私が目を覚ましたのは、真っ白なシーツのかかったベッドの上だった。
思い出すのは両親が殺されて、アンディおじさまに抱きついて泣きじゃくったこと。
そしておじさまに誘われて、大きな船に乗り込んで。
怯える私を『大丈夫だから、自分も一緒に乗るから』と、おじさまは支えてくれた。
でも……。

「……あの人も、この船にいるの……?」

おじさまに抱きつく前に、私の名前を呼びながら、痛いほどに手を掴んでいた人。
紫の瞳がじっと私を射抜いていた。
……もしかしたら、あの時いたことを知ってて、殺し損ねた私を追いかけてきた?
会いたくない、怖い。……いやだ、いやだ、イヤダ!
ここから逃げなきゃ。ここが船の中でも、どこからか外に逃げられるはず。
私が足を下ろすと、ペタリと触れた、床の冷たい感触が伝わってきた。
薄暗い室内だけど、周りが見えないわけじゃない。でも、靴が置いてある様子はない。
仕方なく裸足のまま、私はドアから廊下に出た。

十分すぎるほどの明かりの下だけど、私は恐る恐る、手探りで進む。
初めての場所は一歩進むごとに勇気がいる。
元いた部屋からどれだけの距離を歩いて、どれだけの角を曲がったのだろう。
ずっと壁に手を付いて下ばかり見ていたから、今の自分がいる場所すらつかめない。

「……ッ!!!!」

次の一歩を出した瞬間、空気が抜ける音に続いてドアが開く。
私が壁だと思っていたところはドアだったらしい。
いきなり無くなった支えに、私はバランスを崩して横にかしいだ。

「……さん、もう大丈夫なの?」

てっきり倒れてしまうと思ったのに、柔らかいものが私を受け止めてくれた。
見上げると、栗色の髪の綺麗な女の人。
白を基調として所々に青の入った服……さっきアンディおじさまが着ていた服と似ている。
私の名前を呼んでくれたけれど、私はこの人のことを知らない。

「……受け止めて下さってありがとうございました。
 ……失礼ですが、あなたのお名前は……」

女の人が小さく息を飲んだのが分かった。

「こちらへいらっしゃい。この船に乗ってから何も口にしていないのだから、のども渇いているでしょう?
 何もない部屋だけれど、コーヒーぐらいなら出せるわ」

彼女は私の腕を掴んで、部屋へ逆戻りした。
私は確かに渇きは覚えていたし断る理由もないから、されるままになっていた。
けど『有無を言わさず自分のペースに持ち込むなんてアイシャさんみたい』と、小さく笑いを漏らした。



「さて、何から話せばいいのかしら?」

目の前には琥珀色の液体が満たされたマグカップ。それを少し頂いて口の中を少し湿らせて。

「あの……私はプラントにいたはずなんですけれど……ここはどこなんですか?」

「ここは地球よ。そしてこの船・アークエンジェルの現在地はオーブ近海の海底ね」

「……アーク……エンジェル……」

「そして私は艦長のマリュー・ラミアス」

「地球連合軍……強襲機動特装艦アークエンジェル……」

「今はどこにも属していないのだけれど……って、どうしたの?」

「……アークエンジェル……レセップスを攻撃……タルパティア工場跡地で……アイシャさんを殺した……」

レセップスで過ごした記憶が押し寄せてくる。
工場に遊びに行っては色々と整備を教えてもらったこと。
砂塵の混じった風に辟易していたら、ダコスタさんたちが笑いながらフードをかぶせてくれたこと。
あれやこれやの罠で捕まえられて、何時間もアイシャさんの着せ替え人形にされたこと。
逃げ出したいときもあったけれど、それでも楽しかった。
自分の体を抱きしめるようにして震える私に、伸ばされた手。

「……さん?」

「イヤ、触らないで!!」

私はその手を大きくはじいた。乾いた音以上に驚いているのは目の前の女の人。
何故今の私は、こんなところにいるの?
アンディおじさまは、自分の大切な人を殺した船に何故平気で乗っていられるの?

