時
代
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西暦
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年号
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干支 |
出来事 |
五
代
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907 |
唐:天祐4
後梁:開平1
前蜀:天復7 |
丁卯 |
○朱全忠が唐を滅ぼし後梁を建国。 |
922 |
龍徳2 |
壬午 |
○趙普、生まれる。
→北宋の政治家で、字は則平。智謀家で宋の建国に尽力し宰相と なる。『奇門遁甲全書』の巻頭に収められている「煙波鈞叟歌」の作者とされている。 |
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|
|
○徐子平:五代〜宋初の人。推命学中興の祖。
陝西省華山の西方にある棠峯洞に、紫微斗数の創始者・陳希夷と共に隠棲し推命学を詳しく研鑚したと言われる。 |
宋
・
北
宋
の
都
は
開
封
南
宋
の
都
は
臨
安
|
960 |
後周:顕徳7
北宋:建隆1 |
庚申 |
○太祖(趙匡胤)即位。
→後周の武将趙匡胤が、後周の幼主・恭帝の禅譲により即位し、宋(北宋)を建国。 |
984 |
太平興国9 |
甲申 |
○7月22日、陳希夷が108歳で没する。 (壬申月/庚午日)
この年、陳希夷が亡くなる前に、太宗皇帝は陳先生を招聘して「希夷先生」の称号を賜り、以後「陳希夷先生」と尊称されるようになる。 |
1011 |
祥符4 |
辛亥 |
○12月25日、邵康節、河北范陽にて生れる。
(辛亥年/辛丑月/甲子日)
→儒学者、宋学の提唱者。梅花心易の祖。 |
1019 |
天禧3 |
己未 |
○張君房が主となり、道蔵『大宋天宮宝蔵』が編纂される。
→道教の一大典籍集。4565巻とされる。散逸して現存していないが、その要点を記した『雲笈七籤』は残っている。 |
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<宋学>
○周濂渓:1017-1073→儒家、宋学の祖『大極図説』。
○程明道:1032-1085→儒家、天人合一論、気二元論を唱える。
○程伊川:1033-1107→儒家、理気二元論を究明した。程明道の弟で、二程子といわれる。 |
1070 |
熙寧3 |
庚戌 |
○沈括、「天暦」(東洋的太陽暦)を提唱する。 |
1077 |
熙寧10 |
丁巳 |
○7月5日丑刻、邵康節、没す。 (丁未月/癸丑日/癸丑時)
→儒学、梅花心易の創始者。著書に『皇極経世書』他。 |
1123 |
宣和3 |
癸卯 |
○王廷光、『珞碌子賦』の註を作る。(※正字:「碌」→左の「石」が王偏) |
1127 |
建炎1 |
丁未 |
○金軍が首都に侵入高祖臨安に即位。
○釈曇瑩の『珞碌子賦註』が成る。(※正字:「碌」→左の「石」が王偏) |
1130 |
建炎4 |
庚戌 |
○9月15日、朱子(朱熹)、生れる。 (庚戌年/丙戌月/甲寅日)
→儒学、易学。朱子学の創始者。『四書集註』『周易本義』。出生地:南剣州尤渓(福建省)に生まれる。 |
1162 |
紹興32 |
壬午 |
○『淵海子平』の初版本が刊行される。
著者は徐升:宋末、銭塘の人。徐子平の法を研究し、『淵海子平』の書を著す。(※ちなみに、徐子平と『淵海子平』の著者・徐昇とは別人。) |
1199 |
慶元5 |
己未 |
○南宋で「統天暦」を制定。 (1年=365.2425日) |
