片 -在北師大日子-

  2000年9月1日〜2000年9月30日

2000年8月31日(星期四)

 夜、柿崎くんと食事に出かけようとしたら、東門の所にどこかで見たことあるような人が・・・!!!鈴木さん(第二公寓非公式ページ参照)ではないですか!休みの間大連で泳いでいたそうで、ずいぶん焼けて黒くなっていました。そういえば、ウサギのポチの行方は???今日はあまり長く話をすることができませんでしたが、また詳しく聞きます!

2000年8月30日(星期三)

 現在ホームページ改造中です。文字が重なる等の症状がありましたので、色々試して直しているところです。もし何かお気付きの点がありましたら、どうかメールにてお知らせください。
 中国留学についての素朴な疑問・質問集をコンテンツに加えることにしました。今までのメールや掲示板での質問、記録片から抜粋して掲載します。またアドバイス等ありましたら、よろしくお願いします。

2000年8月29日(星期二)

 一ヶ月の短期留学の間に、柿崎くんのCDコレクションは驚くほどに増えていました。元からCDを買うのが好きで、日本でも結構買っていたと言っていましたが、とにかく安いので買い方も半端じゃない。そして、ホームページでコレクションを紹介してしまおという提案をしたら、喜んで引き受けてくれました。今の時点でも70枚以上はあるので、完成するまでにずいぶん時間がかかりそうですが、乞うご期待!

2000年8月28日(星期一)

 昨晩旅行に行ったとばかり思っていた同屋が、1時半頃帰ってきてとてもびっくりしました。ちょうど柿崎くんが部屋でファイナルファンタジーをやっていたのですが、彼はそれを見てうれしそうに「ファイナルファンタジーか?僕も小さい頃お兄ちゃんとやったよ。」といっていました。これが彼と交わした初めてのすこし親密な言葉です。
 彼は今日から今日の夕方の飛行機で旅行に行くみたいです。ウイグルに行くと言っていました。うむむ、彼が旅行に行く前に顔写真をとっておくべきでした。彼の詳しい紹介は旅行から帰ったらします。

2000年8月27日(星期日)

柿崎くんの頭を刈る徳重さん。 もう北京の床屋(及びカリスマ美容師(記録片5月を参照))は信用できないと、柿崎くんは自分でバリカンを買ってきて、頭を丸めました!しかしそのバリカンはたったの90元、安い・・・。でも、とてもしっかりとしていて、とても90元には見えません。徳重さんと僕で一緒に後ろと耳の周りを刈るのをお手伝い。まあまあのできじゃないですかね。
 同屋のアメリカ人は、どうやら旅行に出かけたみたいで、今日は部屋にいません。漢字がわからんだろうと、エアコンの設定を「除湿」にしておいたのに、帰ったらちゃんと「冷房 設定温度22度」になっていました。どうやら彼を甘く見すぎていたみたいです。でも、旅行に出かけるのにどうして部屋の温度を22度にする必要があるのだ?

2000年8月26日(星期六)

 更新遅れてすみません。僕らが帰ってきた日に実は徳重さんも帰ってきていたようです。昨日初めて会いました。外で住むといっていたのに、どうやらまた第二公寓に戻ってきたようです。そして今日、武村さんが沖縄から北京へ戻ってきました。少しずつ第二公寓に以前のメンバーが戻り、人気のあまりな胃静かなこの第二公寓に、活気が戻りつつあります。
 同屋のアメリカ人について。僕の同屋だけでなく、一般的に西洋人はクーラーを利かせ過ぎる。柿崎くんの同屋なんて設定温度16度にしてかけているみたいです。しかも寝るときにも部屋にいないときにもかけっぱなし。おまえらエアコンがないと生きていけないのか!
 しばらくは同屋に対する愚痴日記になりそうな気配です(笑)。

2000年8月24日(星期四)

