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葵館・談話室

戦人記・第拾話「変生・前編」其の弐

 ■荒川区ーーー織部神社■

 学校から十五分程歩いた辺りに在る、閑静な住宅街の一
角にそびえ立つ朱塗りの鳥居の前で、雛乃が立ち止まる。
「ここですわ」
 ・・・小さいと言うが、並の一軒家ならば三〜四軒ぐら
い建つ程の広さはあり、境内の至る所に植えられている多
数の樹々が、少し先にある車道の方から聞こえて来る、様
々な音に対する防音壁の効果を発揮しており、ひっそりと
した境内に響くものと言えば、夏の終わりを惜しむかの様
な蝉の大合唱ぐらいである。
「ふふふ。こんなに大勢お客様が来るなんて久しぶりです
わ」
 と、笑みを浮かべながら雛乃が独語した後。敷地内に入
り、細い廊下を通じて本殿と繋がっている二階建ての建物
・・・ちなみに一階の部分に、『各種祈祷受け付けます』
だのと書かれた張り紙があったり、絵馬やお守りといった
品々が並べられているので、その建物が社務所兼自宅とい
う形を採っているのが判る・・・へと向かう途中。
「ーーーん? 誰だありゃ?」
 急に立ち止まった雪乃が見せた、不審気な表情は一瞬に
して、理解と不快感を示す物に変化した。
「あッ!! あのブン屋・・・性懲りもなく来やがってッ
!! 追い返してやるッ!!」
 言うなり、薙刀を握り締め、猛然と走り出そうとした所
へ、美里が声を上げる。
「あッ、あの人・・・。天野さんじゃないかしら?」
 ・・・言われて見れば、活動的なスーツに肩で切り揃え
た髪や姿勢の良い立ち姿は、確かにもうすっかり馴染みに
なった、あの敏腕ルポライターであった。
「なんだよ、あんたらの知り合いか?」
「ええ。ルポライターの天野さん。私たちに力を貸してく
れてるわ」
「なんだよ、エリちゃんがどうかしたのかよ?」
 一旦、突進を止めて聞いて来たのに対し、美里が答えた
後。続いて京一が口を開くと、ちらちらと不愉快そうな視
線を投げかけつつ、話し出す。
「あの女、最近うちの神社の周りをよくうろうろしてるん
だ。この間も、うちの事を根堀り葉堀り聞いていきやがっ
た。一体、何を企んでんだか」
「あッ、こっち来るよ」
 恐らく、騒ぎ声の一部が耳に届いたのだろう。踵を返し
た天野さんがこちらを見ると、僅かに表情を変えてゆっく
りと近寄って来るのを見て、桜井が声を上げる。
「あら、奇遇ね。元気だった?」
「ええ、まあ。それなりに」
「そう。ならよかったわ。夏休みの、あの事件以来だもの
ね」 
「ちょっと、あんたッ!!」
「ーーー?」
 俺以外の面々の顔を見た後、気さくな口調で話し掛けて
来たのに、軽く頭を下げながら短く答えると、天野さんは
軽く頷きながら幾分、感慨を含んだ声を出した時。やにわ
に響く高圧的な声に、天野さんは不思議そうな顔をしなが
ら、声の主を見やる。
「一体なにが目的が知らねェけどなァ、今度うちの神社の
周りを彷徨いてたら、承知しねェぜッ」
「姉様ッ」
「ちょ、ちょっと雪乃」
「あら、あなたたち、織部さんのお嬢さんね」
 既に威圧を通り越し、喧嘩ごしと言っていい口調と表情
で迫る雪乃を見て、桜井と雛乃が宥めにかかるが、天野さ
んはと言えば、その態度に気を悪くしたそぶりも無く、彼
女に向き直ると、内ポケットより名刺を取り出す。
「ふふふッ、こうして、話をするのは初めてね。こんにち
は。天野絵莉よ。よろしくね」
「何で、オレがよろしくされなきゃなんねェんでーーー」
「これはこれは、はじめまして。織部が妹、雛乃と申しま
す。今後とも、よろしくお願い致します」
「ひッ、雛ッ!! 何、挨拶してんだよッ」
「?」
 その挨拶に対し、雪乃がそっぽを向くその横で、雛乃は
礼儀正しく頭を下げ、丁寧な手つきで名刺を受け取ってい
るのを見るや、慌てた様な声を張り上げた姉の顔を、本人
はなんとも不思議そうな表情で見返す。
「こいつは、探偵だぞッ!! きっと、この神社を潰すつ
もりだッ」
「まあ・・・」
「おいおい、潰すってなァ・・・。それに、こんなボロっ
ちいトコ、放っといても潰れるだろ・・・」
「・・・。いつの間に、ジャーナリストが探偵に変わった
んだ? 両者に繋がりといえる物は存在しないぞ。それに
・・・、どうも『探偵』という言葉や職業に対する認識違
いというか、妙に片寄った知識やイメージを抱いている様
だな・・・・・・」
 断言口調で言ってのける雪乃。そして雛乃が口元に手を
当て困った様な表情を見せる横で、俺と京一は雪乃の発言
に対し、それぞれの意見を口にしていた。
「おいッ、探偵ッ!! いつでも、オレが相手になってや
るぜッ!!」
「んー、ルポライターなんだけどなァ・・・」
「どっちでも、同じだッ!!」
