高野 善通の演歌の世界  読み物いろいろ

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高野 善通の演歌の世界 への道

 

 私のHNである、高野 善通の由来は地名である。生まれ故郷の高野山(の近く)を苗字に、香川県の善通寺市を名前にとった。なぜその名前かというと、分かる人には、 分かるだろうと思う。私が演歌にはまるきっかけとなったのは、小学校5年生ぐらいの段階である。この頃は、演歌にもヒット曲があった時代である。その中でも私が 好んだ演歌は、細川たかしさんの「北酒場」と、佳山明生さん・日野美歌さんの 「氷雨」であった。細川たかしさんは、現在歌っているような演歌とは違い、宴会で歌えるような にぎやかな酒場演歌を歌っていた時代があり、私の心にそのような歌が聴き入ったのである。細川たかしさんはその後も、 「応援歌、いきます」(生ビールが〜ある〜じゃな〜いか〜、でCMソングにもなった)のような宴会歌を 歌っていたのだが、最近その流れがほとんどなくなっており、私としても復活の期待をしているのだが、このような歌は、細川さん独特の歌いまわしに特徴があるので、 細川さんにしか歌えない歌ということもできるのである。ただ、どちらにしろ、この当時はやっていた、アイドルの近藤真彦さん、松田聖子さんの歌より、当時の ヒット曲、「北酒場」や大川栄策さん 「さざんかの宿」の方が私の耳に聞き入ったのも事実で、この頃から私は演歌を好んでいたことになる。 今から考えれば、恐ろしいことで、お酒も飲めない小学生が、「北酒場」という話になるわけだが、 純粋に歌謡曲のメロディーを好んでいたからだけの話だったのである。
 時は進み、大学時代ということになる。というのは、中学、高校時代は進学校に進んでいたため、音楽に興味を持つということがなかったためである。大学時代に カラオケにいって、初めて歌った曲が、確か、堀内孝雄さんの 「影法師」だった様な気がするのだが、この頃に堀内孝雄さんのファンになったわけである。同時に、 当時のバンドブームに乗って、プリンセス・プリンセスにもはまったこともあったが、基本的には、演歌の路線を進むようになっていった。私は、現在は、吉幾三さん と、堀内孝雄さんのファンである。この二人に共通するのは、自分で作曲している(吉幾三さんは作詞も)点にあり、他の演歌歌手とは曲想が明らかに違っている。 この点で、私がこの二人のファンになった理由である。

 

 

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2000年11月4日・巣鴨演歌オフ

 

参加者

詩織さん(ネット演歌制作集団元メンバー)・きよしさん(ネット演歌制作集団メンバー)
・練馬大根さん(石原詢子応援団HP主宰) ・英治さん・マスター・高野善通


内容
・1次会 巣鴨歌謡劇場においての演歌観覧(詩織さん、きよしさんと私の3人で観覧)
・2次会 居酒屋・我楽多において、飲み会(練馬大根さん、英治さん合流)
・3次会 BIG ECHOにおいて、演歌中心のカラオケ会
 
報告・感想
初めてオフ会の幹事を努めさせていただくことになりましたが、若くて拙い幹事にいろいろ協力してくださった、4人の方に本当に感謝いたします。 今回のオフは、チャットにおきまして、詩織さんの発案で実現したものでありますが、初めは、直前まで人が集まらないのではないかとひやひやものでした。しかし、 私が、メールを送ったり、掲示板に書きこみをするなどした結果、五人もの方(私含めて)集まってくださって、非常に感謝しきりです。
 巣鴨歌謡劇場というのは、実は、あまり知られていない歌手の方々にとって、皆様に名前を知ってもらうために、大阪の通天閣歌謡劇場に続いて作られた劇場で、 私が行くのは3回目であります。実は、ここには結構有名な歌手の方も来ることがあります。ここのいいところは、劇場と観客席の距離が非常に近いということで あります。私も、この「距離の近さ」には非常に魅力を感じます。本当に、タレントの原点というべき、「人と人とのふれあい」で、ファンの心をつかむという点が、 この劇場にあります。
 2次会、3次会には、練馬大根さんと英治さんが合流しました。飲み会では、インターネット時代と演歌の関係についての話で盛り上がりました。実は、 この世の中に、私を含めて、演歌の世界にインターネットを導入している人は、多いように見えて、ほんの一握りにすぎないように見えました。実際、話の中で、 HPを作る際に、私も、HTMLの文は読めるが、 書くのはプログラミングが非常に面倒で、HP製作ソフトを使っているし、MP3ファイルとか、MIDIファイルの扱いに 慣れていない人も多いという話を聞きますと、やはり、演歌の業界は、今の時代のハイテク機器には追いついていないところもあるような気もします。もとより、 演歌というのは、じっくり、心に残るような歌を、長く次代に伝えていく。そういうタイプの歌で、大量生産、大量消費のタイプではない歌ですので、次々に新技術の 開発で流れの速いハイテクの世界とは相反するところもあるのでしょうが。
 3次会、カラオケは、ほとんど演歌のオンパレードでした。私なんか、歌はへたくそなのに、拍手喝采してくださって、本当にありがたい話でした。実は、 私がオフのメンバーの中で一番若い人間でしたので、皆様が演歌を歌っても、全く 違和感を感じないのですが、もっと若い連中とオフをすると、カラオケで演歌 なんて・・・といわれるのがオチですから、非常に困るのでしょうが、皆さん演歌に理解の深い方々でしたのでよかったと思います。実際、私のところには、感謝の メール、掲示板の書きこみでいっぱいでした。次回、オフがあるとすれば、もう少し人数増やしたいと思っていますが、五人という人数は、ある意味ではオフとして、 丁度いい人数という感じも持ちました。これからも、オンラインでの仲間を増やし、演歌の輪を広げていきたいと思います。
 

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