やっぱり第二公寓のベッドは寝心地がいい。 引っ越しも終え、やっと落ち着きました。第二公寓に戻ってきました。新しい部屋は305。柿崎くんも同じ日に戻ってきて、彼は元の302にいます。僕らの新しい同屋はどちらもアメリカ人。この部屋しか空いていないからと言われて仕方なく承諾したのはいいけど、実際他の部屋はがらがらでした。また付小姐にやられたよ。こんなに長く住んでいるのに全く融通を利かせてくれない。要するにうっとおしいアメリカ人が一緒に住まずに別々の部屋に入ったため、僕らはその余った部屋に先に入れられただけ。僕のアメリカ嫌いを承知でのことか?そういう彼は彼女と出かけているみたいで、夜も部屋に帰ってこない。まだ一度しか顔を合わせていません。どんな人なんだろう・・・。とりあえず、エアコンの設定温度を19度にすることと、陽台でタバコを吸うことはやめてもらうように言わないと。

2000年8月23日(星期三)

 今日をもって語言学院の4週間短期留学を終えました。本当は夕方に卒業パーティーがあったのですが、僕は引っ越しで忙しかったため参加できませんでした。最後にみんなで写真を撮りたいなと思っていたのですが、今日授業に来たのはたったの4人。結局写真は撮りませんでした。
 去年の9月から約一年北京で一緒に過ごしたウィルとも今日でお別れです。一ヶ月あまりだけれども、彼と同屋どうしだったこともありました。彼は今日の便で帰国するそうです。
 今朝外で朝ご飯を食べているときに、来たばかりで9月からの留学に参加するという女の子に出会いました。インターネットの接続ができないということで、ちょっと人助け。日本でグローバルローミングサービスを申し込んできたそうですが、北京のプロバイダーを使うことをお勧めしました。
 ということで、また北京師範大学第二公寓に戻って参りました。「在語言学院的日子」は今日で終了し、明日から「在北師大的日子」を再開します。(内容は大して変わりませんが)

2000年8月22日(星期二)

 昨日は閲読、今日は口語の試験がありました。昨日の夜遅くまでずっと試験に出るかサボってしまうか迷っていたのですが、結局出ることにして、夜中の12時頃から準備を始めました。おかげで今日は試験のあと部屋に帰って思いっきり昼寝をする結果に・・・。
 同屋のアルフォンソの大の友達マルティーノ(メインの写真の一番右の人です。としは18歳。若い!)は、もう数日で留学も終わりという頃になって、なぜかキックボードをふたつも買ってきて、「スイスでは50ドルもするのに200元で買えるんだよ」とうれしそうにそれに乗って授業に出ています。彼はスイスに持って帰るつもりか?それもふたつも。
 北京語言文化大学出版の「漢語聴力系列 高級漢語聴力」のカセットテープが出版されました。

2000年8月20日(星期日)

アルフォンソとばんりにて。 同屋のアルフォンソとももうすぐお別れです。僕は23日にはこの寮を出てしまうし、彼は24日に出るそうです。僕らは北京で出会ったことを記念して、なぜか「ばんり」で食事をしてきました。彼が食べたのはチーズ巻き豚カツ。「北京で食べた一番おいしい肉だよ」って言っていたけれども、なぜか食べるときに口がふるえていた。何だか無理に食べているみたいに。彼の癖なのかな?でも、カツは残さずに全て食べていたので、おいしかったんだと思います。

2000年8月18日(星期五)

 この4週間の短期留学にもちゃんと試験があるそうです。何となく試験だと思うと億劫になってしまいます。試験の内容は用意された題目の中から一つを選び、それについて5分ほどのスピーチをする。題目は授業でやった内容に関わるものですが、「どのように子供を教育するべきか」とか「近所付き合いはどうあるべきか」とか「猫ばばについて」というような眠くなるようなものばかり。試験サボっちゃおうかな・・・。

2000年8月17日(星期四)

