に、大人数
で潜り込んだ所で、隠密行動には向かないのは当然だし、
戦術的に見ても有効とはいい難いからだ。(品川の時と同
様に、こういう状況下においては、桜井の弓は余り有効と
はいえない為、雨紋達と同じ待機組に回そうとしたが、当
人の猛反発に遭い、結局同行させる事になってしまった)
 始めは芝プールに程近い、適当なマンホールを開け、そ
こから侵入するつもりだったが、人目があった為断念し、
少し離れた裏通りを流れる、ドブ川を侵入ルートに選ぶ。
 俺が背嚢から『こんな事もあろうかと』用意しておいた
装備品の、N.V.G(俗に言う『スターライトスコープ
』だ)を取り出し、装着しながら銃を手にした所へ、醍醐
達も持参した懐中電灯を灯けて、潜入の準備は整った。
 下水道へと続いているそのトンネル状の入り口には、侵
入を阻むための鉄柵があった為、『やむおえず』これを破
壊すると、俺を先頭に京一、美里、桜井の順に続いて、醍
醐が殿軍となり、歩道を伝って深部へと一列縦隊で入り込
む。

         ■下水道内部■

 ・・・それからというもの、俺達は黙々と下水道内の通
路ーー幅自体はその辺の歩道よりは少し狭いーーを進んで
いた。自分達がいる場所の環境については、今の所誰も不
満を口にはしてないが、それは我慢というよりは、とうの
昔に嗅覚が麻痺しているからといった方が適切だろう。
 大小様々なゴミが浮び、核廃棄物に匹敵する様な、どす
黒い汚水が足元を流れている。そして、あらかじめ予想も
覚悟もしていただろうが、むせかえる様な悪臭はやはり女
性陣にとっては、大凡耐え難い物だろう。現に二人共、顔
色は至って悪い。京一に醍醐が何度か気遣いの声を掛ける
と、二人は頷いたり、小さく笑う事でそれに答える。
 そして侵入を開始してから、結構時間が経ったが、今だ
異変も無ければ、『敵』も姿を見せず、皮膚や神経感覚の
方にも『敵』の接近を告げる感覚は伝わってこない。
 この闇の中で遭遇した者はと言えば、30cm近くある
丸々と肥え太ったドブネズミや、つやつやと脂ぎって光る
ゴキブリぐらいの物だ。
「いッ、いてッ!!」
 不意に響いた声に振り向くと、何かに足を取られたらし
く、京一がすっ転んでいた。・・・怪我は無いようで、ズ
ボンの汚れを払った後、すぐに立ち上がる。
「くっそー」
「怪我はないかッ!?」
「ん・・・あァ、大丈夫だがよ・・・」
 舌打ちしつつ、相棒の声に答える京一だが、心底うんざ
りした様に頭を振り、顔をしかめて見せる。
「こりゃ、すげー臭いだな・・・・・・」
「うん。ホント、鼻が曲がりそうだよ」
「バーカ。そうじゃねェよ。おいッ、醍醐、翔ッ」
 と、京一は言葉に頷こうとした桜井に言ったが、その音
量は出来る限り下げて、声が辺りに反響するのを抑えた。
「・・・ああ。異常なほど生臭いな。それにーーー、微か
に、潮の香りもする」
「肯定だ。・・・しかし嫌な感じだ。まるで、毒蛇の巣に
入り込んだ様な気がしてならん」
 同じぐらい低い声で返事をする。・・・確かによどみき
った汚水を発生源として漂って来る、不愉快極まりない臭
いに混じり、前に芝プールで嗅いだ、あの胸が悪くなって
くる様な異臭が、既に利かなくなっている筈の嗅覚を刺激
して来る。
「どうなってやがんだ、一体・・・」
(!?)
 京一がこぼすのを聞きながら、角を曲がった拍子に、俺
のゴーグルに何か近づいて来る物が映った。・・・ネズミ
やゴキブリなどでは無い、人間サイズでしかも複数だ。そ
れに気付くと同時に、鋭く、低い声で即座に警告を出す。
「早く隠れろッ、何かが近付いて来る! 明かりも消せッ
!!」
「!!」
 大慌てで、今さっき曲がったばかりの角まで戻ると、そ
れに遅れて、何か濡れた物がコンクリートと触れ合って起
こる、足音にも似た妙な物音も聞こえて来た。そして息と
気配を殺しながら、近付く物が何なのか確かめる為、影か
らそっと顔を出した直後。皆の顔色が一様に変化した。
(なッ、なにアレッ)
(遠野がいってたのはあれの事か・・・?)
(女の人が・・・)
(野郎・・・、どこに連れていくつもりだッ)
(しッ・・・声がでかい。奴らに気付かれるぞ・・・!)
