片 -在北師大日子-

  2000年8月1日〜2000年8月31日

2000年7月31日(星期一)

 授業二日目。今日は閲読の授業を初めて受けました。教科書には「準高級」と書いてあり、内容もとても難しく結構びびっていたのですが、授業の進み具合はとても遅くて、各語についてとても丁寧に説明してくれるのはいいんだけど、かえって眠たくなってしまうほどでした。なんだかテキストと学生のレベルがつり合っていないような気もします。それとも閲読というのは、こういうものなのかな?

2000年7月29日(星期六)

中関村の電子マーケット 今までずっと曜日感覚というものがなかったので、まだ授業が始まって一日しか経っていないのに、土曜日となるととてもうれしく感じます。今日は、約2年ぶりに中関村へ行って来ました。大通りには以前のような混沌とした雰囲気はなく、大きな「なんとか電子城」とかいうビルがいくつも建ち、中にはメーカーのモデルルームや、小さな個人のパーツ専門店が所狭しと並んでいて、たくさんの人でごった返していました。買うつもりもないのに、こういうパソコンパーツに囲まれているとなんだかうれしくなってくるのは僕だけでしょうか。ただ、ほとんどの店は値段の掲示はしていなくて交渉次第。よっぽど理解していないと買いづらいですね。それに本物かどうかも怪しい。

2000年7月28日(星期五)

視聴説の授業風景。 今日は授業最初の日。一コマ目は口語、二コマ目は視聴説でした。第一日目の感想は・・・久しぶりの授業で疲れました。午前中4時間の授業は少しこたえます。授業の内容よりも、教科書のレベルが高く、しっかり予習しないとついていけそうもないです。学生のレベルにも少し差があるように思います。短期に参加している学生は、発音悪くて全然話せないくせに、めちゃめちゃ難しい単語を知っているのが特徴です(と僕は思う)。特に韓国人と、西洋人のおばさん。
 遅れましたがここで、クラス構成の紹介をします。日本人が4人、韓国人が10人くらい。あとはイギリス人のウィルと、カナダ人、西洋人のおばさんと、若い金髪の女の子(この二人は何人か忘れた)。西洋人のおばさんは話し出すと停まりません。しかも質問と答えがずれている上、何を言っているか全然わからない。先生も時々まだ話し終わっていないにも関わらず次へ進めてしまいます(笑)。

2000年7月27日(星期四)

 いよいよ語言の短期スタートです。僕のクラスは「D4」。8時半から学生の中国語のレベルを見るための試験があるのですが、ずいぶん早く着いてしまいました。そして、僕のあとから入ってきた背の高い西洋人に見覚えが・・・なんとウィルではないですか!!!事情を聞いてみると、彼は先月の4週間の短期でもD班で、今回はその上のE班で勉強する予定だったのですが、今回の短期ではE班そのものがないらしく、仕方なく同じD班をもう一度やることになったそうです。何と奇遇な、本当に彼と同じ班になるなんて。ウィルの中国語にまけないように勉強しなくては。思っていた以上に楽しい短期になりそうです。
 試験自体はとても簡単で先生が一人一人に簡単な質問をして、各学生の聴力と会話力を確認し、そのあと、単語が羅列してある紙が配られ、知っている単語にチェックをするだけというもの。その結果を見て、先生がどの班に行くべきか判断し明日発表してくれるそうです。ということで今日は教科書はもらえませんでした。

2000年7月26日(星期三)

 待ちに待った(?)授業が明日から始まります。とは言っても明日はクラス分けの試験があるだけですが。
 今日は気温のわりに湿度が高く、むしむししてとても暑い日でした。そんな中友達を連れて部屋で涼もうと思ったら、ここの寮は面会時間が決まっていて、午後4時以降でないと入れられないと言う。仕方なく4時まで待って、もう一度行ったら、身分証明書がないとだめだという。自分の部屋に友達を連れて入るのにも、こんなに制限を受けるなんて!ここは病院?それとも、監獄か?全くあきれてもめる気にもなれませんでした。

2000年7月25日(星期二)

 2週間日本へ帰っただけなのに、なんだか帰る前よりも北京の渋滞がひどくなったように感じるのは僕だけだろうか・・・。以前は810に乗っていくらもたたないうちに北師大に着いたのに、学院路がすごい渋滞で北師大まで30分くらいかかる。四環路の高架道路を建設しているせいだからと思うんだけど、この渋滞はひどい。渋滞するってわかっていることだし、しかも結構そばに土地が余っているんだから、もう少し考えて迂回路を造ってもいいと思うけどね。
 それにしても、中国の運転手にはあきれる。信号が青になったとたん、無理矢理に左折する(中国は右側通行なので)車が一台あると、その後ろにずらっと並んでいる車まですべて前の車について左折していく。もう事故すれすれ。おかげで3車線いっぱいの直進車は大渋滞。交通規則もあったものではありません。きっと中国の自動車学校では「少しの隙も逃すな!」とでも教えているんでしょう。僕は絶対に中国で車を運転したくない!