1200 |
慶元6 |
庚申 |
○3月9日、朱子、建陽(福建省)の考停にて没する。
(庚辰月/甲子日) |
元
・
都
は
燕
京
|
1279 |
至元16 |
己卯 |
○世祖即位。 |
1280 |
至元17 |
庚辰 |
○「授時暦」を制定。(中国暦術の金字塔) 施行は翌年となる。 |
1311 |
至大4 |
辛亥 |
○6月15日、劉伯温、青田で生れる。 (乙未月/乙卯日)
→明代の名臣、四柱推命学、奇門遁甲、『滴天髄』の著者とされるが、『滴天髄』は仮託ではないかと考えられる。 |
|
|
|
○羅貫中:14世紀末の通俗小説家。 『水滸伝』『三国志演義』 |
明
・
都
は
金
陵
↓
北
京
|
1368 |
洪武1 |
戊申 |
○太祖(朱元璋)即位。明の成立。
○この頃に明の朱元璋を補佐した名臣・劉伯温が『滴天髄』を著す。 (著作年代は不明)
○大統暦を制定。 |
1370 |
洪武3 |
庚戌 |
○劉伯温、弘文館学士を授けられ、誠意伯に封ぜられた。 |
1371 |
洪武4 |
辛亥 |
○4月8日、劉伯温、『奇門遁甲秘笈大全』の敍を編纂する。
(癸巳月/庚寅日) |
1375 |
洪武8 |
乙卯 |
○劉伯温、没する。 |
|
|
|
○羅洪先:嘉靖年間(1522〜66)の進士。
→紫微斗数の原典『紫微斗数全書』の著者。
○『西遊記』呉承恩。 |
1445 |
正統10 |
乙丑 |
○『正統道蔵』が完成。(しょうとうどうぞう)
→道教の一大典籍集。全480函5305帖。前年から版木を彫り出し初め、この年に完成を見た。道教の典籍を伝統的な「三洞四輔」という分類法で収集整理している。 |
1472 |
成化8 |
壬辰 |
○9月30日、王陽明(王守仁)生れる。
→儒学者、陽明学の祖、政治家、字は伯安、諡は文成。陽明堂で学問を講じたことから王陽明と呼ばれる。『伝習録』はその語録・書簡集を門人が編纂したもの。
┌─┬─┬─┐ ※出生地:浙江省紹興府余姚県生まれ
│日│月│年│ 大運:順行9年
├─┼─┼─┤ 天徳:乙庚
│甲│辛│壬│ 納音:海中金/自死
│子│亥│辰│ 通変:官印両全の命
└─┴─┴─┘ |
1522 |
嘉靖1 |
壬午 |
○12月18日戌刻、萬民英(育吾山人)、生れる。
(没年不明) (J暦1523年1月4日)
→四柱推命学。『三命通會』の編著者。科挙に合格し御史にまで出世した政治家。 ※出典『命理通鑑』(尤達人著)
┌─┬─┬─┬─┐
│時│日│月│年│ 大運:順行
├─┼─┼─┼─┤ 天徳:庚乙
│丙│庚│癸│壬│ 納音:松柏木/自臨
│戌│寅│丑│午│ 通変:仮傷官偏官 ▲火局(官星)
└─┴─┴─┴─┘ |
1528 |
嘉靖7 |
戊子 |
○王陽明(王守仁)、没する。 →陽明学の祖。『伝習録』 |
1536 |
嘉靖15 |
丙申 |
○呂新吾、生れる。
→高級官僚、政治家、『呻吟語』の著者。名は坤、字は叔簡、号が新吾。 |
1573 |
萬暦1 |
癸酉 |
○洪自誠(応明)、生れる。 →『菜根譚』の著者。 |
1578 |
萬暦6 |
戊寅 |
○秋、『三命通會』(萬育吾・編著、12巻)、出版される。
→四柱推命学の代表的古典。清版『古今図書集成』にも収録されている。 ○李時珍が『本草綱目』を完稿。
→1552年に執筆に着手してから約27年の歳月をかけて完成。中医学の薬草学・薬学史上最も内容的に充実した著作として知られている。1596年(万暦23)に南京で上梓する。 |
1582 |
萬暦10 |
壬午 |
○趙用賢が『韓非子』と『管子』を合刻。
→以後、趙用賢の刻本が底本とされることが多くなる。 |
1586 |
萬暦14 |
丙戌 |
○袁黄、進士に合格し宝低の知県となる。→『陰隲録』の著者。 |
