厚木基地基地祭『WINGS2000』見聞記(その1)
○いきなり崩れる予定
広田が明日の支度を終えたのは、深夜1時を軽くすぎてからであった。
その後、NEXTのサイトにも顔を出したので寝たのは3時を過ぎていた。
うんでもって、金曜の夜も午前様をしてた。
その帰結するところは言うまでもなく……
(当日朝)「わぁ! 予定より1時間寝坊だぁ(^^;!!」by 広田
という訳だ(笑)
とにかく泡食って身仕度、駅までの途中のコンビニで朝飯を買い、立ち食いしながら出発。
電車で基地最寄り駅(厚木基地は車での来場を禁止しており、電車+直通バスを利用)までゆく。
電車内で携帯に今回の同行者の一人、氷猫君(仮名)から電話があった。
『広田、今どこにいるの?』
「悪い、あと15分で駅に着くと思う(^^;」
『……駅の階段降りたところにいるからな』
……前日に、「俺は真っ先にいって先に基地入ってるからな」などと言ってたのは広田自身である(^^;
基地最寄り駅である相鉄線相模大塚駅で電車から降りて、待ち合わせの場所にいって見るとそこには“ふら(仮名)”と氷猫君しかいない。
最後の一人“須賀(仮名)”君の行方を聞いて見ると、「金を降ろしに近くの郵便局を探しにいった」との事。
しょうがないので、しばらく待つ事になる。
暇だったので、駅前のコンビニに行く。
コンビニでは店前にテーブル出して、基地祭見物の客相手にジャンクフードを売り出していた。
バイトのネーちゃんらしき二人の女の子がいたのだが、朝9時台にはそれほどの人出もなく実に暇そうだった。
何気なくふらがテーブルに近づくとネーちゃん達が
「あぁ、やっとお客さんが来た!」
「いらっしゃーませーー!!」
っと、無茶苦茶高いテンション。とてもコンビニの店員とは思えん(笑)
結局、ふらは適当な物をそこで買う事になった。
少々、ネーちゃんの迫力に押された気がする。
やがて郵便局を探しにいった須賀君が戻ってきた。
結果は散々、日曜に空いてるキャッシュコーナーが無かった。
そしてこの時点で懐に余裕があるのは広田だけであった、三人分の財布役決定(-_-;)……
もはや、頼みの綱になるのは自分で背負った、水筒とクーラーバッグとグッズ収納用のデイバッグのみだった。
○そんでもって基地内へ
面子が全員揃ったところで、基地内直通の臨時シャトルバスに乗り込む。
結構簡単にバスは満員になり、すぐに出発。
近隣住民からの騒音苦情が激しい厚木基地らしく、間もなく基地を囲うフェンスを通過して基地内に入った。
なるほど、こんなに近ければ地域問題にもなるわな(^^;
バスを降りればもうそこは、別世界であった。
あちらこちらに英語の看板、ちらほらとその辺に置いてある増槽タンク。
うむ、航空基地だ(<当たり前)
簡単な手荷物チェックを受けると、滑走路エプロンにいよいよ突入である。
この時点で真っ先に広田が探したのは、基地祭ガイドブックを販売してる場所。
まずはこれを買わないと、基地祭全体のスケジュールが解らない。
五百円くらいで売っていたそれを、取り敢えずバッグに突っ込み、改めてエプロンを見回した。
広い、とにかく広い、なんだか地平線が見えちゃうんじゃないかってぐらいに広い。
(いやもちろん、そこまで広い訳じゃないんだけど(^^;)
南の遥か先を見ると、そちらに軍用機の数々が展示されてるのが見える。
なんだこちらの入り口からだと遠いところじゃないか……と思ったがそれは違った。
その辺りが滑走路中央辺りなのであった。
……なんかスケールが違う……
厚木基地の凄いところは、一般解放しているエプロンの広大さに現れているように思える。
幅100メートル、長さ1キロ前後あるであろうエプロンを、丸々と開放してそこにウン10機の軍用機(輸送機等もアリアリだ)が駐機してあるのだ。
札幌の雪像祭りの規模をでかくして、千歳空港でやってる図を想像して欲しい。
暑い事を除けば、まさにそんな感じだった。
遠くの見物客がケシ粒の様に見える。
そして滑走路の方を見ると、そこは民間の飛行家達がモーターハングライダーやモーターパラグライダーで飛び回ってるのである。
この時点で実はまだ基地祭の開始時間前なのだが、プログラムはすでに始まっているのである。
プーーーーーーーンとまるで蚊の羽音のようなエンジン音を立てながら飛び回る、軟翼の軽量機達。
凄くゆったりした速度で上昇したり旋回したりで、見ていて実に羨ましい。
クソ、俺にも乗せろ! とか思って歩いて眺めていたら、ふいに声を掛けられた。
なにかと思ったら、今空を飛び回っている団体『(社)静岡航空協会』のブースだった。
滑空機紹介のパンフレットと、協会への入会案内チラシを配付していたのだ。
入会はともかくとして、滑空機の資料は今回の目的の一つである。
ありがたく頂戴する。
という訳で、いくつか予定(特に経済的に(笑))が狂った部分はあったが、広田にとっての基地祭は中々幸先のいいスタートとなったのであった。