 ひそひそと声を交わしあう。米軍の払い下げで型遅れの
物はいえ、高性能暗視ゴーグルは、闇の中で蠢くその奇異
な外見を鮮明に映し出した。・・・蛙を思わせる大きく膨
れた腹に、まだら模様が浮いたくすんだ緑色の皮膚は、粘
着性の光沢を帯びている。そして頭の形状は魚そのもの。
肘や背中には鰭が有り、鈎爪の生えた手足には水かきも確
認出来た。・・・何ともおぞましい姿だが、特にその内の
一匹が肩に若い女性を担いでいた。ここからでは、その生
死は判断し難い。
 声も無くその光景を見つめる中、そいつらは俺達が歩い
ていた通路の前方にある角を曲がった。・・・奇怪な足音
が、だんだん遠ざかる。 
(行ったね・・・)
(よしッ、後を追うぞッ。・・・みんな、気をつけろ)
(わーってるよ。いくぜッ)
 使い込み、刀身が少々くたびれて来た『大和守安定』の
鯉口を切った京一が答えると、俺も撃鉄を起こして、いつ
でも発砲出来る様に備える。
 それから足音を立てぬ様慎重に進み、奴らが曲がった角
の前で俺は一度立ち止まり、美里からコンパクトを借りる
と、鏡の部分を使って通路の向こうの様子を探った。・・
・問題無し。確認の後、俺達はその通路へと踏み込んだ。
「確か、こっちの方に・・・」
「ちくしょうッ。全部おんなじ景色に見えるぜッ」
 待ち伏せは無かったが、連中の姿も既に無い。周囲を警
戒しながら、ゆっくりと通路を進む俺達だが・・・。
「フフフ・・・。よく来たね・・・・・・」
「ーーーッ!!」
「この声・・・、どこかで」
 突如響き渡った声に、全身を緊張させる京一と、周りを
見て声の主を捜す桜井。そして前方から現れた人影が、抑
揚を付けた流れる様な声調で、この場にそぐわぬ言葉を詠
い上げながら近寄って来る事に、俺は真っ先に気付いた。
「貴様は・・・」
「・・・かつて、この世界は薔薇に溢れ、香気に満ちた風
が吹く世界だった。おォ、それが今じゃーーー。草花は枯
れ、灰褐色の墓標に包まれた刑場の如き惨状。人間は、何
て罪深き存在なんだろう・・・・・・」
「てめェッ!! なんで、こんなトコにいやがんだッ!!

 既に臨戦体勢を取った京一が、あの日芝公園にて出会っ
た『へぼ詩人』に向け怒声を叩きつけると、奴は到底、健
やかとはいえない悦びの色をその相貌に浮かべると共に、
冷笑を乗せた声を向けて来た。
「フフフ・・・。決まってるだろう。シテールに住まう罪
人に購罪を与えるためさ・・・。そして、我が神にその哀
れなる魂を捧げるためさ・・・・・・」
「神だとォ?」
「そう・・・。この街の地下に、何が眠っているか知って
いるかい?」
「・・・・・・」
 沈黙する京一。それを返答と受け取ったか、奴が続けて
口を開く。
「フフフ・・・、異界への入り口だよ。深く暗い海の底へ
と続く・・・ね」
「海の底?」
「そこには、偉大なる僕たちの神が眠っている・・・。僕
は、その神を召還するために神の啓示を受けた・・・。そ
して、人間を本来のあるべき姿に変える<<力>>を手に入れ
たのさ・・・・・・」
「あるべき姿・・・って、まさかーーーッ」
「ーーー!!」
 奴の吐いた言葉は、さながら時限爆弾の様な効果をもた
らした。言葉の意味を理解するや戦慄し、一秒も経たず顔
面を紙のように白くする桜井。そしてその横で美里は両手
で口を押さえ、懸命に悲鳴を飲み込む。
「フフフ・・・。君たちも見ただろう? あれは、人間が
その罪ゆえに与えられた真の姿だよ」
「罪ってーーー。じゃ、行方不明の人たちは、みんな・・
・」
 恐らくその心中には、まだ『信じられない』という思い
があるのだろう。慄え、かすれ切った声を、どうにか咽喉
の奥から絞り出した桜井だが・・・・・・。
「そう・・・。だが、それは仕方のない事さ」
 奴は当然の様にかつ、事もなげに答える。同時に、それ
が意味する所は、人生と呼ぶのもおこがましい、二十年に
満たない時間の中で、俺が遭遇した事件や体験の中でも、
恐らく最悪に属するだろうと思われる事態に、またしても
直面しているという事だ。・・・人を『人ならざるもの』
に変えてしまう<<力>>・・・。その恐ろしさ、おぞましさ
を、俺は誰よりも熟知している。否、させられたというべ
きか・・・・・・。
「そんな・・・・・・」
「・・・・・・。水岐くん、教えて・・・。みんなが、何
をしたっていうの・・・・・・」
 それきり絶句する桜井。そして悲しげな表情と、消えい
りそうな声で問い掛ける美里の声に対し、奴は再び冷笑を
浮かべた。
「何をしたか・・・だって? フフフッ・・・。愚かな・
・・。人間は、自らの欲望の為にこの世界を破壊してきた
・・・。獣を殺し、草花を絶やし、世界を暗き闇に閉ざし
てしまった。破廉恥なる地獄の寵児の如く我が物顔でーー
ー。さも、この世界で生きているのが人間達だけかのよう
に・・・。人間は滅びるべきなのさ・・・。その購い難き
行いの為にね・・・・・・」
 奴が舌を動かすのを止めると、その場に沈黙が降りた。
そして・・・、重苦しく、苦味を帯びた醍醐の声が、静ま
り返った地下の天井に反響した。
「・・・・・・。確かに、人が犯した罪は重いかもしれな
い・・・。だがーーー」
「フフフッ・・・。もう遅いよ・・・・・・」
「あッーーー!!」
「水岐・・・、お前も、<<力>>をーーー」
 醍醐の言葉を遮るかの様に、奴の身体からあの忌むべき
緋色の輝きが放たれる。これ迄に幾度となく目の当たりに
し、ある意味では予想出来た光景ではあるが、それでも驚
きを始めとする、複数の感情を動かされたのか、それを見
た桜井が大きく目を見開くと、醍醐は呻き混じりの声を出
す。
「増上寺の封印が解けた今、あと少しで、異界への門が開
く。そうすれば、この世界には神の裁きが下る・・・。さ
ようなら・・・。今度、会う時は、闇の世界で会おう・・
・・・・」
 どこかで聞いた台詞・・・そう、あの如月が俺達に向け
て言ったのと同じ言葉だ・・・の後、一体、どこに隠し持
っていたのか、奴の手には近代の騎兵刀に似た片刃の西洋
剣が握られていた。『宣戦布告』のつもりか、芝居がかっ
た動作で、それを胸の辺りまで持ち上げ、いきおい振るっ
た瞬間。
 ガウンッ!!  