1607 |
萬暦35 |
丁未 |
○『萬暦続道蔵』が編纂される。 (ばんれきぞくどうぞう)
→道教の一大典籍集。全32函180帖。 |
1586 |
萬暦14 |
丙戌 |
○袁黄、進士に合格し宝低の知県となる。→『陰隲録』の著者。 |
1609 |
萬暦36 |
己酉 |
○11月24日巳刻、張楠、生れる。(G暦12月20日)
→『神峯通考(命理正宗)』の編著者。四柱推命の代表的古典の一つ。 「十干體象詩」が有名。初代高木乗も初期の頃は、この書によって格式を取り、秘伝書『生日化気十段錦』の尋源文献となっている。
┌─┬─┬─┬─┐
│時│日│月│年│ 大運:逆行5年運
├─┼─┼─┼─┤ 天徳:巳申
│乙│壬│丙│己│ 納音:金箔金/自絶
│巳│寅│子│酉│ 通変:傷官/偏財/正官
└─┴─┴─┴─┘ |
1618 |
萬暦46 |
戊午 |
○呂新吾、没する。(83歳)
→政治家、『呻吟語』の著者。 |
1619 |
萬暦47 |
己未 |
○洪自誠(応明)、没する
→『菜根譚』の著者。 |
1623 |
天啓3 |
癸亥 |
○「大秦景教流行中国碑」が西安で発掘される。
→現在西安市博物館に保存されている。ちなみに、この碑の複製(レプリカ)が、高野山にE.A.ゴルドン夫人の手によって建てられている。 |
1629 |
崇禎2 |
己巳 |
○崇禎暦を制定(西洋天文学の成果導入) |
1637 |
崇禎10 |
丁丑 |
○『命理約言』の著者・陳素庵、榜眼たり宮中人となる。
→榜眼とは科挙の殿試(最終試験)で第一甲の第二位の者の事。 |
1643 |
崇禎16 |
癸未 |
○清朝第2代皇帝・太宗(ホンタイジ)、没する。 |
1644 |
崇禎17 |
甲申 |
○3月17日(西暦4月23日)、明朝の滅亡。→農民反乱指導者の李自成が北京・紫禁城を包囲、明朝最後の皇帝・崇禎は家臣に見捨てられた形で、紫禁城の北にある景山で縊死する。下が崇禎帝の四柱八字と死亡時の行運。
┌─┬─┬─┬─┐
│時│日│月│年│ 大運:丁亥食神死 (偏印)
├─┼─┼─┼─┤ 流年:甲申劫財胎 (正官)
│己│乙│庚│辛│
│卯│未│寅│亥│ 流月:戊辰正財冠帯(正財)
└─┴─┴─┴─┘ 流日:乙巳比肩沐浴(食神) |
清
・
都
は
北
京
|
1644 |
順治1 |
甲申 |
○清が李自成を滅ぼして、清王朝が誕生。世祖即位。 |
1645 |
順治2 |
乙酉 |
○時憲暦(前)を制定(定気法の採用) |
1647 |
順治4 |
丁亥 |
○陳素庵(『命理約言』の著者)、秘書院の侍讀学士を授かる。 |
1652 |
順治9 |
壬辰 |
○陳素庵、内閣大学士(相国)を拝命。
→内閣大学士(相国)とは、明・清代の京官名で、皇帝を補佐する内閣の大臣のこと。上奏文に対する回答文を準備して皇帝に見せる役職だったとされている。 |
1654 |
順治11 |
甲午 |
○3月18日、康熙帝、生れる。 (G暦5月4日)
→清朝の第4代皇帝。廟号は聖祖。在位:1661年〜1722年)。順治帝の第3子、8歳で即位。文武に優れた皇帝であった。財政の緊縮にも勤める。『康熙字典』『佩文韻府』等の編纂で有名。朱子学に深く傾倒していた。
┌─┬─┬─┬─┐
│時│日│月│年│ ←康熙帝の八字。
├─┼─┼─┼─┤(※午刻説もあり)
│丙│戊│戊│甲│ 大運:順行10年(立運1歳)
│辰│申│辰│午│ 通変:偏印/比肩/偏官
└─┴─┴─┴─┘ |
1658 |
順治15 |
戊戌 |
○2月15日(望日)、陳素庵、『滴天髄輯要』を編纂。(G暦3月18日)
(乙卯月/壬午日) |
1661 |
順治18 |
辛丑 |
○康熙帝が8歳で即位する。
