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ご案内

          
本は人との出会いの中で、何度も生まれ変わります。
 そして人は本との出会いの中で、何度も新しい自分を発
  見します。このHome Pageは本と人とが交わる場です。
1本を売ります。
本と人との出会いの機会が少なくなれば、その少なさは稀少になります。しかも人々がその本にどうしても出会いたいと願いながら、出会う機会の少ないものは、その稀少に価値が付加されます。それが稀少価値です。本も古くなれば、出会う機会が少なくなります。かといって稀少だけで、価値が出てくるわけではありません。あくまで人々が望むものでなければなりません。このような、人々が望むものと稀少のバランス、経済学で言えば、需要と供給のバランスの中で、自ずから古本の価格も決まってきます。古本の世界にも、本の流通を妥当にするために、暗黙の市場が形成されています。その現実的な機能を果たしているのが、業者同士による古書市です。古本の価格は、そのような市場の動きを参考にしながら決められます。しかし市場を参考にすると言っても、あくまで参考ですから、個々の古本屋によって、その参考の仕方も様々です。ですから古本には、定価は有りません。あくまでその時々に応じた市場価格のようなものが有るだけです。店主の胸三寸で、どんな値段もつけられるのです。本屋が全てのジャンルに精通している訳ではありませんから、様々な値段の 振り幅があります。ただ本の値段は程度などの様々な要因で付けられていますから、まずそこの所を、確認して下さい。
本を買います
よく、どんな本が高いのですか、と尋ねられます。そのたびに、高額になるような本のイメージとして、あなたが売りたくないような本が高いと思って下さい、と答えることにしています。一概には言えないのですが、誰でも売りたいと思うような本は、市場にあふれることになりますから、需給のバランスから言っても、安くなってしまいます。どのような本が求められるかは、時代の状況から必要とされるものと、個々人の体験から必要とされるものとに分かれます。時代の要求とはブームですから、一定期間高額になってしまうものには傾向があります。しかし個々人が何を必要とするかは、その人の経験総体から出てくるものですから、こればかりは推し量りようがありません。だから何でも求めたいのですが、場所と整理がたいへんなものでから、個人全集のような価格が把握しやすいものから、稀少性の高いものへと自ずから絞らざる得ないのが現状です。

  
※インターネット上で本を売りたい方は、書籍の名前、状態など詳しいデータをMailでお知らせ下さい。査定額をMail、Faxで御返事します。その査定額を確認後、こちらからの返事を同封の上、本を元払いで発送して下さい。本到着後、ご指定の方法でお支払いいたします。
  
※査定額はあくまで参考ですので、商品確認後変動することもございます。Mailでお売りになる場合、必ずお名前、ご連絡先を明記してください。
2本の程度について
本の状態の目安として、極美・上・中・並という基準を採用しています。並を最も普通に用いています。美しさ、綺麗さの基準は、個々人にとってかなり揺れがあります。古い本の綺麗さと、新刊本の綺麗さはかなり違います。新刊本の白っぽく輝くような綺麗さに比べれば、古い本の綺麗さは痛みと汚れが無いということになりそうです。並の状態は、本として不具合のないものです。中というのは、ほとんど使用していないが、少し時間がたってわずかな汚れや輝きを失ったものです。上というのは、ほとんど新刊本です。極美というのは古さにも関わらず、ほとんど欠点の無い状態を維持しているものです。以上が本の状態の基準です。痛みや汚れ等に関しては、コメントを入れてますので、ご注意下さい。本を現実に見ることが出来ない方に、どんなに言葉で示しても限界があります。それでも気になる方は、mailで問い合わせて下さい。お互いが、納得出来る売買が成立する事を願います。
3探究書について
人が本との出会いを求めて、探究の旅に出ても、必ず出会える訳ではありません。本屋もまた、自分の所に無ければ、業者仲間に尋ねたり、インターネットで検索したりと、特別な探し方がある訳ではないのです。だから必ず発見できるとは限りません。しかも期限を求められますから、なおさらです。誰かに頼めば、頼まれた人はかなり頑張って探すでしょうから、発見できる可能性は高くなります。しかしそのためには、それなりの代価がかかります。それでも見つからない本は無数にあります。後は、偶然か幸運に頼むしかないのが現状です。それでも、多くの古書店の業者がインターネット上に、自分の在庫をリストアップすればするだけ、ますます多くの書籍から検索できますから、確実に本と出会える可能性は高くなります。ただ在庫のすべてがインターネット上には、登録されませんので、試しに個々の店に訪ねてみることも必要です。ネットには気軽に尋ねられる効用があるかと思います。
    4本の将来、活字の未来
本という形が果たして、どのくらい続いていくものなのか。情報のあり方としての簡便さや、ページをめくる感触、世界を開くというメタファーをもたらす指の運動、棚に飾られた本の装飾の味わい、等々、本はその歴史の中で、様々な官能と効用を残してきました。それ故、本という形が、簡単に無くなるとは思えません。それでも確実に、本という形態の世界が、縮小していくことは否めません。縮小していく本の世界から、活字はさらなる世界を求めて、飛び出して行くでしょう。画像の付随物として、情報の案内役として、活字は至るところに氾濫することになるでしょう。かって世界のイメージを説明してきた活字による文章が、もはや説明可能なイメージを失ったとき、活字は自らの作り出した概念によって様々なイメージ映像を作り出すようになりました。世界を足場にしたイメージ映像から活字概念を足場にしたイメージ映像への転換。テクノ画像と呼ばれるものの登場です。その中で活字は、自らの概念で作り出したイメージ画像に引き回されるように散乱するでしょう。かって活字を読み説くことで、世界と自己を確認していた私たちの状況は、活字の変容と共に変わっていくことは確かです。