真面目さに装われた不真面目(蓮実重彦氏の表現)とは、そのような ことを言うのだろう。八ヶ岳ふれあいセンターとは、真面目さに装わ れた不真面目な県の施設であり、そういう不真面目な施設に環境庁ま でもが騙され、協賛・支援することの滑稽さを笑わらうほかない。 (地方分権を語る以前に、その地方の環境行政とマスコミ機関が癒着 して、出鱈目なことをしているとき、環境庁はその出鱈目さを監視・ 勧告する義務があるはずなのに)
誰もが共鳴するであろう、優しくソフトな言葉とイメージのその裏に 何が隠されているのだろう。八ヶ岳南麓の素晴らしい自然の紹介と、 そのふれあいを歌い、県のお題目である環境重視政策としての環境教 育の実現を目指す、その施設に誰も異義など出すはずもなく、だから こそ、そういう表層としての真面目さに装われた不真面目さを誰かが 指摘する必要があるのだ。
では、どのようにその施設が不真面目であるか。そもそも、犯罪者が のこのこ犯行現場に戻ってきて、証拠隠滅を図ると同様の醜さをその 施設は果たしてしまうのであり、先ほどから犯罪犯罪と書き立てるそ の犯罪について説明しなければならぬのだが、もう本当はそのことを 書くことに飽き飽きしてもいるのだ。でも、その犯罪が何であるかを 説明せずに、ふれあいセンターの不真面目さを証明することが出来な い以上、ごく簡単に書こう。
水源ダムの上流の県有林は、当然、水源林で、その水源林をゴルフ場 やスキー場や、別荘地開発で破壊してしまった県の清里での開発行為 は、立派な犯罪である。それが犯罪でないというなら、この世に犯罪 など存在しない。
飲酒運転が犯罪で、その犯罪を警告する言葉である、飲むなら乗るな、 乗るなら飲むなを、山梨県の犯罪行為に応用すると、飲料水源ダムを 造るなら、上流を開発するな、開発をするなら、下流にダムを造るな。
そういう大いなる立派な犯罪者である(しかも確信犯でもある)山梨 県が犯行現場・清里に舞い戻り、証拠隠滅とも取れる環境センターを 設立し、環境教育を推進するというのだよ。盗人(ぬすっと)に、窃 盗のお説教をされる以上の滑稽というものだ。勿論、犯罪者が自らの 犯罪を認め、それなりの罰を受けた後の更正体験談と言うなら話しは 違う。しかし、大門ダム水質悪化は歴然とした事実にもかかわらず、 県がそのことの関与も責任も表明したこともなく、するわけもなく、 環境問題を景観問題にすり替えるような景観条例を清里に適用させ、 そして今度は、ふれあいセンターだ。それは単なる税金の浪費であり ムダだ。
いかにも環境行政をしているというポーズとカモフラージュに彩られ たそのセンターで、そこで語らねばならぬことを限りなく回避された 形の環境教育とは何なのか。そんな暇と金があるのならば、既に開発 され破壊された水源林の復元にこそ使われるべきではないのか。
そのセンターに大門川水系図が展示され、大門ダムの水質問題が真に 問われ、山梨県の犯罪として二度とこのような馬鹿げた犯罪を起こさ ないための未来に向っての教訓として設立されたのであるならば兎も 角、県の清里での開発行為の正当性と、犯罪の隠蔽が目的ならば、許 されざる施設と言うべきだ。
小学生でも知っているジャーナリズムの意義と機能ともいえる権力の 監視と批判から、限りなく遠い山日・YBSの会長がセンターの館長 に就任することの意味が、あまりにも露骨に露呈されているのだ。