2000年7月24日(星期一)

同屋のアルフォンソ(スペイン人30才) 短期留学の報名をしてきました。留学生事務所へ行って、銀行へ行って、会計処へ行って、また事務所へ戻ってとあちこちをたらい回しにされ、やっと登録ができました。同じ場所で済ませてくれればいいのに・・・。中国語があまりできない初めて中国に来る人だったら、どこへ行ったらいいかわからずにとても苦労すると思います。何とか登録を済ませて学生証を手に入れ、今日からはれて語言の留学生になりました。
 とはいうものの、まだ授業は始まっていないので、一人でなにもすることがない・・・。夕飯も一人で宿舎のそばにある留学生の家というところへ行ったのだが、おかず3品とお茶で12元。高いわりにとてもまずかった・・・。

2000年7月23日(星期日)

 昨日の便で北京に戻ってきました。本日より一ヶ月間「番外編2 在語言学院的日子」をお伝えします。
 昨日戻ってきたのはいいものの、実を言うと泊まる場所がありませんでした。でも語言で短期に参加するんだから、やはり語言に行くべきだなと思い、適当に留学生寮に行って泊まれるか聞いてみたら、以外と簡単に部屋が取れました。一日4.5ドルで部屋の内容は北師大の第二公寓とほとんど同じでバストイレは共同で、部屋にはエアコンとテレビ、電話が付いている。でも第二公寓よりだいぶ狭いです。そして聞くところによると、やはりここにすんでいる留学生の90%以上は韓国人らしい。ここも二里庄と同じくほとんど韓国村に近い状態です。
 しかし、なぜか僕の同屋は30才のスペイン人。しかも中国語はほとんど話せない。昨日から僕らの交流はすべて英語で行われている・・・。英語が話せないとどうしてこんなに惨めに感じるんだろう。しかも英語を話そうとしているのに、出てくるのは「トゥイ、トゥイ」とか「ゼンマシュオー」。「ちょっと出かけてきます」って何ていうんだっけ?

番外編 -みんつあん在二里庄日子-

2000年7月20日(星期四)

 今日を持って短期留学が終了して、明日からは日本へ帰るまでの間ダラダラした生活でも送ろうかと考えています。この短期留学の間に大量にVCDを買いだめしておいたので暇つぶしにはなると思います。
 でもこうして授業がなくなると中国語を話す機会が無くなるのでは?と少し不安な面もあります。まあシャオジエを捕まえて、こういうと何ですが無理やり部屋の問題を見つけて話の機会でも探そうかと思う今日でした。

2000年7月16日(星期日)

 僕ははっきり言って中国映画をなめきっていました。「どうせつまらない もんだろ!!」なんて決め付けて中国映画を避けてとおっていました。が…、昨日、今日とみた2本の映画は、僕のこの腐った固定観念を根底から覆しました。その2本というのは「甜蜜蜜」と「洗澡」です。
 「甜蜜蜜」は恋愛物なのですが僕の映画鑑賞史上ベスト5には入る傑作だと思います。内容の大半が広東語で進んでいくので聞き取りの勉強にはなりませんがこの映画は言葉が全くわからなくてもはっきりいって関係ありません。全然楽しんで、感動できると思います。なんだかほのぼのしていて、なおかつ緊張感があって、うーん!!すばらしい!!
 「洗澡」は北京のお風呂屋さんを舞台にした家族ドラマですが、僕的に風呂屋がおじいちゃんばかりで北京語がいまいちよくわからない!それを除けは中国人の温かい家族関係を垣間見ることができます。
 これから少し中国、香港、台湾の映画にはまりそうな気がします。映画はハリウッド、日本だけではないと言うことを思い知った今日でした…。

2000年7月15日(星期六)