「うぐうッ!!」
 銃声が響くと、金属が砕ける音に少し遅れて、悲鳴が上
がった。俺が放った『氣』の銃弾の一発目で、奴が手にし
た剣が半ばから折れ、そして二発目に鎖骨の辺りを撃ち抜
かれて、『へぼ詩人』は地面に膝を付く。
「いい加減にしろ。この清潔ナルシストの三流詩人が・・
・。以前にも、同じ様な事をほざいた輩がいたがな。確か
に環境破壊云々は事実だ、今も進行しつつある。だがな・
・・、貴様はそれを押し止めて、正道へと立ち返らせるべ
く、何か一つでも事を為した訳で有るまい。結局の所、貴
様は現状に対し不満を覚えてはいても、実際の努力や行動
といった事を何一つせず、ただ単に指をくわえて見ていた
だけの傍観者だろうが。それが<<力>>を持った途端に、『
購罪』だの『神の裁き』だと? 笑わせるな。一体、貴様
個人のどこに、そういった事を他者に強いれるだけの理由
や資格に権利が有る? そして世の中で最も恥ずかしい言
動はな、貴様の様な手合が本音を糊塗する為に『正義』や
『神』に『信念』といった言葉を持ち出す事で、自分の行
為と意志を正当化し飾り立てる事だ。貴様の本質は、高貴
でも何でも無い。只の薄汚い腐臭を放つ、恥知らずの俗物
だ! 本当・・・恥ずかし過ぎるよ、お前」
「ク、ククククッ・・・・・・」
 俺が『へぼ詩人』に向けて、心からの侮蔑と嘲笑混じり
の悪罵を叩き付け終えた時。不意に低い笑い声を洩らしな
がら、奴は立ち上がった。
「!?」
 油断なく、奴の額に向け銃口を突き付けたが、奴は後ろ
へ向け、音も無く数歩下がった。そして・・・。
 バチンッ!! 
 奴が指を鳴らした瞬間。やにわに汚水を跳ね上げ、盛大
な飛沫を飛び散らせて半魚人共が出現した。
『シギャアァァァッ!!』
 SFX映画の怪物そのものの叫びが、俺達の周囲で連鎖
して響き渡った!! ・・・敵の総数は十匹程。
「・・・挟まれたッ!!」
 醍醐が焦りと警告の叫びを洩らす。・・・元々、俺達の
いる通路の左右両側には、トンネルの壁と汚水が満ちた水
路が有り、更に残った前、後方の足場に連中が素早く這い
上がった事で、挟撃体勢が成立すると同時に、奴らは一斉
に襲い掛かって来た。
「来るぞッ!!」
「・・・ったれがッ、戦るしかねェかッ!!」
 前後から同時に迫り来る奴らに対し、京一と醍醐が女性
陣を庇いながら叫び、得物を構えて迎え討とうとした時。
「全員、目を閉じろッ!!」
「えッ!?」
「なに!?」
 叫ぶと同時に、俺は皆の返事や対応を待たず、ポケット
に忍ばせていた数個の『天津神之玉』を、足元に向って思
い切り叩き付けた。
 バシイィィィッッ!!
 『珠』が炸裂すると同時に、カメラのフラッシュの光量
を、数万倍に増幅したかの様な凄まじい閃光・・・視神経
の許容量を遥かに越える程強烈であり、闇に慣れた目には
耐え難い物だ・・・が、トンネル状の地下空間を真昼の様
に照らし出すと、そこにいた全員の視界を純白に塗り潰し
た。
「うおッ!?」
「きゃあっ!!」
『グギャアッ!!』 
 様々な悲鳴が同時多発する中、光それ自体は、ほんの数
秒で消えたが、もたらした効果は絶大であった。
 ・・・以前にもやっためくらまし戦法である。姑息とい
えば姑息だが、時と場合も踏まえてやれば、ご覧の通り。
 この策を再び使ったのは、この前の裏密の話に出てきた
『瞬きしない濁った目』という言葉が頭の隅に有ったから
だが、正直、ここまで上手く行くとは思わなかった。しか
し・・・。京一達も又、目を押さえ、その場にうずくまっ
ていた・・・。これはもう、不可抗力という奴だし、今か
らやる事を考えればある意味、かえって都合が良い。
 圧倒的な光量を直視し、網膜を灼かれた奴等が、一匹残
らずその目を覆い隠し、苦悶の叫びを上げながら、フラフ
ラと酔っ払いの様によろめき、立ち尽くして、無防備な姿
をさらけ出している所へ、俺は一気に片を付けるべく、『
解放』を行うと、持ち得る破壊力の全てを容赦無く叩き付
け、その最初の一撃を浴びる事になったのは、後方に回り
込んでいた四体だった。
 両手より打ち出され、地下の空気を文字通り断ち切った
『断空旋』が、密集していた奴等を飲み込む。そして、渦
巻き、猛り狂う『氣』の旋風は、悲鳴一つ上げさせる事無
く、そいつらを粉砕した。
 その一撃で確実に屠った事を確かめるや、一瞬の遅滞も
無駄も無く、次の目標・・・前方の奴等と『へぼ詩人』が
いる方へ襲いかかる。そろそろ、目くらましの効果も切れ
る頃だ。
 それまで口にくわえていた銃を手に持ち直し、姿勢を低
くして、全速で前に向け突進する。
『ギ・・・!?』
 目はまだ見えなくとも、物音で気付いたのか、一匹がこ
ちらを向いた瞬間。
 ガウンッ!!
