下山

 狭い頂上には,沢山の人がひしめいていた。ほとんど意外であったが,この寒い中をOさんは一時間も私を待っていてくれた。急な岩山を,太い,真っ白なロープを伝わっておりてゆく。目の角度の具合だろうが,登りよりも下りの方が斜面のきつさを強く感じる。よくもこんな所を登ってきたものだ。とはいえ,危険な場所は全くない。少しでも危険そうな場所には,必ずロープが張られている。登りの時は,暗かったせいか,あまり感じなかったが,下りながら,道の作り方に,はっきりとした方針が貫かれていることに気づいた。まず,日本の山道のように,くねくねと斜面を巻いてゆくということがない。原則として,ほぼ最短距離に道が作られている。そして,木を切る本数は,文字通り必要最小限にとどめられている。道の真ん中に根を張っている木でも,斜めに倒されてはいるが,道の外に向かって枝を伸ばしている。しかも,その根の所々に切り込みが入れられ,雨の日に根の上に乗っかっても決して滑らないような工夫がされている。道を作ることによって破壊する面積を最小限にとどめるが,安全に登れる条件は確実に整えるという意図がはっきりと感じられる。

 以前行ったランカウイ島のベルジヤャホテル(「ホテル」と言っても,大きな一つの建物ではなく,海岸沿いにバンガローのような建物が点在している全体をベルジャヤホテルと呼んでいる)で,台風の後,いくつもの建物に木が倒れ込み,屋根などが壊れているのを見た。日本だったら,管理責任うんぬんが新聞紙上をにぎわせかねない光景である。建物の周囲の,最小限の木しか切らないのでこういうことにもなるのである。日本でよく見るような,山腹をぐるぐる巻いた山道を作って山肌をずたずたに切り裂いたり,木を全部伐採して整地し,カラマツを植えてから「自然の中の別荘地」などと称して分譲するやり方と比べると,はるかに自然に対する思いやりを感じる。

 しかし,これがそのままマレーシアの人々の自然に対する姿勢と言い切れないところが微妙である。コタキナバルから公園事務所への送迎車の窓から,至る所で伐採され,地肌がむき出しになった山,焼き畑により,林の至る所から出ている白い煙を目にした。しかし,前者には,日本企業が大きくかかわっていることは周知の事実だし,後者についても,伝統的な焼き畑農法は自然のサイクルとうまく一致した,熱帯の気候において合理的なものだとする分析を読んだことがある。山道やホテルの作り方も,単にもっとも安価にできるように作った結果かも知れない。本当のことはきちんと調べなくては分からない。

 山の頂上に立つことを,「頂上征服」といった言い方をすることがある。しかし,キナバル登頂に関しては,「征服」などという言葉は実感から大きくかけ離れている。「征服」した人がいるとすれば,頂上に至るまで,ただの一ヶ所も危険な場所のない,しっかりした山道を作り上げた人たちであろう。それ以前に,ガイドに付き添われ,防寒具やカメラ関係の道具をポーターに持ってもらってやっとのことでラバン・ラタ・レストハウスまでたどり着いている。「征服」などという言葉を使うのは全くおこがましい。いろいろな人に助けていただいて,頂上に立たせてもらっただけである。

 急ぐ理由は一つもない。それに,今日の予定はラバン・ラタ・レストハウスに着くことだけである。写真を撮りながら,ゆっくり,ゆっくりと下ってゆく。我々のあまりのペースの遅さにガイドのA氏も呆れたように,所々で昼寝をしている。我々のペースに合わせて歩いてゆくことはほとんど困難であり,時々起きだして我々に追いついてはまた寝転がるのを繰り返している。ウサギとカメのようだが,残念ながら童話のようにカメがウサギに勝つことはない。レストハウスの少し手前で,先に行って待っている作戦に変更した。

