頂上を目指す
ここまで来ると,コタキナバル周辺とは打って変り,かなり涼しい。ラバン・ラタ・レストハウス周辺は,花がかなり多い場所であり,もちろん,植物の種類は全く異なるが,北アルプスの雲の平あたりを連想させる。ベランダからは,雲に覆われた麓の山々が一望でき,とてもすがすがしい。日本人は,ここを単なる登山基地として利用し,一泊するだけで帰ってしまう場合が多いというが,一週間ぐらい滞在してのんびりしたい場所である。とは言え,明日の朝は午前3時出発,何でこんな夜中に出かけなくてはならないのか,と思ったが,単に頂上から御来光を眺めるためだけはないらしい。午後になると,天候が崩れる可能性があるため,午前中に登山を終えるようにという指導があるという。これだけ涼しいと,また風邪がぶり返す危険があるため,風邪薬を飲んで早めにに布団に入った。かなり寒いことは予想していたので,シュラフカバーは持参していたが,これを使うととても窮屈で眠りにくい。結局毛布をもう一枚貸してもらい,毛布2枚をかけて眠った。
部屋は二段ベットが2つある4人部屋で,私たちが部屋に入った少し後に,西洋人の二人連れが入ってきていたが,疲れていたうえに風邪薬を飲んでいたせいか,一言もしゃべらずに眠ってしまった。なお,彼ら二人は我々がレストハウスに戻ったときにはもうおらず,下山したようだった。たった一日とはいえ,日本人の方が長く滞在するという珍しいパターンが実現したことになる。
翌朝3時少し前,ガイドのA氏と一緒にレストハウスを出た。拍子抜けするほどあまり寒くない。寒いと思ったのにこんな程度か,と思ったが,これが思い違いであったことは後で気づいた。標高を稼ぎ,日の出が近づくほどどんどん寒くなり,頂上近くでは0℃近くまで下がっていた。懐中電灯をもって三人で歩き始める。Oさんはどんどん先に行ってしまった。昨日と同じように,ガイド氏と一緒に歩きだす。マイペース,マイペースと自分に言い聞かせるが,なかなか自分のペースがつかめない。何組ものグループが追い抜いてゆく。ちょうどよいペースメーカーを見つけた。5人ほどの日本人のグループの一人が高山病的な症状が現れてしまったようで,みんなでゆっくり歩いている。真っ暗な中,私もその後について行くことにする。ちょうどよいペース。このペースでゆっくり,ゆっくり登ればよい。急ぐ理由は何もないのだから。
「どうぞ,お先に」
「いえ,結構です」
こんな会話を2回ほどしただろうか。リーダーらしき人がもう一度,
「私たちはゆっくり行きますので,どうぞお先に行って下さい」
登りの途中で私が感じていた圧迫感を,この人たちに与えてしまっていたようである。
「いいえ,私もとても疲れていて,自分一人ではうまくペースがつかめないのです。このペースがちょうど私に合っているので,どうか一緒に歩かせて下さい」
「それでは,一緒に行きましょう」
真っ暗だったので表情は分からなかった。
ゆっくり,ゆっくり歩いてゆく。キナバル南峰を横に見るあたりでは,懐中電灯はいらない程度に明るくなっていた。初めから予想していたが,頂上で御来光を眺めるのははっきりと無理になった。何も急ぐ必要はない。はっきり言って,今日中にラバン・ラタ・レストハウスに戻りさえすればよいのだ。日本人のグループよりもさらにペースを落とし,周囲のコケ植物,イネ科植物などを眺めながらのんびり歩いた。A氏は,私が疲れていて登れないというよりも,まじめに登る意志がないことに気づいたようで,先を歩き始めた。頂上で待つことにしたらしい。
6時少し過ぎ,右手に見えるキング・ジョージ・ピークなどの山々,そして左手に見えるセント・ジョンズ・ピークに日が当たり始めた。美しい。日本では見たことのない景色である。後は,ロープを伝わって頂上に向かうだけ。頂上には7時頃に着いた。発電所から,レストハウスまで6時間,レストハウスから4時間。平均コースタイムを大きくオーバーしたが,やっと到達した。
頂上に立って,当たり前のことに妙に感動していた。エベレストの山々など,登山のために特別な技術が必要な山は確かに存在するのだろう。しかし,たいていの山はいつかは登れるのだ。時間をいくらでもかけてよいのなら,一歩一歩歩いているかぎり,いつかは頂上に立てるのだ。