土の章

彼が初めて従姉妹の高貴なる姫と出逢ったのは、
五つの歳の頃だった。

その日はめずらしく空は青く晴れ渡り、
春のやわらかな日ざしが、コーネリア城の小塔群をきらめかせていた。
ふと耳をすませば楽し気な小鳥の歌までもが聴こえ、咲き乱れる花々の甘い香りが
鼻をくすぐる。そういったものに胸を弾ませながら、
彼は王弟である父の手にひかれて明るい城の回廊を歩いていた。

溢れる光のせいだろうか、今日は田舎者のように頬を紅潮させて、
きょろきょろと落ち着かなく視線をさまよわせてしまう。
王宮には何度も訪れたことはあったし、
くまなく探検もして、ひとの知らぬ古い抜け道を発見したこともあったくらいなのに。

父はそんな彼の落ち着かない様子に気がつくと少し足をとめ、
屈みこんで少年の目を見つめた。

「ガーディ、どうかしたかい?」

高貴な血筋にしては、父は気さくなひとだった。
ガーランドはそんな父が大好きであったのに、なぜか、
よそよそしい言葉遣いをくずしたことがない。

「いえ、あの……なんだかドキドキするのです、父上。
こんなことは初めてで……うまく言えないのですけど、
なにか……素敵なことがあるような気がするんです」

「素敵なことか」

父は意味ありげに笑い、少年の手をとって再び歩きはじめた。
ガーランドには父の笑いの意味が汲み取れずにいたのだが、
王の私室の入室を許された瞬間、疑問はどこかへ吹き飛んでしまった。

豪奢な家具に囲まれた部屋の中心に、一台のゆりかごが置かれていた。

あれだ。あそこに……いる。

確信だった。幼いガーランド自身にも理解できない確信。
それは、胸が締め付けられるような、苦しいような、痛みに満ちた、
甘い想いだった。

王は少年の様子に気づいていない様子で、楽しそうに話し掛けてきた。

「ガーランド・ルイン・シークよ。しばらく見ぬうちに
大きくなったのう』

ガーランドはこの茫洋とした王があまり好きではなかったが、
形だけは慇懃に、しかしたどたどしく礼をした。
恍惚を邪魔されたのは不快ではあったが、大好きな父のためであったから。

「よい子じゃ。そなたに余の娘を紹介しよう」

誇らし気に王が言うと、父はガーランドの身体を抱き上げて、
小さなゆりかごをのぞかせた。

「余の娘にしてコーネリアの世継ぎの姫、
セリルウィーン・カロ・コーネリア姫じゃ。
いずれガーランドの花嫁になるかもしれんのう」

王の言葉を少年は聞くともなしに聞いていた。
その時、彼のすべてを支配していたのは、穏やかに眠っている赤ん坊だったのだ。
生まれたばかりの姫君は、彼のこころをしっかり捕らえてしまい、
もはや逃げることなどかなわぬように思えた。

やがて彼はやわらかな絨毯の上におろされ、父は王といくらか話すと、
少年をつれて王の私室を退出した。

ガーランドは心惹かれる思いで凝った彫刻が彫られた扉が閉まるのを
見つめていたが、いざ、扉が閉ざされると、
とたんに周囲が目に入るようになって、彼は驚いた。

光があふれる城の回廊。
あまりのまぶしさに少年が目もとをこすったとき、
前方から一人の老人がゆっくりとやってきた。

王宮には不釣り合いなほど古ぼけたローブをまとった老人は、
王弟親子に気がつくと、道化師のように目を見開いた。

「おお、これは王弟殿下。お久しぶりじゃのう」
「賢者ルカーン。もう三年になるでしょうか」

父が王以外に敬意を示すのを見たのは初めてのことだった。
どう考えても父のほうが偉いみたいなのに、と少年は不満に思い、
父の袖をぐっと引っ張った。
ところが父は、不機嫌そうな少年を無理に老人の前に押し出したのだった。

「ガーランド、ルカーン師に御挨拶をしなさい」

すると、老人はそれを促すかのように少年に微笑みかけた。
どうも気に入らないらしい少年が父の背に隠れてしまうと、
父は驚き、あわてて老人に謝罪した。

「はは、まあ、ときにはへそを曲げることもあろうて。……そうじゃ」

老人は一笑すると、ふいに知性の光をたたえた黒い瞳を細めた。

「殿下にはお話すべきことかもしれん」
「どうかなさったのですか?」

老人はいぶかしげな父になにごとか囁いた。
ふてくされ、顔を伏せたままだったガーランドにはよく聞こえなかったが、
ただひとつ、耳をかすめた言葉が彼を言い知れぬ恐怖に陥れた。

『あらわれた』

なにが? だれが?
歯の根がどうしようもなく震える。
膝はもう立っていられないくらいなのに、父は真剣な表情で小汚い老人と話し込み、
こちらに気づいてもくれない。
父の助けは期待できなかった。

たすけて、こわい……
ああ、セーラ、ぼくをたすけて!

彼がもっと大人だったなら、
恐怖の奥底に沈む歓喜を見つけたかもしれない……


ようやく第一章ともいうべき『土の章』に突入しました!
でも、まだかんじんの主人公が出てきてないんだよね……(苦笑)
ああ、長い道のり……
光の戦士がやすらぐ日はいつのことやら。
でも、がんばりまっす!

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