留学生食堂 ずいぶん前に、掲示板で文法のことを書きましたが、その問題一つ解決しました。
 「差点儿」です。差点儿のあとに来る言葉が望んでいることである場合、意味は変わります。「差点儿考上大学」と「差点儿没考上大学」は考上大学というのはもちろん望んでいることなので、このふたつの文の意味は正反対になります。前者が「大学に受からなかった」で、後者が「大学に受かった」です。
 しかし、「差点儿遅到」の様にあとに来る文「遅到」が望んでいないことである場合、「差点儿遅到」と「差点儿没遅到」のこのふたつの分は同じ意味になり、「遅刻しなかった」という意味になるのです。
 「そんなことわかっているよ」という読者の方には失礼しましたが、僕にとっては大きな発見でしたので、うれしくて載せました。これについて何か意見のある方は、どうぞ掲示板やメールにて、自由に意見してください。
 右の写真は昨日に引き続き留学生食堂の風景です。床が光っているように見えますが、もちろん光ってはいませんので注意。

2000年8月16日(星期三)

今日の昼食。これで6.4元(結構高い)。 僕の今住んでいる宿舎は語言留学生宿舎8号楼。短期の学生専用の宿舎で、自炊の設備がありません。ということで、仕方なく毎日すぐそばの学生食堂で食事をとっているのですが、まずい・・・。最近食事は毎日大きな悩みの種です。でも、おそらくこれは僕だけでの問題でなく、留学生一般に言えることではないでしょうか?何を食べようか?中華料理は脂っこくて胃にもたれるし、脂っこくないおかずは、あまりに味がなくて食べられたものではありません。友達何人かで外の店で食事をするならまだいいのですが。でも、まずいまずいといいながら、同学と一緒に食堂で昼食をとるのは結構楽しいです。

2000年8月15日(星期二)

 留学中は、授業が終わったあと時間を持て余すという人も多いでしょう。僕は北京にいる間、日本にいるときよりも小説を読みます。今日は宮本輝の「私たちが好きだったこと」という小説を読み終わりました。とてもいい小説でしたが、結末が何だかすっきりしなくて、そのせいか今日の午後は頭の中がもやもやとして少しいらいらしていたかもしれません。授業の予習もやる気がしない・・・。
 「愛子はなぜ与志くんを捨てたんだ?」(みんなのわからないネタですみません、どうしても腑に落ちないのです)

2000年8月14日(星期一)

旅行から帰って、早速自分のベッドで休むアレフ。 同屋のアルフォンソは今朝帰ってくる予定でしたが、授業が終わって部屋に戻っても彼の姿はありませんでした。案の定帰ってこれなかったかと心配していたら、外から彼とマルティーノの話し声が!どうやら硬臥には乗れず15時間硬座に乗って何とか帰ってきたそうです。僕と同じく風邪をひいてしまっていて、鼻をすすっていいます。それにしても、何とか帰ってきて一安心です。

2000年8月13日(星期日)

 薬を飲んで一晩寝たら、熱も引いてすっかりよくなりました。中国の薬、本当によく効ききますね。
 柳川さんと同じく人民日報でお仕事をされているnorishiさんの運営する「北京情報note」より、リンクの要請がありました。留学日記、北京観光やホテル情報、北京のニュース等、内容盛りだくさんのホームページです。是非ご覧ください。

2000年8月12日(星期六)

 今朝起きたときからのどがとても痛くて、体がだるい。どうやら風邪をひいてしまったみたいです。熱も少しあるみたい。薬を飲んで今日はおとなしくしていよう。授業休みでよかったです。
 薬といえば、留学している方は日本から常備薬を大量に持ってきている人も多いと思います。僕もそうです。特によくお腹をこわすので胃腸薬は何種類も持ってきました。しかし、この薬ですが中国で買った方がとても安くすむのです。頭痛薬も、胃腸薬も、風邪薬も何でもあります(当たり前ですが)。しかも、一箱数元で買えてしまうのがほとんど。それによく効きます。「中国の薬なんて大丈夫なの?」なんて心配せずに、中国で患ったものは中国の薬で治しましょう!

