中央改札 悠久鉄道 掲示板 過去記事 概要

創作掲示板過去記事[181-200](CMNAC-CGI Ver.1.67.14)


[200][青年シリーズですか…][亜村有間 (mail)][2001/2/16(Fri) 02:37]
 
埴輪さん>
 そうですね…。単に思いつくまま言っても、
それが正しい意見とも有益な意見とも限らないし、
ゆっくり考えながら書いてみます。
 まず、淡々とした文章ではありますが、それが埴輪さんの持ち味、
つまり利点になっている部分があるのもまた確かだと思います。
 どの埴輪さんの話を読んでも、「ああ、埴輪さんの話なんだな」と
納得できる個性というか。それがマイナスに効く場合があるとしても、
自分の個性があることは大事だと思います。
 
 それから、第一部のラストは、その文体を一番に生かし切ったラスト
だったと思います。淡々とした描写の中にじわりと感慨が湧いて
来るような…。だから、淡々とした文体自体はいい面も持つと思います。
 主人公の最強さはちょっときつかったかな?
[199][迫力ある文とは?][埴輪 (mail)][2001/2/15(Thu) 22:59]
 
どうも。
最近青年シリーズのネタが思いつかなくなってる埴輪です。
そろそろ、終り方考えるべきかな?


最近、自分の書く文がいまいち迫力に欠けているのでは、
という疑問が涌いて出てきました。
どうも、書いてる話が一発ネタに近いためと、
キャラクターの行き過ぎた無敵さが大きいのは確かですが、
それを抜いても書く話、書く話淡々として
盛りあがりに欠けてるふしがふつふつと。
とりあえず、ご意見をお待ちしています。
[198][呪文の意味/魔法の来る場所][亜村有間 (mail)][2001/2/4(Sun) 09:53]
 
熾天使さん>
>悠久やEMの魔法は、少なくとも魔法の名前を唱えるだけで
>発動はしないことになります。

 いや、まさにそうだと思います。さもないと、
 
「それじゃ、今からルーン・パレット…」
「うぎゃーっ!」
「…を使うからちょっと離れてね? …あれ?」 
 
 ということになりかねません。
(念のため補足:まだ使おうと思ってないのに、口にしただけで発動)
 呪文だけではなく、他の何かが必要なのだと思います。
例えば、使おうと思う意志。あるいは、手で作る印の組み方。または、
頭の中で描く何かの記号的イメージ。
 それらに加えてやはり呪文を口に出す必要があるという説や、
呪文自体は精神集中のためで、頭の中で描くイメージさえしっかり
していればいいという説が考えられますね。
 
>そしてさらに、魔法と言う物は個人によって扱われるのではなく、
>同一の力を様々な存在が引き出していると言う仮説も立てられますね。
>・・・はっ!!もしかすると、その世界とは位相のずれた魔力世界に、
>ルーンバレットとかがストックしてあるのか!!??
>…んなわきゃないっすね。
 
 純粋魔法世界が別にある? それはそれで面白いかも。
物理法則がなくて、魔法しかない世界。
(精霊界というのがあるみたいだけど、あるすればまさにそれ?)
そうすると、悠久・エタメロ世界は、我々の世界と、純粋魔法世界の
中間のようなものですか。
 
 魔法がどこから発生するかも興味深いですね。
(1)自分の中から発生する。
(2)他の世界から持ってくる。
(3)場に潜在しているものを顕在化する。
などの説が考えられるでしょうか。
[197][魔法の名前が出世魚だとすると…?][熾天使@Apostasy's minstrel][2001/2/3(Sat) 00:24]
 
セラフです。

亜村さんの説をちょっと自分なりに…。

たとえばルーンバレットとエネジーアローは似通っている訳ですが、
あの二つの世界が同一だと仮定すると、名前の付け方が地域などによって違うと言うことになりますね。
だから、EMの主人公たちが冒険して行くに連れて、当人達はエネジーアローと呼んでいるけれど、
地域の人達にとっては別の名前で呼ばれていたり…。
そうすると、魔法の名前というのがほぼ無意味(というか無価値)になりますから、
悠久やEMの魔法は、少なくとも魔法の名前を唱えるだけで発動はしないことになります。

そしてさらに、魔法と言う物は個人によって扱われるのではなく、同一の力を様々な存在が引き出していると言う仮説も立てられますね。
・・・はっ!!もしかすると、その世界とは位相のずれた魔力世界に、ルーンバレットとかがストックしてあるのか!!??
…んなわきゃないっすね。
[196][魔法の威力は一定?][亜村有間 (mail)][2000/12/27(Wed) 02:40]
 
月虹さん>こっちには初めて書きこみさせていただきます月虹です。
 おおっ、ようこそです。ここは普通の掲示板と違って、
難しいことが書いてあったりもしますが、「頭の体操」とでも思って、
気軽に楽しんで下さると嬉しいです。
 
>ゲーム中では魔法の効力はほぼ一緒と言う感じです。
 うーん…。私はこれは「表現」だと思いますが。
つまり、「真の悠久世界」では本当は人によって魔法の効力に差があるの
だけれど、わかりやすくするために、ゲームシステムとしては
同等に統一して「表現」してしまっているのだという見解です。
 同様に、格闘術等も一様に同レベルまで極めることが出来るという
理不尽さがありますが、これも「表現」だと思います。
しかし、これを表現ではなく真の悠久世界でも事実だと解釈することに
より、「シーラ暗殺者伝説」等の面白い話が各所で生まれているので、
この理不尽さも決してマイナスに働くばかりではないと思いますが。
 