「あなたたちがアフリカに落ちなければアイシャさんはッ……」

おじさまはアイシャさんを裏切ったの?
もう死んでしまった人だから思うのは止めたの?
悲しくて哀しくて、涙が止まらなくなる。
……さっき寝る前にあれだけ泣いたのにと、自分でも呆れるぐらいに。

「……まだ戦争が続いてるのに、いい気なものね。この船だけが海に潜って避難?
 あなた、この海上で宇宙で、どれだけの人が死んでるか知らないんデショ。
 ああ、アークエンジェルって言ったら大天使様だものね。ストライクって強いモビルスーツもいるし?」

そう、私が最後にレセップスを訪れたのは、最終決戦の前日。
その時のおじさまは新しいおもちゃを与えられた子供みたいにすごく嬉しそうで。

「だからアンディおじさまも、あなたに尻尾を振ったんだ。
 こちらに来れば、興味あるモビルスーツと綺麗な女性が手に入るんですものね」

もう、誰も信じたくない。
おじさまは目の前の女の人と共闘している。アイシャさんやダコスタさん、レセップスの人たちを裏切って。

さん……あなた誤解を……」

「してません!
 だって、そうでなきゃコーディネイターのおじさまがナチュラルの船にやってくるわけないじゃないですか。
 戦争をしてるんですよ、理由もナシに敵の船に乗るなんてできるわけないじゃないですか」

「だから、それが誤解なの。確かに、あなたが言っているレセップスとの戦い。それは認めるわ。
 でもあれから、もう2年が過ぎているのよ」

2年……? 嘘、私がレセップス陥落の報を受けてからまだ半年しか経ってない。

「私信じません! そんなデタラメは言わないでください!」

「嘘じゃないの。あの時の戦争は終わってるのよ、あの時のは……ね……」

そう言いながら、女の人は埋め込み式のテレビを付けた。
写っているのは……少し長めの黒髪の男の人。

「今大写しになっている人が、今のプラント最高評議会議長ギルバート・デュランダル氏よ。
 あなたの知っている人じゃないでしょ?」

私は小さく頷いた。
確かに私の知っている議長とは違う。特に髪の長さと量とか。年齢も若い。
でも、話の内容が……開戦? 何、どういうこと? 終わってなければ開かれることはないのに。
本当に戦争は終わってたの……? そして再び戦争が始まろうとしているの?
わからないことだらけで、頭の中を疑問符が占める。

「……今の……年代は……?」

「コズミック・イラ73よ」

本当に私は何も覚えていないの? それも2年間も? どうして?

ピンポーン!

来客を告げるチャイムに、ビクリとなる。

『ラミアス艦長、話がある』

耳に届いたのはよく知った声。

「あらバルトフェルド隊長。ブリッジではできないこと?」

『……あまり聞かれたくはないことなんでね』

「わかったわ」

シュン、と開かれたドア。

「すまない、少しばかり時間を取らせるよ」

苦笑しながら顔を上げたおじさまは、私の姿を見た途端に動きを止めた。
それ以上に、私は目を見ひらいてしまった。



忘れもしない紫の瞳、ピンクの髪。
目に焼きついている、紅の床に散らばるお父さんとお母さん。
耳について離れない、2つの笑い声。




「……嫌、イヤ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!

さんっ!?」

そんな声が聞こえたけど、もう私は何が何だかわからなかった。
目の前のマグカップをつかみ上げ、恐怖の対象に向かって投げつける。
しかし簡単に避けられたそれは、壁に当たって砕けた。

「あんたたちなんか大嫌いッ!!!! お父さんとお母さんを返して、返してよぉぉぉぉッ!!!!」

落ち着け、落ち着くんだ! あいつらはお前の敵じゃない!」

おじさまが私の体を抱きしめる。

「嫌、離して! アンディおじさまの言うことなんて信じない、敵と馴れ合っているおじさまなんて信じない!
 お父さんたちを殺したあいつらと一緒にいるおじさまなんてッ……」

私は力の限りに暴れ抵抗し、そのひじがおじさまの脇腹を捕らえた。おじさまは小さく呻いて力が緩む。
その隙を逃さず私は逃げ出し、机の上にあったペーパーウェイトをドアのところにいる2人に投げつけた。
その外、手当り次第のものを投げる。

……僕たちは君の……」

「いや、来ないで! それ以上近付いたら、刺すから!」

ペーパーナイフとはいえ、鉄でできたもの。勢いよく突き出して私の全体重をかけたら、十分な凶器になる。

「……キラ……これだけ拒絶されているのに……」

「……いいんだよ、ラクス」

アイコンタクトを交わす2人の姿に、なぜか私の胸は痛みを覚える。
これ以上見ていたくないという気持ちも沸き上がる。

「……そこから動かないでよ……いい?」

私はペーパーナイフを彼らに向けたまま、ジリジリと移動を開始する。
そして彼らを押し退けるようにして、裸足で走り去った。
元いた部屋までどうたどり着いたのかわからない。
部屋に飛び込むと同時に私はロックをかけ、そのままドアにもたれたまま、ずるずると座り込んだ。
もう、本当に何を信じて、誰を信じてたらいいのかもわからない。
……どうすればいいのか、何も思いつかなかった。