 そいつの狭い額に黒い穴が穿たれ、くたり、と後ろ向き
に倒れ込んだ時。奴等の中心に飛び込んだ俺は、死と破壊
を撒き散らす人間サイズの暴風と化した。
 まず正面の奴の頭に、零距離射撃で風穴を開けるや、銃
から手を離すと、間髪入れず『龍爪閃』と、超高速の手刀
である『龍牙突』を繰り出して、左右にいる奴らを瞬時に
薙ぎ払った上、更に『龍神翔』で吹き飛ばす。そして出鱈
目に振り回して来る腕を掴むやいなや、思いきり投げ飛ば
すと、そいつは頭から地面に叩き付けられ、首がいびつな
角度に曲がったきり動かなくなる。
『ピギャアッ!!』
『ウギャォォッ!!』
『アギャアァァァッ!!』
 立て続けに断末魔の絶叫が沸き起こって、やがて静かに
なった時。『へぼ詩人』の姿は既に無く、折れた剣と血痕
だけがその場に残されていた。
「ちっ・・・。逃がしたか・・・・・・」
 舌打ちしつつ、銃を床から拾い上げた時。
「うっ・・・」
「なんだよ、今の光は・・・」
「小蒔、だいじょうぶ・・・?」
「うっ、うん・・・。あれ? あの化け物は・・・?」
 漸く視力が回復した四人が、頭を振ったり、目を擦りな
がら、困惑した様に話す声が背後より聞こえて来た為、俺
がそちらを振り向けば、当然ながら四人と目が合う。
 それから、皆がこちらに走り寄って来た後、俺の足元に
累々と転がる骸を見た醍醐が聞いて来た。
「風間。お前が全部・・・、あの化け物達を・・・?」
「ああ」
「じ、じゃあ、水岐クンは・・・?」
「・・・逃げられた」
『フフフ・・・』
 桜井の声に答えた瞬間。何処からともなく、奴の笑い声
が聞こえて来ると、さっと、全員が緊張の色を浮かべる。
「ーーーッ!!」
『その<<力>>・・・。フフフ・・・。面白い・・・』
「こそこそ隠れず、出て来い『へぼ詩人』!! 貴様に爪
の先ほどでも、自尊心が存在するのならな!!」
『まもなく、この世界は変わる・・・。深き海の底から甦
る破壊の神とーーー、僕が手に入れたこの<<力>>によって
ね・・・。それに、僕の下僕はそいつらだけじゃない。あ
いつらーーー鬼たちも、僕に力を貸すといっている』
 その言葉が聞こえた瞬間。季節は夏だというのに、全身
が総毛だつ様な慄然たる寒気が、一瞬にも満たない間に辺
りを満たし、そして事態の剣呑さと深刻さを悟った桜井と
醍醐の表情が緊迫すると、声もひきつり、強張った。
「鬼・・・って、まさかッ」
「鬼道衆ーーー」 
『まもなく、ある場所の地下に眠る<<門>>が開く。破壊の
神が目醒める刻も近い・・・。そうすればーーー僕は、新
しい世界の王になれるのさ・・・・・・』
「ばかやろーッ!! そんなコトさせるかッ」
 奴の発した声に、顔一杯に怒気をみなぎらせ、得物を振
り上げた京一が吠える。
『フフフ・・・。待っているよ・・・。君たちが僕の元へ
辿り着くのをね・・・・・・』
「待ちやがれッ!!」
「待てッ、水岐ッ!! お前は騙されているッ!!」
 次第に遠ざかって行く、奴の不愉快な笑いの残響に向か
って、叫び立てる醍醐や京一であるが、それは只、地下に
こだましただけであり、何の効果も無かった。・・・そし
て声が完全に消え去ると、京一は忌々しげに舌打ちして、
足元を蹴りつける。
「・・・くそッ。逃げ足の速ェ野郎だぜッ」
「よしッ、水岐の後を追うぞッ!!」
「うッ、うん・・・。でも、どこへ・・・」
 三人が話す一方、俺は足元に転がる死骸の始末にかかっ
ていた。これを放置しておけば、後で何かと問題になる。
 始めに『断空旋』で吹き飛ばした奴も含め、その場に散
乱していた全ての骸に『巫炎』を放つ。・・・煙や匂いも
殆ど出ず、死骸が焔の中で溶け崩れていくのは、随分と非
現実的な光景であり、焔に灼かれた『かつて人だった』物
は、存在した痕跡一つ残す事無く、消滅していった。
(火葬も済んだな・・・・・・)
 その地味で陰気な用件を済ますと、俺達は来た道を戻る
ような事をせず、近くにあったマンホールへと通じる梯子
を見つけると、それを使って地上に這い上がった。
 同時に周りを見回して、現在位置を確かめる。夏とはい
え、太陽はもう沈む一歩手前であり、大分薄暗いが、それ
でも植え込みや歩道といった物が見える。
「ここは、どこだ・・・?」
「ん・・・。公園じゃないの?」
 少しばかり歩いた所で、見覚えのある光景が広がった。
どうやら俺達は現在、芝公園にいるらしい。・・・確かに
結構長い間、地下をうろついてはいたが、こんな所に出る
とは思わなかった。まあ、道の真ん中などに出なかっただ
け、まだマシだが・・・・・・。
 と、そこへ。
「あら、あなたたちーーー」
 聞き覚えの有る、溌刺とした声が響くと、京一と桜井が
四方をきょろきょろ見回す。
「へッ?」
「あッ!!」
「ふふふッ。やっぱり、また会ったわね」
「天野サンッ!!」
「エリちゃん・・・。どうして、こんなとこに?」
 こちらに向かい近寄って来る、活動的なミニのタイトス
ーツに、大きなショルダーバッグを携えた女性の名前を二