 さて、しかし、そうは言っても、「魔法の効力はほぼ一緒」というのも
面白そうなので、その仮説で考えてみましょう。
 
>先駆者の真似をして魔法を覚えていると思うのです。
 これは納得できますね。逆に、自己流でやっているけど威力はある
という設定の話もありましたよね。
 
 あと、私が考える説は、命名の因果関係が逆なのでは、ということです。
 つまり、ルーンバレットを出せるようになったらなぜかみんな同じ
威力だった、とは考えないわけです。
 ある性質の魔法のうちある「一定の威力」を持つものを、
ルーンバレットと呼び、威力が上がれば別の呼び方をすると考えるわけです。
出世魚のようなものですね。
 悠久で具体的にどんな名前だったかは忘れましたが、威力は違うけど、
効果の種類が似ているものが多くあったと思います。
効果が似ているものどうしは実は原理的に同じものだと考えるわけです。
 
○世界の形
>RPGの地図のようなまっ平らな世界なのでしょか?
 一瞬、あれはメルカトル図法では、と思ったのですが、
確かに、上の方へ行っても一点に収束するわけではないですね(笑)、
 悠久の世界では機械文明も共存していたりとリアル指向なので、
球体ではと思います。ただ、これに関する描写はありませんでしたよね。
[195][初カキコ♪][月虹 (mail)][2000/12/26(Tue) 12:05]
 
こっちには初めて書きこみさせていただきます月虹です。

 チラッと見ると魔法の事に関して盛り上がっているみたいですね。
私も少し考えてみました。
 ゲーム中では魔法の効力はほぼ一緒と言う感じです。
誰が使っても差はあまりありません。
ルーンバレットを例に挙げると悠久1、2の魔法の打ち出され方などを除くとそれぞれ同じ物を使用してもダメージに差はあまりありません。
 魔法は使用方法さえ理解できれば誰にでも使えると仮定すると魔法の威力などは絶対不変の物と取る事ができます。

 しかし、そうすると誰がそういった事を決めたのか?という疑問がでてしまいます。
 その事から考えると、魔法を覚える時、自己流で覚える人はそんなに居ないでしょう。たくさん居たとしてもその何割かは何かしろの教材を必要とするはずです。
つまり、ほとんどの人は先駆者の真似をして魔法を覚えていると思うのです。魔法を覚えた人は大抵次の魔法へと取り組むはずです。そのため、魔法の威力に差ができないのだと思うのです。
 その魔法の事をもっと突き詰めれば威力に差が出るのではないでしょうか?もしかしたら差がでても微々たる物かもしれませんが・・・そんな事をするよりもっと上のランクの魔法を覚えた方が手っ取り早いのかもしれませんが・・・。

なにを言っているのか自分でもだんだんわからなくなってきましたが。
まあ、私が思ったのはこんな所ですね。

ああ、そう言えばふと疑問に思ったのですが。
悠久の世界ってどういう風になっているんでしょうかね?
世界一周ができるというのは当たり前でしょうが、一体どんな感じなんでしょう?
RPGの地図のようなまっ平らな世界なのでしょか?それとも私達の世界のような球形なのでしょうか?  
PRGにも球形の世界が有る物もありましたけどね、FF4のような。
[194][潜在能力がなくても魔法は使える?(2)][亜村有間 (mail)][2000/12/21(Thu) 18:10]
 
 今の投稿は、作品設定というメタフィクショナルな視点からの話です。
今までのあの世界が真に存在すると仮定してどんなものか考えるのではなく、
なぜ、先の投稿のような「潜在能力が重要な場合も重要でない場合もある」という矛盾が生じたかの話。
 
 悠久の目指す方向性としては、あくまで、「潜在能力は重要でない」というところだと思います。
魔法を使う生徒も、ごく普通の人間として日常生活を使っている、この「日常性」の描写を
ファンタジーに取り込んだところが悠久の革新的なところだと思います。
 ところが、取り込んだとは言え、ファンタジーの雰囲気の良さもうまく活かしたいので、
時折、「従来の古いファンタジー観」がノイズのように紛れ込んでくる。
そこが、「潜在能力の重要性」という矛盾として現れるのだと思います。
 近代性と前近代性のずれ。言ってみれば、大脳の新皮質と旧皮質の間の食い違いのような(笑)。
 
 基本的に、悠久の世界観は矛盾の塊です。
文化的・倫理的感覚についてもそうで、
「ギスギスとした現在感覚にうんざりし、おおらかで素朴な暖かい村世界を表現したい」

「選民英雄主義(王族や無敵のヒーローが主人公)と懐古主義で閉塞したファンタジーに、
知性的・相対的で柔軟な現代感覚という新風を吹きこみたい」
という全く正反対の二つの力が働いているので、部分的には、
「大武闘会」や「再審制度」などなどのところで、
ちょっと、読者を困惑させるような不具合が生じてくるのです。
(…こう考えると、世界自体に矛盾があるなら、矛盾する部分を「表現」とみなして無視することにより
真実が見抜けるはずという私の説に限界があるかもしれない…。
でも、魔法に限定してならなんとかならないかなあ。)
 
 しかし、部分に因われず総合評価すると、魅力的な一つの作品が生まれたことに間違いないと思います。
新しいことへの挑戦が成功したというのは喜ばしいことです。
[193][潜在能力がなくても魔法は使える?(1)][亜村有間 (mail)][2000/12/21(Thu) 18:10]
 