2000年8月11日(星期五)

 今日の午後、同屋のアルフォンソはこの間の旅行に懲りずに、またスペイン人のマルティーノと旅行に出かけました。行き先は西安。本当は上海に行きたかったらしいんだけど、汽車の切符がとれなくて西安にしたそうです。帰りは月曜日の朝になるとか。大丈夫かなあの二人で、中国語全く話せないのに。また悪い中国人に騙されなければいいけど。

2000年8月10日(星期四)

北外の柿崎くんの部屋。 今日は北京外国語大学の柿崎くんの所へ遊びに行き、一泊9ドルという贅沢な一人部屋を見せてもらいました。とても綺麗な宿舎でした。日本のBSも映るし。ただ、便所とシャワー室は共同で、結構汚かった・・・。すぐ斜め向かいのドア開けっ放しのガオチャオくんの部屋では、宇多田ヒカルが流れていて廊下じゅうに響いていました。

2000年8月9日(星期三)

 秋のような涼しい日も昨日一日のみで、今日はまたとても蒸し暑い天気に戻っています。しかし、雨が降ったせいで空気はとても綺麗で気持ちがいいです。
 昨日同屋のアルフォンソがスペインから持ってきたという、アスパラガスの缶詰を僕にくれました。どうしてかはよくわかりません。とにかくくれたのです。とてもおいしいから食べてくれって。なぜかペルー産て書いてある。僕は缶詰のアスパラガスが嫌いで、日本でも1、2度食べたことがあるだけでした。今日こっそり食べようとしたのですが、缶切りがない・・・。仕方なくはさみを打ち付けて少しずつ穴をあけて缶を開けました。味は、僕の想像していた缶詰のアスパラガスそのままの味でした。結構大きな缶詰で、全部で20本くらいあったのですが、数本食べて残りは捨てました。ごめんアルフォンソ。

2000年8月8日(星期二)

 今日は一日中雨でした。そのせいもあってとても涼しくて過ごしやすく、立秋も迎えなんだか急に秋が来たみたいです。この雨で深刻な水不足も少しは緩和されたかな・・・この北京の何処が水不足なのだ?街の至る所で芝生やら植木やらに水をばらまいている。しかも、その量が半端じゃない。もう水浸しになって土がぐちゃぐちゃになっているのに、大小のスプリンクラーは宿命的に回り続けている。もうちょっと合理的な水のやり方があると思うんだけど・・・。矛盾だらけです。

2000年8月7日(星期一)

 先日ひさしぶりにブラックマーケットへ両替に行ったら、なんと100ドル=850元まで値下がりしていました。最近はドル円ともにずっとブラックマーケットのレートが下がり続けていて、これは元の信頼度が上がっているからなのか、中国人が外貨をほしがらなくなったからなのかはわかりません。ここまでレートが落ちると、ヤミ両替の意味があまりないですね。安全性のことを考えたら、トラベラーズチェックのがいいかも知れないと思い始めています。

2000年8月6日(星期日)

 久しぶりに柿崎くんと会って一緒にご飯を食べました。柿崎くんは現在北京外国語大学で短期留学に参加しています。とにかく宿舎から教室まで行くのに三環路をわたらなくてはならなくて、とても面倒だとか。そのためにまた新しく自転車を買ったガオチャオくんは、買ってすぐにまた盗まれたそうです・・・。
 北京外国語大学の短期のクラスはクラスの分け方があまり細かくなくて、柿崎くんのいるクラスが一番上のクラスだそうです。先生は北京外国語大学の大学生なのでそんなに教え方はよくないけれども、先生がとてもかわいいと絶賛。どおりで勉強にも熱が入るわけです。
 それから、7月に行われたHSKの結果が出ているそうです。柿崎くんは・・・、結果が怖くてまだもらいに行ってないそうです。

2000年8月5日(星期六)