「何度も言うが、違うと思うぞ。それも決定的に・・・」
 薙刀入りの袋を握り締め、挑戦的な態度を取り続ける雪
乃の言葉を、天野さんはやんわりと訂正するが、『聞く耳
持たず』とばかりに一喝するのを聞きながら、俺は小刻み
に首を振りつつ、小声で呟いた。・・・こういう勝ち気で
一本気な性格という物は決して悪い物では無いが、行き過
ぎれば思考や態度に柔軟性を欠き、相手によってはトラブ
ルの種と成り得る。つくづく、人間とは複雑な物である。
「やれやれ、ずいぶん嫌われちゃったわね。でも、安心し
て。しばらく、ここには来ないと思うから。元気のいい巫
女さん」
「なんだよ、エリちゃん。せっかく会えたってのに、もう
行っちゃうのかよ?」
「ふふふッ。ごめんね、京一くん。ちょっと、調べたい事
があるの。・・・それじゃ」
 いかにも残念そうな顔をする京一に笑いかけると、天野
さんは俺達に向かい軽く手を振りながら、鳥居の近くに停
めていたフランス生まれの大怪盗の三代目も乗った事があ
る、イタリア製の小型大衆車の方へ歩き去ったのだった。
「さようなら」
「二度と来んなッ!!」
 ・・・相反するこの発言が誰の物であるかを、言及する
必要は有るまい。
「なんか、嫌なカンジだぜ。じいちゃんも、調子に乗って
余計なこと話してなけりゃいいけど」
「考えすぎだって、雪乃。天野さんは、そんな人じゃない
よ」
「そうですわ、姉様。よく、お爺様がおっしゃっているで
はありませんか。人疑わば、信を得る事あたわず、と。無
闇に、人を疑ってはいけませんわ。織部家の御先祖様も代
々、この言葉をーーー」
 遠ざかる車のエンジン音とテールランプを眺めながら、
むっとした表情を崩さない雪乃を見て、再度桜井が宥めに
入った後に、嫌味や押し付けがましさはないが、それだけ
に反論や言い逃れがし辛い口調と論法で、雛乃にたしなめ
られると、塩をかけられたナメクジの様に勢いが萎えた。
「わかった、わかったよッ。オレが悪かったよ・・・」
「ふふふッ、わかればいいです」
「ちェッ」
 旗色悪しと悟ったか、肩と声を縮こませて、閉口した様
な表情を見せた姉を見て、雛乃が余裕にも似た笑みをたた
えたのと、軽い舌打ちは同時だった。・・・表面上は勝ち
気で活動的な姉が、物静かで控えめな妹の存在を覆い隠し
ている様に見えるが、どうも精神的な主導権(イニシアチ
ブ)は、妹が掌握しているらしい。
「さあ、それでは、皆様。どうぞ、お上がりになって下さ
い」
 そう言って俺達を促すと、雛乃は玄関の引き戸を開け、
俺達を招き入れた。
         
         ■織部神社玄関■

「それにしても、古い建物だなァ。こりゃあ、でかい地震
でも起きた日にゃ、ひとたまりもねェぜ」 
 等と、屋内に足を踏み入れ内装を見るや、呆れ七割、関
心三割といった慨嘆を漏らした京一に対して、それを聞き
つけた雪乃は目を吊り上げつつ、即座にやり返す。
「うるせェなッ。うちは由緒正しい神社なんだよッ。なん
てたって、建てられたのが、江戸時代だからな。ほとんど
改築されてねェんだぜ」
「どうりで、ボロいと思ったぜ・・・」
「歴史があるっていえッ。歴史があるってッ!!」
 更に続く京一の遠慮も何も無い言葉に、雪乃が憤然たる
面持ちで、抗議の声を張り上げた所へ。
「それでは、皆様ーーー、どうぞお上がり下さい。姉様。
皆様を奥の間に案内しておいて下さい。わたくしは、お茶
の準備をして参りますわ」  
 そう言って一足先に上がった雛乃が、俺達の前から辞し
た後。
「ちェ、仕方ねェなァ。ほらッ、こっちだ。ついて来なッ

「おじゃましまーすッ」
「おじゃまします」
 言うなり、さっさと奥へと進む雪乃の後に、まず桜井と
美里が続き、残った俺達も同様に靴を脱いで上がり込む。
「雪乃さんは、この神社を大切におもってるのね」
「えッ?」
 そして何歩か進む度に、足元で床材が音を立てる廊下・
・・これは鴬張りというのでは無く、単に古くなってきし
んでいるのだろう。しかしながら、建物のどこを見てもみ
すぼらしさや、荒れて朽ちていると感じさせる様な所は、
微塵も存在しない。綺麗に掃き清められた床に始まり、時
代を感じさせる黒光りした梁や柱は丹念に磨き上げられて
いるのに加え、屋内とは思えないぐらい空気が清浄感に満
ち満ちている辺り、北区にある如月の自宅と共通する所が
ある・・・を歩いていた雪乃に美里が話しかけると、軽く
目を見開いて驚きを露にしたが、やがてそれは照れとはに
かみが混在する笑いに変わる。
「ああ・・・まあな。自分が生まれて、育ったところだか
らさ。確かに多少はボロいけどよ・・・」
「そんなことないわ・・・。数百年に渡る、長い長い、年
月を経てきた立派な社殿だわ。なんだか、とても落ち着く