埴輪さん>当然の進化の方向として、人類がその力の扱い方を忘れていく。
 公式サイトの説明を読むと、「現在では珍しい魔法の潜在力」と書いてありましたし、
原作者側は埴輪さんの言われる通りに、漠然と「進化」レベルの変化のつもりみたいですね。
ただ、生物的進化(遺伝子淘汰)がそんなにすぐに起こるはずはないので、
慣習の変化が起こったぐらいに捉えています。
 今でさえ廃れているとは言え、小学校で教えているからかろうじて残っている珠算の状態が更に
進んだようなもので、魔法については、
「現在でも学べば習得できるが、誰も学ばないから使えない人が増えた」
と捉えています。…捉えようとしています。
 この迷いが何かというと、「魔法使用能力の先天性」を示唆する部分はそれなりにあるためです。
しかし、それでいて、魔法が使えることが特別視されていない描写もあるため、
どちらが主なのか捉えどころがないことです。
 例えば、魔法学校の生徒が敬意を払われていたり(逆に異端視されていたり)、
魔法の制御能力は優れているのに潜在的才能がないことに劣等感を感じているキャラがいれば、
先天性が主なのだと納得できるのですが。
(エルのように後天的に能力を封じられた場合や、
マリアのように潜在能力ではなく習熟度の方に問題がある場合は除く。)
 今のところは、
「魔法能力の潜在能力は知能・体力に比べるとやや固体差が大きいとは言えるが、
決定的というほどではない」
ぐらいに考えています。
[192][魔法で怪我しない理由][亜村有間 (mail)][2000/12/21(Thu) 18:10]
 
埴輪さん>
>現代の個人レベルで扱える魔法には、
>すべて人を殺すことができないようにプロテクトがかかっているのではないか、
>という考え方もできます。
 なるほど、魔法に何かの制限があるというのは納得できる考えです。
 ただ、基準として「人を殺すことができないように」を考えると、
それを判断する機構が必要になりますね。神の存在というのが一番楽ですが、面白くないし…。
例えば、人の側に先天性の防御機構があるとか。すべての生物の細胞の回りには「生体場」が発生していて、
生命に害のある魔法の効果を減少させる効果があるとか。
 
 更に考えると、防御だけではなく、魔法を発生させる機構自体も、この説で統一できるかもしれません。
道端の犬や猫、さてはヨーグルトの中の乳酸菌(※1)にさえ、実は、魔法の潜在力が存在している!
 しかし、その力は人間と比べると微小。神経器官、即ち脳が発達するほど、制御能力が上がる。
人間は、魔法的に最も進化した生物なわけである。
 その機能を物体で実現できるようにしたのが魔法アイテム。
しかし、初期の時点では、魔法アイテムは魔法によって、即ち人間によってしか作れなかったであろう。
魔法を理論的に(生物学的に、もしくは更に深いレベルで)解明することにより実現されたもの、
即ち、「魔法なしに魔法制御機構を作ること」ができるようになった存在が、魔法プロセッサなのである。
 
 …思いきり余談です。ふと思い付いたのですが、魔法が存在する世界としては、
生物の進化というのが、また別の意味を持っている別の世界を考えることもできます。
その世界では、細胞の複製は、我々の世界の生物的機構(化学反応の組合せ)によらないかもしれない。
そう、魔法によって行われているかもしれないのです。つまり、
「『魔法発生機構を含めて自分自身を複製するという魔法』の発生機構を持つ存在」が
その世界での生物の定義なのかもしれないのです!
 …まあ、悠久に関してはこれはどう考えても行きすぎです(笑)。
今の一つ前の説までは正しいとしても、単に複製対象の機能の一つとして魔法発生機構があるだけで、
細胞の複製には、魔法は使わず、生化学反応のみを使っていると考えるべきでしょう。
 
>大武闘会などで魔法をぼこすこ撃っても死傷者が出ない
 これ、魔法は使ってもいいけど、武器はなしで、素手で戦うのでしたっけ?
だとすると、埴輪さんの言われる通り、魔法に原理的制限があるためだと思います。
でも、武器も使っていいのだとすると、表現を控えめにするという、逆側の『表現』かも…。
まあ、あまり考えたくないですが。

(※1)ヨーグルト事件は、魔法で増やしたというよりは、乳酸菌の魔法力を活性化させたとか。
あ、でも、乳酸菌は触媒であって主成分は牛乳だから、やはり、どうやって増えるか考えると難しい。
熾天使さんの言われる通り、物理的に無から物を生じたわけではないかもしれないけど、
(ちなみに、原子が物理的に複製されたとすれば、それはやはり無から物が生じたことになります。)
生物的にはかなり無理のある現象。「空中元素固定魔法(爆)」的な機構を考えないと…。
[191][魔法が廃れた原因][亜村有間 (mail)][2000/12/21(Thu) 18:10]
 
埴輪さん>
>魔法プロセッサの発明により、魔法という技術がなくてもこの便利な力を扱えるようになった。
 え、そうなんですか! 眼から鱗です。
目前が突然光で照らされたような気分です(大げさか(笑))。情報ありがとうございます。
でも、「情報」って何よりも力なんですよね。考えるにしても、素材がないと考えられませんから。
これで、かなりのことがわかってきました。しかも、私の説も大幅修正しなくていいようです。
(No. 189は除く?(笑))
 そうすると、悠久3の世界はむしろ魔法全盛期なわけですね。
ただ、人間が『直接』魔法を使うことが少なくなっただけで。
[190][何故魔法が廃れたのか?][埴輪 (mail)][2000/12/20(Wed) 20:11]
 
