八ノ月
うさぎは時間通りに有栖川宮記念公園にやって来た。
衛の方から誘うことはそれ程多くはない。昨日と同じ場所でのデートだが、うさぎにはそんな些細なことは関係なかった。衛に会うことができるのなら、場所なんてどこでもいいのだ。
時間は八時半。デートでの待ち合わせ時間としては、異例の時間だった。デートで遠出をすることが少ないので、待ち合わせをする時間はいつもは昼前後である。時間を指定したのは、もちろん衛だった。うさぎは少しばかり文句を言ったが、強引に押し切った。
この時間を指定したのには理由があった。早朝だとジョギングや散歩をしている人たちと出会してしまうし、もう少し遅い時間だと子供たちが遊びに来てしまう。休日の八時台と言う時間帯は、突然出現するエアポケットのように、人の姿が極めて少ない時間帯なのだ。何が起こっても対処できるように、衛は極めて人の少ない時間帯であるこの八時台に、うさぎを呼び出すことにしたのだ。
うさぎとしては早い時間のはずだった。休日ならまだ寝ている時間なのだ。なのに、今日は遅れることなく、待ち合わせ場所の有栖川宮記念公園にやって来た。先に来て自分を待っていた衛の姿を見付けると、うさぎは零れるような笑顔を見せて走り寄ってきた。その笑顔に、衛はドキリとする。こんな時間を指定してしまったことと、それからしようとする質問の内容を考えると、後ろめたい気持ちになる。
「どうしたの? なんか、怖い顔してるよ?」
知らず知らずのうちに険しい表情になってしまったのだろう。うさぎが不思議そうに言ってきた。
「すまない………。なんでもない」
衛が苦笑しながら詫びると、うさぎは衛に縋り付いてきた。衛の左腕を取って、胸で抱くようにする。顔を上げてにっこりと笑った。
自分を見上げる瞳は、いつもと変わらなかった。自分を愛し、信じてくれている瞳だった。偽りの笑顔ではない。
(俺は何をしようとしている? 間違ったことをしようとしているんじゃないのか?)
うさぎの笑顔を見てしまうと、夕べの決心が揺らいでしまう。
「どこに行く? このまま散歩をしてもいいけど、うさはどっかに行きたいなぁ」
強請るようにうさぎは言った。
「うさ、訊きたいことがある」
だが、衛は訊かねばならなかった。植木の影に身を隠し、固唾( を飲んでふたりの様子を見つめているレイと美奈子のためにも、この場の状況に流されてしまってはいけないのだ。彼女たち、いや、疑いを掛けられているうさぎのためにも、この場で全てをはっきりとさせる必要がある。)
「なぁに、まもちゃん?」
うさぎはどんな質問が投げ掛けられてくるのか、期待していると言った目をしてた。自分が疑われているなどとは、微塵も思っていない。
「うさ、お前は………」
衛が言いかけたとき、
「待って!!」
鋭い声がそれを制した。驚いて目を向けると、亜美とまことの厳しい顔がそこにあった。
「亜美ちゃん、まこちゃん!? どうしたの、そんな怖い顔して………」
「いるんでしょ? ふたりとも、出て来なさい!」
亜美はうさぎの問い掛けを無視した。周囲を大きく見回しながら、亜美は怒鳴った。
少しの間があって、植木の陰からレイと美奈子が姿を現した。うさぎが再び驚く。
「あたしらの尾行には気付かなかったようだな」
まことの低い声が、更に一段階下がったような気がした。鋭い視線は、レイと美奈子のふたりを睨み据えている。まことが、敵と対峙したときの目だった。
「勉強会を中止するって聞いたときに、ピンと来たわ。何かをしようとしているってね。衛さんを焚き付けて、何を企んでいるの?」
そう言い放つ亜美は、今日のこの計画を立てたのが衛だと言う可能性を、全く考えていない口振りだった。
「どういうこと? 何が何だか分からないんだけど………」
衛の腕に縋( り付いたまま、うさぎは困惑したように言った。)