・・・」
 そして・・・、十畳程の広さを持つ部屋の中央に、これ
また使い込まれた大机が置かれており、壁には掛け軸や漢
詩(と、思う・・・)が綴られた額縁が至る所に飾られ、
室内にはいぐさの香りに混じり、香とおぼしき深みのある
芳香が漂っている・・・奥の間へと入った所で、美里はま
るで森林浴でもしているかの様に、軽く目を閉じて感嘆の
吐息を漏らす。 
 ・・・こと、『氣』や<<力>>の流れに始まり、負の感情
を始めとする精神の波動(とでも、いうべき物)に対する
感受能力に関しては、美里は仲間内でもダントツの力を持
っている。それだけに、俺達では単に『澄みきった』とし
た言い表せない空気の中に存在するも、俺達には捉え得な
い『何か』をより確かに感じ取り、触れる事が可能なのか
も知れないし、又、この空気そのものが、彼女にとって非
常に心地よい物なのだろう。
「そこまでいってもらうと、なんだか、照れるぜ。あッ、
適当に座ってくれ」
 雪乃はどこか嬉しそうな顔で、美里の声に答えながら床
に座布団を敷いていくと、腰を下ろすよう勧める。
「まァ、古いモノにはそれなりの歴史が刻まれているって
いうしな」
「歴史・・・ねェ」
 皆が思い思いの姿勢を取り、大机を囲む様に座った後で
雪乃が言った独語めいた言葉に、京一が肩をすくめた時。
「ただ、歴史がーーー刻が流れたからといって、その物に
価値が生まれるというわけではありません」
「あッ、雛乃」
 声と同時に障子が動くと、人数分の湯飲みと急須に菓子
を乗せた盆を手に、学生服から白の小袖と緋袴という格好
に着替えた雛乃が入って来た。
「お茶が入りましたから、皆様、どうぞ」
「ありがと」
 そして、全員に茶が行き渡り、ほのかに香ばしい匂いが
辺りに漂う中、言葉を続けた。
「時間の流れよりも大切なものを経て、初めて価値が生ま
れるのです」
「時間の流れより大切なモノって・・・?」
「そうですね・・・、例えば、そこに纏わる人の想いや言
い伝えーーー、そして、そのものが持つ意味など・・・。
そして、それは、時として、わたくしたち人間の為すべき
道を指し示すのです・・・」
「雛ッ!!」
 桜井の声に、何気ない様でいて、言葉の一つ一つに、何
らかの含みを持たせた言葉・・・その中には、既に聞き知
ったる物も存在する・・・を綴っていった雛乃に向かい、
怒りよりもむしろ、咎める様な声を雪乃が上げたのを最後
に、部屋に沈黙が訪れる。
「雛乃さん・・・、もしかして、私たちの<<力>>の事をー
ーー」
 ややあって、幾らかの躊躇を押し切るようにして、美里
が問いかけたのに、雛乃が小さくだが、はっきりと頷いて
みせた後、桜井がややうつむき気味にぽつりと漏らす。
「ゴメン、みんな・・・。実は、前に電話で相談したコト
があったんだ・・・」
 ・・・まあ、<<力>>にせよ、今まで見て来た物もだが、
本来なら頼るべき、親や身内にも言える様な物で無し。自
然と蓄積するだろう、心理的な重圧や負担に孤独感といっ
た物を、信頼出来得る誰かに話す事で軽減しようとするの
はごく自然な事だし、その事を非難出来る資格を有する者
など、この場には居ない。他者に対し、沈黙や秘密を守り
続けるというのは、簡単な様でいてその実、非常に困難を
極める物なのだ。ましてやそれを可能とし得る、極地の永
久氷壁の様に揺るぎ無い、精神の防壁を備えた人間など、
千人に一人いるかどうかだ。
「・・・・・・。以前、小蒔様から、風間様や皆様の事を
お聞きしてから、いつか、このようにお話する機会が来る
・・・。と、思っておりました」
「驚いたな・・・」
 仲間とした人間以外に、<<力>>の存在を知る者がいた事
に、小刻みに首を振る事で驚きを現す醍醐に微笑んでみせ
た後、雛乃はいずまいを正し、厳粛とでもいうべき表情を
浮かべた。
「これから、わたくしがお話する事は、あくまで、この神
社に伝わる言い伝えです・・・。それを、どうおもわれる
かは皆様にお任せします。ただーーー、今、この東京に起
こりつつある異変を解く鍵となれば・・・と。いかがです
か? 話を聞かれますか?」
 問われて俺は、全員の顔に素早く目をやり、大かれ少な
かれ、四人の顔に興味や関心の色が在るのを看取ると、頷
く事で承諾の意を示した。
「ありがとうございます。少しでも皆様のお役に立てると
いいのですがーーー」
 頭を下げつつ、そう前置きした後。ゆっくりとした口調
で雛乃は話し始めた。
「昔ーーーーーー、それは、遠い昔のお話でございます・
・・。この地方の武家に、ひとりのお侍様がいました・・
・。そのお侍様は、心優しく、民を思い、人々から慕われ
ておりました。ですが、ある日ーーー、道に迷った女性を
助けた時から、お侍様は、変わってしまいました。お侍様