え〜っと、魔法について盛りあがってるみたいなので、
とりあえず推測しやすい奴を一つ。


亜村さんの疑問のうち、魔法が廃れた原因は、実は非常に簡単な理由です。
魔力を扱うために、魔法を使う必要がなくなったこと。これが主な原因でしょう。
魔法プロセッサの発明により、魔法という技術がなくてもこの便利な力を扱えるようになった。
そうなると、魔法そのものではなくプロセッサの利用法の研究が主になる。
その結果、生身で魔法を使う人間も、その必要性も急激に減少し、
当然の進化の方向として、人類がその力の扱い方を忘れていく。
結果として魔法は存在するが、その技術の廃れた世界ができあがる、
というのが公式設定のようです。こう言う形で明記しているわけではないのですが。


これは筋が通っているように感じますし、これに似た傾向が現実にもあります。
では魔法使いは何故存在するのか? という問題ですが、
これは耳の動かせない人が大半になってきても、やっぱり耳の動かせる人がいるのと同じことだと思います。


あと、表現かどうか、について変な考えを一つ。
よくマリアが失敗した魔法で建物を壊しているあれについて、実は現代の個人レベルで扱える魔法には、
すべて人を殺すことができないようにプロテクトがかかっているのではないか、
という考え方もできます。
一般的な魔法では、いかに高度でも、それによって直接相手を死に至らしめることはできない。
それゆえに大武闘会などで魔法をぼこすこ撃っても死傷者が出ない、ということです。
まあ、変な意見のひとつということで聞き流してください。
[189][呪文とは何か?][亜村有間 (mail)][2000/12/20(Wed) 14:20]
 
 これ、考えているうちにどんどん発想がとんでもない方向にいってしまったので分けて投稿します。
(6)呪文とは何か?
 そもそも、なぜ、「パターン」という抽象概念が物質世界に影響を与え得るのか。
 プログラムは現在の呪文のようだが、結局は情報を情報に変換することしかできない。
最終的には、人間が「法則を決めて準備した機構」が存在するからこそ、物質世界に影響を及ぼし得る。
(「神」のような知的機構が判定するというのが一番楽な説だが面白くない。)
 呪文とは何かとは、世界が「法則を決めて準備した機構」とは何かということになる。
「空気振動パターン(=音声)」        :お風呂で鼻歌を歌っていたら発動することはあるのか
「物体の平面配置パターン(=魔方陣)」    :落書が魔方陣になることは/線の歪みはどこまで許される
「化学反応・電気信号のパターン(=イメージ)」:夢を見ていて魔法が発動することは
 パターンの「表現」ならどんなものでもあり得るが、それに共通する物理的概念はあり得るのか。
 現実世界では、人間の脳だけが、「自分で決めた」法則に従って、それらを同じ概念と認定する。
それを世界が判定するとすれば、雲の形の偶然な配置によって魔法が発動しても不思議でなない。
 
 …脱線だが、これって、使えるかも! 最初の宇宙の混沌の状態で、「魔法原理」だけが存在していて、
元になる原始「物質」のランダムな配置が偶然「魔法」を発動させ、「神」や「物質法則」が作られ、
それらの下位法則の元で、通常の世界が形作られる。その後の生物の進化等も、
ミクロな領域での魔法の発動により加速化されたり法則づけられたりする。
 あの世界の現在でも、実はミクロ領域では、原子の偶然の配置パターンの一致により
小指の先程度の領域でも何億分の一秒もの間に何億種もの魔法が発動しているが、
(転移魔法も時間移動も存在する世界なので、恐らく時空間を超えた魔法さえも発動しているであろう!)
その一つ一つは効果が超微小で、かつ、マクロに捉えると平均的には互いに影響を打ち消しあっているので、
マクロな物質世界に影響を及ぼすことはない。
(現実世界の水の分子運動はランダムなので花粉程度にミクロな領域の物質は動く(?)だが、
マクロな世界では平均的には打ち消しあうので、コップが突然移動することはない。
風のように分子運動の方向にマクロな偏りがあるとコップも移動しうる。)
 人間が使う魔法は、そういった自然発生しつづけている魔法に何らかの偏りを与えることによって
発生する。作り出すのではなく、自然界にもともと発生し続けている力から欲しいもののみを
選択して取り出すことによって、発動するのである!
 …うーん。その選択をどうやってするかの部分で誤魔化しがある気がしますが(笑)。
あと、最初の「魔法原理」がなぜ存在したのかとか。
もっとも、後者については現代のすべての宗教・科学に存在する原理的限界ですが。
(世界のすべてを簡潔に説明しえるということを大前提として、宗教は人間的に納得できるもの、
科学は単純なもの、今の話では面白いもの、という評価基準で根源を決めてしまっているわけですが。)
 更に余談。ところで、呪文って、文字・音声のように1次元や、魔方陣のように2次元とは限らず、
何次元でもあり得る気がしますが。…まあ、物質世界に表現するのは大変ですが、
人間の頭の中で構成することは可能な気が。
 
 …ちょっと飛ばしすぎましたね、失礼。
[188][謎なもの][亜村有間 (mail)][2000/12/20(Wed) 14:20]
 