「このふたりはな、うさぎを疑っているんだよ」
まるで汚いものでも見るかのように、まことはレイと美奈子を見ていた。吐き捨てるような口調で、うさぎに説明する。
「あたしを疑っている?」
うさぎの表情が曇る。
「疑っているってどういうこと? あたしは何で疑われているの? あたしの何を疑うの?」
「うさが、本当にうさかどうかを、だ」
「え!?」
驚いたのはうさぎだけではなかった。亜美とまことも、信じられないと言った表情で、今の一言を言った衛に目を向けた。聞き間違えたのではないか、そう言う表情をしている。
「まもちゃん………?」
「今日のこの計画を立てたのは、ふたりじゃない。俺だ」
亜美とまことに何も言い返すことのできないレイと美奈子に代わって、衛は説明した。
「信じられない………。衛さんまでうさぎちゃんを疑うなんて………」
亜美はいやいやをするように、首を左右に振った。まことは絶句したまま、身を硬直させている。
「疑う………。あたしを………? まもちゃんが………?」
うさぎの目には涙が溜まっていた。今にもこぼれ落ちそうだ。
そのうさぎの表情を見つめ、衛はきつく唇を噛んだ。レイは申し訳なさそうに瞼を閉じると、僅かに顔を背けた。美奈子はただ黙って、悲しげなうさぎの顔を見つめていた。
「あたし、言ったよね………?」
ポツリと亜美が言った。体が小刻みに震えていた。それが悲しみから来るものなのか、怒りから来るものなのか、それともその両方なのか、誰にも分からない。少し俯き加減のまま、亜美は身を震わせていた。
「うさぎちゃんを傷付けたら許さないって、言ったよね………?」
凄まじい殺気だった。亜美のその殺気によって、周囲の温度が下がったくらいだ。
「うさぎちゃんを悲しませるなんて許さない………。元はと言えば、あなたたちのせいだわ! 絶対に許さない!!」
亜美の怒りは、その身を変貌させた。怒りの冷気を纏( ったセーラーマーキュリーが、凄まじい形相でレイと美奈子を睨んでいた。)
マーキュリーの迫力に気圧( されて、レイと美奈子は後ずさった。マーキュリーは本気だ。本気で自分たちと戦おうとしている。彼女の目が如実にそう語っている。)
「待って、マーキュリー( !!」)
その時、マーキュリーを制止する声が響いた。聞こえてきたその声に、一同はギョッとした。聞き覚えのある声だった。いや、聞き覚えがあるというレベルの問題ではない。つい先程まで聞いていた声だ。まだ、耳に残っている。それが、全く別の方向から聞こえてきた。その声の主は、今自分たちの目の前にいるはずなのに( 。声だけがあらぬ方向から聞こえてきたのだ。)
声が聞こえてきた方向に、全員が目を向けた。
そこに佇んでいたのは、うさぎだった。いや、うさぎの姿をしていた( 。全員が我が目を疑った。)
そのうさぎの姿をした人物の背後には、せつなとほたるのふたりがいた。足下には、ルナとアルテミスの姿も見える。
「うさぎがふたり………」
美奈子は呟くように、言葉を漏らした。
「………どういうこと………?」
マーキュリーは誰にともなく問う。
「どっちかが偽物ってことになるよな………」
「でも、せつなさんとほたるの連れているうさぎは………」
まこともレイも、思考が混乱しているようだった。目の前の状況を、脳が処理しきれていないといった風だ。
せつなとほたるのふたりが、わざわざ偽物のうさぎを連れてこの場に現れるとも思えない。その証拠に、行方不明だったルナとアルテミスも一緒にいる。だとすると、今衛に縋り付いているうさぎが偽物だと言うことになる。しかし、そう言い切ってしまっていいものだろうか。ルナとアルテミスが本人である証拠がどこにある? せつなとほたるも、本当に自分たちの知っているせつなとほたるなのか?
