ラバン・ラタ・レストハウスに到着し,昼食をとってからしばらく布団で寝転んでいた。明日,午後4時に柿沼君の運転する車が私たちを迎えに来る。帰りも写真を撮りながらゆっくり下ることを考えると,朝9時頃に出発することになろうか。だとすると,明日の朝はそんなにのんびりはしていられない。今日中に色々見ておこう,とレストハウス周辺の植物を見て回ったが,一時間ほどで飽きてしまい,また布団に入った。レストハウス周辺は荒れ地状で,それほど花が多くないためもあるが,何よりものんびりしたかったためである。
キャメロンハイランド,ランカウイ島などの観光地に行くと,西洋人の休暇の過ごし方のうまさを痛感してしまう。日本人は名所旧跡などを忙しく回って,まるで仕事をしているかのように見えることもあるが,彼らは決してそんなことはしない。一日中ベランダでコーヒーを飲みながらぼんやりしていたり,プールサイドで本を読んでいたりする。私も彼らのように,ランカウイ島で一日プールサイドで本を読んでいたこともある。しかし,その実態は,似て非なるものであった。何しろ,彼らが読んでいたのは小説などであったが,私が読んでいたのは,仕事に関係する本であったのだから。今日も,のんびりしていたとはいえ,明日のために身体を休める,というような気持ちがあったことは決して否定はしない。
翌朝,予定通り9時に出発。写真を撮りながらのんびり下ってゆくと,重そうな荷物を背負った女性が何人も登っていった。空身で歩いても疲れ果てていた自分が恥ずかしくなるような光景である。大体20〜30キロの荷物を背負っているのだという。こういう人たちの人件費を考えたら,ラバン・ラタ・レストハウスの食事などはもっと高くても良い。もちろん,日本との比較でなく,コタキナバルの町と比較してのことである。
レストハウス周辺も,かなり霧が出るが,この道沿いも時々霧が出たと思うと,また晴れるのを繰り返している。昼近く,標高2621mのラヤン・ラヤン職員駐在所を過ぎるあたりから少しずつ熱帯多雨林らしい雰囲気の林が見られるようになってくる。ウツボカズラが多いのは,この下である。といっても,自分で探し出したものなどはほとんど皆無である。登山道から,ウツボカズラのまとまって生えているポイントまで細い道がつながっており,ガイドのE氏にそこへ案内してもらっただけ。何もかもが人頼みである。
ずっと下ってきた道が,初めて急な登りに転じた。時間は午後1時を少し回ったところ。登山口の手前の最後の登りである。
登山口の発電所前には,バスが待っていた。柿沼君の車が迎えに来る4時まではまだ時間があるため,公園の中の道をゆっくり歩いて行く。ガイドのA氏とポーターのE氏の二人は,バスに乗って先に行って待っていて欲しいと頼んだのだが,たとえ公園の中でも,そういうわけにはいかないらしい。車に乗るとあっという間であるが,歩くとかなり長い道である。ゆっくり歩き,レストランで遅い昼食をとり,公園事務所でガイドのA氏とポーターのE氏と別れるとまもなく,車が到着した。
蝶はほとんど見なかったとはいえ,国立公園の中で,ネットを持たずに歩き続けるということは,少なからずストレスを感じるものである。明日はネットを振れるのだな,と思うと何とも嬉しい。ポーリンのOT氏の所に伺って,状況を聞くのが今日の残った予定である。といっても,日本ではOT氏と連絡が取れず,今日私たちが向かっていることすら知らせていない。実に勝手な「予定」であった。Bunsitおよび,Kundasangに行ってきた柿沼君達の話によると,蝶の数はとても少なかったという。大体において,蝶が多いときにはどこへ行っても多いし,少ないときはどこへ行っても少ないものだ。果たして会えるのか,という不安と,聞いても無駄ではないか,という不安。案の定,ポーリンのOT氏は外出中で,仕方なく,写真家のY氏の書き込みの入ったO氏の名刺をドアのところに挟み,KundasangのPerkasaホテルに取って返した。途中,モンキーバナナをめぐるちょっとしたトラブル(?)があったが,これは内輪受けネタに近いので,紹介しないことにする。