 えーと、あまり上のまとめにはなっていなくて、新しいものも入っていますが、
今私が気にかかっていることを挙げると、
(1)魔法のコストは何か?
 これがないと、一般世界が崩壊してしまう。寝転がって指をならすだけでご飯がでてくるような世界。
 精神疲労?→休みさえすれば、なんでもできるのか?
(2)魔法の原理的限界は何か?
 例えば、現実世界で、人間の走る速度には現実的・生物的限界はあるが、そういう限界ではなく、
 原理的限界。例えば、現実の物理法則を原理的限界枠と仮定すると、原理的に光速を超えては走れない。
 それともそれはなく、現実性を考えなければどんなことでもあり得るのか?
 悠久世界では、時間を超える話もあるが、人が神になっても不思議はなさそう。
(3)魔法の体系は?
今まで考えていたこと、(1)(2)のまとめ
(4)精神とは何か
 私は「この世界では物質世界の一部」と仮定してみたが、そうではない設定を考えても面白いかも。
少なくとも、転生・幽霊等は存在することになっている。
しかし、現実世界での幽霊譚等に似た「あるみたいだけど怪しげ」と同じ扱いで、
魔法のように明確に日常化・制御化・理論化はされてない感じがするので、私の説でいいかも?
(魔法を見ても誰も驚かないが、幽霊を見ると(少なくとも最初は)驚くという点から。
転生にしても、当然と思っているのではなく、「そういうことがあっても不思議ではない」程度。)
(そもそも魔法自体も十分には理論化されてない感じだけど。)
(5)なぜ魔法は廃れたのか?
 悠久3を土台にしての話。(1)のコスト問題や(2)の限界が理由か?
しかし、普通に考えると、魔法と科学は互いに補いあいながら進歩していきそうだが。
人間から能力がなくなったとすると、なぜ、人間にはあったのか?
 現代現実世界は、結局「魔法は解釈の違いだけで、物質法則から外れるものは元々存在しなかった」
という仮定で考えられているから、廃れて(=現実が変化したのではなく、概念が変化して)も
当然だが、魔法が「実在する」世界では廃れるのは不自然。
[187][真実の法則とあの世界での世界観][亜村有間 (mail)][2000/12/20(Wed) 14:20]
 
熾天使さん>
>私は「表現」をプラスアルファで考えるより寧ろ、
>マイナスアルファで考えている訳です。
>…良くわかりませんね…(^^;
>つまり、defineされたかincludeされているかの違いでしょうか…?
 えーと、ヨーグルトが街に溢れ出すレベルのことが、あの世界の「物理法則」(※1)の枠内で
起こり得るということでしょうか?。ボウルから溢れ出すで留まるのではなく。
それはそれで納得できます。これについては私の論の方が強引かつ面白くないかも。
 ただ、「『基本がシリアス』な作品(悠久もこれに入ります)でのひとこま復活等」は「表現」、
即ち、「作品世界の物理法則の枠組の外にあるもの」という説はどう思われますか?(※2)
 
>あくまで悠久世界の中で考える場合、人の概念も含めると、
>原理が同じだという考えはなかなか生まれないのではないかと思ったんです。
 あ、あの世界の人がどう解釈しているかですか?
なるほど、これは気付きませんでした。そうですね、分けて考える必要がありますね。
(1)あの世界の真実の法則はどうなっているか
(2)あの世界の人々の世界観はどうなっているか。
(熾天使さんが「あの世界(もっと限定してあの街)の中では」と言われている通り、
場所・時代、更に社会階層によっても大きく違うでしょうが。)
 まずは(1)について考えてみたいのですがどうでしょう?
少なくとも、物語を作る上では絶対に(1)が必要だと思います。
(細かい設定をするということではなく、「何が起こり得て何が起こり得ないのか」を規定するということ。)
 
>あれは、あくまで一般概念に基づき制定されています。
 あの世界のあの時代の人々の解釈する「一般概念」ということですね。

◯五種の分類
>原理でもなければ、効果でもないです。
 
 うーん、確かに「神聖魔法はアンデッドには攻撃魔法」という意味では効果ではないですね。
私は「根本の原理ではないだろう」と考えて、それ以外として「効果」と言ってみたのですが、
この言葉は間違っていましたね。
 でも、五種の分類は根本の原理ではないと考えたのはあっていたみたいですね。
また、「根本の」「真実の法則」ではなく「あの世界の人々の解釈」だということですね。
これも納得できます。
 ただ、「根本」まではたどり着かなくても、前回の図のように、途中経過の違いを示しているという点で、
「途中の」「真実の法則」とは言えるのではないでしょうか。
つまり、我々現実世界での根本の法則を(日常で使う意味の)「物理法則」だとすれば、
それを土台としてその上(=枠組の中)で成り立つ「化学法則」、
更にその上で成り立つ「生物法則」のように。
 
>原理が同じだという考えはなかなか生まれないのではないかと思ったんです。
 これはそうかも知れません。ただ、魔法研究の理論分野では、むしろ、原理は一つという美しい形だと
考えたがるかも。もっとも、それがどんなものかは解明できていないだろうという意味では、
どちらにせよ、「原理が同じ」だと解釈しきれていないでしょう。
 
>つまり、『魔力』と『行使する力』を別のベクトルとして考えたのです。
 考えるときに別物だという意味でですね。(異なるが同等という意味ではないですよね。)
『魔力』=『根本の原理』で、
『行使する力』=『根本の原理を土台とする、その上の分類しうる段階の原理』
ということでしょうか。
 