人が口にすると、軽く微笑んで答える。 
「もちろん、仕事よ」
「仕事って・・・?」
「か・い・ぶ・つ・さ・が・し」
「怪物捜し・・・って、エリちゃん」
 悪戯っぽく笑いながらの天野さんの返事に、怪訝そうな
顔をする京一。
「ふふふッ。何となく、あなたたちに会えそうな気はして
たの」
「やれやれ、ブン屋ってのは因果な商売だよな。危険の中
に飛び込んで行くのも、おかまいなしなんだからなッ」
「ふふふッ。事件って言葉を聞くと、じっとしていられな
くってね。もしかして・・・、わたしに会って迷惑だった
かしら? ねェ、風間君」
「・・・いえ。そんな事は」
 その声に頭を振りつつ、必要最小限の返事をすると、天
野さんはどこか安心した様に、笑いかけて来る。
「ふふふッ。ありがとう」
「心配すんなよ、エリちゃん。もしも、エリちゃんになん
かあったときには、この蓬莱寺京一ッ、地球の裏側からで
も駆け付けるぜッ!!」
「・・また、始まったよ。ホント見境いないなァ・・・。
自分でいってて、恥ずかしくないの?」
 それを横目で見て、額に手をやった桜井の呟きには、呆
れと諦観が半分ずつ混じっていた。
「ないッ!! なぜならこれは、オレの本心だからだッ」
「ふふふッ。ありがとう、京一君」
 自信たっぷりに断言してのけ、胸を張ってみせる京一を
見て、天野さんが笑いつつそれに答えた後。俺が現況を手
早く天野さんに説明すると、納得した様に頷いた。
「それにしてもーーー、あなたたちがもう、下水道という
結論に達しているなんて、正直、驚いたわ」
「それじゃあ、やっぱりあの化け物たちは、下水道を通っ
て、青山霊園とプールを行き来してるの?」
 桜井の声に、大きく天野さんは頷いた。
「えェ、間違いないわ。化け物が出たブールに頼み込んで
調べさせてもらったんだけど、プール底の排水溝に、化け
物のものらしい、爪痕が残ってたの」
 ・・・さすがというべきか、社会的地位や肩書きがあれ
ばこそ、こういう形で証拠探しが可能になるし、得た情報
を状況の分析に役立てる事が出来る。仮に俺達が同じ様な
事を試みた所で、怪しまれた上に説教のおまけが付いて、
門前払いを喰うのがオチであろう・・・。
 そこで天野さんが少し、表情を変えた。
「下水道を自在に移動し、水辺の人々をさらう・・・。あ
なたたちは、クトゥルフ神話というのを知っているかしら
?」
「?」
 一斉に首を傾げる四人の横で、俺も記憶の本棚を探る。
該当するものは・・・一応、有った。
「・・・確か、戦前辺りに書かれた、怪奇幻想小説の代名
詞とも言える物ですよね。作者が亡くなってからも、その
世界観に魅了された人によって、まだ新作が発表されてい
ると聞いたんですが・・・」
 かなりいい加減で、あやふやな記憶を元に答えたが、天
野さんは以外そうに軽く息をつく。
「感心だわ。結構、博識なのね。風間君って。それとも、
ラヴクラフトのファンなのかしら?」
「・・・とは言っても、作品自体はまだ読んだ事は無いん
ですよ。今の台詞は以前、件のそれを紹介していた何かの
雑誌に載っていた、解説文のまんま受け売りでしてね。内
容まではちょっと・・・」
「それじゃ、簡単に説明するわね。クトゥルフ神話とはー
ーー、H.P.ラヴクラフトによって創造された、異形の
神々の神話の事なの。わたしたちの世界に隣接した異空間
や他の惑星を舞台として、幾多の神々がひしめき合う、そ
の興亡を描いた神話は、その世界の実在を強く主張してい
るわ・・・・・・」
「・・・・・・」
 『この手』の話を苦手とする、醍醐の頬が僅かに痙攣す
ると、桜井が天野さんの方を向く。
「でも、その神話と今回の事件と、どーいう関係があるん
ですか?」
 桜井の質問はもっともだ。いかにその小説の出来が良く
ても、所詮はフィクションの世界での出来事であり、今現
在の自分達とは、無関係であると思ったのだろう。
「ふふふッ。まあ、聞いて。クトゥルフ神話には、異形の
神々だけじゃなくそれに付随する、様々な化け物たちも描
かれているの。深き者(インスマウス)もその中の一種よ

「深き者?」
 ?マークを頭に付けて、おうむ返しをする桜井に天野さ
んは頷き、解説を続ける。
「彼らは、高い知能を持ち、海中に都市を造って生活して
いるーーー、ラヴクラフトは、その著書の中でそう記して
いるわ。そして、あの化け物が深き者ならば目的は、唯ひ
とつーーー、彼らの主である神、父なるダゴンの復活よ・
・・・・・」
「ダゴンの復活・・・」
 と、天野さんの言葉の末尾部分を美里が繰り返した。・
・・何とも嫌な響きの名だ。その神とやらは、連中からす
れば崇め奉る物だろうが、俺達人間にとっては有り難くも
何とも無い。そしてそんな物が復活を遂げた物なら、大凡
ロクでもない結果がもたらされる事は、想像に難く無い。
「諸説によれば、クトゥルフの神々は、遥か昔に、星の位
置が狂ってしまった為に、現在は眠りについているという