→61年間在位。三藩の乱を鎮め、『古今図書集成』『全唐詩』『佩文韻府』『康熙字典』『大清会典』などを編纂させ、文武に功績を残した。 『康熙字典』は漢字を集大成、現行字典の標準となる。『古今図書集成』は中国最大の類書で、康熙帝の没後、雍正帝のときに完成を見たもの。この中には『玉照神応経』(徐子平)・『三命通會』(萬民英)・『大六壬(上中下)』等の命書も収録されている。 |
1666 |
康煕5 |
丙午 |
○陳素庵、盛京において、死去する。
→『命理約言』の著者。“盛京”は現在の遼寧省瀋陽市。 |
1690 |
康煕29 |
庚午 |
○『増刪卜易』が出版される。
→断易(五行易)の重要古典籍。 |
1709 |
康煕48 |
己丑 |
○王洪緒、『卜筮正宗』を出版する。
→断易(五行易)の重要古典籍。 |
1735 |
雍正13 |
乙卯 |
○蒋國祥が、『改良 三命通會』の為に、補刻校正し叙文を書く。 |
1736 |
乾隆1 |
丙辰 |
○乾隆帝、即位。 |
1737 |
乾隆2 |
丁巳 |
○時憲暦(後)を制定 |
1739 |
乾隆4 |
己未 |
○沈孝瞻が進士に合格する。
→『子平眞詮』の著者、山陰の人。 |
1773 |
乾隆38 |
癸巳 |
○4月18日辰時、任鐵樵、生れる。
→命学家。『滴天髓闡微』の編著者。『滴天髓闡微』は劉伯温の著又は付註による『滴天髓』に更に任鐵樵が注を増し加えた書で、『滴天髓』の重要参考書。下記命式は『滴天髓闡微』の巻2「官殺」・「四曰合官留殺格」の項で、本人の命式を掲載、解説しているもの。
┌─┬─┬─┬─┐ 大運:逆行10年運(立運1歳)
│時│日│月│年│ 天徳:亥寅
├─┼─┼─┼─┤ 納音:天河水/自胎
│壬│丙│戊│癸│ 通変:偏官/食神/正官
│辰│午│午│巳│ 太過:火の比肩太過
└─┴─┴─┴─┘ 格局:月刃格/合官留殺格 |
1776 |
乾隆41 |
丙申 |
○『子平眞詮』(沈孝瞻原著)が刊行される |
1781 |
乾隆46 |
辛丑 |
○『四庫全書』中の『珞碌子三命消息賦註』(徐子平撰)についての「提要」 が書かれる。總纂官:紀均、陸錫熊、孫士毅、總校官:陸費犀(「犀」は左に土編あり)。
→※「碌」の正字は左の「石」が王偏。『珞碌子三命消息賦註』は、徐子平の著作であることが確実視されている書籍。子平推命の原型。 |
1782 |
乾隆47 |
壬寅 |
○『四庫全書』が完成。
→乾隆帝の命で編纂された、一大叢書。「子部」中に四柱推命学等の占術関係文献が収められている。(収録文献下記)
■子部/術数類:
◇相宅相墓之属:『宅經』『葬書』『撼龍經』『青?序』『青?奧語』『天玉經』『靈城精義』『催官篇』『發微論』
◇占卜之屬:『靈棋經』『易林』『京氏易傳』『六壬大全』『卜法詳考』
◇命書相書之屬:『李虚中命書』『玉照定真經』『星命溯源』『珞?子賦注』『珞?子三命消息賦注』『三命指迷賦』『星命總括』『演禽通纂』『星學大成』『三命通會』『月波洞中記』『玉管照神局』『太清神鑑』『人倫大統賦』
◇陰陽五行之屬:『太乙金鏡式經』『遁甲演義』『禽星易見』『御定星歴考原』『御製協紀辯方書』 |
1804 |
嘉慶9 |
甲子 |
○許宗彦、『五行大義』を日本から逆輸入し訂正を加え刊行。(嘉慶刊本)
→『五行大義』は隋の蕭吉が撰した書であったが、既に中国では失われていた。 |
1813 |
嘉慶18 |
癸酉 |
○鮑廷博、『五行大義』を『知不足斎叢書』に収める。
→日本の林述斎による『佚存叢書』所収の『五行大義』に、若干手を加えている。 |
1840 |
道光20 |
庚子 |
○阿片戦争、勃発。 |
1850 |
道光30 |
庚戌 |
○太平天国の乱起る。 |
|
|
|