>根源を絶対に近い物にしてしまうと、
>ルーンバレットみたいな純魔法弾が何故弱い!と一人突っ込みをしてしまいそうになるので(^^;
 確かに、世界の本質に近い方が強力そうな気はしてしまいますね(笑)。
TNT火薬よりも原子爆弾の方が強力なように。
これは、「制御しえる力の強さ」によるものでしょう。
(実世界での狭義の)物理力と言っても、原子爆弾から、磁石の反発力までありますから。
 前回の私の図のように、結局、どの魔法も必ず触媒(人間等)を経過しないと発動しないので、
その段階で、発揮できる効果に限界がでるということでしょう。
(魔法使いの力もあるでしょうが、そう少し原理的なものも想定)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<※1>
念のためもう一度まとめますが、
(1)「物語法則」=「ある世界を観察するときに加えられる変形の制約。作品として表現するときに生じる」
(2)「物理法則」=「ある閉じた世界体系内の法則。(魔法等も含み得る)」
(3)「物質法則」=「我々の『現実』の世界の『物理法則』(及びそれに准ずるもの)。(=魔法以外)」
ただ、「物理法則」という言葉はどうしても(3)の意味に限定してしまいやすいですね…。
更に、悠久の魔法の分類における「物理魔法」の「物理」は、(3)の意味に近そうだし。
川上稔さんが(2)の意味で使ってられて、私の感覚にもあったので採用したのですが、
あまりいい選択ではなかったかも…。「世界法則」などの語も考えてみたのですが。
 
<※2>
(「ギャグ漫画でのひとこま復活」は、確かに、作品世界の「物理法則」内にあるのかもしれないです。
例えば、「お前、怪我はどうした?」なんて突っ込みが入ったり(登場人物自体が理不尽性を認識)、
作者と会話するようなメタフィクションの場合は。ただ、基本がシリアスな場合は、
突っ込み自体も一時的なギャグとして挿入された本編には関わりない「表現」の場合もあります。)
[186][はう][熾天使@Apostasy's minstrel][2000/12/19(Tue) 23:49]
 
表現ひとつについても、大分面白い食い違いが色々とあるようですね。
まぁ、私の理論展開なんてたかがしれていますが(^^;

つまるところ、
私は「表現」をプラスアルファで考えるより寧ろ、
マイナスアルファで考えている訳です。
…良くわかりませんね…(^^;
つまり、defineされたかincludeされているかの違いでしょうか…?


さて本題(?)です
>魔法大別五つ
あれは、あくまで一般概念に基づき制定されています。
つまり、あの世界(もっと限定してあの街)の中では、攻撃は物理魔法、というように、ある程度まとまった表現をされています。
それに加えて、ゲーム要素から外れた魔法を、その他で、五つ。
原理でもなければ、効果でもないです。
(例:私の説「(魔・生命)力の逆ベクトル」を考えるならば、神聖魔法はアンデッドには攻撃魔法となり得ます。)
その他を細かくやると、一段階解剖しただけでかなりの数に上ります。
まぁそれは、各々でやれば良いかな〜と。

ちなみに、亜村さんのその原理の根源は、私の持論における物とほぼ同一してますが、
あくまで悠久世界の中で考える場合、人の概念も含めると、原理が同じだという考えはなかなか生まれないのではないかと思ったんです。
もちろん、魔力というものに付いては同じ原理ですが、
つまり、『魔力』と『行使する力』を別のベクトルとして考えたのです。
(根拠は、先にも書きました通り変更、改善が非常に困難な事から来ています)

…といっても、全て同じ根源だというほうが遥かに説得力はあるのですが。

根源を絶対に近い物にしてしまうと、
ルーンバレットみたいな純魔法弾が何故弱い!と一人突っ込みをしてしまいそうになるので(^^;
[185][魔法の分類][亜村有間 (mail)][2000/12/19(Tue) 17:08]
 
熾天使さん>どうやら、あの世界の魔法は大別して五つほどに分かれるようだ。
 ここのところ面白いですね。ただ、分類が、魔法の「使用目的・結果」によるものなのか、
「原理」によるものなのかがよくわからないので、そこのところをもう少し聞いてみたいです。
 
 私が「原理」に注目してちょっと考えてみたのは次のような感じです。
この図で、下のものは、上のものに強い(絶対的とまで言える?)影響を与えています。

−−−−−−−−−−−−−−−−
神聖 精霊 物理 錬金
−−−物質世界−−−−−−−−−
↑  ↑  ↑  ↑
↑  ↑ 物理力 ↑
↑  ↑  ↑  ↑
<触媒(=魔法具、人間の呪文等)>
↑  ↑  ↑  ↑
↑  精霊 ↑  ↑
神  ↑  ↑  ↑
↑  ↑  ↑  ↑ 
世界の根源物理法則=魔法法則
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 簡単に説明すると、
(1)根源としては、すべて同じものから生じている。
(2)最終的に影響を及ぼすところも物質世界で同じ。
(もちろん、魔法が魔法に影響を及ぼす途中段階も含む。
この場合は、最終的に物質に影響を与えるまで人間には認識できない。
また、精神も物質に含まれる(←これは別とする仮定も化。さらに難解にはなるが)。)
(3)神が一番下でないのは、「神が存在して世界の法則を変えられる」と考えても、
そのこと自体が法則と言えるから。神以上のものの存在を考えているわけではない。
(神は存在するが神に世界の法則は変えられないという仮定も化。こちらの方が簡単かも。)
(4)神聖魔法が治癒等にしか使えないのは、その力の根本が異なるからではない。
神から出力される力が治癒に限られるか、触媒(=人間)の変換能力に限界があるかのどちらかのため。
同様に、錬金・物理で治療ができないとしても、それは触媒の能力の限界のために過ぎない。
(もしかしたらできるのかも?)
(5)錬金・物理の違いは、魔法のまま直接物体に作用するか、一度魔法を物質法則に従う力に変えてしまうか。
物理魔法は、その後は物質世界の法則の枠組内でしか作用しない…と考えたいが、言い切るのは難しいかも。
明確な区分はできないかもしれない。
 