わ。それも、この世界とは、異なる世界でね」
「それじゃ、復活させるコトはできないんだ・・・」
「いいえ・・・。彼らが、異境の地で深い眠りについてい
るからといって、接触する手だてがなくなった訳じゃない
の」
「接触・・・って一体、どうやって?」
「わたしもこの目で確かめた訳じゃないけれど、世界各地
に<<黄泉の門>>もしくは、<<鬼門>>と呼ばれる、現世と常
世を結んでいる封印された入り口かあるというわ。それを
介すれば、クトゥルフの神々を召喚する事もーーー」
「充分、可能である・・・と?」
「たぶんね・・・」
 どこかうそ寒そうな顔で、天野さんは俺の言葉を肯定し
てみせると、醍醐が不審げに眉を寄せた。
「そういえばーーー、水岐もそんなような事をいっていた
な」
「・・・ああ」
「・・・? どういう事なの」
 その辺りの事を醍醐から聞くや、天野さんの表情が固い
ものになった。
「そう・・・。その子はそんな事を・・・。早く、その子
を止めないと大変な事になるわッ」
「大変な事?」
「ええ。黄泉の門が開けば、門の上にあるこの東京は、間
違い無く、深い海の底に水没するわ」
「なんだって・・・」
「『巴里は燃えているか』ならぬ、『東京は深く沈みゆく
』か・・・。ジョークだとすりゃセンスが無いし、事実だ
ったら、一層笑えん」
 それを聞いて息を飲む醍醐。そして数十年前に撮られた
映画の題名を思い出した俺は、思わず冗談めかして呟いた
が、笑い話では済まない。近辺を含めば一千万もの人間が
東京で生活しているのだ。もしそれが現実の物となれば、
もたらされる被害は心を寒くさせる物がある。
「ちッ、そんな事させるかよッ」
「うんッ。そうと決まれば、水岐クンを止めないと。こん
な異常事態、放っておけないよッ」
「そうそうッ。エリちゃんの為にも、とっとと、解決しよ
うぜッ」
「そういう問題じゃないだろッ!!」
 勇ましい台詞の直後に、緊迫感の無い遣り取りを始める
京一と桜井を見て、天野さんは吹き出した。
「ふふふッ。あなたたちは、本当に頼もしいわね。わたし
の方も、もう少し動いてみるわ。ただ・・・、邪魔が入ら
なければいいんだけど」
「邪魔ァ? なんだよ、エリちゃんの邪魔をするなんて、
ふてェヤツだな。一体、どんなヤツなんだよ」
「確か、如月翡翠君っていったかしら?」
「如月ィ!?」
「えッ、如月クンが?」
「ここでも、如月か・・・」
「あの骨董屋ッ・・・」
「彼の事、知ってるの?」
 天野さんの返事に反応した京一、桜井、醍醐が口々に言
うと、逆に聞き返して来るのに京一が答える。
「知ってるってほどでもねェけど」
「彼に会ったのは、この事件を調べ始めてすぐよ。それ以
来、ことごとく現れては、深刻な表情で、事件から手を引
けっていうの」
「そういえば・・・、私たちにも、同じような事を言って
いました。プールで見た事は忘れろ・・・って」
「そう・・・。他には、何かいってなかった?」
「この東京を護るのが、義務だ、ともいってました」
「義務? なるほどね・・・」
「・・・・・・?」
「何か・・・、ご存じなんですか?」
 美里の言葉を聞いて、しばし考えた後。何か納得がいっ
た様な表情を見せる天野さんを見て、美里は小さく首を傾
げ、俺は質問をぶつけた。
「翡翠って聞いて、どこかで聞いた事があると思ってたけ
ど、彼ーーー飛水家と関係があるかも知れないわね」
「飛水家?」
「えェ。飛水家はね、別名をとびみず家ともいってねーー
ー、江戸時代、徳川幕府の隠密として江戸を護ってきた忍
びの家系なの」
「随分と時代錯誤な話ですね」
 と、醍醐が口を挟んで来た。・・・現実に忍者の末裔と
いう人々は存在はするが、未だにそれを本業としている人
などいる筈も無く、基本的にそれらはTVのブラウン管と
書籍の中にのみ、存在している物であるのも確かだから、
醍醐の言葉は至極真っ当な物だ。
「ふふふッ。それだけじゃないわ。飛水の人間には特殊な
<<力>>があったって話よ」
「<<力>>とは・・・?」
「飛水の人間はね・・・、水を操る<<力>>を持っていたの

「水を・・・操る?」
(むう・・・。一見、荒唐無稽の様だが、考えてみれば、
雷を操る<<力>>を持った奴もいる事だし、そう変な話でも
ないか・・・。単純に推察すれば、水を使うのというのは
<<力>>の媒介、もしくは具現化する為の一つの形としてか
? あの糞忌々しい『奴ら』にも、炎を使う野郎がいる事
だしな・・・)
「そうよ。詳しくはわからないけど、水を操る<<力>>を持
った彼らが、主である徳川家の亡き後も、その眠りとこの
地を護る為に、数々の水害を未然に食い止めたって伝えら
れているわ。かつて、水浸しだった土地を人が住める様に
したり、水の便の悪い武蔵野台地に上水路を通すのにも、
その<<力>>を発揮して、大いに貢献したそうよ」
「・・・・・・」
 話を聞き終えて、考え込む醍醐。そして腕時計に目をや
った天野さんが、慌てた様な顔をする。