○曾国藩:1811〜1872→名臣、学者。太平天国の乱を平定する。 |
1870 |
同治9 |
庚午 |
○『十八飛星策天紫微斗数全集』が刊行される。 |
1881 |
光緒7 |
辛巳 |
○袁樹珊、生れる。 →命学家。『命理探源』 |
1882 |
光緒8 |
壬午 |
○日本の林述斎による『佚存叢書』が影印される。
→第一輯には『五行大義』が収められている。 |
1886 |
光緒12 |
丙戌 |
○4月6日、徐楽吾生れる。
→命学家。中国近代の四柱推命学の大家。『子平粋言』『子平一得』 『命理入門』『命理一得』他。 ┌─┬─┬─┬─┐
│時│日│月│年│ 大運:順行10年運
├─┼─┼─┼─┤ 天徳:壬丁
│丙│丙│壬│丙│ 納音:山下火/自病
│申│申│辰│戌│ 通変:比肩/偏官/比肩
└─┴─┴─┴─┘ |
1897 |
光緒23 |
丁酉 |
○盛宣懐の『常州先哲遺書』(第一輯)子部に『五行大義』が収められる。
→この『五行大義』は林述斎(日本)の『佚存叢書』によったもの。 |
1899 |
光緒25 |
己亥 |
○殷代の甲骨文字が発見される。
→金石学者・王懿栄が、北京の漢方薬店で買ってきた漢方薬の一種である「龍骨」の上に金文に似た古代文字の刻まれているのを発見したと言われている。そして、その中に干支文字も刻まれていた。 |
1905 |
光緒31 |
乙巳 |
○科挙の制度を廃止。 |
|
|
|
○孫文:1866〜1925→政治家。 「三民主義」を唱える。 |
1911 |
宣統3 |
辛亥 |
○辛亥革命。
○3月31日、韋千里、浙江省にて生れる。
→命学家。著書『韋氏命学講義』『八字提要』『精選命理約言』『六壬占卜講義』他。 |
中
華
民
国
|
1912 |
民国1 |
壬子 |
○中華民国成立。孫文、南京にて臨時大統領に就任。宣統亭、退位。清、滅亡。
○グレゴリオ暦を採用する。
○袁樹珊、『新命理探源』を著す。 →袁樹珊は近代子平命学の大家。 |
1914 |
民国3 |
甲寅 |
○7月8日、孫文らが東京にて中華革命党を結成。
(辛未月/乙未日)
○徐楽吾が日本を訪問する。 |
1928 |
民国17 |
戊辰 |
○河南省北部の小屯村で、殷墟発掘が始まる。
→考古学者によって組織された発掘隊は、日中戦争で中断を余儀なくされた1937年まで計15回の発掘作業を行う。この発掘により、伝説の王朝と言われていた「殷」の実在が証明された。多くの甲骨・青銅器・遺跡などが発見され、紀元前1000年前の呪術的とも言える世界観が露になり、それを記した多くの甲骨文字・金文が発見された。また、甲骨文字は、エジプトのパピルス文字(ヒエログリフ)、古代バビロンの楔形文字、古代インド文字と共に世界の四大古代文字の一つに数えられている。 |
1929 |
民国18 |
己巳 |
○梁湘潤、上海にて生まれる。
→台湾の命理学の大家。著作多数(70余部)。星相学会主任委員、上海市仏教青年会幹事他。 |
1933 |
民国22 |
癸酉 |
○韋千里、陳素庵の著書『命理約言』を校輯して、初版刊行する。
○袁樹珊、『滴天髓闡微』(劉伯温原著/任鐵樵評註)を公刊する。※原著者を劉伯温とするのは仮託と考えられる。 |
1934 |
民国23 |
甲戌 |
○3月20日、張耀文(明澄)、台湾(中華民国)員林にて出生。
→明澄派13代目(透派)の掌門。日本に透派「五術」を招来したことで有名。
○韋千里、『命学講義』を初版刊行。 |
1935 |
民国24 |
乙亥 |
○韋千里、『千里命稿』を初版刊行。 |
1937 |
民国26 |
丁丑 |
○7月7日22時40分頃、盧溝橋事件。(丁未月/乙未日/丁亥時)
→この事件が端緒となって日中戦争、日華事変が勃発。 |