 どんなものでしょう?
[184][表現について補足][亜村有間 (mail)][2000/12/19(Tue) 17:08]
 
熾天使さん>それと同じ規模の修正も、またあの世界では可能なのではないでしょうか??
 むむ、なるほど、面白い。例えば、「直せるから怪我をさせても大丈夫」(倫理的にも医学的にも)
ということですね。この解釈で話してもいいですけど、まずはもうちょっと「表現」について補足します。
 
>たとえば、ギャグ漫画でひとこま復活がよく起こるように、
 ここがまさに注目したいところで、私はこれを、「表現」であって、世界法則を考えるときには
無視していいところだと思っているのです。
 これは、現実世界を舞台にした作品で考えるとわかりやすいでしょう。
殴られて屋根より高く飛ばされたり、怪我しても直後に直ったりという「表現」はよくあります。
これは、「物語世界」としてはそういうものがあるという設定だと言えるでしょう。
しかし、その内側には、あくまで、「現実物理世界」という枠組があって、
決して、その世界の内側の物理法則が怪我が直後に直る世界として設定されているわけではないのです。
 同じように、「表現」の部分を無視することによって、「魔法法則」という枠組を見出せるのではないか、
そうすると、どこを無視したらいいか、という話です。
 まとめると、

 物語世界=物理世界+表現世界
 物理世界=物質世界(精神含む)+魔法世界(現実物理世界にはない部分すべて)

と考えていて、物理世界の法則について考えようという話なのです。
 
 何が表現かという基準ですが、
(1)法則の矛盾
(2)因果関係の断続
だと思います。
 (1)は、同じ状況でも結果が異なる場合。現実世界での例では、
「二階から落ちたとき、ギャグシーンで怪我をしなかったが、他のシリアスなシーンでは怪我をした」
という場合、前者と後者は矛盾しているのですが、前者を表現とみなして無視できるということです。
(当たりどころとか、何か理由があって怪我が避けられた場合等は除きます。)
「殴られて屋根より高く飛ばされても怪我しなかったけど、階段から落ちて怪我した」
などのように、逆転までしている場合もあります。
 (2)は、怪我が一瞬にして直っている場合等。ただし、注意しておきたいのですが、物理的影響が
キャンセルされても、「エピソード」としては残ることがあることです。
「あのヨーグルト増殖事件は起こってしまったこと」になっているのはまさにその通りですが、
「『どんな』物理的影響が残ったか」に関しては物語の外から修正が加えられているのだと思うのです。
 
 例えば、森に火をつけてしまったり、小さな悪魔を呼びだしてしまったりのエピソードは、
(表現も含めますが)かなりの部分真実で、ヨーグルトの事件やエルとの喧嘩はかなりの部分が「表現」
ではないかと思うのです。これは、周囲の反応の真剣さから判断しています。
 
 ただ、「同じ規模の修正が可能」という説には心を揺さぶられました。
それはそれで、矛盾のない体系が立てられそうです。その場合、農作業・工業・保安機構、
眼に見えないところにもすべて魔法が組み込まれていると考えることになるのでしょうか。
例えば、「魔法で転移して銀行に忍び込む」ことが可能な世界では、
防止のための保安体制も、証拠固めのための法体制も、全く異なるものになると思います。
 現実世界では証拠と見なされるものが証拠と見なされなくなったりするでしょう。
(蛇足:これは決して単なる思考実験だけではありません。現代でさえ、ビデオは原則として証拠品に
なりませんが、ある程度の参考になります。しかし、技術が進んで偽造映像が簡単に作れるようになると、
さらに証拠としての信頼性は低くなるでしょう。)
 
(1)「通常の魔法は物理的に世界・社会経済を揺るがさない範囲。ギャグはすべて表現とみなし除去」
(2)「魔法で日常的に世界が破壊できるが、修正も容易にできる」
 
 このどちらについて考えるのが面白いかなあ。
どちらの説を取っても、閉じた物理法則(魔法含む)を見出せると思いますが。
[183][表現][熾天使@Apostasy's minstrel][2000/12/19(Tue) 05:54]
 
ゲームの世界での表現…というのは、実は既に割り切っている部分があるんです。

たとえば、亜村さんが言った通り、ヨーグルトさんを増殖させたりしたら、それはもうひどい事になるでしょう。
(ちなみに、本当に「増殖」であって、無から物を生じた訳ではないはずです)
それは、私もいってしまえば表現の部類にはいると思います。

けれど、実際にそれが起こっているのも事実(?)なのです。
表現であろうが、因果関係が崩壊しようが、あのヨーグルト増殖事件は起こってしまったこと、として処理されています。
普通、私達の世界に換算するなら、それはもう大犯罪ですよ(苦笑
ただ、あの世界において、「表現」レベルの事は、非常に良く起こりうることだと思っています。
一年間修行しただけで、一般市民をなぎ倒せる程度の魔法が覚えられてしまうわけですから。
システムであっても、彼らは実際そういう世界にいる訳です。
たとえば、ギャグ漫画でひとこま復活がよく起こるように、
彼らにしてみれば、それは日常…というと言い過ぎですけど、
私達で言う、「不可解な爆発事件」位の認識であると考えます。
つまり、社会崩壊ほどの影響はないけれど、しっかりと後始末はせねばならない。
力の方向ベクトルを逆に向けてしまえば、それと同じ規模の修正も、またあの世界では可能なのではないでしょうか??

