日本野鯉紀行1                              

<プロロ−グ>琵琶湖

 野鯉釣りを愛する者にとって、夢は色々あると思うが、その中でも、全国を釣り歩きたいという思いは、また格別の夢であろう。

 忙しい現代にあって、健康な善男善女が、およそ予想もつかない、長期に渡る休暇を取るということは、まさに出来ない相談であり、せめて年老いて隠居したあとの夢として、時たま釣り談義の口端に上るのがせいぜいである。

 もし、稀にそのような機会があったとしても、社会や家庭のしがらみに捕われて、断念するのが殆どであろう。

 ところが、今年の秋、私はそのチャンスに恵まれることになった。

永年勤めた会社を退職して、自由の身となったのである。

 そして、幸というか不幸というか、私には養うべき家族がいない。あとは、この夢を実行するだけの体力と気力があるかと言うことだけである

 私は、昨年遂に、不惑の年齢に達した。それなのに、いちいち迷うことばかりである。体力的には、今行わなければ、後は下り坂を転がり落ちるばかりである。何を迷うことがあろうか。

 経済的には、?がつく。しかし、それは釣り場で野宿をすれば、さしたる費用はかからない。それどころか、フルタイム、野鯉釣りである。これはもう、即、決行するばかりである。とまあ、強引に良い材料を捜し出して、納得する。

 となると、善は急げ、である。うかうかしていると、直ぐにできなくなるのは目に見えている。

 そこで、具体的に計画を立てることにして、日本地図と睨めっこということに相成った。どうせ「日本野鯉紀行」と謳うのなら、やはり端から行くのが理にかなっている。今の9月の時期といえば、まだ南は暑すぎる。北なら、丁度涼しくて良いだろう、と地図を眺めると、名古屋と敦賀から北海道へいくカ−フェリ−が目に付いた。

 岐阜からは、名古屋も敦賀も1時間から1時間半と近く、余り換わらない。あとは、料金と目的地の違いである。ところが、運賃表を見て、驚いた。何と、名古屋から苫小牧迄と、敦賀から小樽迄の料金に、倍も開きがある。名古屋航路が高いのである。これだけ開きがあると、その理由を色々と考えてしまうが、とにかく今回は安いのが良い、ということで敦賀航路に決定する。幸い行き先の小樽は、北海道最大の川である、石狩川河口の直ぐそばにある。石狩川を河口から釣り上がり、山上湖を探り歩いて本州へ渡る。うん、それが良い。

 だけど、北海道って、野鯉はいたんだっけ?

しかし、その前に一度、リハ−サルをしておく必要がある。3日から1週間程度の野宿は、今までに数え切れないほど経験してきているが、今度はその何倍もの期間である。釣りのタックルは言うに及ばず、着替えから炊事洗濯に至るまでの、毎日の生活の装備を一切用意しなければならない。

 とりあえず、永年酷使してきたオンボロのワゴンを、一切の荷物を積載して、なおかつその中で寝泊まりもできるように、2万円の費用を掛けて改造し、琵琶湖へ出かけることにした。

 何故、琵琶湖かというと、私の住む岐阜から近いこともあるが、やはり、『日本野鯉紀行』と言うからには、たとえリハ−サルと言えども、日本最大の湖で行うことによって、気分を盛り上げたいと思うのが、人情であろう。

 さて、とりあえず岐阜から近い、湖東周辺でと思い、長浜辺りから南へ、リハ−サルに適した良いポイントを探して下って行くと、彦根の南迄来たところで、いかにも大鯉の住み家となりそうな河口に行き着いた。宇曽川の出合いである。

 河口は両岸共、突堤が突き出ていて、その根元には波消しのテトラブロックが積んであり、右岸側は港となり、左岸側は砂浜が続いている。 丁度、左岸側にテントを張れるスペ−スもあり、絶好である。

 9月ともなると、さすがの夏の賑わいも、嘘のように静かで、まして平日ともなると、辺りに人っ子一人見当たらない。

 琵琶湖に向けて竿立てをセットして、思いっきり遠投するのは、実に気持ちがいい。いかにも、大物が釣れるような気分になってくる。

 自作の4本針の吸い込み仕掛けに、ネリエサをテニスボ−ル大に付けて、投げ込むと、今度は、テントの設営である。

 ド−ム型の小型のテントに、フライシ−ト替わりに、タ−プをセットすると、いかにものんびりとしたキャンプのム−ドが漂ってくる。

 折り畳み式のひじ掛け椅子を組み立てて、眼下に広がる、雄大な琵琶湖の水面を見ていると、だんだんと想像力が広がってくる。

 そういえば、今年の冬には、淡水大魚研究会の坂入氏に霞ケ浦を案内して戴いて、寒鯉釣りをしたんだっけ。去年の秋には、秋田の進藤氏に八郎潟を案内して戴いて、全国大会に参加したんだったなあ。