「観念なさい!!」
それぞれの思考を断ち切るが如く、せつなとほたるが連れてきたもうひとりのうさぎが叫んだ。
「絶対に逃がさないわよ!」
「観念するのはあなたの方だわ」
衛の腕に縋り付いたままのうさぎが反論した。
「うまく化けたつもりでしょうけど、そうはいかないわ!」
そう言い放ってから、衛の顔を見上げた。
「信じてまもちゃん! あたしがうさぎよ! 本当のうさぎよ!!」
次いで仲間たちに目を向ける。
「信じて、みんな!!」
「騙されないで!!」
もうひとりのうさぎが叫んだ。
「こいつは、あたしのクローンなのよ!」
訴えかけるように叫んだ。
「クローンだと!?」
理解しがたい言葉だった。そんなことが実際に起こるわけがない。誰もがそう思った。
「今の世の中に、クローンなんて存在するはずがないわ! 自分の立場を正当化するために、いい加減なことを言わないで」
「!?」
衛のもとにいるうさぎは言った。もうひとりのうさぎは言葉を失った。確かにその通りだった。自分の方が突拍子もないことを言っている。真実味に欠けている。
「だけど………。だけど、あたしがうさぎだもん!!」
気持ちを爆発させるためには、喚くしかなかった。信じてもらえないかも知れないが、大声で自分を主張する以外に他に方法はなかった。
「違う、うさぎはあたし。あたしが本物よ!」
「どうなの、マーキュリー( 。クローンは実在するの?」)
「確かに、公式では認められていないしここまで完璧なクローンは作れないと思う。でも………」
美奈子の問いに、マーキュリーは曖昧に答える。マスコミに公表されている科学は、氷山の一角だと言われている。発表が行われている実験結果などは、既に数年前のデータだと言われている。だから、自分の知らない事実がある可能性は高いし、知らないことの方が多いはずなのだ。
「どうすればいいの………?」
レイは訳も分からずかぶりを振る。自分ひとりの力では、この状況は打開できない。自分の勘は、目の前にいるうさぎは両方とも本物だと告げている。クローンだと言うことが本当なら、どちらも本物なのだ。
衛は悩んでいた。自分の元にいるうさぎは、身を強張らせ怯えている。そしてもうひとりのうさぎは、そんな自分たちを見て悲しげに瞳を潤ませている。本当なら、自分がその場所にいるはずなのにと。
(うさ、どっちが俺のうさなんだ………?)
クローンだと言うことが事実なら、どちらもうさぎなのである。偽物などありえない。どちらも本物のうさぎなのだ。だが同時に、同じ人物が同時に存在することはできない。そして、過去の記憶はひとつ………。
その瞬間、衛の脳裏に何かが閃いた。忘れていた光景が甦る。それは、先週の日曜日の光景だった。あの日、うさぎと交わした約束があったことを思い出した。一方的な約束だったが、うさぎにとっては重大な約束だったはずだ。そして、それは未だ果たされていない。
(賭けてみるか………)
衛は腹を括( った。)
「ふたりのうさに、訊きたいことがある」
衛が言葉を切り出した。全員が衛に注目する。
「今日のオレと明日のオレ。どっちが好きだ?」
ふたりのうさぎ以外の者は、全員唖然となった。こんな状況なのに、衛は何を言い出すのかと………。
「うさだったら、答えられるはずだ」
そう言い置き、衛は黙って答えを待った。間髪を入れずに答えてきたのは、自分に縋り付いているうさぎの方だった。
「もちろん、明日のまもちゃんに決まってるじゃない! 明日はもっと、うさぎのこと好きになってくれてるはずだから!」
完璧な答えだった。うさぎだったら、そう答えるだろう。だが、今衛が求めている答えとは、それは違う答えだった。衛が求めている答えは、正解( ではないのだ。)
「明日の………。明日のまもちゃんの方が好きだって、言ってもらいたいんでしょ?」
震える声で、もうひとりのうさぎが言ってきた。両目に一杯に涙を浮かべている。嗚咽を漏らさないようにと、必死になって注意しながら、やっとの思いで今の言葉を口にしたようだった。