 この二里庄の寮についての文句はほんとにきりがなく、再び僕の部屋ではテ レビが、柳川さんの部屋では冷蔵庫が問題発生しまたまた服務員ともめています。
 今日は韓国人たちは校歌ではなく流行歌らしき少しポップな曲を歌っておりました。この方々は8月中旬にお帰りになるということで後少しの辛抱です。

2000年7月15日(星期六)

 今日は土曜日と言うことで昼まで寝てしまいました。語言大学の短期留学にもなんとテストがあったのですね?なんのテストなのか?全くわからないまま来週のテストを迎えそうな雰囲気です。
 最近はジェルミーがいなくなって傷心のウィルと毎日昼食を取っているのですが、最初北京にきたときは自分の隣に見ず知らずの白人が裸で寝ていることに恐怖すら覚えましたが、半年間の生活の中でそんな感覚も麻痺して当然の環境になっていました。今、彼と中国語で会話をしていると本当に彼のおかげでこうして中国語を話せているのかもしれないとすら感じます。日常会話の80パーセントは彼から教わったようなものですから…。今は一人になって生活していますが、あの狭いベットで1メートル向こうには奴が裸で寝ている!!あの環境がなんだか恋しくも思う今日この頃です。

2000年7月14日(星期五)

 ちなみに今日も38度を記録した北京!!しかし夜は風さえ吹けば結構心地よく眠りにつけます。
 拓良君はいまだにパソコン相手に格闘しています。この週末を利用して最初から作り直してみようかなんて思っています。僕のホームページはまだまだ先のようです。
 今日はベトナム行きの切符を買いに行ってきましたが1023元、安いのか?高いのか?僕には判断しかねる値段です。8月11日出発に決定しました。
 僕の階に住み着いた韓国人たちは夜な夜な宴会を繰り広げています。しかし礼儀正しいことに毎日11時きっかりに宴会を止めるのです。うるさいなりにも礼儀をわきまえたやつらです。しかし問題が一つ…。それは毎日10時50分付近に訪れます。やつらは同じ大学から来ている短期留学生なのか、その時間になると毎日宴会の締めとして校歌らしき韓国語の歌を歌いよるのです。言葉もわからん国の方々の合唱は僕の部屋に響き渡り一瞬で怒りを呼び起こさせます。
 まあものの数分の出来事なのでいつも我慢していますが…。

2000年7月12日(星期三)

「ほら出たまたでた40度!!」
 北京はこれで4度目の40度!!去年は2度しかなかったらしくテレビではしきりに異常気象だと叫んでいます。そんなこと言ったって君の国が地球温暖化の最大の原因の排気ガス、石炭の煙を撒き散らしているのだから自業自得で しょう!!そう考えてみるととことん理不尽な国です。
 今日は学校帰りにVCDを購入!!なんとミッションインポッシブル2がもはや店頭に!!と言うわけで早速購入!!まあ肝心の会話は英語ですが下に中国語の字幕があるのでまあ何とかなるでしょう!!できもしない英語と見てもわけのわからない中国語と格闘してまいります。
 それではこの暑い中外へ出る気には到底なれないので映画鑑賞でもしてゆっくりします。

2000年7月11日(星期二)by みんつぁん

「悪戦苦闘しております。」
 私名倉拓良、こんなにパソコンと格闘しているのは初めてではないでしょうか?
 先日もお話したとうり、何とか作ったホームページをアップロードするために色々な手段を講じているのですが、なんでも「拡張子が違います!!」と出てきて肝心の私の文章を読んでくれません。一体どうしたことでしょう?パソコン音痴の私には全く理解できない状態に突入しておりまして…。
 まあそんな感じで一つ一つ覚えていくんでしょうが…。アップロードできないのではどうしょうも無いじゃありませんか??
 そんな感じで今日一日は終わっていきます。結局今日も何もできないままなのでしょうか??
 この寮は相変わらずの問題だらけ!!また今日から台湾の「東森電視台」が全くうつらなくなりました。いったいなんの問題なのか?これだけ問題が多いと何もいう気がなくなります。っというわけで今回は何も文句は言っていません。しかし別の方々が文句を言ってくれているようでカウンターのシャオジエは今日も切れぎみです。