 そうすると、この琵琶湖と合わせると、日本の3大鯉釣場で竿を出したことになるのか。待てよ、霞ケ浦でも去年から大会を始めて、今年の春には、枠を拡げて全国規模にしていたような気がする。もし、この琵琶湖でもあんな大会があったなら、釣人の交流も広がって、楽しくなるだろう。日本の3大湖で、全国大会か。野鯉師の夢だなあ…。などと、いつのまにか、初秋の白昼夢に陥る私であった。

 さて、今年は異状冷夏、と各地で騒がれていたわりには、初秋の琵琶湖は暑かった。日中の気温は30度を軽く越え、風も無く、タ−プの下にいても汗がじわじわと噴き出し、夜に入っても非常に寝苦しく、とても北国のリハ−サルの気分ではない。

 午後から竿を出し、3時間毎にエサ打ちを繰り返していた仕掛けに、最初のアタリが出たのは、ようやく眠りに落ちた深夜のことであった。

 ピッピッピッ…と、聞き慣れた電子音が、テントの中で暗やみを引き裂いた。いつもながら、有り難い報知器の音である。野鯉には悪いが、これがあるから、夜釣りも苦にならないし、「日本野鯉紀行」も思い立った訳である。

 ヘッドランプをセットして、テントから出ると、砂浜に立ててある右端の竿が、大きく絞り込まれている。

 これは良い型だぞ、と喜んでアワセをすると、竿が曲がったまま動かない。右へ煽っても、左へ絞っても、ラインは暗闇に吸い込まれたまま、ピクリともしない。どうやら、敵のほうが一枚上手で、うまく掛かりの中に逃げられたらしい。

 仕方無く、ラインを切って、同じ所へエサを打ち返し、又、テントの住人となる。すると又、1時間程して、ブザ−の音。今度は、河口の流心めがけて、力一杯遠投した竿が、おじぎを繰り返している。

 竿を手にすると、今度は紛れもない、野鯉の手応えである。さほど、強い締め込みではないが、先程ばらしているので、慎重に寄せてくると、砂浜に60cm程の魚体が横たわった。地元で通称ゴンボと呼ばれる、スマ−トな琵琶湖の野鯉である。

 とりあえず、1匹型を見て、安心して横になると、30分もしないうちに又アタリ。テントから出ると、ギギィギギィと、リ−ルのクリックが、激しく悲鳴を上げている。これも又、先程と同じ竿である。スプ−ルを指で押さえて、アワセをしようとすると、竿立てから竿が抜けない。野鯉の勢いが強いのである。ようやく、竿を立てたときには、ラインは沖へ一直線。琵琶湖の深淵めがけて、まっしぐら。先程の手応えとはまるで違う、パワフルでどっしりとした手応えが反って来た。こういう手応えのときは、まず慌ててはいけない。相手の動きを見て操作しないと、いくら太い仕掛けを使っていても、上がらない。敵が、向こう向いて走っているときに、無理に停めようとしても、竿がのされるだけである。

 走り疲れて止まったときが、チャンスである。敵を休ませてはならない。いつ走り出してもよいように、リ−ルのドラッグを少し弛め、スプ−ルを親指で押さえながら、ポンピングで寄せるようにする。

 これを、何回繰り返したろう。100m近く出ていたはずの道糸が、いつのまにか突堤の直ぐ先まで、寄っていた。突堤の回りには、根元を波から守るために、テトラブロックが幾重にも並んでいる。これに潜られたら、最初の二の舞である。

 そこで、少し強引に竿を引き絞り、水面に浮かせることにした。もし、まだ竿を引き倒す程の力が残っていたら、一巻の終わりである。しかし、さすがの敵も、それだけの力は残っていなかったようで、ブロックの間から差し出すタモに、静かに収まった。

 安全な所迄、引きずって行って、タモから取り出すと、80cm近い大物である。引き締まった魚体、精悍な顔つき、灯りに映える黄金色の鱗。正に、琵琶湖の王者の風格である。それにしても、この深夜に3連発のアタリとは…。結局、この夜は殆ど眠れずに、朝を迎えた。

 朝の琵琶湖は、昨夜の奮闘など、何の気配も感じさせない、穏やかな凪であった。時折、遠くを走る漁船の立てたうねりが、ゆらりゆらりと寄せ来るだけである。昨日は、少し濁っていた宇曽川も、今朝はいつのまにか、本湖と同じ色に青く澄んでいた。

 とりあえず、釣果については、申し分のないリハ−サルが行えた。あとは、本番もこの調子で行ければ、万々歳である。

 残るは、生活の面である。一応、日除けと雨除けに用意したタ−プは、何とか行けそうである。食事のほうも、今度の為に仕入れた、がス炊飯器で万全である。

 とすれば、あとは洗濯と入浴かぁ。釣り場にコインランドリ−は無いだろうから、着替えを少し多めに持っていき、釣り場で暇なときに、纏めてやるより他に無い。入浴は、温泉巡りをすれば良い。ヨシッ、これで万事解決である。

 さて、本当にこれで上手く行くのやら、後は次回のお楽しみ。