1938 |
民国27 |
戊寅 |
○徐楽吾が『子平粹言』を著す。 |
1939 |
民国28 |
己卯 |
○『叢書集成』が刊行される。初篇に『五行大義』が収められる。
→商務印書書館編、王雲五主篇、殷秀山・鮑嘉祥校対、鉛印。所収の『五行大義』は林述斎(日本)の『佚存叢書』によったもの。 |
1941 |
民国30 |
辛巳 |
○韋千里、『千里命鈔』を初版刊行。 |
中
華
民
国
/
中
華
人
民
共
和
国
|
1945 |
民国34 |
乙酉 |
○太平洋戦争終結。対日戦争終る。
○8月18日、満州国皇帝愛新覚羅溥儀退位。満州国消滅。 |
1946 |
民国35 |
丙戌 |
○7月、第3次国共内戦開始。
○韋千里、『八字提要』を初版刊行。 |
1948 |
民国37 |
戊子 |
○徐楽吾が心臓病で上海に没す。享年63歳
○この年、蒋介石が中華民国の総統に就任する。 |
1949 |
民国38 |
己丑 |
○『紫微斗数命理研究』(張開卷著)が出版される。
○10月1日、中華人民共和国(共産中国)成立。毛沢東、国家主席に就任。周恩来、首相に就任。
○12月、蒋介石率いる国民政府は台湾に移る。
→ここから、2つの中国が始まり、共産主義政権下で占術家達は迫害を受け、多くは、台湾・香港・上海に移り始める。又中国大陸では表は漢方医等の姿として命脈を保ち、裏で占術を伝承している人達もある。 |
1950 |
民国39 |
庚寅 |
○中華人民共和国で「第1回全国衛生会議」が実施される。
→中国医学(中医)と西洋医学(西医)を一致団結させることが基本方針として確認される。 |
1953 |
民国42 |
癸巳 |
○『時空制命書』(鄒文耀著)初版刊行。
→鄒文耀は号を活歯居士といい、衡陽の人。書の別名は『活歯命書』。
○鄒文耀、「人生性命学研究所」を創立。 |
1961 |
民国50 |
辛丑 |
○『命理通鑑』(尤達人) |
1962 |
民国51 |
壬寅 |
○4月、『命理新論(上中下)』(呉俊民著)刊行される。 |
1966 |
民国55 |
丙午 |
○11月、『子平命学考証』(鄒文耀著、台湾・瑞成書局)が刊行される。
→徐子平の著とされる三書、『珞碌子三命消息賦註』、「明通賦」(『三命通會』所収)、及び『玉照神成真経』について、内容と年代の考証をしている。鄒氏は徐子平が『珞碌子三命消息賦註』を著したのは、1135年〜1146年とし、徐子平の没年は1174年以前であるとしている。 (※正字:「碌」→左の「石」が王偏) |
1971 |
民国60 |
辛亥 |
○馬王堆漢墓が発見される。湖南省長沙市で病院の工事中、労働者が地下室を掘っている時に、偶然この墓が発見される。
→長沙馬王堆漢墓は、紀元前168年(前漢・文帝の時代)に造営された墳墓で、中国湖南省長沙市の東郊外約四kmの地点にある。本格的な発掘は、1972年〜1974年にかけて行われ、ミイラと共に多くの重要文献が発掘されることになる。 |
1972 |
民国61 |
壬子 |
○4月、馬王堆漢墓一号墓より女性のミイラ(未腐乱女性屍体)が発掘される。
→このミイラは2100年以上前の遺体であるにもかかわらず、皮膚に弾力性があるなど非常に良い状態で発掘されたことに世界は驚愕した。 |
1973 |
民国62 |
癸丑 |
○12月、長沙馬王堆漢墓の第三号漢墓より、24種に上る多量の帛書・木竹簡等の古文献が出土。
→【馬王堆出土文献】
◆『黄帝四経』:『経法』『十六経』『称』『道原』の4帛書を総称したもので「黄老思想」における貴重文献である。
◆老子:『老子(甲本・乙本)』
◆五行他:『篆書陰陽五行』『九主』『明君』『徳聖』
◆占術:『五星占』『天文気象雑占』『木人占』