は、その女性にーーー、恋をしてしまったのです。その女
性は、都の姫君でした。片想いとはいえ、そのような恋が
許される筈はございません。お侍様は呪いました・・・。
自分の身分をーーー、そして、自分の無力さを・・・。お
侍様は、その土地で祭られていた龍神様の力を呼び起こし
て、姫を奪う為に、三日三晩、都に嵐を起こしました。都
の軍勢は、お侍様のお屋敷に攻め込みましたが、そこに、
お侍様の姿を見つける事はできませんでした。都の人々が
見たのは、醜くもおぞましい異形の者たちでした。それは
ーーー、大地の裂け目から現れた鬼たちと、自らも鬼に変
わったお侍様でした。やがて、鬼たちは、討ち取られ、お
屋敷は焼かれました。そして人々は、お屋敷のあった場所
に社を建てると、お侍様の霊を弔ったといいます・・・。
それがーーー、この織部神社です」
『・・・・・・』
 そこで話は終わり、室内は静まりかえった。皆それぞれ
に思う所があったのか、黙りこくったままである。 
 俺の場合、話の前半分については、どうでもいいという
か、興味や感慨を抱く程の物では無い。それこそ洋の東西
を問わず、有史以来、星の数程存在し、繰り返されてきた
事であり、正直、記憶にとどめる労すら惜しい程度の事で
しか無いが、後半部分に関しては、無視し得なかった。
 とはいえ、話の供給源が、常に誇張や変質、曲解とねつ
造の可能性がつきまとう、口伝や伝承の類である為、聞い
た事全てを鵜呑みにする訳にいかないのも確かであるが・
・・・・・。
 話の中で、要点とみなすべき所は二点。まずは『土地で
祭られていた龍神様の力』とやらで、それから『大地の裂
け目から現れた鬼共と、自らも変貌を遂げた〜』の下りで
ある。
 ・・・話を聞く範囲では、それは天候をも変え、意のま
にする程のとてつもない<<力>>であるが、いかにしてそれ
を統御し得たのか・・・? かつての修行中、師からは<<
外法>>と称される<<力>>に関して、ごく簡単な話を幾つか
聞かされはしたが、例によって、深く聞こうとすれば『私
の口から語るべき事では無い』だの、『いずれ解る事だ。
今は聞き、知る事よりも己の中の<<力>>を磨き、鍛える事
に専念したまえ』なんぞと、事務的で、愛想の無い口調で
答えられたものだ・・・。それをさておいても、やはり気
になるのは、『自らも変貌を遂げた〜』という辺りか。尤
も、この件と俺が目の当たりにした数点の事例とが、原因
を同じくするとは断言出来ないが、まるきり無関係とも思
えない・・・。
 まあ、疑問を数え上げればキリが無いが、さしあたって
は、どんなに微細でも構わないから、もう少し彼女達から
話なり情報を聞いておきたい所だ。
「へェ・・・、知らなかった。ここに、そんな言い伝えが
あるなんて」
「そういえば、小蒔様にお話しするのも初めてでしたね・
・・」
「そっか・・・」
 そういった遣り取りに続いての事だった。
「皆様ーーーーーー、<<龍脈>>というものをご存じですか
?」
「龍脈?」
「聞いた事ないなァ・・・」
 その問いかけに、怪訝な顔を作った醍醐が思わず聞き返
す横で、桜井も小首を傾げるのを見て取ると、雛乃は表情
を変えぬまま、次の質問を口にした。
「では、<<風水>>というのをご存じですか?」
「風水って、アレでしょ? 『幸運を身につける風水』と
か『お金の貯まる風水』とか、本屋さんでよく見るけど・
・・」
「まァ、それは一種の風水の活用法さ。本来の風水っての
は、古代中国で生まれた地相占術なんだ。地相占術っての
は、そびえる山や流れる川なんかの位置や、その土地の性
質を観て、家を建てる場所や、社を造る場所を決めて、個
人や、その地を治める国自体を吉相に導く呪法の一種さ」
「なんだ、ただの占いかよ。・・・まあ、オレは占いなん
ざ、信じてねェけどよ。それが一体、なんだっていうんだ
?」
 『それなら知ってる』とばかりに、桜井が声を張り上げ
た後、雪乃がその概念をざっと解説するのを聞いて、京一
は湯飲みを取り上げつつ、いかにも興味なさそうに言い放
ったが、その顔に雛乃が視線を向けた。
「ふふふ・・・。蓬莱寺様。風水は、ただの占術とは違う
のですよ。風水というのは吉凶を占う法では無く、確実に
吉を得る為の手法なのです。だからこそ、過去の為政者た
ちは国の中核を、風水において最も吉相とされる地におく
事に精力を注いできたのです。そして、その地は<<四神相
応の地>>と呼ばれていました。<<四神>>とはーーー、大地
の各方位を守護する、四匹の聖獣の事です。北方を護るの
がーーー玄武。南方を護るのがーーー朱雀。東方を護るの
がーーー青龍。西方を護るのがーーー白虎。そして、四匹
の聖獣が守護する中央に、黄龍と呼ばれる黄金の龍が眠る