衛は一瞬だけ目を閉じ、僅かに微笑みながら小さく息を吐いた。自分に縋り付いていたうさぎから、すうっと身を離した。身を離されたうさぎは、不思議そうに衛の顔を見上げた。何故そうされたのか分からないといった風に、自分の顔を見上げている。だが、衛はもうそのうさぎに顔を向けることはなかった。
「まぁな」
衛はもうひとりのうさぎに対して答える。
「どうして?」
もうひとりのうさぎが、芝居がかった仕草で再度訊いてくる。
「今日のオレは、すごくうさのことを好きだけど、明日のオレはもっとうさのことを好きになってるかもしれないだろ?」
素人がセリフを言っているような、棒読みの口調だった。その自分のあまりにも下手な演技に、衛は微苦笑を浮かべる。吊られるようにして、もうひとりのうさぎも微笑んでいた。
「な、なに!? なにを言ってるの、ふたりとも!」
うさぎが狼狽えた。狂ったように首を振り、衛ともうひとりの自分の顔とを見比べている。自分の答えは間違っていないはずだ。自分の心に嘘は付いていない。素直に答えたはずだ。なのに、何故衛は自分に微笑みかけてくれない。自分に向けられるはずの笑顔は、もうひとりの自分に向けられていた。優しい笑顔だった。自分が欲していた笑顔。だが、それは自分に向けられたものではない。
「すまなかった、うさ。お前を救ってやれなくて………」
もうひとりのうさぎに対して、衛はそう言っていた。もうひとりのうさぎは首を左右に振る。
「今、救ってくれたよ?」
ついに堪えきれず、涙がこぼれ落ちた。
「なんなのよ!? どういうことなのよ!? あたしに分かるように説明してよ!!」
うさぎは喚いていた。駄々を捏( ねる子供のように、全身を使って喚いた。)
ようやく、衛が目を向けていた。しかし、その目は微笑んではいなかった。優しいいつもの瞳であるのだが、望んでいた瞳ではなかった。
「うさ………。確かに、キミはうさだよ。それは間違いない。だけど、オレのうさとは違う。オレが先週の日曜日に逢っていたうさは、残念ながらキミじゃない」
「先週の日曜日………?」
うさぎは大きくかぶりを振りながら、後ずさった。
「先週の日曜日………」
もう一度呟いた。そう、先週の日曜日。その晩に、自分はオリジナルと入れ替わった( 。)
「キミは、日曜日の記憶を持っていない」
衛は言った。いくら完璧に作られたクローンとも言えど、記憶までをそっくり移すことはできない。コピーされた時点までの記憶しか持っていないのだ。ここ数日のうさぎの記憶のズレは、それが原因だった。注意しなければ分からない微妙なズレだったのだが、結果的にそれが致命傷となった。
「お前か………。お前さえいなければ!!」
もうひとりのうさぎを睨み付けた。
「殺しておけばよかった! そうすればあたしはうさぎのままだった………。あたしはあたしでいられた( ………。殺してやる! 今ここで殺してやる!!」)
力が暴走した。うさぎはエターナルセーラームーンに変身した。銀水晶のパワーが、激しい怒りによって凶器のように膨れ上がる。
「エターナルセーラームーン!?」
「変身した!?」
マーキュリーは変身した姿がエターナルセーラームーンであったことに、まことはクローンのうさぎが変身したこと自体にそれぞれ驚いた。
「あぁっっっ!!」
エターナルセーラームーンは天に向かって泣き叫んだ。解き放たれた銀水晶のパワーが、空間を激しく震動させた。
「いけない!!」
せつなはセーラープルートに変身すると、周囲の空間を封鎖した。このままでは、街にまで被害が及んでしまう恐れがあったからだ。超次元空間を出現させ、通常の空間と隔離した。
エターナルセーラームーンの膨大なパワーに圧倒され、四守護神も衛も動けないでいた。まるで金縛りにでもあってしまったかのように、その場で棒立ちになっていた。
「死ねぇ!!」
エターナルセーラームーンが吼えた。凄まじいエネルギーが、うさぎに襲いかかった。うさぎは銀水晶を持っていない。だから、セーラームーンに変身できない。
「や、やめろぉ!!」
衛が叫んだときには、既に遅かった。
「まもちゃん!!」