2000年7月9日(星期日)by みんつぁん

 名倉拓良君この宿舎の中でついに反撃を開始しました。あまり大きな声ではいえませんが洗濯をただでする方法を発見してしまいました。なんとも子供じみた技ですが通用してしまうから怖い!!青い洗濯コインに何とか努力して穴をあけそこにひもを通し一度入れたコインを引き抜けばいいのです。
 子供のころ50円玉に糸を通して50円でジュースを買おうとしていた頃を思い出します。だかが一度3元のことですがこれからのことを考えると結構いい技だと思いませんか?これで月々30元は節約だきるのではないでしょうか?
 森下さんが去った後、僕の階には韓国人の学生30名の団体様が入り5階はリトル・韓国と化しています。彼らに配られた韓国料理店の菜単が僕の部屋にも配られていたのですが、全くの象形文字状態です。よく見るとカタカナっぽいんですが、どことなく漢字っぽい、でも丸が多いのはなぜ?そんなことを考えながら全く交流が無いであろう彼らと今のところ問題なく生活しています。階すべてが埋まるとどことなく活気があるような気がしますが、あの言葉が僕を囲むと恐怖すら覚えてしまいます。
 そういえばまず日本語でかいている日記だけでもホームページにしようと考えていたのですがサイトの転送がうまくいきません。サーバーのアドレスが違いますなどと表示されて送ってくれないのです。なんだかわけのわからない世界へ僕を連れて行ってくれるホームページ作りですが、なんだか知らない世界を少しづつでも知ることは楽しいものですね!
 ここ数日中にくだらないホームページをご覧になれるよう努力しておりますので…。
 北京は今日も快晴です。

2000年7月8日(星期六)

 ホームページ管理者senxiaは本日より一時帰国いたしますので、しばらくの間は北京の様子をお伝えできません。すみません。
 7月24日より、番外編の「在語言学院的日子」をお伝えしますので、またよろしくお願いいたします。

2000年7月7日(星期五)

ファイナルファンタジー9 ふと五道口に行ったときに盗版の店に寄ったら、プレステのゲームのファイナルファンタジー9が売っていました。日本ではいつ発売されたのか知りませんが、聞くとまだ出たばかりだという。ホームページとはいえ、公開の場でこのようなことを堂々と載せていいのか知りませんが、とにかく安い(28元)ので買ってしまいました。一時帰国間近にして、またゲームにはまってしまいました。荷物の整理をしなくてはならないのに・・・。

2000年7月5日(星期三)

 二里庄の留学生公寓内に新しく開店した韓国料理屋へ行ったのですが、味も良くなくて、高かったです。比べてみるとやはり北師大のそばのコッポモリは安くて味もまあまあでいいですね。
 北師大周辺のお店情報、現在情報掲載を中断していますが、8月末北師大に戻り次第再開しますので、しばらくお待ちください。

2000年7月4日(星期二)

 過去の「在北師大的日子」を少し模様替えしました。以前よりは見やすくなったと思います。

2000年7月3日(星期一)

 一時帰国のための飛行機の切符を受け取りました。JAL大阪北京往復で3850元。ここでついでに北京からの航空券の大体の値段を紹介しておきます。これから留学しようという方、一時帰国を考慮して高い一年オープンチケットなど買わされないようにしてください(笑)。以下は学割の価格です。
北京-東京往復日本航空4500元
パキスタン航空3500元
片道2500元
北京-大阪往復3500元
片道2000元
北京-福岡往復4500元
片道2500元
天津-名古屋往復4500元
片道2500元
 これらの価格は時期や切符を扱っている会社によって上下します。大体の価格なので、注意してください。また中国ではCAとJALの切符はほとんど同じ値段、あるいはJALの方が安いこともしばしばあります。

2000年7月2日(星期日)

柿崎くんと同学のみんな 一時帰国していた同屋の柿崎くんが帰ってきました。日本へ帰った当日気温は僅か19度で、一人で半袖半ズボンという姿でめっちゃ寒い思いをしたそうです。しかし、北京に戻ったらそこは最高気温40度・・・。体の調子を崩してしまいそうですね。
 さあHSKまで後一週間、ラストスパートです。

2000年7月1日(星期六)

 でました!今日の最高気温予報で40度が出ました。気温40度なんて生まれて初めての体験です。でも、仕事が休みになったとかそういう話は聞いていません・・・。さすがに炎天下の建築現場では仕事をしていませんでしたが。代わりに夜にでも仕事しているんじゃないですかね。
 それから出たといえばもう一つ。以前紹介した北京版ロトくじ、とうとう特等当選者が出たようです。賞金は500万元(約6000万円)!僕もずっと買い続けているのですがさっぱりです・・・。堅持就是勝利!

  2000年6月1日〜2000年6月30日