と、私は割りきっていますが(^^;;;
[182][「真の世界」と「表現」][亜村有間 (mail)][2000/12/19(Tue) 04:12]
 
熾天使さん>
>悠久世界の魔法を分析してみたいとか思っていて、
>実際やった事があるんですけど。
 実はその前に更に話を広げておきたいのですけど(笑)、
まず、しっかりした魔法体系を突き詰めたいというのはよくわかります。
私もそういうのは好きです。しかし、その土台として、
「ゲーム」で表現されたことのどこを信じてどこを疑えばいいのか?
ということが気にかかっているのです。
 現実世界だと、実験して起こったことがすべて事実なので簡単なのですが、
物語世界では「表現」というものがあります。
そう、一度、その領域まで話を広げないと、混乱しそうな気がするのです。
 第一段階として、例えば、焦ったときの「汗」という「漫符」。
もし、「真のエンフィールド」というものが存在したとすると、そこでの
人物が実際に「発汗」しているわけではなく、「真のエンフィールド」が、
「ゲーム」に投影されたときに、「表現」として不可されたものだと解釈します。
こちらはすぐ納得してもらえると思います。
 しかし、問題は、第二段階のところです。マリアがエルと喧嘩するときに
使う魔法。ヨーグルト増殖などの事件。私は、これらをも「表現」と解釈
しなければならないのではないかと悩んでいるのです!
 一つ目の例については、控えめに言っても、ナイフを振り回したり、
手作り爆弾を仕掛けるのより危険なのではないかと思います(笑)。
これが行われても成り立つ社会体勢を考えるよりは、むしろ
「真の世界の威力はゲームでの描写より弱い(建物を破壊したりできない)。
人を驚かせるか軽い衝撃を与える程度」
と考えて、建物の破壊等は「表現」と考えた方が無理がないのではと思うのです。
 二つ目の例については、確かに、他の魔法の派手さと比べると、
ヨーグルト増殖等が派手ではないのは、熾天使さんの言われる通りです。
しかし、これだけでも、あっさりと乳酸業界は崩壊すると思います(笑)。
「無から物を生じる」ことができるというのは、それだけ恐るべきことなのです。
少なくとも、ビル・ゲイツは軽く越えられると思います。
ヨーグルトで世界の覇者となることは決して夢物語ではありません。
ですから、「街中がヨーグルト」というのも、「表現」と解釈するのです。
 実際は、部屋一つ程度だったとか、いっそボウルから溢れた程度だったとか。
 
 というわけで、何を信じるか、で悩んでいるのですが、ただ、ここだけ
はっきりさせれば、結構体系づけられるのではないかと思います、

 やはり、魔法を使うときに、「制限はなにか?」「代償は何か?」と
いうことが一番気にかかります。ここで、熾天使さんの書かれていた、
「魔法の行使によって精神力を消費する」というところが鍵の一つに
なりそうな気がするのですが…。
 
 一体、どこまでを「真の世界の出来事」と解釈すべきなのでしょう?
[181][どちらの道?][亜村有間 (mail)][2000/12/19(Tue) 04:12]
 
心伝さん>レス打っていいんかいな〜(汗)とか思ってましたが
 もちろんOKです(笑)。脇道にそれるとかもありですから、
お気軽に…。
 
>『翔』という漢字のイメージから出てくるものを
>理解しなければ出ないですね
 確かに…。私が前回述べた漢字の「聴覚的・視覚的効果」が
働かない場合もありますね。意味として「飛ぶということか」と
漠然ととらえるだけの場合もありますから。
 いずれにせよ、普段は聴覚的・視覚的効果は無意識領域にのみ働き、
意識することはほとんどないでしょう。
(私もそうです。自己分析するまでは自分の捉え方に気付かなかった。)
 
>実際『翔』は本編では確か・・・香港か伯林2で
>書かれていたと思います。
 私が前回見つけた例は、伯林2の一巻目の冒頭のようです。
 
>俺は自分の中では「あんまり使いたくない」ので使っていません。
 それは、趣味の問題で、当然あり得ると思います。
片仮名が作品の雰囲気に合わないので片仮名擬音は使いたくないとか。
 ただ、その後に、川上さんのように「漢字による擬態表現」へと
進むか、「普通の語による描写」に進むのかは聞いてみたいところです。
前者には好き嫌いが激しく出てしまうと欠点と同時に、
一度慣れるとリズムが気持ちよくなるという利点が、
後者には、味が薄くなってしまうという欠点と同時に、
翻訳等にも耐えられる真の一般性を持てるという利点がありますね。
 
熾天使さん>
>私がそういう風に聞こえたんだからそれで良いだろという、
>なんともはや、堕落した物であります。
 いや、基本はそれでしょう。基本は大事だと思います。
 

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