うさぎは迫り来る銀水晶のエネルギーを直視したまま、身じろぎもできなかった。自分を今まで守ってくれていた銀水晶の力によって、自分は消滅してしまうのか。恐怖は感じなかったが、悲しかった。
「うさぎぃ!!」
三つの影が目の前に飛び出してきた。どんな方法を使ったのかは分からないが、迫ってきていたエネルギーを相殺して消滅させた。
三つの影のひとつ、中央の影が振り向いて笑顔を見せた。
「助けに来てあげたから、感謝しなさいよ!」
思いっきり憎たらしい口調で、そう言った。
「あたしの方が貸しが多いわよ」
うさぎも悪態でそれに答えた。にくったらしい表情のちびムーンが、嬉しそうに微笑んだ。
「どきなさい、ちびムーン( !!」)
パワーを放出しながら、エターナルセーラームーンは叫んだ。ちびムーンはジュノーとベスタと協力して、その膨大なパワーに対抗している。もちろん、うさぎを守るためだ。
「やめて、セーラームーン! あたしたちの目の前で、うさぎを傷付けないで!!」
「うるさい!!」
自分を制止しようとする相手は敵だ。今のエターナルセーラームーンは、それが仲間であっても敵と判断する。止めに入ろうとしたレイに向けて、パワーを放出する。
「レイちゃん!!」
マーキュリーがそこに割って入った。シールドを張って、放たれたエネルギーからレイを守る。
「う、うさぎがあたしを攻撃した………?」
その事実の方が、レイには信じられなかった。クローンではあっても、中身はうさぎなのだ。そのうさぎが変身したエターナルセーラームーンが、自分を攻撃した。しかも、明らかなる殺意を持って………。
「変身して! みんな巻き込まれたら助からないわ!!」
エターナルセーラームーンを包む銀水晶のパワーは、ぐんぐん増大していた。制御の利かないパワーが、自分勝手に膨れ上がっている。このままでは、ここにいる者全てが銀水晶放つのパワーに飲み込まれてしまう。生身のままでは耐えきれないはずだ。
「しってかりして、レイちゃん! 彼女を止めないと!!」
茫然しているレイの肩を、美奈子が揺さぶった。
パワーの増大が加速する。マーキュリーが再びシールドを張った。しかし、ひとりでは抑えきれるものではない。
「早くしろ!!」
セーラージュピターに変身したまことが、マーキュリーの横に並んでシールドを張った。だが、ふたりがかりでも銀水晶のパワーには遥かに及ばない。
「凄い!! でも、このままじゃ………」
「ええ、彼女の体が保たないわ。パワーを抑えないと!」
ほたるも舌を巻いた。これ程のパワーを垣間見るのは初めてのことだった。プルートは険しい表情でエターナルセーラームーンを見つめている。
「やっ、やっべえよ、スモール・レディ!!」
「あたいたちのパワーじゃ、これ以上は支えきれないよ!」
ジュノーとベスタが悲鳴に近い声を上げた。彼女たちのパワーは、まだそれ程大きくない。銀水晶のパワーを相手にしていては、勝ち目がないのは分かり切っている。
「邪魔をしないで、ちびムーン( ! 邪魔をしたら、あんたも殺すよ!!」)
ヒステリックになって、エターナルセーラームーンは叫んだ。もはや自分でパワーをコントロールすることができないのか、解放しっぱなしになっている。
「うさぎ、変身して! あたしのパワーじゃ抑えきれない!!」
相手は銀水晶なのだ。こちらも同等の銀水晶のパワーをぶつけなければ相殺できない。エターナルセーラームーンの銀水晶のパワーは、激しい憎悪によって通常以上のパワーを発揮している。それに対抗するためには、こちらはふたつの銀水晶の力を合わせるしかない。
「できないのよ………。エターナルムーンアーティクルはあいつが持っているから」
うさぎはかぶりを振った。変身するためのアイテムは、クローンに奪われてしまっている。うさぎはこのままでは変身できない。加えて、銀水晶も持っていない。
「お前にうさは殺せない」
静かな口調で衛は言った。衛はエターナルセーラームーンのすぐ側にいながら、その膨大なパワーの影響を全く受けていなかった。膨れ上がっているパワーは、器用に衛だけを避けていた。それは恐らく、衛だけは傷付けまいというセーラームーンの意志だったのかもしれない。