◆周易経伝:『六十四卦』『二三子問』『?辞』『易之義』『要』『繆和』『昭力』
◆その他:『春秋事語』『戦国縦横家書』『相馬経』
◆医学書:『足臂十一脈灸経』『脈法』『陰陽脈死候』『陰陽十一脈灸経(甲・乙)』『五十二病方』『却穀食気』『導引図』『養生方』『雑療方』『胎産書』『十問』『合陰陽』『雑禁方』『天下至道談』 |
1975 |
民国64 |
乙卯 |
○武陵出版社が設立される。台湾の出版社で占術関係を中心として幅広い分野の書籍を出版している会社。特に占術分野が主流で、幅広い占術分野の書籍を刊行し、日本にも多く輸入されている。
→出版分野:紫微斗数、八字命学、美術、辭典、姓名学、相学、風水勘輿、易経、擇日、経営管理、運動、幼教、武術、農漁牧、符咒、佛禪、仙道及健康医薬、台湾研究等。 |
1977 |
民国66 |
丁巳 |
○『中国命相哲理学講義』(曽坤章) |
1978 |
民国67 |
戊午 |
○『易術概要』(黄家騁) |
1981 |
民国70 |
辛酉 |
○『紫微斗数精義』(余雪鴻) |
1982 |
民国71 |
壬戌 |
○11月、『命理新論実例』(呉俊民著)が初版刊行される。 |
1986 |
民国75 |
丙寅 |
○10月29日〜11月22日、袁樹珊、『述卜筮星相學』を著述する。
○『五行大義校註』(中村璋八、台湾・武陵出版社、複製本)刊行される。 |
1987 |
民国76 |
丁卯 |
○袁樹珊著『述卜筮星相學』が、武陵出版社より刊行される。
○『紫微斗数精技傳授』(乙徳上人著、武陵出版) |
1988 |
民国77 |
戊辰 |
○「國際道家學術基金會」が創立される。
→道家の学術普及し、以って中華文化の高揚を目的とする団体。財団法人。董事長:李亨利博士、執行長:林俊ェ博士。 |
1989 |
民国78 |
己巳 |
○6月4日未明、天安門事件、勃発。 (己巳月/乙未日)
→民主化を求める学生らのデモ隊が人民解放軍によって武力弾圧された事件。 |
1993 |
民国82 |
癸酉 |
○郭店楚墓発見。戦国後期の墳墓とされる「湖北省荊門市郭店一号墓」から、竹簡804枚が出土。
→墓葬年代は、BC4世紀中葉〜BC3世紀の初め頃。墓主は楚の上士で、楚王の太子横(後の頃襄王)の師と推定されている。竹簡には典型的楚国文字で記され、儒家系文献・道家系文献がある。儒家系文献には『五行』が含まれるが、このテキストは馬王堆漢墓帛書中の『五行』とほぼ同文となっている。
◆「湖北省荊門市郭店一号墓」出土文献
<道家系文献>
『老子』(甲・乙・丙)、『太一生水』
<儒家系文献>
『五行』『緇衣』『魯穆公問子思』『窮達以時』『唐虞之道』『忠信之道』『成之聞之』『尊徳義』『性自命出』『六徳』『語叢』(一〜四) |
1994 |
民国83 |
甲戌 |
○上海博物館が、戦国楚簡を香港の骨董市場から購得。 |
1995 |
民国84 |
乙亥 |
○『重修緯書集成』(中村璋八、中国・河北人民出版社、三冊本)が出版される。
○「中華民國道家學術研究會」が創立される。
→理事長:李亨利博士、多数の発起人の中には、四柱推命の黄友輔氏も含まれていた。1600人以上の会員を擁する。 |
1996 |
民国85 |
丙子 |
○『中村璋八與「五行大儀」研究』(劉国忠、中国史研究動態)。 |
2002 |
民国91 |
壬午 |
○「国際道家命理諮詢總院」設立。
→道家系の占術学校。紫微斗・易学・六壬神課他の占術を教えている。紫微斗数の担当:林信銘老師、韓麗珠老師。
○「国際道家學院図書館」設立。→国際道家學術基金会が運営している。 |
2004 |
民国93 |
甲申 |
○11月1日、張耀文(張明澄)、死去。
→明澄派13代目(透派)。佐藤六龍夫妻と組んで日本で基盤を作る。 |