「あッーーーと、いけないッ。もう、約束の時間だわッ。
これから、クトゥルフに詳しい作家の先生と会うの。それ
じゃ、あなたたちも気をつけてねッ」
「天野さんも、お気をつけて」
「じゃあな、エリちゃん」
「いろいろと、情報を有り難うございました」
「さようなら・・・」
「バイバイ、天野さんッ」
 俺達がそれぞれ挨拶を述べると、微笑を浮かべた天野さ
んは軽く手を振りつつ、颯爽たる足取りで立ち去った。
「エリちゃん、大丈夫かな?」
「何か、未来の遠野を見てるようだな」
「馬鹿野郎ッ。アン子とエリちゃんじゃ、月とスッポンだ
ぜッ」
「はははッ」
 それを見送って、ぽつりとこぼした京一に醍醐が応じる
と、ムキになって言い返す。
「それより、早く水岐クンを捜さないと・・・、やっぱり
青山霊園が怪しいよ」
「そうだな・・・。遠野の話もあるしな」
「あァ、行こうぜ」
「それじゃ、早く青山に向かおうよッ」
「・・・せっかくだが、そういう訳にはいかんな」
「!?」 
 俺の言葉に全員の動きが止まり、次に視線が集中した。
「・・・どういう事だよ、そりゃあ?」
「お前達四人は、今すぐ引き返せ。はっきり言ってここか
ら先は、関わるべきでは無い」
「なんだと・・・」
「まさか、ボクたちに帰れっていうの!?」
「そうだ」
「それは・・・。私、いえ、私達が役に立たないから、力
になれないからなの? 翔二くん・・・」
「てめェ・・・」
「訳は・・・聞かせてくれるだろうな?」
 詰め寄りながら、口々に言う醍醐達に対し、俺は視線を
向け、口を開いた。
「理由は簡単だ。この先待っているのは、今迄の様な闘い
とは訳が違う。ここ数ヶ月の経験と、あの旧校舎で闘いに
は慣れてはいるだろうが、まだお前達には『殺し合い』に
対する、覚悟や経験は無いからだ。・・・桜井」
「な、なに?」
「お前はさっき、あの『へぼ詩人』を止めなきゃと、言っ
たな? 止めるというのは、どういう意味を持つんだ?」
「そ、そりゃ、もちろん、<<門>>ってのを開かせないよう
にするコトだよッ」
「そういう事では無い。奴がそれを拒んだ時、どうするか
を聞いている。・・・はっきり言って『懲らしめて許して
やる』では済まんし、説得や妥協が成立する事は無い。恐
らく奴は生きている限り、<<門>>とやらを開いて、人間を
『浄化』しようと企むだろうな。もしそうなった場合、お
前は奴を殺してでも止めるという選択肢を採れるのか? 
ましてや、奴の背後にはあの『連中』が控えている。人を
利用したあげくに、笑いながら捨て去る事が出来る奴等が
な・・・」
「・・・・・・」
「それ以上に厄介なのは、奴は今迄に誘拐した人間を、あ
の『深き者』とやらに変えて、闘いの時に手駒として使っ
て来る事だ。それを忘れた訳ではあるまい」
「そ、それは・・・」
「さっき闘って判ったが、ああなったらもう、理性の制躊
どころか、人としての自我や記憶等も無く、只、本能と奴
に指示されるままに人を襲う。ある意味で手負いの獣並に
質が悪い相手だ。そして、いくら変貌したとはいえ、かつ
て『人だった』と理解した上で、お前達は奴等を殺す覚悟
はあるか? もし、殺す事に一瞬でも怯みや躊躇を憶えた
なら、確実に自分自身か、隣に立つ人が死ぬぞ。俺はこん
な時に多用される『犠牲者を救う術は殺すより他に無い』
なんて、体の良い逃げ口上を言うつもりは無い。そして一
度でも人や、それに類する者を殺したという事実は、拭お
うにも拭い去れんし、それを行えば決して元の自分には戻
れんぞ。お前達は、そんな愚行に自ら望んで身を投じる事
も、そういった覚悟を持つべきでも無い。仮に真っ当な道
を進みたくとも、もしここで手を汚せば、その道は完全に
閉ざされるぞ」
「・・・・・・」
「お前達や、いまこの場にいない連中も含め、闘いの中に
引きずり込んだ張本人が今更こんな事を言うのは、偽善の
極みだろうが、それでもお前達には、愚行と分かりきって
いる事に・・・」
 そこで京一が低く熱の無い声で、俺の声を遮った。
「・・・お前の言い分はわかったよ。さっきの行動の訳も
な・・・。けどよ・・・、他人には『殺すな』『闘うな』
っていっといて、自分はそれをやるのかよ? そんな言い
分で誰が納得するんだよッ!! オレだって剣士の端くれ
だ。剣に関わる以上、戦いが綺麗ゴトじゃすまねェ事も、
戦いが持つ意味も昔、世話んなった人にさんざ、叩き込ま
れてるし、覚悟なんざ、てめェにいわれるまでも無くとっ
くに済ましてるよ。この春にてめェに会って、あの旧校舎
で化け物共と戦った時にな。今更、ボケたコトこいてんじ
ゃねェよ。・・・一人で戦っているつもりか? 気取って
んじゃねェぞ」
「おれも同じだ。たとえ、己の手が血で汚れる事になって
も、闘わねばならん時がある。・・・今がその時だ。そし
て、今ここで何かを為す可能性や、<<力>>を持っていなが
らも、それを為さないのは、軟弱を通り越して只の卑怯者
だ。少なくとも、おれはそんな人種になるつもりは無い」