「キミがうさである以上、人を殺すことはできない。いや、しない。どんなに悪人であろうとも、相手が人であるなら、滅ぼさずに救うことを考える。それが、うさだ」
エターナルセーラームーンは、ゆっくりと衛の方を振り返った。パワーの膨張が穏やかになった。
「オリジナルのうさをすぐに殺さなかったのは、キミがうさのクローンだからだ。うさの心を持っているからだ。もうやめろ、キミからはセーラークリスタルを感じない。本来ならセーラー戦士に変身できるはずはない。それなのに変身していると言うことは、肉体に想像以上の負担が掛かっているはずだ。だから、銀水晶のパワーを制御しきれないんだ。これ以上は、キミの体が保たない」
「あたしがセーラークリスタルを持っていない? そんな馬鹿な………」
「セーラークリスタルは固有のものだ。肉体はコピーできても、セーラークリスタルまではコピーできない」
「う、うそ! そんなはずはないわ! だって、こうしてあたしは変身している! あたしはセーラームーンになってる!」
「それは偽りの力よ」
プルートの声は穏やかだった。瞳は自分を哀れんでいるようにも見えた。
「そんなことない! あたしは完璧にコピーされた。あの人は、あたしにそう言ったわ!」
「あの人!? あの人って誰!? そいつがあなたを作ったの!? あたしのクローンを作ったのは、そいつなの!? 教えて! 誰なの、そいつは!?」
「欠落している数日間の記憶だって、ちゃんとメモリーしてくれた………。記憶のメモリー………?」
うさぎの呼び掛けも、エターナルセーラームーンには届いていないようだった。再びパワーが膨張し始めている。ちびムーンやジュノー、ベスタの横に、プルートとサターンが加わった。うさぎを守るため、パワーでシールドを形成する。
「あなたはその時に、偽りの記憶を植え付けられたのよ! この世界を破滅に導くように!」
ルナだった。
―――衛とふたりだけの世界を作る。
それが自分の夢だとエターナルセーラームーンは語った。しかし、うさぎはそんな夢は持っていない。うさぎのクローンであるなら、それは分かっているはずだ。
「オリジナルとクローンの間に生じていた記憶の狭間を埋める際に、そいつは偽りの記憶を刷り込んだんだ。だから、そこがオリジナルのうさぎとの差になった。レイや美奈子が違和感を感じたのは、きっとそこだ!」
アルテミスが言った。オリジナルのうさぎとクローンのうさぎの僅かな心の違いが、矛盾点を産み、それが違和感となった。勘の鋭いふたりは、無意気のうちにそこに気付いていたのかもしれない。
―――生き方によっても、その人の雰囲気が変わる。
ふみながそんなことを言っていたと、ちびムーンは思い出した。だから、違うような気がしたのか―――。
「あたしは騙された? あの人に騙された………?」
放たれているパワーに変化が現れた。強烈な光りなのだが、凶暴さが消えていた。
それは悲しみの光り。
「セーラームーン………いいえ、うさぎちゃん! そいつは何者なの!? あなたにこんなひどいことをさせたのは、何者なの!?」
「亜美、ちゃん………? あたしをうさぎと呼んでくれるの………?」
涙が頬を伝っていた。暖かい涙。純粋で美しい涙。
当然だろう。彼女はうさぎなのだから。
「当たり前じゃない。あなたはうさぎちゃんだもの………。だから、あたしたちは許せない! あなたをこんなに苦しめたやつが許せないのよ! 教えて、そいつが誰なのか!」
マーキュリーの言葉は、四守護神全員の言葉だった。その必死の訴えかけが、頑なだったエターナルセーラームーンの心を溶かす。
「ありがとうみんな………。あたし嬉しいよ………。少しの間だったけど、みんなと一緒に過ごせて楽しかったよ………」
光りが弱くなった。それはまるで、彼女の生命の灯火があと少しで消滅してしまうかのように、儚( げに揺らめいていた。)
「うさ………!」
何か言葉を掛けてやりたかったが、思いつかなかった。彼女と過ごした僅かな時が、走馬燈のように甦る。ふたりで過ごした時間は、彼女にとっては本物の時間だった。そして、自分にとっても………。
