「トリィ!」

何を考える気にもなれず、ベッドに顔を埋めていた私の耳に、甲高い声が聞こえた。

「……今の……幻聴?」

「トリィトリィ!!!」

再び聞こえた声に、カンカンカンと何かをつつく音。
音の出所を確かめるべく、私は部屋の明かりをつけた。その間もつつく音はずっと聞こえている。
辺りを見回してもさっぱりわからない。そんなときふと見上げたのは天井。

「トリィ」

通風口から顔を見せている、小さな来訪者。格子が邪魔で、こちらに出てくることができないらしい。

「待ってて。すぐ開けてあげるから」

椅子を踏み台にして立ち上がった私は手を伸ばす。
あっけないほど簡単に外れた格子網は、音を立てて床に落ちた。そして一拍遅れて現れた緑の小鳥。
私は椅子から下りると、くるりと旋回するその姿に見惚れた。
……でも、どこかで見たことのあるような気がするのは何故?
手を差し出す人の後ろ姿を、私はずっと見ていたような……。
そっと右手を差し出すと、バサバサと舞い降りてきて、ちょこんと止まった。

「トリィ」

首をかしげる仕種が愛らしくて、自然に笑みが零れた。

「あーあ、あんな狭いところを通ってくるから埃だらけじゃない。
 君の体はお風呂に入れる……わけにも行かないね」

私はシャワールームから固く絞ったタオルを持ってきて、ロボット鳥の埃を払ってやる。

「はいできた。これできれいになったよ」

「トリィ、トリィ!」

軽く羽ばたいた後、私の肩に乗って頬に擦り寄ってきた。

「こらこら、くすぐったいってば。ねぇ、あなたの名前はトリィでいいのかな?」

「トリィ」

「トリィのご主人様もこの船に乗ってるんだね。トリィみたいな可愛いペットロボットなら私もほしいな。
 今のご主人様捨てて、私のところに来る?」

ベッドに腰かけて、私は緑色の訪問者に問いかけた。

「ト……トリィ……」

「悩まなくていいってば。私だって無駄なことだってわかってるよ。
 ちゃんと会話が成立するなんて、頭いいんだね。ね、トリィは今のご主人様が好き?」

「トリィ!」

「ためらわずに答えられるなんて、よっほどその人のことが好きで、信頼してるんだ。
 ……私はもう誰も好きじゃないし、誰も信じられないから反対だね……」

バササッと、トリィが飛び上がる。
その動きを顔を上げて目で追っていた私の唇に、トリィは己のくちばしでちょんと触れた。
最初は驚いて言葉も出なかった。しばらくして真っ赤になって。

「こ、こらぁっ!!!! どっからそんなこと覚えたのよぉ! 私はまだファーストキスもしたこと……」




『それじゃあ、行ってくるね』




「……え、今の……何……?」

聞き覚えのあるようなないような声。でも、目の前に見えているはずの顔はよく見えない。
もっとよく思い出そうとして、その前に私は軽い目眩を覚えて、立ち上がりかけたのがベッドに逆もどり。

「トリィ……?」

「大丈夫よ大丈夫。血糖値が低くなってるせいでめまっちゃっただけだから」

仰向けになった私の胸より少し上の位置に止まり、心配そうに見つめてくる瞳に。
私は『心配しないで』と笑いかけた。
すると、ぴょんぴょんぴょんと前に出てくるトリィ。

「トリィ、トリィ」

鳴きながら首を何度も上下にさせる小鳥。

「……袋?」

私はその時、初めてトリィの首に下げられているものに気がついた。

「開けてみろって言いたいの?」

「トリィ」

首から外した巾着袋、シーツの上にコロンと出てきたのは茶色い飴が1粒。

「トリィトリィ」

それをつついて、トリィは私の方に転がしてきた。

「これを食べろって言いたいのね。……でも、ごめんね。私、もう誰かの言いなりになるのは止めたんだ。
 これだって、トリィのご主人様が私に食べさせるようにって持たせてくれたものなんでしょ。
 だから食べられない。ごめんね」

私はその飴を袋に入れ直し、トリィの首に掛け直した。そして、サラサラと書いたメモも一緒に入れる。

「もうお帰りなさい。そしてあっちにいる君のご主人様に伝えて。私はここで死んでも構わないですって」

「トリィトリィトリィ!」

「ふふ、まるで嫌だって言ってるみたいだね。でも、トリィにしか頼めないの。私はここから出たくないから。
 袋に入れた手紙。君のご主人様に渡してね」

私は小鳥を右手に、鉄板を左手に椅子の上に立ち上がる。

「頼んだよ、トリィ」

緑の体を通風口に入れ、私は持っていた鉄板でその口を押さえた。
しばらくトリィのくちばしがつついている音がした。でも、それも聞こえなくなった。
それを確認して、私は椅子から降りる。勿論、鉄板で通風口を塞いだままで。

「さて、ドアも開けられなくなっちゃってるし、これも必要ないね」

バリケードは崩した。でももう助かろうという気はないから、寝首をかかれたとしても構わない。
再び部屋の明かりを消して、私はシーツに潜り込んだ。