 今朝早くから同屋のアルフォンソは友達と北載河へ行くといって、7時頃出かけていきました。彼の友達はスイス人でやはりアルフォンソと同じく中国語は全くだめなのです。大丈夫かなと心配していたのですが、夜遅くかえってきた彼にどうだったと聞くと、案の定トラブルにあったそうです。
 まず、お約束のタクシー。浜辺に行きたかったのに、ホテルに連れていかれた。そのホテルに泊まると、ホテルからタクシーの運転手に手当が出るのである。でも、アルフォンソ達は日帰りの予定だったので意味なし。いろんな所へ勝手に連れて行かれたのに関わらず、請求はしっかりされた。
 向こうで中国人二人のガイド(???)に出会ったらしいんだけど、彼らと食事をした時、海鮮料理の店でめちゃくちゃたくさん料理を勝手に頼まれて、精算してみたらなんと約1000元!!!持っていったお金ほとんど全てをここで使ってしまったらしい。本当に腹の立つ話だけれども、よくある話だけに「ああ、やっぱり」と納得してしまう。それにしても何で中国人てこんな奴らが多いんだろう。何もわからないことをいいことに外国人を騙して、全く最低な奴らだ。やっぱりついていってあげればよかったかな。
 みなさん旅行の際には中国人にカモにされない様に気をつけましょう!

2000年8月3日(星期四)

 先日かかってきた電話。「ウェイ」「ニイハオ、This is Julia, Can I speak・・・・」「ニージャオアルフォンソ、シーマ?ターブザイ」「OK,I will call ・・・」ばりばりの中国人なのに何で英語じゃと思い、僕は最後まで中国語で話しました。しかも名前はジュリア。中国人はどうして英語の名前を付けたがるのでしょう?自分の名前に誇りを持っていないのかな。でも、日本語を勉強している中国人が日本語の名前を付けているということは聞いたことはありません。

2000年8月2日(星期三)

 今日は閲読と、口語。時間割は口語が毎日あり、閲読が3回聴力が2回の計週で10コマ。以前はこのほかに報刊という新聞閲読の授業があったのですが、どうやらなくなったみたいです。正解ですね。僕も北師大留学中この報刊の授業が一番苦痛で、後期には出なくなってしまいました。(他の授業もさぼっていましたが・・・。)
 個人的には口語の授業が結構気に入っています。先生が若い女の先生だから・・・ではなくて、授業のスピードもテンポよく、緊張感があり、更に学生一人一人に話す機会を与えるのが比較的多いと思います。それにとっても聞き取りにくい僕ら留学生の話す中国語を真剣に聞いてくれる態度や、それぞれの考え方や、国の文化をとても尊重する心遣いが伝わってきます。ウィル曰く、北師大にはこういう先生はあまり多くない。特に研究生がそのまま留学生に中国語を教えているケースが多く、教え方に不満を持つ留学生も多いとか。もちろんいい先生もいるけれども。彼らの教学研究にとって見ればそれでいいかも知れませんが、僕ら留学生にとって見れば、限られた時間を有意義に過ごすべく、どうせならいい先生に教えてもらいたいですよね。僕らのクラスの口語は「当たり」と言っていいと思います。
 申し遅れましたが、名倉くんのホームページ「日本男児in北京」をリンクしました。北京での留学生活を日記形式で紹介しています。日本人なら共感する部分も多く、笑えます。是非ご覧ください。

2000年8月1日(星期二)

 僕らのクラスのカナダ人はどうやらケベック州の独立にとても賛成していて、フランス語をこよなく愛する人です。フランス語を愛するのは勝手だけれども、わざわざ僕らに「英語で話しかけてくるやつは、世界中の人が英語を話していると思っているのか、これは侮辱だ!」と声高々と言うこともないのにと思う。じゃあおまえは何で中国語を勉強しているのだ?カナダで、世界で一番偉大なフランス語でも勉強していればいいのに。きっと、世界の人々にフランス語がどんなに素晴らしいか、ケベックが独立すべきである国であることを伝えに来たのでしょう。そういう彼は、毎日とても不機嫌そうな顔をして教室に入ってくる。そして、寒くて空調機を止めようとしていた日本人の女の子に、「暑すぎるよこの部屋」と一言。
 怖くて彼の顔写真を撮れないのが残念です。

  2000年7月1日〜2000年7月31日