思っていたよりも早く帰ってきた小さな体を、自室にいた僕は両手で受け止めた。 「おかえりトリィ。……あれ、飴は渡せなかったの?」 首にかかったままの巾着の膨らみは、行く前と変わらない。 ため息をついた僕はそれを外そうとして、紙の擦れる音に気がついた。 急いで袋を開くと、飴玉と4つ折の白い紙が出てきた。 『トリィのご主人様へ トリィにあなたが持たせた飴は、いただくことができません。 もう私に構わないでください。今度、トリィを送ってきても無駄です。通風口には鉄板をはめておきました。 回りが敵ばかりの中、食事もせず空気穴も塞いで、私はこのまま死んでいきたいと思います。 でも、可愛い訪問者を送ってくれて本当にありがとう。 もう誰の施しも同情も受けないと決めた私ですが、それだけは、あなたに心から感謝します。 最後の一時、楽しく過ごせました。では、さようなら。 ・』 「トリィ、通風口を鉄板で塞いだったって……本当?」 「……トリィ……」 小さく鳴いた声は、肯定。 僕は椅子を蹴り倒す勢いで立ちあがって、手紙を手にブリッジに急いだ。 「最後の手段に入らなければならないのかしら……」 事情を知るもの達しか残っていなかったのが幸いして、僕はすぐ本題に入ることができた。 そして、手渡された手紙を読み、ため息をつきながら言うマリューさん。 「……最後の手段?」 「力押しの方法ともいうな。こうなったらドアを切って、部屋から連れ出すしかないでしょ」 『まさか、ここまで抵抗するとは思っても見なかったんだがな』と、バルトフェルドさんは肩をすくめた。 「お前が無理やりに抑え込んでしまった分、それの反動が返ってきたんじゃないのか? どんなに悲しくて辛いできごとでも、時間が経てばそれは薄れていくものだしな」 「バルトフェルド隊長。今回は私もカガリの言うとおりだと思いますわ。 理由が理由ですし、私やキラは嫌われていたでしょう。けれども。記憶の行き違いによる混乱の結果。 マリューさんやカガリさんにまで、これだけの嫌悪を表すことはなかったのではないでしょうか」 「……それは一理あるな……、確かにその点は俺が悪かったことは認めよう」 僕がバルトフェルドさんが凄いと思うのは、いつもこういう時。 自分の過ちを指摘されて、すぐに謝罪することができるから。 「キラくんはどう思ってるの?」 「僕は……を苦しめたくないからその手段を選んだバルトフェルドさんの気持ちもわかるし、 カガリの言うことにも共感する。でも、どっちも根本的な解決にはならないんだ。 ……嫌な思い出はしっかり受け止めて、乗り越える。それは自分が自分でしかできないことだと思うんです。 事実、メンデルの件の後の僕がそうでしたし……」 「……そう……ね……。とにかく、ここで私たちが頭揃えて話しこんでいても始まらないわ。 まずは最初に、さんをあの部屋から出すことを考えましょう。 ドアを一枚犠牲にすることになりますけど、仕方ありませんわね?」 「僕が責任持って、後で修理しておくさ」 いたずらっぽく笑うマリューさんの問いかけに、バルトフェルドさんは『降参』と言いたげに言葉を返した。 「私に提案があるんですけど」 「何だ?」 「何もすることがない彼女は、多分、寝てるんじゃないかと思いますの。 でもドアを切るのは大きな音がしますでしょ? だから、を起こさないように、作業前に睡眠ガスを流してはどうかと思いますけど」 「……流すも何も、通風口はふさがれたんだろ?」 「あら、通風口ではなく、ドアの隙間から管を差し込むんですわ。 通風口では要らぬところに被害が広がるかも知れませんもの。 それに少しぐらい修理箇所が増えたって、バルトフェルド隊長なら文句は言いません」 にっこりと笑いかけたラクス。 それは言外に『文句は言わせませんわ』と同じで、僕は少しばかりバルトフェルドさんに同情を覚えた。 横を見ると、マリューさんも笑い出したいのを堪えているのか、少し肩が揺れている。 「たしかに、眠っている間に作業を終わらせて連れ出しておけば、騒がれなくて済むな。 わかった、その提案に賛成しよう」 それから約半日後。僕は1人で、部屋を訪れた。 部屋に入ると内側からロックして、外からもう誰も入って来られないようにする。 既に皆が寝静まっている時間だから本当はそんな必要ない。 ベッドの上の彼女は、助け出したときと変わらぬままで眠り続けている。 「だから、薬の量が多すぎるっていったのに……」 予定の時間は過ぎているのに、まったく目を覚まそうとはしない彼女。 点滴で栄養を与える間に暴れられなかったのはいいとしても、さすがに不安になる。 僕は伸ばした指先で首筋の脈を確かめ、その腕を彼女の頭の脇に下ろす。 「寝込みを襲うみたいだけど。……、僕は本当に君のことが好きなんだよ……」 体重を前にかけたことで、手の下で軋んだスプリング。 僕は閉ざされたままの両瞼、柔らかな頬に幾度か口付けを落とし。 最後に彼女の唇に、自分のそれを重ねた。 ……キス……されてるの? 息苦しさに、ぼやけていた思考が目覚め始める。 そして、眠りについたときは想像もしていなかった展開に、意識は一気に覚醒した。 目を凝らして、相手が誰か分かったとき、私はその人を思い切り突き飛ばしていた。 「やっとお目覚め?」 「来ないでっ。来たら……」 「せいぜい枕を投げるくらいで、何もできないよ? だっての回りにあったものは、すべてあっちに持っていったから」 彼は右側から近付いてくる。私はそれから逃れようと左側へと移動する。でも、そこは壁。 私は壁にはりつくようにして、横へと動き。何とかベッドを下りてドアに向かう。が、開かない。 「逃げたって無駄なことに、まだ気がつかないの?」 開閉パネルに注意が向いていた私は、近付く気配に気付くのが遅れた。 耳元で聞こえた言葉に、吹きかけられた息。 「やっ!」 慌ててそこから逃げようとする私の両手は安々と捕まえられ、そのまま壁に縫い止められた。 ……体の前面を壁に押しつけられた。 怖い怖い怖い……。 ただ恐怖だけが、私の心を支配する。それなのに、意識を手放すことができない。 泣き出したいのに、怖くて声を上げることもできない。 アノ時ト一緒……。 目の前でむごたらしく切り刻まれる両親。 止めたくて、止めたくて、叫びたくて。 それでも泣くこともできず、声も出せなかった。 あの時は助かったけど、今回殺されるんだ。 たぶん、これから犯されて、彼が満足したら一息に刺し殺されて、お父さんたちのように切り刻まれて……。 声も涙も出ず、震え続けるしかできないなんて、自分が無力だってことを再び思い知らされた。 ← □ → |