と信じられています。黄龍はそのまま、大地の力そのもの
に例えられます。そして、風水では、大地の生命エネルギ
ーの通路を、龍脈ーーーと呼ぶのです。そして・・・、さ
きほどお話しした言い伝えで、お侍様に力を授けた龍神様
とは、この龍脈を指すものだともいわれております・・・

「龍脈、か・・・・・・」
 説明を黙して聞いていた醍醐が、低い声で呟きながら腕
組みをし考え込むのに、俺は疑義を呈する。
「・・・聞いてて、頷ける所が無い訳じゃないがな。しか
し、だ。これは今、実際に<<力>>だの『氣』だのを、行使
している立場の人間が言うべき言葉では無いだろうし、尚
かつ、個人レベルでの信じる、信じないは当然とした上で
の事だが・・・。<<風水>>とそれに関わる物によって、も
たらされる益や事象が本物なら、中国では亡びる国家も無
ければ、破産する資産家も存在せんよ。大体、国を興すに
あたり、超常の存在に頼ろうという思考自体、健全では無
いし、ましてや、体制の維持や、尚かつ繁栄まで求めよう
なんぞという考え自体が、図々しいというか、度し難いも
のだな。そんな物を前提において、まともな成果や人心が
付いて来る様な事など有る物か。そして超常の存在が原因
となって、興る国や亡びる国なぞ、決して現実には存在し
得ない。ソ連を見ろ。人でも国でも、人為によって興り、
人為によって動かされ、そして亡びる。これは有史以来、
只の一度として覆った事も無ければ、今後覆る事も無いだ
ろう、歴史上の真理だ」
 ・・・あくまで、俺個人の価値観を述べているのであっ
て、<<風水>>や<<龍脈>>の存在並びに、それに纏わる思想
その他を否定している訳では無い。まあ、信奉者や聞く人
によっては、相当、不遜ないし、罰当たりな言い草と受け
取りはするだろうが・・・・・・。
 もう一度、奥の間に沈黙のカーテンが降りたが。
「・・・もし、ボクたちの<<力>>が、龍脈によって、得た
ものだとしたらなんだか、すごい話だね・・・」
「うむ・・・。この<<力>>が、その龍脈とやらによるもの
だとしたら、おれ達の責任は重大だな」
 一名の『変人(ひねくれ者)』を除き、皆、話を素直に
受け取った様で、まず桜井が感嘆ないし畏敬ともとれる声
を漏らしてみせると、醍醐は醍醐で眉間にしわを作り、よ
り一層、深刻そうな表情をたたえる。
「醍醐様・・・。この地を護ろうとする<<力>>を大地より
授かったのは、醍醐様達だけではありませんわ。龍脈の活
性化は、乱世の始まりーーー、ですが、同時にそれを治め
る者も現れるのです」
 ・・・これ迄にも、意味深な言葉を何度となく口にして
きた雛乃だが、これはその中でも極めつけである。まるで
・・・そう、<<力>>に関して、単なる知識だけに留まらな
い様な響きといい、更にはこの異変が帰結する先を見越し
ている様にもとれる辺りもだ。まさかとは思うが・・・・
・・。
「いずれにせよ、この東京の歩む道はふたつしかありませ
ん。陰と陽が互いに共存を目指す陰の未来かーーー、闇を
払い、全てを浄化する陽の未来かーーー。風間様なら・・
・、どちらを選ばれますか?」
「陰と、陽か・・・。正直、今の俺に出来る事と言えば精
々、<<力>>を持った輩が現れ、それが暴走せんとした時、
そいつと闘い、叩きのめす事で、より多くの犠牲者が出る
可能性を少なく出来るかどうか・・・。と、いった物でし
か無い。その程度の事しか出来ない人間に対し、この一千
万都市の未来と言われても、身と才覚の双方に余る命題だ
な・・・」
 俺がそこで一旦、言葉を切った後。
「・・・では、あなた個人は、どのような未来を望んでお
られるのです? そして・・・、何の為にその<<力>>を振
るい、誰を敵とし、闘われるのですか?」
「・・・未来の模索も必要な事だろうがな、今の俺にとっ
ては、現実の処理の方がより優先すべき課題であるし、俺
は只、俺の意志の元に進むだけだ。それを陽だの、陰だの
と区別したり、言い表した所で何の意味も興味も無いし、
そんな事はやりたい奴、言いたい奴がやってればいい。そ
して・・・、俺が闘い、敵と見なすのは、只、欲望や自我
を満たさんが為に<<力>>を弄び、それによって弱者や無関
係の筈の人間をも巻き込み、陥れた上、喰い物にせんとす
る輩が振るう暴虐や非道、不条理に対して。同時に、そう
いった手合が俺の周りに存って近しい立場にあり、俺が認
め、その存在を貴重に思う人々に向かい、手を出して来た
時。最後に、それらを含め、俺の征く先を阻み、邪魔する
者や、悪意や敵意を抱き、有形無形問わず武器を手にし、
俺の存在を否定しようとする奴は、全て排除殲滅する。・
・・例外無く、徹底的にな」
『・・・・・・』
 何かを試すかの様な韻を含ませた、雛乃からの問に対し