 剄烈な程の二人の視線と言葉が質量さえ伴って、真っ向
から俺に向けられた。そしてその反対側からも、それと同
等の物が俺に投げ掛けられた。
「もちろん、ボクもいくよ。ボクだって、闘いなんてした
くない。でも、やらなきゃこの東京が、いや・・・、ボク
の周りにいる大切な人が、傷付いたり、悲しんだりするか
もしれない・・・。そんなの・・・ボクは見たくない。だ
から闘うよ。みんなと、ボク自身の為に・・・」
「翔二くん・・・。みんなのように闘う為の<<力>>は、私
にはないわ・・・。でも、だからこそ、今の私に出来る限
りの事を。私の<<力>>で、闘うみんなを助けたい、支えて
あげたいって真剣に思ってるの。だから、お願い・・・。
連れて行って。私は少しでも誰かの、何かの役に立ちたい
の・・・」
 女性陣が口を閉ざすと、醍醐が一歩前に出た。
「・・・聞いてのとおりだ、風間。お前が何といおうが、
おれ達はついて行く。今はここにいない、他のみんなもき
っと同じ筈だ」
「しかし・・・、!?」
 そこで苛立たしげな顔をした京一が、つっと、前に出る
と、俺の胸倉を掴んで引き寄せた。
「まだ、わかんねェのかてめェは!? 全員が覚悟を決め
た上で、行くっていってんだ、お前は一言『わかった』っ
て、言やァいーんだよ!! あんま、オレたちをナメんな
よ? 勘違いすんな。お前に巻き込まれたんじゃねェ、オ
レ達が自らの意志で飛び込んだんだ。それからな・・・て
めェが今言ってんのは、只の自己満足って奴で、それは心
配や思いやりとは違うんだよ、この馬鹿!!」
 機関銃の様な勢いで、烈しくまくしたてると、京一は俺
から手を離して、後ろへ下がる。
 その言葉の後。俺はふと、数日前に、美里と二人で話し
た時の事を思い返した。そしてそこから更に、思考と問い
かけを巡らし続けて、光がざっと600万キロ程、宙を翔
けた頃。一つの結論に行き着いた俺は顔を上げ、肩で大き
く息をついた。
「・・・・・・。確かに、俺は馬鹿だったのかも知れん」
「そうそう、馬鹿も馬鹿。大馬鹿だぜッ」
 その半ば独り言の様に言った声に、さも当然の様に頷く
京一を軽く睨んだ。
「・・・。何か、お前に言われると、妙に腹が立つな」
「そうかよ? オレの方は、お前を馬鹿呼ばわり出来て、
愉快痛快だよ」
「・・・・・・」
 なんぞと、しれっとした顔で言ってのけた京一に、俺は
何かやりかえそうと言葉を捜したが、途中で止めた。同時
に俺はこれ以上、この場にいる面々に翻意を促そうとはし
なかった。全員の胸の内に在る決意を変える事は出来ない
事と、自分の発言の非を認めざるをえなかったからだ。
「・・・・・・。わかった。お前達の意志と、決意を尊重
する。皆の・・・<<力>>を、当てにさせて貰う。京一、醍
醐。前衛は任せるぞ」
「うむ」
「おうよ」
「そして桜井に美里も、援護と支援を頼むぞ。これから先
の闘いが楽になるも、厳しくもなるも、二人の力量次第だ
からな・・・」
「OK。まかしといてッ」
「ええ。私・・・、頑張るわ。みんなの為に・・・」
「さて、そうと決まれば、青山霊園へ行くとしようぜっ!
!」
「ちょっと待て、京一。まずは、三人と合流してからだ」
 と、意気込む京一を醍醐は止めると、次いで美里達を見
て、この件が長引いた際にどうするかを聞いたが、それに
ついては、桜井が少しばかり考え込んだ後で、出した提案
を美里も是とした為、以外とあっさり片付いた。
 その後、待機組の面子と合流した俺は、一通りの事情説
明を済ました後で、改めて全員の意志を問うたが、やはり
誰一人として、中途で抜けようとはせず、そして俺の発言
に対しては皆、一様にブーイングを並べたてると、それぞ
れの為人(ひととなり)に応じた表現と口調で、口々に反
論して来た。・・・曰く、『そんなに信用がないのか』に
始まり、『何を今更・・・。見縊るなッ』とか、『お荷物
か、なんかと思われたくないねッ』といった、痛烈な反論
に真っ向から晒された上、京一達からも『再攻撃』を受け
た俺は、またしても『無条件降伏』に追い込まれたのだっ
た。
 ・・・事こうなった以上、俺に出来る事、否、やらねば
ならん事は闘いに勝つ事。そしてそれ以上に為さねばなら
ん事は、この場の全員を無事に帰らせる為に、現時点で持
ち得る全ての力を尽くす事だ。
 しかし、この前の品川の借りなり、恩すら返せてないの
に、またしても、大き過ぎる負担を皆に負わせる事になっ
てしまった。一体、どうやったら俺は、皆のこうした協力
や行為に対し、報いてやれるのだろうか・・・? 
 何はともあれ、そういった問題が片付いた後、俺達はこ
の一件のカタをつけるべく、一路、水岐並びに鬼道衆が潜
んでいると思われる、青山霊園へと向かった。

       ・・・第八話『邪神街』其の五へ・・・

 戦人記・第八話「邪神街」其の伍へ続く。

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