「ありがとうまもちゃん………。昨日のデート楽しかった………。あそこのお店のケーキ、おいしかったね………」
そこまでだった。ついに、肉体が銀水晶のパワーに耐えきれなくなってしまったのだ。一瞬、凄まじいまでの閃光を放った。まるで消えかかった蝋燭の炎が、消える間際にその身を誇示するかのように一瞬だけ大きく燃え上がるかのように。
エターナルセーラームーンはとびきりの笑顔を向けていた。これ以上はないと言う笑顔を。衛が今まで見た中で、最高の笑顔だった。そして、光に包まれた。
白き輝かしい光は悪魔の光と化し、エターナルセーラームーンの体を欠片も残さず消滅させてしまった。エターナルムーンアーティクルだけが、コロリと地面に転がった。
ちびムーンが目を背けた。クローンとは言え、セーラームーンの最期を直視していることができなかったのだ。
静寂が戻ってきた。
つい先程まで暴れていた膨大なエネルギーの奔流は、今は微塵も感じられなかった。
プルートが超次元空間を閉じた。
車のクラクション。小鳥のさえずり。街のざわめき。全てが戻ってきた。
申し合わせたように、全員が変身を解いた。もう戦士でいる必要はない。
「まもちゃん!!」
うさぎが駆け出した。衛の元へ。
衛は飛び付いてきたうさぎをしっかりと抱き締める。
「あ〜あ………。エターナルムーンアーティクルを無視………」
ちびうさは呆れたように笑いながら、エターナルムーンアーティクルを拾い上げた。
「銀水晶より、まもちゃんか………。ま、気持ちは分かるけどね」
肩を竦めた。
せつなとほたるのふたりは、四守護神が集まっている場所に歩み寄ってきた。
「敵の正体、掴めませんでしたね」
残念そうにほたるが言う。
「何故、敵の正体をあたしたちに明かさなかったんでしょう? 庇ったんでしょうか?」
「違うわ。彼女がうさぎだったからよ」
美奈子が言うと、ほたるは首を傾げる。
「あたしたちに、余計な戦いをさせたくなかったのよ」
「あのコらしいわ………。自分ひとりで全てを背負い込もうとする………。あのコの悪い癖」
肩を落としたまま、レイは言った。
「だけど、このままにしておくわけにはいかないわ」
せつなの言葉に、一同は肯く。消えていったうさぎ( の意志に反しようとも、それはやらなければならないことだった。放っておいたら、第二第三のうさぎのクローンが現れるかもしれない。こんな悲劇は、もう見たくはない。)
「絶対に捜し出してやる。この落とし前をきっちり付けないと、腹の虫が治まらない」
まことは右手で作った拳で、左の掌をバシリと叩く。
「ええ。事件は終わったけど、あたしたちの戦いは終わったわけじゃない」
亜美が言うと、一同は重々しく肯いた。真の敵―――うさぎのクローンを生み出した相手は、どこかで安穏としているのだ。それを思うと、怒りのため気持ちが高揚する。
「可能性のある人物を、細かく調査しなくちゃね」
いつの間にか、足下にルナとアルテミスが来ていた。
衛は暖かかった。ずっと感じたかった温もりだった。衛の息づかいを間近に感じると、心が落ち着いてくるのが分かる。
何よりも、衛のもとに帰って来れたことが嬉しかった。
「うさ………」
衛が自分を呼ぶ。呟いただけだったが、それでもうさぎは嬉しかった。多くの言葉はいらない。ただ、衛に抱き締めてもらえているこの現実が、とても嬉しかった。
うさぎは顔を上げて、衛の瞳を覗き込んだ。意地悪そうな笑みを浮かべると、衛は困ったように眉を寄せた。
「ねぇ、まもちゃん。ひとつ訊いてもいい?」
そら来た。衛の表情がそう言っていた。うさぎは小悪魔のような笑みを浮かべて尋ねる。
「昨日のうさぎと、明日のうさぎ。どっちが好き?」
衛は一瞬だけ照れたように顔を緩めると、
「今、目の前にいるうさが好きだ」
歌うような口振りで、そう言った。
ひとつの悲劇は幕を閉じ、そして新たな悲劇を招く―――。
もうひとつの物語。
「偽り出( し、月の雫」)
2003年冬 同人誌書き下ろし作品にて―――。