答えはしたが、返って来たのは全員分の沈黙だった。
 ・・・まあ、他者がこれを聞いたとすれば、眉をひそめ
られる事はあっても、賛同を得られる様な事は無いだろう
から、この反応は当然といえるが。
「・・・・・・もしも、この東京が戦禍に包まれれば、き
っと、たくさんの人が不幸になる・・・。私たちの<<力>>
で、その未来が変えられるのなら・・・。私は、変えてみ
たい」
「葵・・・。そうだね、ボクも、そうなったらいいなって
・・・、ううん。そうなるように、頑張ろうよ、みんなで
さ」
「あァ・・・。人を不幸にしない為の<<力>>・・・か」
「まっーーー、オレも、この東京が薄汚い連中に土足で踏
み荒らされるのは、気に食わねェけどな」
 三度目の沈黙を破ったのは、美里の静かな決意を込めた
声であり。それを皮切りに、皆が口々に賛意や思う所を表
していた時。
「・・・決めたぜ、雛ッ。オレは、こいつらについて行く

「えッ?」
 先刻からずっと黙っていた雪乃が、唐突に上げた声を聞
き、桜井が驚いた様に目をぱちくりさせた。
「その、なんていうか・・・、オレはあんたらの事が気に
いったんだ。それとよ・・・、風間。あんたの言う、意志
って奴をどこまで通せるか、見てやろうと思ってよ。だか
ら、オレも連れてきな。こんな木刀野郎より、オレの薙刀
の方が、よっぽど役に立つぜ?」
 焦げ茶色の瞳には強い光を、そして口元には不敵な笑み
を浮かべながら、揶揄混じりに勢い込んで言う雪乃とは対
象的に、落ち着き払った声が続けて上がる。
「・・・姉様は、いつも、そうやって、一人で決めてしま
うんですね」
「雛乃・・・」
 予想だにせずといった顔で呟く雪乃。そして声の主は、
真っ直ぐに姉の顔を見据えた。
「姉様。わたくしと姉様の力は、二つで一つーーー。二人
が力を併せれば、より大きな力となる筈です」
「うッ、うん・・・・・・」
「そして・・・、姉様も、お爺様から聞いてご存じの筈。
この織部神社は、東京に点在する他の社寺と同様、東京を
護る為に打ち込まれた、楔の一つなのです。その巫女とし
て、果たすべき務めがあります・・・」
 語り終えた彼女は、表情はそのままに、澄んで強い意志
を秘めた眼差しをこちらに向けて来る。
「少しはわたくしも、皆様のお役に立てる筈・・・。わた
くしも一緒に参ります。風間様、どうかわたくしもお連れ
下さい」
「・・・二人共、そういう明確な意志や、自信を持ってい
るなら結構。何事も『自己決定・自己責任』って事だけを
憶えていれば、後は好きな様にすればいい」
「よっしゃッ!! これで決まりだなッ!!」
「ありがとうございます。わたくしも皆様と共に、参りま
す」
 等と言いつつ、二人は頷いたが。無論、話はこれで終わ
りでは無い。『あの』港区での事件以来、これから先の闘
いに於いて、常に付き纏うであろう可能性と危険。並びに
それに伴う、『ある種の覚悟と自覚』について、話してお
かねばならない。
「ただし、だ・・・。少し、偉そうな言い方になるがな・
・・。俺達が今迄見て、やってきた事や<<力>>について、
桜井からどの程度まで聞いているかは知らんが、これだけ
は言っておくし、忘れずにいて欲しい。二人共、首を突っ
込んだからには、今後は想像も出来ん程、とんでもなく汚
くて、胸が悪くなる様な物を数限り無く見たり、触れたり
する事になるだろうし、そういう決断を迫られる事も有り
得る。・・・闘う以上、自分も他人も含めて、血は流れる
し、何か大事な物を無くす事も有り得るだろうが、それか
らは目をそらしたり、放り出す事も出来ない。『現実』や
『事実』って代物はどこまでも冷たいし、この上無く苦い
が、最後まで飲み込めよ。・・・いいな?」
 戦闘時とそう変わらぬ声と表情で話す際、意図的に言葉
の中に滲ませた苦さや寒々しさに、冷厳さ・・・。と、い
った物を感じ取ったのか、当事者である二人も含めた全員
が表情を固くした。
 ・・・本当は、こんな『覚悟』など持たず、求めずに済
めば、それに越した事は無いのだ。例え、『護る為』とい
う動機があったとしても、闘い、血を流す、流させるとい
う行為に荷担する事が、人の精神や人生に良い影響をもた
らす事等、決して無い。その逆を主張する奴がいるとすれ
ば、そいつは単に他人の血に飢えた変態、只の殺人狂だ。
 ・・・沈黙があったのは、言葉の中に含まれていた物が
何かを推し量っていたのであり、ややあって、二人が同時
に頷いたのは、多分全てを知って、理解した上で、共に行
く・・・と、いう意志の現れだろう。
 それを見た後。俺は表情と声を和らげながら、緊急時の
連絡先等を記した紙片を二人に渡し、そして頭を下げた。
「それと・・・。二人が協力してくれる事を、嬉しく思っ