 持っていったカメラについて一言説明しておくと,CanonのPowerShot600Nというデジタルカメラである。一生に一度行けるかどうかという場所によくもデジカメなんかを持ってゆくとまゆをひそめる向きもあろう。巷では,このカメラはあまり評判が良くないのか,秋葉原でもほとんど見かけない。つい一ヶ月前,HDカードとセットで定価の3分の1以下の捨て値でおいてあったのを購入したものである。使いにくいと評判のこの武骨なデジタルカメラを私はとても気に入っており,少し弁護しておこう。

 「デジカメなんぞ」という評価を受けやすいのは,私に言わせればインチキカメラが堂々とまかり通っているせいである。計算の方法はよく分からないが,100万画素を越える画像を記憶しようとすれば,1枚の画像で多分1MBを越えるデータ量になるだろう。これだけのデータをメディアに書き込もうとすれば,電力消費もかなり大きくなる。しかし,巷で売られている売れ筋のデジタルカメラは,メガピクセル,4MBのスマートメディア,乾電池といった仕様である。何百枚も写真を撮ろうとする場合,一体どうするのだろうか? 何十枚もスマートメディアを使い,乾電池を何十個も持ってゆくのだろうか? 後者はそうらしいが,前者に関してはトリックがあり,画像を相当圧縮してから記録するやり方らしい。

 土台,画像の圧縮なんてものは,Photoshopなどの画像処理ソフトで画像に色々手を加えた後で,一度だけやることである。初めから圧縮してある画像に手を加えて再圧縮をしたら,画像はずたずたになる(いい例が,このサイトで以前に私がupした画像である!)。

 そこへ行くと,このデジタルカメラは実に「まとも」である。57万画素というスペックは確かに最新のものと比べると見劣りするが,170MBのHDカードが入り,無圧縮画像を200枚以上楽々記録できる。しかも,バッテリーで駆動するため,徹底的に撮りまくっても,一日1回バッテリー交換する程度でだいたい間に合う。さらに加えて画像と共に音声を記録できるため,私のように,ホームページに画像や紀行文をUPすることを趣味としている者にとって,現状ではこれ以上のデジタルカメラはない。

 この,あまりにもまともなデジタルカメラが,パーティツールのようなおもちゃに駆逐されて,徐々に店頭から姿を消しているのに私は危機感を持っていた。

「PowerShot600Nが製造中止になり,かつ,私のPowerShot600が故障したらどうなるか?」

 このサイトの閉鎖まで覚悟しなくてはならない事態である。そんなとき,

「こんなもの,どうせ売れないから持ってけ!」

 と言わんばかりの値段で,PowerShot600Nが,以前から買おうかどうしようか迷っていたHDカード共々パソコンショップの片隅に置かれていたのである。とある理由で年末に小金を手にしていた私がそれに飛びついたのは言うまでもない。そんなわけで,結局は使わなかったが,ポーターのE氏に持ってもらったカメラバックの中には,予備機に格下げされたPowerShot600まで入っていたのである。

 Canonの人が読んだら泣いて喜びそうなことを少し書きすぎたかも知れない。金一封とともに,感謝状をもらえるなら,決して辞退することはないが,実際は欠点もあるので触れておく。まず第一に,焦点を合わせるのに時間がかかるため,一瞬のシャッターチャンスは確実に逃すことである。だから,蝶など,動きのあるものの良い写真はめったに撮れない。次に,データの書き込みに時間がかかり,1枚撮影してから次に移るまで,時間がかかりすぎることである。おそらくは,まともに焦点を合わせ,まともに書き込んでいるばか正直さゆえであろうが,特に後者はどこかにデータをキャッシュしておき,アイドルタイムにメディアに書き込むなど,何かやり方がありそうな気がする。

 周囲の風景,植生の移り変わり,植物などを撮影しながらのんびり下山したら,ラバン・ラタ・レストハウスに着いたのは11時になっていた。行きと同じ,4時間かかって下山したことになる。レストハウスのチェックアウトタイムは10時とある。距離にして2kmと少しである。たいていの登山者は10時よりずっと前にレストハウスに到着するのだろう。


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