ているし、感謝もしている。以後、よろしく頼む。後・・
・、近い内に、一緒にやっている連中を紹介する。まあ、
学校も学年もバラバラの寄り合い所帯だが、そいつらとも
上手くやっていってくれ」
 と、そこへ・・・。
 障子の向こう側より、重々しい響きを持った音が聞こえ
て来ると、醍醐が腕時計に目をやった。
「もう、こんな時間か・・・。どうやらすっかり長居をし
てしまったな。おれ達はそろそろ失礼しよう」
「それでは、門までお送りしますわ」
 そう言って腰を浮かしたのに続いて、俺達も立ち上がっ
た所へ、雛乃がそう言ってきたので、二人と共に奥の間を
出て、玄関へと向かったのだった。
「・・・まったく、座りっぱなしだからケツが痛いったら
ねェぜ。その上、難しい話の連続で、オレはもう、クタク
タだ」
「おれは結構、興味深い話だったと思うがな」
「そんなモンかねェ。ーーーん?」
 そして織部家を辞し、境内を歩いていた時の事だ。
 心底、疲れきったかの様な貌で、ボヤいた京一に醍醐が
答え、それに対して肩をすくめてみせた後。ふと、足を止
めて境内の片隅に視線を向けた。
「雛乃ちゃん。あの建物は?」
 指し示した先・・・境内の外れに、プレハブ小屋程の大
きさの白木造りの建物がぽつんと建っていた。外見はそう
おかしな物では無いし、離れた位置にあるから参拝者も、
つい見過ごしてしまうだろうし、見たとしても単に倉庫か
何かと思って、大して興味を抱きはすまい。
「あそこには大切な御預かり物が安置してあります」
「預かり物?」
「はい・・・。伝え聞く所では、曾御爺様が乃木様から御
預かりした、大切な物だそうです」
「乃木大将といえば、確か、明治時代のーーーーーー」
 ・・・勘違いした手合からは、『軍神』なんぞと称され
てはいるが、実態はといえば、水準以下の指揮官であり、
又、その戦いによって、後々まで続く陸軍の無能と硬直に
高慢を決定付けた、名うての『部下殺し』の将帥である。
「はい・・・、乃木様は、曾御爺様と懇意にされていたら
しく、露西亜に遠征される前に、曾御爺様を訪ねられたそ
うです。その時に、乃木様はこんな事を話していらっしゃ
ったといいます。『もうすぐ、<<塔>>が完成する。その塔
が地上に姿を見せた時、我が帝の国は、変わるであろうー
ーー』と」
「<<塔>>だと?」
 思い出した様に言う醍醐に、頷いての雛乃の言葉を聞い
て、思わず俺は聞き返し、眉をひそめた。・・・何でもな
い単語の筈だし、明確な違和感等を抱かせるだけの根拠な
ど無い。にも関わらず、それは神経の底にしつこく残り、
負の刺激を与えて止まない。あの、『ヴェノム』と戦り合
った時でも、こんな感じはしなかったというのに・・・・
・・。
「そうです・・・。乃木様と、同じく当時の海軍大将の東
郷様が中心となって、なにかの研究を、極秘裡に進めてい
らっしゃったと聞いております。御預かり物というのも、
その塔に関係するものだと聞いております。乃木様と東郷
様がお持ちになっていたそれぞれの品は、一つは、護国の
象徴たる新宿靖国神社にーーーーーー、そして、もう一つ
はこの織部神社に預けられたのです」
 ・・・どこの国であっても、陸海軍は仲が悪いと相場は
決まっている。特に旧日本軍はその傾向が著しく、上は将
官から下は兵卒に至るまで、マフィアの縄張り争いもかく
や、という程いがみ合ってた筈だ。その、犬猿の仲の極致
である筈の両者が、手を組んだというだけでも充分胡散臭
いのに、加えて当時の軍で最高級の要人二名が携わり、研
究させていた物と、その成果たる塔(で、ある筈だ)とは
一体・・・? 下手な扱いをすれば、今でいうNBC兵器
以上にヤバい代物を造り出そうとしていた・・・。と、言
うのは俺の穿ち過ぎ、否、妄想と評すべきか・・・。
「へェ」
「けど、乃木だ東郷だっていわれても、誰だか、わかんね
ェよな」
 桜井が短く、感心と驚きが混じった声を洩らした所へ、
脳天気というか、何も考えてない様な声が上がると、声の
主に対して桜井は、どこか非難がましい目を向けた。
「京一ィ・・・。キミ、一応日本史の勉強してるんだろッ
!?」
 言われて京一は、やたら自慢げに胸をそらした。
「もちろんだ。オレの日本史は、オレが生まれた時から始
まってる」
「・・・アタマ痛くなってきた・・・。もういい。こんな
奴、ほっといて帰ろう」
 自信たっぷりに言ってのける京一に、言い返す気も失せ
たか、桜井が溜息混じりに頭を抱えて見せた後で、諦めた
かの様に呟いてみせると、友人に対する物へと表情を切り
替える。
「それじゃ、またね。雪乃、雛乃」
「あァ」
 雪乃が軽く手を上げて応じた後、雛乃が前に出た。
「あの、小蒔様ーーー。それと、わたくしから、御祝いが
ありますの」
「えッ、なんの?」
「わたくしと、小蒔様の三年間の友情にーーーですわ。今
日が、最後の試合ですから」
「そっか・・・」
 始め、きょとんとした後、名残惜しげな表情を見せる桜
井に深々と頭を下げると、雛乃は玄関を出た時から携えて
いた布包みを差し出した。
「三年間、大変、楽しゅうございました。わたくしの気持
ちです。お受け取り下さい」
「これ・・・、雛乃が大切にしてたヤツじゃ」
 受け取った包みを開け、中に納まっていた弓を見るや、
『ホントにいいの?』と言いたそうな顔をする桜井に、に
っこりと柔和な笑みを浮かべた。
「ええ。是非、貰って下さい」
 桜井は宝物の様に弓を抱えると、嬉しさと謝意に満ちた
晴れやかな笑みを浮かべて答える。
「ありがと・・・、雛乃。大事に使うよッ。・・・それじ
ゃ、また遊びにくるねッ」
「じゃーなッ!!」
「さようなら・・・」
 鳥居の下に立ち、それぞれ手を振ったり、頭を下げる二
人と別れ、俺達は新宿へと帰る為、夕暮れの道を駅へ向か
い歩き出した。・・・大小、様々な事があったが、ここま
で出張って来た甲斐はあったと思う。
「さーてと、腹も減ったし、ラーメンでも食って帰るか」
「あッ、ボクは帰るね。今日の試合の結果、家のみんなに
報告しなきゃ。葵はどうするの?」
「私も、今日は帰るわ。もう遅いし、それに家で夕食を用
意してるとおもうから」
 そして来た道を戻りながら、毎度の様に言う京一だが、
あっさりと女性陣には誘いを断られると、いかにも残念そ
うに声を張り上げる。
「なんだよなんだよッ。付き合い悪りィなァ」
「うふふ。ごめんね、京一くん」
「おれと風間が付き合ってやるからすねるな、京一」
「誰がスネるかッ」
「・・・生憎だが、俺も抜けだ。これから、ごたごたと用
事があるのでな。ラーメン屋なら、二人で行ってくれ」
 美里が済まなそうに答えると、宥めに入った醍醐と京一
が言い合っている所に、にべもそっけも無く、俺が不参加
を告げたのに続いて。
「それより、明日なんだがーーー、みんなに、会わせたい
人がいるんだ」
「会わせたい人ォ?」
 醍醐が切り出した話に、まず京一が声を上げると、その
他の面々も視線を差し向ける。
「まあ、おれの師匠みたいな人だ。爺さんなんだが、いろ
いろと世情に詳しい。西新宿の外れに、一人で暮らしてい
る。おれが、杉並から越してきたばかりでまだ、どうしよ
うもない頃に、世話になった人でな。易をやっているんだ

「占い師かよ・・・」
「龍山先生はただの占い師じゃないさ」
「龍山先生っていうんだ」
 胡散臭げに呟く京一に答えた後、醍醐は続いて声を上げ
た桜井に向かい、頷いてみせる。
「新井龍山といってな、易の世界じゃ結構有名なんだ。普
段は、白蛾翁と呼ばれているそうなんだが。・・・実は、
前々からみんなを連れて行こうと、思っていたんだ。龍山
先生ならきっと、おれ達の力になってくれる筈さ。何回か
手紙を出してはいるんだが、返事がなくてな・・・」
 聞いている内に興味をそそられたのか、桜井がある種の
期待と好奇心を含んだ表情を見せつつ言う。
「醍醐クンの先生かァ・・・。興味あるなァ」
「うふふッ、そうね」
「仕方ねェ、付き合ってやっか」
「・・・俺も、異存は無い」
 桜井に続き、美里や京一、そして俺も首を縦に振る。
 ・・・今迄、色々な物を見て、それなりに経験を積んで
はきたとは思うが、まだまだ知らない事、知識を集めて考
え、そして決めるべき事が、文字通り山積している。
 そして言うまでも無く、先人の持つ知恵や経験というの
は、非常に得難く貴重な物である。どんな人物なのかは、
まだ知る由も無いし、過剰な期待は持つべきでは無いが、
それでも何かしらの助言なり、今だ知らない事実へと繋が
る糸の端っこぐらいなら、掴めるだろう。・・・多分。
「それじゃ、決まりだな」
 と、醍醐が頷いた辺りで、駅へと続く大通りへと出た俺
達は雑談に興じつつ、家路を急ぐ学生やサラリーマン、買
い物帰りの主婦といった人々の間をかき分けて進み、そし
て新宿駅で四人と別れ、家へと帰り着くと、すぐさま如月
と連絡を取り、最優先の懸案事項たる、鬼道衆への対策に
始まり、最初の電話でも言われた新装備の開発・・・これ
について如月が言うには、既に旧校舎から回収したり、店
に置いてある<<力>>絡みの装備品を流用したり、組み込む
事で、物によっては、より高い効果を得られたり、製作に
かかる手間や時間にコストを結構抑えられるとの事である
・・・といった事を、途中から話に加わった裏密も交え、
数時間に渡り、話し合ったのだった。

 戦人記・第拾話「変生・前編」其の参へ続く。

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